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かつて恋人だった私たち  作者: 橘霧子
2/11

2.


翌朝、定刻どおりに起こされ、マリアは朝の支度に取りかかった。

紆余曲折を経て念願の商会の主として働きながらも、マリアは家事に手を抜かなかった。というより、それは許されなかった。

ヘンリーはマリアが経営者として働くことを許可したものの、それを理由に家庭の雑事に手を抜くことは許さなかった。


住み込みの使用人は必要最低限のみ。それでは屋敷の家事には手が足りない。

料理だけでなく、掃除や洗濯といったこの家の経済力ならば使用人がする仕事も、ヘンリーはマリアに義務付けた。

場合によっては臨時雇いのメイドやコックを頼むこともあるが、日常の家事はやってもやっても終わりがない。それはマリアの能力の欠如ではなく、圧倒的に仕事量と労働力のアンバランスだと気づいてからは諦めている。




ヘンリーは朝食を摂らないので、マリアはいつも使用人と共に使用人部屋で朝食を摂る。

執事のチャールズ、その妻で料理人のリンダ、従者のトマス、メイドはメアリアンとジャニス2人。

長年の付き合いになる彼らと過ごすこの時間が、一番ゆっくりできる。

朝食は、昨夜たべ損ねた料理をかさ増ししてリメイクしただけの、簡単なものだった。


「奥様、私がこんなことを言う立場ではないと解ってはいるんですがね」

下級メイドのジャニスが、恐る恐る声を発した。

「昨夜のお客様、あれは、アレですかね」

「お前、奥様に向かって」

「いいのよ、メアリアン」


使用人それぞれの気遣いに、マリアは思わず口元が緩んだ。


「そうね。多分、そうなんでしょう」

「まさか、このままずっとお屋敷にお置きなさるんですかね?」

「さあ、まだ旦那様にお会いしていないから……今は解らないわ。そういえば、旦那様を起こすまで、後どのくらいかしら」


ヘンリーの朝は遅い。

いつも出勤のギリギリまで寝て、慌てて身支度をして用意してある馬車に飛び乗る。

自分が寝坊しているくせに、少しでも起こすのが遅れると、遅刻だなんだと大騒ぎするから、厄介だ。

遅刻を心配するなら、もっと早い時間に起きるとか、起こされたら一回で起きるとか、自分が改めなければならないことがあるだろうに。


執事が時間を確認すると、まだ一時間以上も余裕があった。

もう一杯ゆっくりお茶をいただく時間はありそうだ。

それから掃除。門から玄関まで掃いたあたりで、ヘンリーを起こしに行かなければならないかもしれない。

その時にあの二人の客人の話をするのは面倒だ。ヘンリーは朝は機嫌が悪いのだ。


「ああ、そうだった。今日は商会に顔を出すと言っていたんだったわ。ついでに何か必要な物があれば、買ってくるけれど」

「いえ、それには及びません。ですが必ずトマスをお連れください」


マリアに視線を向けられた執事は、それぞれの空いたカップに新しいお茶を注ぎ、従者の名を告げた。


「近頃はまた物騒になったと聞いております。治安部隊が見回るとはいえ、常にお気をつけください」

「そうね……悪いけどトマス、付き合ってちょうだい」

「喜んでお供しますよ、奥様」


元傭兵だったトマスは、いかにも戦う男と言わんばかりの分厚い筋肉と上背の持ち主で、見た目だけでかなりの威圧感がある。

本人は無駄な争い事に拳を使うことを嫌い、庭木を慈しむ優しい性根の男なのだが、そのいかつい見た目は、用心棒として充分に役に立つ。

危険に対応する力が重要なのは勿論として、それ以上に必要なのは、こちらに圧倒的な力があるように見せて事前に危険を回避する能力だ。


近頃、商会が拠点をおく繁華街は、真っ昼間の強盗が多発していた。

以前から夜盗騒ぎはあったものの、人目がある時間に繁盛店を狙っての襲撃など、かつては聞いたこともなかった。

今は自分の店がいつ襲われてもおかしくはない。

商会に出向く用件も、今後の警備体制をどうするか、現場とすりあわせをするためだった。


「世の中、物騒になったものねぇ。私みたいなオバサンが出歩くにも、身の心配をしなければならないなんて」

「失礼ながら、強盗には女性の年齢よりその身なりの方が重要かと」

「そうですよ! 年齢に関係なく注意してください。ただでさえ、奥様はぽやぁとしたところがおありなんで」

「そうかしらね」

「そうです!」

「そうね。心配してくれてありがとう」


ふふふ、と笑うマリアに、メアリアンがわざとらしく溜め息をついた時、めったに鳴らない呼び鈴がなった。

その場にいた全員がはっとして、壁に備えられたベルボードを見上げた。

一番左のベルは主人の部屋。ヘンリーの部屋のベルだ。


「お目覚めには少し早い時間ですが」


チャールズが腰をあげるのに次いで、マリアも席を立つ。


「私も行くわ。……悪いけど、お客様の朝食を用意してもらえる? 多分、ご用があるのは旦那様ではなくて、お客様の方よ」

「かしこまりました」


先ほどまでの和やかさから一転、全員が素早い動きでそれぞれの仕事を始める。

執事とマリアは揃ってヘンリーの部屋に向かった。




2人がヘンリーの部屋を訪れると、思った通り、部屋の主のヘンリーは未だベッドの中。

招かれざる客のうち、アレックスは少年らしい好奇心であちこちを物色し、オパールは女主人然とした態度で腕組みをして立っていた。


「おはようございます。旦那様」

「ちょっと、何ですぐに来ないのよ! この家は、頼まないと朝食もでないの!?」


チャールズの挨拶に、イライラとした口調で答えたのは、オパールだ。


「それは大変失礼いたしました。朝食の時間にお部屋に伺いましたが、お返事がありませんでしたので、まだお休みになられているとばかり。お食事は食堂にご用意しております。お支度が整いましたら、お越しください」


これは強烈なイヤミだな、とマリアは神妙な表情で込み上げる笑いを隠した。


いかにも寝起きと言わんばかりの乱れた髪。

身一つで夜分にやってきて、そのままベッドに潜り込んだであろう、しわくちゃのワンピース。

何より。

客間に案内したはずなのに、いつの間にか主人の部屋に入り込んでいること。


お前、他人の家に来て勝手に部屋を動き回り、みっともない身なりも整えずに人に指図して何様のつもりだ!?――と、怒鳴りたいところを我慢して。

無作法と無礼を何十にもオブラートに包んで、言葉の爆弾としての投げつけた。慇懃無礼はチャールズの得意芸。


だが、それも受け手にそれなりの受け皿があっての話だ。


「そうなの!? じゃあ行きましょう、アレックス」


どうやら受け皿のないオパールには、通じなかったようだ。

息子を促し、チャールズの案内より先に部屋を出てしまった。


「なんとも、個性的なお方ですね」

「そうね。食堂の場所も解らないでしょうに。そんなにお腹がすいていたのかしら」

「さ、奥様。私たちも参りましょう。またあの方が叫びだす前に」


部屋を出る前に、マリアはベッドに眠るヘンリーの様子を伺った。目の前でキャンキャン騒ぐ女がいたと言うのに、気づくこともなく深い眠りの中だった。


「本当にあきれるわ」


そんな呟きなど、聞こえるはずもない。

マリアはドアで待つチャールズと共に、ヘンリーの部屋を後にした。




オパールとアレックスの食事風景は酷いものだった。


2人を食堂に案内すると、すでにワゴンにのせた朝食が届いていた。

チャールズがエスコートと配膳をする。メニューはマリアたちのものとは違い、新たに用意されたハムとサラダにパンとスープだった。


「え、伯爵様の家なのに、こんなものしか出ないの!?」


こんなものと言われても。

それに、当家は元伯爵の令息を主人とする家であって、ただの平民だ。

チャールズの後ろで、メアリアンとジャニスが困惑を隠さずに顔を見合わせているのが見える。


「当家の朝食は、大抵このようなメニューですよ」

「何で!? こんなの、ちっともご馳走じゃないじゃない」

「ご馳走……ですか?」


我が家の朝食で、ご馳走など出たことがあっただろうか。マリアは首を傾げたが、全く記憶にない。


「見た目はシンプルですが、そのハムは一級品と名高いバスクル地方から取り寄せた品で……」

「そうじゃなくて! 貴族の食事ってこーんな分厚い肉とか、こーんなでっかい肉とか、そういうのでしょ!? 違うの!?」

「はぁ……違い……ますね」

「違うの!?」

「はい。それはおそらく晩餐のメニューですね。さすがに普段から、その様なものばかりいただきませんが……」

「何でよ!?」

「何でと言われましても……」


毎日朝からそんなものばかりたべていたら、太ってしまうし、不健康ですよね? などと正論をぶつけたところで、解ってはもらえまい。

さて困ったと言葉に詰まっていると、

「朝っぱらから何を騒いでいるんだ」

と、ヘンリーが声をかけてきた。


いつもは出勤のギリギリまで起きないくせに。

懇ろの女の前では、多少は生活態度も違うらしい。

ただ、寝起きの不機嫌さはあい変わらずで、壁に控えている2人、チャールズを睨み付けるように眺めた最後に、マリアを睨み付けた。


「おはよう。ヘンリー」

「お前は……客人のもてなしもロクにできないのか」

「……ごめんなさい」


もちろん、本気の謝罪ではない。

ヘンリーの気が済めば厄介なことにならない。そのための一種のデモンストレーションだ。

ヘンリーは舌打ちして、夢中になって食事をしているアレックスの頭に手を置いた。


「そんなもの、食わんでいい。これから朝食を食べに行こう」

「でもパパ、これ美味しいよ」

「パパがもっと美味い店に連れていってやる」

「ねぇ、ヘンリー。服がこれ一枚だなんて困るわ。買い物もお願い」

「わかった。身の回りのものを揃えるとしよう」

「お待ちになって」 


話が進んでいくところに、マリアは慌てて割り込んだ。


「勝手に話を決められても困ります。ヘンリー、あなたはこちらのお二人をどうするつもりなの?」

「そんなことはお前に関係ない」


はい、出た。

『お前には関係ない』――会話が面倒になったとき、自分が不利になって逃げ出すとき、ヘンリーが使う常套句だ。

いつもは追及するのも馬鹿馬鹿しく、「そうですか」と放置してしまうが、愛人と隠し子を家に入れるとなれば、話が違う。


「なぜ? 関係あるでしょう? 私はあなたの妻。そしてここは私の家よ。私の家にお二人を家族として受け入れるのは、断固拒否するわ」






隔週水曜21時に更新。

次回は2月8日の予定です。


他に連載がありますので、こちらはゆっくりペースです。

それでもお付き合いいただける方、よろしくお願いします。


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