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かつて恋人だった私たち  作者: 橘霧子
1/11

1.


マリアの結婚21年目の誕生日のことだった。

夫ヘンリーは朝から出かけ、その日遅くに帰宅した。

見知らぬブロンドの女と、ヘンリーによく似た茶色の髪に愛嬌のあるたれ目を持った男の子を連れて。




◆◆◆




自分の誕生を祝うためのごちそうを自ら用意するという、悲しい作業も10回を越えるベテランとなり、早々に支度を終えて後は食べるだけとなっていた。

それではあまりに不憫であろうと、使用人達が急ごしらえで花やリボンで食卓を飾ってくれた。

だが、待てども待てども、ヘンリーは帰ってこない。夕食の時間はとっくに過ぎ、消灯の時間が近づいていた。

この状況では彼らの気遣いが無駄になりそうで、申し訳ないばかりだった。


「あなた達はもう休んでちょうだい。私は後もう少しだけあの人を待って、それでも帰ってこなければ寝るから」


使用人達の朝は早い。

いつまでも帰ってこぬ者を待たせるのは明日に差し障る。とはいえ、使用人が女主人を残して先に寝るわけにもいかない。

妥協案として執事が付き添う――これもお決まりのコースだった。


やがて時計の長針がタイムリミットの頂上をさして寝支度を始めた頃、すっかり酒が回って足元もおぼつかないヘンリーが、従者に付き添われて帰宅する。

そのまま大人しく部屋に行ってくれればいいのに、誰も迎えにでなければ不機嫌になり、玄関ホールで騒ぎ始める。

そうして再び階下に呼び戻されたマリアは、ホールで座り込んでいるヘンリーを、執事と従者に担がせて部屋に運ぶ――きっかり最後までお決まりのコースを辿って、長い夜は終わるはずだった。


執事と従者に両脇を抱えられてやっと立ち上がる夫に、もはや何の感情も沸かない。

弱いくせに、無類の酒好き。

これまでに数えきれない失敗の尻拭いをさせられた。後になって目が飛び出るほどの高額な請求書が届いたこともある。

それでも、しでかした本人はケロリとしたもので、酔いが覚めても一切の反省などしやしない。

新婚時代ならともかく――妻業もベテランとなった今、一々動揺することもない。そう思っていたのだが。


「ヘンリー、そちらの方は?」


これは、さすがに動揺する。

ヘンリーと同じ匂いをさせた女と、どことなく夫に似ているような少年。

つまり、そういうことなのだろう。


「オパールとアレキサンドライトだ」


アレキサンドライト……? どんなキラキラネームだよ。アレキサンダーで充分だろ。一般的な男子の名前を通り越して、なに宝石の名前をつけちゃってんだよ。そもそも聞いているのは名前じゃねーわ。お前とどんな関係で、どうしてこんな夜更けに連れてきたんだ、って聞いているんだよ、このタコッ――などと思っても、そんなことはおくびにも出さない。


「オパールさんと、アレキサンドライトくん? 呼び名はアレックスでいいかしら? 客間を用意させますから、今晩はそちらに」

「あら、私は旦那様と一緒で構いませんよ?」

「申し訳ありませんが、それは承知致しかねます」


あなたが良くても、こちらは全然、全く、よろしくないんです!

微塵も悪びれない様子のオパールに、マリアは結婚生活20年で培った強靭な忍耐力を存分に発揮して、女主人として毅然と振る舞う。


寝ている使用人を起こすのは可哀想だが、従者に言いつけてメイドを呼びに行かせた。

駆けつけたメイドは一目で状況を理解し、余計なことは一切せずに招かれざる二人の客を客間に連れていった。


さて残るのは、執事に抱えられたタコ状態のヘンリー。

恰幅の良い部類に入るヘンリーを、執事が一人で支えて階段を上るのは危険だ。

仕方がない。何度も仕事を言いつけて申し訳ないが、従者にも手伝ってもらうしかない。

全く、結婚21年目の節目の日に、厄介ごとを引き起こしてくれた。

溜め息をつきながら玄関の戸締まりを確認し、マリアはヘンリーの後を追った。

そう、マリアの誕生日は、マリアとヘンリーの結婚記念日でもあったのだった。




◆◆◆




マリアとヘンリーの出会いは寄宿学校だった。

と言っても、親しくなったのは卒業してからで、マリアが大学生、ヘンリーが叔父の商会の手伝いを始めた頃、共通の友人が開いた夜会がきっかけだった。


マリアの父は元々地方の警備隊をまとめる役人だったが、国が王政を廃し共和国を樹立した時に官僚機構が一新され、新設された警察機構を取りまとめる一人として大抜擢された人物だった。


マリアから見れば実直に仕事をこなすだけが生き甲斐のような仕事人間だが、その木訥さが新体制で混乱続きの共和国には必要だったらしく。

周囲が次々と足元を掬われて失脚する中でも、賄賂や計略に惑わされることなく、警察官僚としての人生をめでたく満期終了した人だった。


マリアの母はいかにも糟糠の妻といった人物で、突然の夫の栄転にも傲らず、家事と子育てに情熱を捧げた人だった。

転居した頃はまだ首都を元貴族が闊歩していた時代で、地方から出てきたばかりの田舎者丸出しのマリア一家を馬鹿にする者も多かった。


無頓着な父と違い、母のアンテナは敏感だった。

マリアと姉――二人の娘を守るため、母はいっそう教育に力を入れた。

学こそ力。

前時代の教育で、学の過ぎた女は疎まれると、大学に進学させてもらえなかった母の思いは並々ならぬものがあった。

お陰で二人とも成績優秀で寄宿学校での学業を修め、姉は医者を目指し、マリアは経営を学ぶために大学に進学したのだった。


一方で、母は娘二人に躾も厳しかった。

男に媚びるな。隙を見せるな。常に自己研鑽を怠らず、清く正しく身も心も美しくあれ、と、好奇心旺盛な年頃の娘たちに、世界の珍味贅沢盛りのような無理難題を義務づけた。


悲しいかな。娘たちは母の思いに素直すぎた。母の教えを守り、花が綻ぶもっとも美しい時代に、二人は恋愛に無縁の学業一直線の時を過ごした。

その結果、当然ながら全く異性に耐性のない大人の女性に仕上がってしまったのだった。


それでも医学という、最難関の学問に身をおく姉にとっては何の不都合はなかったのだが、問題はマリアの方だ。

将来自分の商会を持ち経営を目指すのであれば、学問だけでは足りない。経済、政治を見極める目と人脈が必要だ。

そこで夜会や茶会にも積極的に顔を出すようにしてみたものの、圧倒的にコミュニケーション能力が足りない。


女性経営者を目指しているという目新しさで周囲の関心を引いても、そこから発展させることができない。

気の合う友人はそれなりにいるし、会話に事欠くことはないが、あくまでそれは仲間内でのこと。

万人受けする会話で適宜に対応することができないマリアは、経営者にもっとも必要な、機微を捉えるセンスにかけていた。


これが男子学生であれば、未熟さは伸びしろとばかりにあちこちが勝手にご教授してくださるのだが、マリアは女子学生。

前国家から続く女性蔑視もあって、未熟さはそのまま「現実を知らぬただの頭でっかち」という評価になった。

どんなに良いアイディアを提案しても、耳さえ貸してもらえない日々が続いた。


そんな時に、声をかけてきたのがヘンリーだった。

ヘンリーは元伯爵家の跡取り息子だった。身分制度が失くなった後、実家は貿易商を営んでいた。だからか、昔から最新、最先端の物を身に付けている目立つ学生だった。

寄宿学校時代は遊び呆け、時には彼を巡って女子生徒が取っ組み合いの大ゲンカをする、などということもあった。


不良と呼ぶまでの悪事はしないが、真面目に生きることを小馬鹿にしている。そんな性分なので当然大学に進学することもなく、折り合いの悪い父の跡を継ぐことも拒否し、ブラブラしているところを見かねた叔父に拾われた身の上だった。


思春期ににありがちなひねた少年が、そのままろくでもない大人になった。それが同級生だったマリアの評価だった。

そんな相反する二人が再会し、恋に落ち、やがて結婚に至るのだから、人生は侮れない。




いっそ、運命の女神も、恋愛の女神も、私を無視してくれれば良かったのに。

使用人に介抱されベッドに眠るヘンリーを見やり、マリアの溜め息はやむことがなかった。




隔週水曜に更新予定。

次回は1月25日です。


他に連載がありますので、こちらはゆっくりペースです。それでも投稿できないことも予想されます。

それでもお付き合いいただける方、よろしくお願いします。

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