10.
セーラの計らいで、裏庭に停めた馬車を魔道具店の従業員が表に回してくれることになった。
仕事中に申し訳ない気持ちもあるが、魔道具店の裏庭に行くには、カウンターから奥に入り、工房を通って裏庭に出るか、建物をぐるっと回って行くしかない。
工房を通れば、当然のように制作中の魔道具にマリアの好奇心が疼いて歩みを止めるだろうし、居住部分も含めて一区画をまるまる占領している魔道具店の外側を、ぐるっと回るのは面倒。
エルネストにとって、大変ありがたい気遣いなので、いつも甘えてしまう。
あえて少し照度を落としている店から一歩出ると、空気が輝いて見えた。目の前には町区を区切る大通りが横たわっている。
道を渡った向こう――三区は、連棟式の小規模な商店が、通りを縁取るように並んでおり、人通りもある。店を覗く客も、呼び込みをかける店主たちの姿も、生き生きとして活力に溢れている。
三区の住民は、一区や二区のような取り澄ましたところがなく、最も庶民的だ。
大声で客に呼び込みをかけるし、人前でも平気でゲラゲラ笑う。言いたいことを言って、ケンカもする。仲間と一日の疲れを酒と共に飲み下し、安酒に酔いつぶれては翌朝を気だるげに迎える。
肉体労働を担う者。店を営む者。一区や二区に職場を持つ者。混在してエネルギッシュな町を形成している。
かたや四区。
こちらはほとんどが肉体労働か家庭内手工業に従事しているため、昼間は人通りも少ない。
大通りに面してそれなりに商店が連なっているところがあるものの、三区よりもさらに小規模だ。
それはベルートの歴史に起因している。
ベルートが王都と呼ばれていた時代、遷都と共に地方から多くの低賃金労働者が集められた。
彼らは王都建設の人員としてだけでなく、敵軍から王都の中心部を守る外郭として、強制的にベルートの一番外側に住まわされたのだ。
四区は生活道路も入りくんでいて、他の地域のような大通りも広場もない。ただ無計画に住宅が建てられたようにも見えるそれは、敵軍の侵攻を阻み、翻弄するためにあえてそう造られたのだった。
今ではそのほとんどが埋め立てられてしまっているが、かつてのベルートはその外周に深い堀を巡らせた巨大な内陸の島だった。
ベルートと周辺の市を繋ぐものは堀にかけられた橋のみ。おまけに全ての橋は一方通行と決められ、出入りする人の流れを完全に制御していたという。
水路と橋で大群の侵入を防ぎ、侵入後には民家を盾にして敵を阻む。
王家の危機を幾度と救ったこの鉄壁の守りは、300年を超える繁栄を誇った。
それでも、国が倒れる時は呆気なく倒れてしまうものなのだから、歴史を学ぶことは面白い――と、寄宿学校の授業でマリアは感慨に浸ったものだった。
もちろん国の体制が変わる前も今も、そのような時代背景があるというだけで、四区の住民が奴隷として扱われたことはない。ないものの、街の成り立ちや現在にも受け継がれている経済力の差を下地にした、漠然とした差別は現実にセーラが経験してきたし、今も残っている。
実際のところ、マリアとてセーラとの友情をきっかけに、四区に足繁く通うようになったからこそ、四区に全く偏見を持たずにすんだのであって。
これが全く予備知識もない状態であったのであれば、四区の住民は安酒を片手に、言葉で語らず拳をあげるあらくれの集団だと決めつけていたかもしれない。
「よろしいか」
重低音の凛々しい声にそちらをみやれば、いつの間にか黒い軍服の一団――魔法騎士団が立っていた。
確か、彼らは店に入れずに裏に回っにいたはずだ。
人がこちらに向かって歩いて来るのを見ていない。ということは、転移魔法を使ったのだろう。
マリアとエルネストはそそと道をあける。かたやセーラはと言えば、なぜか挑発するかように、親指で店内をくい、と指した。
「あー、ごめん。中に入って待っていてくれる?」
「早めに頼む。こちらは時間通りに行動しているんでな」
「こっちは一番大切なお客様を接待中なんでね」
「……こちらは約束を守ってもらいたいだけだが……」
「私のやり方がお気に召さないなら、他を当たっていただいてもいいんだよ?
団長様 」
「……待たせてもらおう」
一介の町の道具屋にしては、随分な対応である。
マリアは先刻のセーラを思い出していた。魔法騎士団に対して、あまり良い印象を持っていない様子だった。
魔法騎士団とセーラのあいだに、何があったのかは分からないが、約束に割り込んだのはこちらだ。
あの、と団長様と呼ばれた男性に声をかけた。
「こちらの店主とは旧知の仲でして、つい約束もせず、気軽に来てしまいました。そのための皆様をお待たせしてしまい、本当に申し訳ございません」
丁寧に頭を下げるのに続いて、エルネストも頭を下げた。
「いや、こちらこそ申し訳ない。少々大人気ない態度をとってしまった。許していただきたい。……店主、中で待たせてもらうぞ」
ぞろぞろと騎士団が入っていくのを見ながら、エルネストがすげぇ、と小声で呟いた。
何がすごいのかをマリアが尋ねると、エルネストは興奮気味に自分の左胸を親指で指した。
「徽章、赤星だっただろ? あれは師団長の印だぞ。いいか? この国の魔法騎士団の師団長は10人。で、今入ったのも10人。つまり、全国の師団長が今! この魔法具店に集まっているってことだ」
「まぁ、それは確かにすごいことね」
マリアとエルネストは、改めて魔道具店を見上げた。
魔法騎士団は国防のトップに君臨する軍隊で、団員はエリートの中からさらに選び抜かれた最優秀の人材で構成されている。魔力はもちろん、武力に頭脳を兼ね備えた、天上人のような存在であることは、子供でも知っている。
そのとんでもないエリートたちが、今、目の前に集結していて、さらにセーラから雑に扱われても、文句一つ言えずに大人しく従ったのだ。
それだけグラハム魔道具店が国家から必要とされている証拠だ。
「あたしにとっちゃあ、文句が多い上に安い予算でしこたま働かせてくれる、厄介な客だよ。さあ、馬車が来たよ。乗った乗った」
馬車が到着するなり、セーラはマリアをキャビンに押し込んだ。
「ホントは、あんたの仕事だけを優先して、他はついででやってやりたいくらいだよ」
「ダメよ、そんなの」
「それだけあんたとの仕事は楽しいってことさ。魔法じかけの商会のカタログなんて、誰も考えやしないだろうよ。うまくいきゃあ、世界で唯一のとんでもない発明になるよ」
「期待して待ってるわ。でも、他の仕事を疎かにしてはダメよ?」
「もちろん」
「...…ねえ、私には他に仕事はないって言っていたけど、本当は魔法騎士団の方が先客だったんじゃないの?」
ニヤニヤと笑うセーラは、マリアの言いたいことが分かっているのか、いないのか。
粗雑に見えて、セーラの職人としての矜恃は人並み以上ということを、マリアはよく知っている。それにグラハム魔道具店にはセーラ以外にも優れた職人が多く在籍している。大きな仕事の掛け持ちなど珍しくもないのだろう。
タイミングが悪いことを後悔はすれど、マリアも依頼を撤回するつもりはなかった。
「あ、そうだ。忘れていたけど、あんたのダンナからジャンジャン通信が来てたよ」
「え?」
それは聞いていない。楽しくおしゃべりをしていた裏側で、そんなことになっていたのか。
「あんたが来る前から。最初は相手をしていたんだけど、面倒くさくなって通信機の魔石を抜いちゃった。だから用件は知らない」
「まあ…それはまた大胆ね。お仕事に影響はなかったかしら?」
「ぜーんぜん。至急の要件なら直接店に来りゃいいだけさ。で、何かしたんだろ?」
外出の予定を優先したマリアは、ヘンリーに対して大したことはしていない。
単に、今まで無条件にしていたヘンリーに関わる支払いの一切をやめた旨を、主だった商会や飲食店に通達するよう、チャールズに命じただけだ。
意気揚々と愛人と息子を連れて外出した先で、今まで通りに署名だけで支払いができず、さぞ慌てたに違いない。
そう話すと、セーラは腹を抱えて笑い、エルネストはなんとも言えない渋い表情で御者台に乗り込んだ。
「あぁ、やっぱりあんたが大好きだよ。育ちがいいお嬢さんのくせに、ここぞという時に強烈な一撃を確実に打ってくるよね」
それはちょっと意味が解らない。
あくまでも、マリアは自分にとって不要な行いを、その都度切り捨てているだけだ。
ヘンリーへの支払いの肩代わりも、ヘンリー自身が自分の給料の範囲で行動すれば、必要のないこと。妻として夫の尻拭いが義務と思えばこそしてきたことであって、よその女を養う力があるのなら、わざわざする必要もないと判断したまでだ。
会社に向けて馬車が走り出すと、マリアはゴロリと、座席に敷き詰められたクッションの上に身を投げ出した。
しばらくぼんやり天井を眺めて、思いついたように身を起こすと、前の座席に畳んであるひざ掛けを引っ掴んで身を包み、再び座席に横たわった。
ひと仕事終えて気が緩んだか、ひたひたと眠気が意識を侵食してくるのを感じる。
昨晩は愛人が子連れで登場するという大事件もあり、あまり眠れなかった。
愛人の存在を疑ったことはある。
疑いという漠然としたものを胸の内に押し込めているのと、事実として目の前に突きつけられたものとでは、決定的にダメージが違う。
疑いは徐々に心を疲弊させるが、不貞の証拠は確実にマリアの心臓に刃を突き立てた。
飄々となんでも受け流せる図太さも、さすがに今回ばかりは発揮できない。
ベットに潜り込んだ後も、一人悶々として時間ばかりがすぎていき、ようやく眠りにつけたのは朝方だった。
馬車の揺れをふかふかのクッションが緩和して、まるで母親に寝かしつけられているように心地よい。
会社に戻ってからすべきことを考えているうちに、自然と瞼が重たくなって開けていられなくなる。
トマスの報告を聞き、見本市以外の仕事のチェックも必要だ。
元々の事業である資源取引の仲介や、物資輸送は、今なお商会の屋台骨であり、安定した利益を生み出している。それを維持するには、他社に負けない機動力と応用力で、どんな不都合にも対応しうる能力を証明し続けなければならない。
各地の拠点から日々送られてくる情報の分析も、経営者には絶対に手を抜けない仕事だ。
それだけじゃない。家に帰ったら、ヘンリーと話し合わねば。
夫婦のこと。
愛人と子供のこと。
お金のこと。
この中でヘンリーにとって一番の重要案件は、お金だろう。
セーラの店まで連絡してくるほどだ。かなり切羽詰まった状況なのか。
セーラの店の前に、会社に連絡してきたはずだ。
対応したのは誰だろうか。キーラなら手馴れたものだが、事務員なら可哀想だ……。
とりとめなく考えているうちに、マリアの意識はゆっくりと眠りに落ちていったのだった。
「奥様、着きましたよ」
ゆり起こされ、マリアはゆっくりと覚醒していく。
ぼんやりとした視線を受け止めたのはエルネストでなく、トマスだった。
慌てて馬車を降りれば、そこは本来いるべき社屋の裏庭ではなく、自宅の玄関ポーチだった。
「キーラ様より伝言を預かっております。『あなたのクソ旦那が何度も連絡してきて仕事にならないわ! あなたもお疲れのようだし、今日は帰って寝るなり話し合うなりしたら? 仕事のことは私とエルネストに任せて』とのことです」
「キーラ、怒っていた?」
「そうですね……私が社に戻った時には、すでにイライラなさっていましたね」
「あー……明日ちゃんと謝らなきゃダメだわ。あの人、静かに怒るのよ」
「エルネスト様は、『明日も無理するな』と……」
「私の友人は、皆、本当に優しいわね! でも、仕事はちゃんと行くわ。そのためにも、まずは目の前の問題をなんとかしましょう 」
マリアは玄関ポーチの階段を上がる。
その一番上には、すでにチャールズが控えていた。
予定外の帰宅だったはずなのに、何一つ乱れのない所作で出迎えている。その様子から、でがけに言いつけたことは完璧にやり終えていることを、マリアは悟った。
後は自分がどうしたいのか。
それだけだ。
不定期水曜日の投稿予定です。
今夜もひっそりと投稿しております。
(とか言って、木曜日なんですがね)




