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かつて恋人だった私たち  作者: 橘霧子


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 結論を言ってしまうと、アレックスはヘンリーの子供だった。


 髪の色。目の色。こめかみから顎までの輪郭。それから後ろから見たときの、首から肩にかけてのライン。背中の肉付き。アレックスは若い頃のヘンリーを、そのまま子供にしたかのようだ。

 それだけそっくりなのだから血の繋がりは疑いようもないが、確証を掴むために、親子鑑定のできる医師を、マリアの姉ジゼルに紹介してもらった。


 簡単な鑑定なら、『鑑定』のスキルを持つ術者に頼む方法もある。その方法なら、目の前であっという間に鑑定できてしまう。

 しかし、こちらが用意した術者に「親子ですね」と太鼓判を押されたところで、あのヘンリーが素直に認めるとは思えなかった。むしろ、ああだこうだとグチグチと言い訳するか、不正したと因縁をつける姿しか思い浮かばない。


 べルートの医科大学で研究をしているジゼルは、マリアが親子鑑定の相談をすると、事情を察し、すぐに信頼のおける友人を紹介してくれた。さすがは40年以上もマリアの姉をやっているだけある。早くとも数週間はかかると踏んでいた鑑定を、マリアが気の変わらないうちにと、最速で手配してくれた。


 紹介された人物を調べると、遺伝子研究の第一人者ともいわれているような、とんでもない人物だった。どうせなら、相手がぐうの音も出せないような、完璧な鑑定をすべきだ、ということで、わざわざ最高峰を選んだらしい。だからと言って、そんな後世に伝え残すべき稀有な頭脳を、隠し子の親子鑑定などという、下衆な争いごとに使ってしまうことが申し訳ない。


姉の友人――スラッグ博士は、一見穏やかそうな、柔らかい雰囲気の男性だった。動物に例えるならば、ヘンリーの牛に対して、ナマケモノ。しかし仕事の話となると、その言葉は明瞭で的確、滑舌よく有無を言わせぬ語り口で、マリアのおしゃべりや好奇心さえも黙らせた。


 親子鑑定は母親も参加すればより精度の高い検査ができると言われ、マリアは迷うことなく3人での検査を頼んだ。どうせ費用はマリア持ちだし、やるなら徹底的に相手の反論を潰すのが得策だ。

 スラッグ博士の予定をおさえ、マリアがヘンリー、オパール、アレックスを医科大学まで連れて行く算段をつけたのだが、当日、ヘンリーが逃亡した。

子供か。


 使用人たちが心当たりをしらみつぶしに、あちこち探し回った。だが、結局ヘンリーを見つけることはできなかった。多忙な博士に余計な負担をかけるわけにはいかない。鑑定のために押さえていた時間を使い切ったところで、第一回目の遺伝子検査は、博士とマリアがお茶を飲みながら親睦を深めるだけで終わった。オパールもヘンリーの行き先を知らぬといって沈黙し、アレックスはただただ退屈しただけだった。


 さて二回目はどうしようかと考える。

 愛人とその女が産んだ息子を、妻と同じ家に住まわせておいて、今更親子鑑定を渋るヘンリーの意図は全く理解できない。ただ、突発的でその場しのぎの行動に走るとは、実にヘンリーらしい。ヘンリーが、あと先考えずに、楽な方に逃げるのはいつものこと。失念していたのは、マリアのミスだ。


「慰謝料の問題ではありませんか? だって旦那様、お世辞にもお金持ちじゃありませんし。アレックスとの親子関係が証明されたら、慰謝料の額が変わりますでしょう?」


 使用人たちとの夕食の席で、ジャニスがポロリとそんなことを言った。ジャニスは言うだけ言って、山盛りに皿に乗せられた料理を口に運んでいく。モリモリ平らげる様は、とても良家の使用人の作法とは言えない。

「はしたないわよ」

 と、いつもその所作を注意するのは、メアリアンの役目だ。


 アレックスやオパールとの奇妙な同居生活が始まったが、マリアには何の影響もない。以前と変わらず使用人と共に食事をし、働き、そしてぐっすり眠る。

 結界によって、屋敷内でのヘンリーの行動も制限されているせいか、ここのところ全く顔を見ることもない。

 共有部であるキッチンや洗濯場に出入りしている使用人の話では、何とか自分たちで衣食と衛生環境を賄っているようだ。嫌々ながらも家事をするオパールとは、よく顔を合わせるらしい。


「いいのよ。みんなも自由に食べて。私の前で気取る必要はないわ」

「リンダさんのご飯が美味しいのが悪いんですよぉ」

「本当よね。こんなに美味しいお料理を毎日いただけるなんて、ありがたいわ。いつもありがとうね」


 マリアの賞賛に、リンダは軽く目を伏せて、

「お褒めに預かり、光栄です」

 と、使用人らしい態度で受け止めた。

「ほら、ジャニス。これが正しい使用人としてのふるまいよ。あなたは砕けすぎているの。いくら奥様がお許しだからといって……」

「わかってますよぉ」

「わかっていないじゃないの……」


 ジャニスとメアリアンのやり取りを微笑ましく眺めながら、マリアは「慰謝料ね」と呟いた。


「ジャニスの言う通りかもしれないわね。浮気だけならともかく、親子鑑定は、長年妻に隠れてよそに家庭を持った証拠になるもの。私の弁護士なら、メッタメタのギッタギタに叩きのめすわね」

「あ〜……ブレナン先生ですね。あの方に適う弁護士はいないでしょうね……」


 ヘンリーは、商会の顧問弁護士のいかつい姿を思い出して、薄く笑った。


「ジョジョって見た目どおりの論法で、相手に突っ込んでいって一息に捻り潰すのよね。彼の法廷での姿って、本当に前線の戦士みたい」

「ブレナン先生の名前を出したら、旦那様の弁護士は決まらないかもしれませんね。先生の勝率の高さは有名ですし、誰しも負け戦には挑みません」


 チャールズの指摘に、マリアは「それは困ったわね」と食事の手を止めた。


 離婚するにしても、ヘンリーがごねている以上、円満に解決しないことは明らかだ。

 双方弁護士を立てて、速やかに法に委ねることを前提にしていたが、もし、ヘンリーが弁護士を探せないとグダグダ言い訳を始めたら?

 それを理由に、離婚協議を引き伸ばされたら?

 それはとても面倒だ。

 こちらは一刻でも早く、愛人との共同生活など解消し、不誠実な夫とも縁を切りたいのに。


「慰謝料の話をしたのはまずかったわね。つい感情的になって、何も考えずに言いたいことを言ってしまったわ。なんて馬鹿だったのかしら……」

「感情的にもなりますわ」

 と、リンダが食卓の空いたカップに、茶を注いで回る。


「ですが、今はしっかりお食事を召し上がってくださいませ。ただでさえ奥様はご多忙なのですから。僭越ながら、日々のメニューは栄養面から奥様をお支えするため、しっかり考えてお出ししております」

「まあ、そうよね。今はしっかりこのお食事をいただく方が大事だわ。ごめんなさいね、リンダ」

「とんでもございません」


 リンダに促されて、マリアは再び料理を口に運ぶ。放置していた間に冷めてしまった肉に、マリアはそっと魔力を注ぐ。続いて、食卓の中央に用意された大皿の料理にも。

 マリアは、魔力を注ぐことで、対象のものの温度を少しだけ変化させることができる。冷めてしまった料理を温めるのはお手のものだ。リンダの料理は冷めても美味しいが、できるのなら温め直す方がいいに決まっている。


 けれど、ヘンリーは一度たりとも、マリアの魔法にいい顔をしなかった。温かい料理を美味しく食べたいという、ささやかな感情を、全力で否定した。

 ヘンリーか魔力を持たず、魔法を使えないからなのかもしれない。子供が幼い頃、家族で出かけたピクニックでさえ、一人だけムキになって冷めた弁当を口にしていた。


 チャールズのような特級の術者ならともかく、最低限の魔法の訓練しか受けていないマリアにできるのは、この温度変化の魔法だけだ。それでもヘンリーには面白くなかったのだろう。マリアの魔法を否定し、使う度にくどくどと説教を始め、そしてとうとう、マリアが魔法を使用することを禁じた。


 禁じられたことで全く困らないし、ヘンリーの目の前で使わなければ良いだけなので、マリアは飄々と受け流してきたが、今になって、この程度の魔法でさえ目くじら立てて否定しなければ保てないヘンリーのプライドって――と、思ってしまう。


 若い頃のヘンリーは、マリアが持っていない美点を沢山持っていた。社交性も、好きになったものに注ぐ熱意も、マリアには乏しい感情だった。ヘンリーはお調子者で軽率で夢見がちな部分もあるが、悪い人間ではなかったはずだ。ヘンリーは間違いなく、マリアにとっての白馬の王子で、不器用なマリアを導く先導者だった。


 何が悪くてこうなってしまったのか。

 ヘンリーだけでなく、マリアにも悪いところがあったのだろう。そうでなければ、相性が決定的に悪かったのか。

 キーラもセイラも男性のエルネストさえも、全面的にマリアの味方をしてくれるが、夫婦間の揉め事で、片方が圧倒的に悪いと断言できることは稀だと思っている。

 ただ、そこが解らない。まるで煙る視界のその先に、自分だけがなにがあるのが見えていないようだ。

 友人たちの言うヘンリーの悪い部分には大いに納得するが、自分のこととなると指摘されても手応えがない。だから、納得もできない。言われたから、「そうなのか」と頷くだけだ。


 夕食はいつものように穏やかに終わった。

 珍客が乱入することも、不機嫌な男の怒号が響くこともない。

 立場の上下もなく、同じものを美味い美味いと言って食べ、それぞれの話したいことを話し、笑ったり怒ったりして終わった。団欒の場にいるのが、夫でも子供でもないことが滑稽ではあるが、それも自分が生きてきた結果だ。


 マリアが執務室で持ち帰った仕事をしていると、チャールズが手紙の内容確認を求めに来た。食事中に、チャールズに頼んだ仕事だ。

 ざっと目を通し問題がないことを確認すると、明日、手渡したらその場で返事をもらうように言いつける。

 チャールズは確実に仕事をこなすだろう。

 マリアは、早めに仕事を切り上げて眠ることにした。早く床につき、使用人を休ませるのもの雇用者の務めだ。


 そして3日後――。


 マリアはいつもと同じ時間に起き、朝食をとった。

 いつもと違うのは、出勤時間になってもまだ支度もせずに在宅していたことだ。

 使用人たちも忙しく働き、そして10時になった。

 チャールズが来客を告げると、

「では、はじめましょうか」

 と、マリアは読んでいた本を閉じ、立ち上がった。


 目指すのは、ヘンリーの部屋。

 外出の形跡がないのは、確認済みである。


 マリア、チャールズ、メアリアンの三人が、静かに歩を進める。部屋のドアをノックしても、応答はない。

「入りますよ」

 と、マリアが断りをいれ、ドアを開けた。


 ムッとする酒の臭い。カーテンを開け、窓も次々に全開にする。爽やかな朝の空気と輝く日差しが、不健全な部屋の空気一掃した。


「ああ、これでいいわ。朝はやっぱり窓全開ね。とても清々しい」


 マリアはわざとらしく両腕をぐんと突き上げ、大きく伸びをした。


「な、なんなんだ、お前たちは!」

「おはよう、ヘンリー」


 慌てるヘンリーに、マリアは姿勢を正して、淡々と朝のあいさつをする。


「これから、親子鑑定のために、スラッグ博士がいらっしゃいます。今度は逃げられませんよ」

「なんだって? お前……何を勝手に」

「あら、親子鑑定をすると、最初に言ったはずよ。忘れたのかしら」

「知らん……俺は聞いてないぞ!」

「そう? でも、そんなことはどうでもいいわ。あなたがアレックスを自分の子供だと主張するのだから、妻として真偽を確かめる必要があるのよ」


 マリアは、ベッドの中から抗議するヘンリーを見下ろす。毛布が型どる山は二つ。ヘンリーの隣の山は、裸を見られたくないオパールが毛布の中に潜り込んだもの。今さら隠れたって、部屋に入った時に、裸で体を絡ませて眠りこけている姿をしっかり目に入れているのに。


「オパールさんも、博士が来るまでにお支度を済ませてくださいね。その姿を晒すのは恥ずかしいでしょ?」

「……だったら早く部屋を出ていきなさいよ!」

「そうですねぇ。そうしたいのは山々ですが、またヘンリーに逃げられても困るので、今回は助っ人を呼びました。ジャニス、お通しして」


 ジャニスが連れて来た客人に、ヘンリーが顔を青くする。


「貴様……貴様というやつは……! 全てマリアからの手紙で知っている。 この恥さらしが!」


 入ってきたのはヘンリーの実父、ウィリアム・グロスターだった。ウィリアムはズカズカと部屋に入るなり、ヘンリーの髪を掴みあげた。


「痛い! 痛い! 親父、痛いじゃないか!」


 必死に首を伸ばしながらヘンリーか叫ぶ。


「お前はその年になっても、やっていいこと悪いことの区別がつかんのか! さっさと親子鑑定でも離婚でもして、マリアに詫びろ!」

「わかった、わかった! 今度はちゃんと鑑定を受ける。だからこの手を離してくれ! 髪が……髪が抜ける!」


 ヘンリーの叫びに、マリアは口元に手を添え、目を丸くする。


「呆れたわ。この期に及んで髪の毛が大事なの?」

「馬鹿、お前……それは言葉のあやだろう!? おい! 見ていないて助けろ!」

「そうかしら? 逃げられても困るし、博士がいらっしゃるまで、そのままでいたら?」

「マリア!」

「それがいい。俺は息子の裸なんぞ、とうに見飽きているからな。とっととベッドから降りろ!」


 ウィリアムに腕を引かれ、ヘンリーは為す術なく素っ裸のままベッドから転がり出た。そこまでして髪を守りたいのか。父親の前で跪き、頭を釣り上げられている姿は、魔道具に記憶させておきたいものだ。そっとチャールズに目を向けると、僅かにクビを横に振った。残念だ。


「お義父さま、今からオパールさんが支度されるそうなので、隣の部屋に移りましょう。チャールズ、ヘンリーの服を」

「オパール? 件のアバズレか?」

「その言葉は流石にかわいそうですが、否定はしません」


 ウィリアムはヘンリーを引きずりながら、ベッドに残された小山をみやる。オパールはピクリともせず、やり過ごそうとしているようだ。毛布の中で、まだ見ぬヘンリーの父親を想像して、気が気ではないオパールを想像すると、マリアは気分が良くなった。


 義父ウィリアムは、ヘンリーとは程遠い、まさしく三区の労働者然とした人物だ。自身の雑貨店を持ち経営してはいるが、オパールの想像する上流社会とは全く違う。庶民相手に慎ましく、かつ、時には()()()商っている。

 ヘンリーが上流社会の雰囲気を漂わせているのは、義母が元伯爵家の残光に縋り、上流階級の意識を植え付けて育てた結果と、三区にありながら、それなりに儲かっている叔父の商会にぶら下がっているからだ。

 実際のグロスターの血筋は、とっくの昔に詐欺にあって破綻し廃爵した、ただの庶民でしかない。


「あちら様、いい感じに震えてますね」


 ジャニスがいい笑顔で笑った。


「ジャニス、そういう感情は口に出さず、心で思うだけにしましょうね」


 一応、窘める。なにしろ淑女なので。


 なにも知らされていなかったとしても、オパールが妻のある男性と、無責任に子供を作った事実からは逃れられない。オパールにとって、義父は恐ろしい存在になるかもしれないが、そんなものより、社会的に果たさねばならない責任の方がよっぽど恐ろしいのだ。

 まずは、親子鑑定がその第一歩になる。さあ、テキパキ動こう。


「ジャニス、オパールさんの着替えを手伝ってあげてね。支度が済んだら、食堂に。私は博士のお出迎えがあるからホールにいるわ」

「えええー…。はぁい。嫌ですが、頑張ります」


 オパールをジャニスに託し、メアリアンと共にアレックスに事情を伝えたあと、マリアはホールのソファで静かにスラッグ博士を待った。博士は約束の10時半きっかりに、助手を伴ってやってきた。

 マリアはすぐに頭を下げた。


「おはようございます。この度はご多忙のところ、ご足労いただきありがとうございます」

「おはようございます。ご丁寧にありがとうございます。今日はみなさん、お揃いで?」


 スラッグ博士は、ふにゃりと笑う。


「はい。今日は抜かりなく」

「ははは。では今日は、ご主人も観念なさったわけだ。お会いするのが楽しみだなぁ」

「それにつきましては、本当に申し訳ごさいません……」

「いえいえ、あなたが謝るようなことではありません。いやね、僕もあなたの姉君にしたら充分に非常識な人間らしいんですがね。

 ご主人はとても興味深い。不貞の末の親子鑑定など、逃げたところで逃げ切れはしないのに。人の時間を奪い、迷惑をかけてまで、なぜそんな無駄なことをしたのか。面白い人ですね」

「はあ……」


 ふにゃりふにゃりと、笑いながら、スラッグ博士はゆるゆると食堂に向かった。怒っているのか、楽しんでいるのか、今ひとつ分からない。その後ろを助手がすまし顔でついてくる。

 食堂には、身だしなみを整えた三人が席についていた。ヘンリーは不貞腐れ、オパールは顔を真っ赤にして俯いていた。テーブルを挟んでその反対側で、ウィリアムが睨みをきかせて仁王立ちしていた。ウィリアムはマリアたちに気づくと、何も言わずに自ら部屋の隅へと移動した。


「やあ、今日は本当に全員おそろいだ」


 博士は冗談とも嫌味とも取れる言葉と共に、助手から鞄を受け取り、鑑定に必要な道具を取りだしながら、鑑定方法について説明を始めた。説明を終えると、順番に口の中に綿棒をつっこみ、頬の内側をこすってから丁寧に袋にしまった。

 ヘンリーの時だけ、必要以上にゴリゴリ擦っていたようにも見えたのは、きっと気のせいだ。


 こうして、二回目の親子鑑定は、義父ウィリアムの立ち会いの元、あっけなく終わった。

 一週間も経たずに、医科大学の正式文書として、親子を証明する書類が届いた。

 結果に目を通しても、「でしょうね」しか感想がなかいマリアだった。














私が一番欲しい魔法は、メラチンです。笑


こちらは不定期にて更新しております。

また、いつかの水曜日に。

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