第91話 暴走族 中編
日が落ち、松明を無数に掲げられた夜の織部国で、急ピッチで馬や鵺、そして龍に施す装飾をヒデヨシの監修の元、イワネツこと織部憲長の家臣団達や職人衆が作り上げる。
土を掘って型を作り、溶かした金属を流し入れたり、魔法に熟練した織部の忍者集団が、陶器のように形作って、金属のヤスリで削ってガワを作っていた。
「へー、土の魔法でガワ作って陶器みてえに焼くことで、プラスチックみてえにしてパーツ作っちまうのか。犬ちゃんさあ、こういうの見ると異世界に転生したんだって実感すんよね」
「うん、地球と違って魔法とか使える世界だから、こういうのが可能なんだ。前世で生まれたオレの母国ロシアや、いくら技術が発達したそっちの日本でもあり得ないよねコレ」
イワネツから監修を任された犬千代とヒデヨシは、紙にデザインした通りに、魔法でパーツを作る作業工程を見つめていると、遠くから二人に声がかかる。
「おーい、犬! それと新顔の猿だったか? これからイワネツ様の命令で、お化けホタルを捕まえに行くから、手を貸してくれ! ホタル狩りだ」
「へ、へい!」
夕闇の中、肉食動物の如く目が光る、黒装束の織部家臣、滝本一雅から声をかけられて二人はホタル狩りをする事となった。
「彼はノリナガ様の家臣の一人で、僕らはこっちで17歳だけど、あの方は35歳になる、魔法と銃の達人、滝本様だ。名付けられたニックネームはフクロウ。この人、昔ニンジャしててジッポン中を旅してまわり、織部の国に流れ着いて、イワネツ様の部下になった人なんだ。ニンジャって凄いよね、魔法みたいな術とかの達人でさ。今でも日本にニンジャっているんでしょ?」
「いや、現代には忍者はいねえって犬ちゃんさ。忍者みたいなのはいるらしいけど」
ヒデヨシは、転生前の若い時に留置場で一緒になった、学生運動が下火になり、しょぼくれた見た目の左翼活動家と話をしたことがあり、公安警察の話を聞いたことがあった。
「日本の警察ってさ、結構部署ごとに細かく分かれてるのね。俺が族やってた時は交通課や少年課とか、窃盗すると刑事課が担当してて、ヤクザやってた時はマルボウって怖い刑事がそれぞれ担当すんの。で、左翼ゲリラだとかオウムみたいなカルト宗教担当するおまわりが、公安って言われんだけど忍者みてえらしい」
「へー、やっぱりニンジャっているんだ。魔法とか忍術とか使えんの?」
「いや、聞いた話によると、変装とか潜入の達人だそうだ。いろんな道具とか持ってて情報収集とかするのが目的らしい。そんで、そのおまわり達はほとんどが大卒ばかりで、頭いいエリートなんだって。俺が接してたイカツイ刑事みたいな感じじゃなくて、一見すると学生やオタクとか、その辺のカタギのサラリーマンにしか見えねえような感じで、捜査とかしてるようだぜ」
ヒデヨシの回答に、犬千代はまるでソ連の秘密警察KGB、ロシアでは軍参謀本部情報総局のGURや、イワネツや自分とも時に敵対した、連邦保安庁のFSBのようだなと思った。
この犬千代の思った事は的を得ており、元々公安警察は戦前戦時中の特別高等警察、通称特高の流れを汲んでおり、大日本帝国の国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まることを目的とした日本の秘密警察である。
この特高は戦前から戦時中、治安維持法や治安警察法と言った法的権限がどんどん強化されていき、現代警察ではあり得ないような拷問による自白や、強要を敷いたため、戦後GHQ、連合国により解体された過去があった。
現在の公安警察は警察庁警備局を頂点とする、独自の情報網を敷いており、同じく警備局所属の外事警察などとも協力して、スパイ防止法のない日本国内においても、海外の諜報機関が舌を巻く様な捜査能力と情報収集能力を持つと言われる。
「他にも、日本の警察特殊部隊とかも、マシンガンとか閃光手榴弾や狙撃銃持ってて、音も無く近寄って、テロリストや凶悪犯をぶっ殺しちゃう、殺人上等なおっかねえ忍者みてえなおまわりらしい。族やたいしたシノギやってなかった俺みたいな元ヤクザは、幸運にも対象外だったけどね」
「あ、それならオレもできるよ」
「え?」
「え?」
犬千代の言葉にヒデヨシは鼻白み、前世でソ連のエリート部隊やフランス外人部隊最精鋭にいた犬千代は、絶句するヒデヨシに対して、真面目に答えたのになんで理解できないの? と言った表情になり、お互い顔を見合わせた。
「そろそろ味噌川上流だ。この上流に年がら年中、冬でも飛び交ってるお化け蛍が生息中である。根こそぎ捕まえるぞ。……うーん、年がら年中、化物のような蛍が飛んでるとか、ワイの前世の田舎でもあり得へんな……」
「?」
ヒデヨシは、黒装束の滝本が口にした最後の日本語を聞き逃さなかった。
――この人、犬の言う覚醒者だわ……多分俺と同様日本人。
「蛍かあ……神奈川でも県央じゃあ足柄だとか津久井行きゃあ見れっかなあ……」
ヒデヨシはわざとカマをかけるように日本語で呟くと、滝本は一瞬振り返る。
――やっぱそうだよ、この人やっぱ転生者とか覚醒者だよ。今こっち見てきたし、すげえ目付きがど鋭でえし、カタギじゃねえよこの人。
滝本が音も無く瞬間移動したように、ヒデヨシの前に現れた。
「犬、私はこの新顔とちょっと話をしてくる。お前は、我が忍達を率いてお化け蛍を採取しろ」
「はい、フクロウ様」
ヒデヨシは、川の上流のはずれの林まで連れ出され、いきなり滝本に胸倉を掴まれた。
「貴様も大日本帝国出身か? 何者だ? 出身はどこで名前は何という?」
「え? 大日本帝国? へ、へい。自分は昭和51年生まれの神奈川県出身の木下秀吉っす」
「昭和……51年? 職業は? 家族構成は? 前世で死んだ理由は?」
ヒデヨシは、どこかでこう言ったやり取りをこんな荒っぽいやり方ではなく、受けた記憶があった。
少年時代、夜に煙草を吸いながら出歩いた所を、制服の警察官から職務質問を受け、補導された感じに似ていると。
「えっと……すいやせん。もしかして、滝本様って前世で警察にいました?」
ヒデヨシが日本語で呟くように問いを投げかけると、闇夜で光るフクロウの目のようにキラリと滝本の目が光り、滝本がパッと掴んでいた腕の力を緩め、放したヒデヨシの目を見る。
「そう、私は特別高等警察官だった。特高とも言うが、知ってるか?」
特高? 特攻隊なら知ってるけど、何だそれとヒデヨシは思いながら首を横に振る。
「私は、栄えある大日本帝国内務省警保局警視庁特別高等警察部、特別高等第一課の警部補をしていた。前の前世でも滝本一雅、明治41年滋賀県甲賀郡の生まれである。こっちでは忍者をしているがな。元々、私の家系は忍者の血を引くと言われていたが因果なものだ。昭和51年というと、どうやらイワネツ様の言う通り、前世の我が国はアカの共産主義革命も起きてないと見る」
「あ、はい。自分の時代には共産党なんか泡沫政党もいい所ですぜ。ちなみに自分、神奈川でしがねえ元ヤクザでした。死んだのは、平成21年です」
「平成? ああ、年号が変ったという事か。貴様は何で死んだんだ?」
ヒデヨシは、おれおれ詐欺で警察から追いかけられて歩道橋で転んで頭を打ったという、恥ずかしすぎる死因を、さすがに元サツには言えねえと思い、頭をポリポリ掻く。
「まあ、言わなくてよい。自分は、特別高等警察官としてあるまじき恥ずかしい死に方をした。私は田舎から上京し、東京帝国大学に入学。そして高等試験に合格後に内務省に入り2年後、上司からの勧めで警務畑を選び、24歳の時だった。大日本帝国転覆を目論み、悪辣な銀行強盗を繰り返す、共産主義者の拠点に、治安維持法に基づき氏名身分を偽り内偵していたのだが……」
ヒデヨシはごくりと唾を飲み込み、滝本の話に耳を傾ける。
もしや捕まって凄惨なリンチや拷問を受けて死んだのではと。
「私は、あの時たしか昭和7年10月だったか? 雨の降る熱海にいた。共産主義者の分際で、奴らはそこそこ上等な旅館で会合なんか開いたのだ。コミュニストのくせに上等にも温泉旅行しながら会合すると本部に報告し、そしてやつらは私の存在に気が付いたようで、会合を中止して解散する素振りがある事を本部に報告した。企業の慰安会を装って本部から応援も来て、一斉摘発。そして私は功績により警視総監賞、いや局長賞を授与する……筈だった……」
「へい」
「その日の熱海は低気圧が抜け、ほんの少しだけ風が強くてな。私は銀座で買ったお気に入りの帽子が飛ばされ、崖の手前に帽子が引っかかった。その帽子を取ろうとしたところ、突然の強風にあおられて足を滑らせて……崖から……殉職した」
ヒデヨシは忍者の末裔にして、エリート警察官のくせになんて情けない死因だと絶句する。
「先祖に顔向けできぬ恥ずべき死に方だったよ。私の運動神経なら大丈夫と思ったがよくなかった。たかが帽子のせいで名誉ある賞も得られず、内務省官僚たる高等警察官としてのプライドも、忍者の末裔だった誇りも何もかも傷ついた。幸いにして、極楽に逝けたが……先祖にも合わす顔も無く、魂が立ち直れず、なかなか生まれ変わりも出来なかった」
「それは……災難だったすね。自分も情けねえ死に方でした。自分は悪さしてヘマやらかし、警察から逃げてたんですわ。そんで、逃げる際中に階段で足踏み外して頭を打ちやして……」
「……」
お互い気まずい沈黙が訪れ、周囲にLEDライトのような明かりをした、色とりどりのお化けのように大きいホタル。
体長が、15センチほどの元魔界生物だったお化け蛍が飛び回る。
「ま、まあ前世の話は置いておきましょうや。それで、滝本様はなぜイワネツ様に? こういう言い方は雇い主であるイワネツ様によろしくねえかもですが、滝本様の前世の敵みたいな、裏社会で君臨する犯罪組織の皇帝のようだった御仁ですぜ?」
「……それはあのお方がソ連を、共産主義者の本拠地を潰した要因になった傑物だからだ。私の能力を高く買ってくれているし。あの人も私が前世で特高警察にいたのを知っている」
「え? マジですか。元警察だってわかって良くぶっ殺されませんね」
「無頼の徒が集まる反共組織を作ったイワネツ様の部下には、ソ連の元秘密警察官もいたようだ。あの方は凶暴で暴力的で恐怖の存在だが、現役の官憲ならともかく、昔の職業や身分で差別しない器を持ち合わせている。正義や悪を超越した、何か人を惹きつけるような魅力があるのだ。前世で警察官だった私が、本来惹かれてはいけないのだが、理屈ではない何かが、力があの方にはある」
ヒデヨシも、相原の国で生まれて戦場で死にかけ、彷徨いながら乞食のような生活をしていた時、イワネツの噂を聞き、姿を一目見た瞬間に強烈な存在感と個性に惹かれ、自らも配下にしてくれと何度も足を運んだのを思い出す。
「そして何よりも、私が生まれ変わった戦国期の日本のような、このジッポンの現状を変えたいのだよ。人間が人間らしく生きていけぬような、人の命が軽すぎるこの国を正すには、あのお方のもとで働いた方が効率が良い。それがこのジッポンを旅して歩いた、私の結論。これが忍者としての、元特別高等警察官としての私の正義だ」
国体維持のために活動していた、滝本ことフクロウの信念と思考は現代の地球世界の警察とは少し異なっている。
人々が虐げられ、国が機能していないのならば、例え極悪で悪辣な男だろうが、結果的に多くの人々や国家が機能する体の筋道がつけば、それで自分は妥協が出来るという事。
そして戦前の特別高等警察官だった滝本一雅が、地球一最悪とも呼ばれたロシアンマフィアの首領に、自身の正義と救済の想いを託さねばならぬほど、このジッポンの惨状には目を覆うものがあり、その気持ちは、この戦乱の世界で死にかけて前世の記憶を思い出したヒデヨシも、よくわかっていた。
「さて、お化け蛍を捕獲するのだったな。部下の忍び達も犬も頑張っているし。それと私の事は織部ではフクロウと呼べ。いいか?」
「へ、へい。フクロウの旦那」
滝本ことフクロウは、味噌川の上流で両手を組んで様々な形に印を結ぶと、土の魔力で作った巨大な檻を空中で具現化させ、風の魔法でメスのホタルを次々と放り込むと、オスたちが檻の中に群がり、お化け蛍を大量に捕獲した。
「すげえな犬ちゃん、やっぱあの人マジもんの忍者なんだ」
「ああ、魔法の種類ならイワネツ様よりも少し多い。さすが、ニンジャだよね」
そしてイワネツ軍団は、捕らえたお化け蛍を、ヒデヨシが監修したパーツに提灯を付けて、その中に蛍を放していく。
するとその作業工程の様子を、用意された椅子にドカッと座り、膝の上に自身を殺しにやってきた筈の女。
今では自分の顔を見るだけで頬を染める巳濃の胡蝶姫を乗せ、無表情で振袖の中を左手でまさぐりながら、右手に頭蓋骨で作った盃に酒を満たし、飲み干すイワネツも姿を見せる。
地球史上最悪の暴力団と呼ばれ、ロシアのみならず全世界の裏社会で名を馳せた、皇帝の二つ名を持つ、アウトローとしての威厳に満ち溢れた姿であった。
「そうか、このパーツ馬にくっつければロケットカウルみてえになるんだ。しかもこの馬ども、なんか戦争とかで肝据わってるし周りで光ってても、パーツ付けてもビビりゃあしねえ。あ、すいません兄さん方、そっちは炎を模したフレアパターンで塗装した奴くっつけてもらって、こっちの龍は自分が描いた竜の絵のパーツくっつけてくだせえ。馬の鞍は三段シートで統一願いやす。それと赤で塗装は全部統一しやすんで」
ヒデヨシ監修のもと、戦闘馬車や馬、そして鵺や龍に付けたパーツに、お化け蛍がLED電球のように光り輝く、族車のようなデザインに変わっていく。
「ほう、猿の野郎、なかなかどうして使える野郎みてえだ。おう、お前の親父に会いに巳濃まで行くが、お前も一緒に行くか? なあ胡蝶」
「はい……イワネツ様……ああん」
一方、ヒデヨシが最も苦心したのがイワネツが乗る専用車両のデザインである。
イワネツの性格上、ひと際目立つ感じのモノにしなければと頭を悩ませていた。
すると、織部の町、名護矢の民が祭りで使う巨大な山車の準備をしているのを見かける。
これは、織部の国で秋分を過ぎて農作物の収穫が終わり、古の神たる如流頭へ感謝の念を送る、この世界の神事のようなジッポンではありふれた祭りのリハーサルであった。
その時、ヒデヨシは山車とイワネツの姿を見てインスピレーションが閃く。
「あ、これだ!」
彼は紙と筆に、イワネツ専用車のイメージを一気に描き出した。
弱者が虐げられ強者のみが持てはやされるような戦国期のジッポンのイメージと、地球最悪の無法者と言われたイワネツの存在と暴走族のイメージ、そして祭りの山車と自分が前世で小学生の時に見た、暴力的とも言われた漫画のイメージも加わる。
「すごいな、まさにイワネツ様の専用車に相応しいイメージ」
犬は、ヒデヨシのイメージに感銘を受けてデザインが描かれた半紙をイワネツの元へ、跪いて手渡す。
「ハラショー、なかなかいいじゃねえか。規律もクソもねえ、くそったれのジッポンに生まれ変わった、イワネツ様の専用車に相応しい。犬、お前運転手やれ」
「はい」
半紙に描かれていたのは、どこかの世紀末救世主の漫画に出てきそうな、鎖でつながれた騎獣鵺2頭が引く、街道ギリギリの巨大な車輪付きの山車。
提灯がこれでもかと沢山掲げられて3段式になっており、一段目は太鼓の奏者、二段目は龍笛やほら貝でバイクの荒々しい排気音を再現し、最上段は魔獣の皮に金箔を張りつけた、特製の三段シートに肘掛けもつけて玉座に見立て、イワネツが乗り込めるようにしてた。
「よおし、じゃあ毎年やる祭りで使う、なんかよくわかんねえ、山車を使うか」
イワネツの一言に、家臣団の一部や名護矢町人たちは真っ青な顔してイワネツを見る。
「イワネツ様、この山車はジッポン建国の神、如流頭の……」
「へえ、罰当たります」
「やめたほうが……」
口々に神の祟りを恐れる町人たちに、イワネツは人間離れしたような迫力の、恐ろしい顔を向けた。
ロキの話が正しければ、町民たち、否ジッポン中の人々は、自分達が崇める神が自分達を呪うような、恐ろしい祟神と化し、この国のどこかで活動している事を知らない。
「あ゛ぁ? このジッポンがこんなざまになってんのに、救おうともしねえ神なんざいらねえ! むしろこのイワネツ様の役に立つのだから、神の方が俺に感謝しろくそったれめ!!」
イワネツが怒鳴りつけると、我らが若君は神よりも怖いと、イワネツに山車が差し出された。
「おお、見事な馬車だわさ。冥界の女王たるわらわに相応しいのだわ」
女神ヘルは、改造が施される山車を見つめポツリと呟くと、イワネツは軽めにヘルの頭をはたく。
「お前のじゃねえ、俺の車だメスガキ!」
手加減したのは、ヘルに神の力が無くなったため、前のように叩くと殺しかねないと思ったからだった。
「痛いのだわさ、わらわをいちいち叩くのは、やめてほしいのだ……わ!」
逆にヘルはイワネツの頭を引っ叩くと、屈強な筋肉で覆われてる筈の首が折れそうな衝撃がして、イワネツは一瞬驚いた顔でヘルを見たあと、若干顔を歪めて首をさすった。
「いってぇなあ、ガキのくせに生意気抜かすからだろ」
すると、イワネツの家臣や領民がヘルに対して、この生意気な白い髪に真っ白い肌をした、赤い瞳の少女はどこの誰だと、一気に殺気立った。
「あーそうだ、お前ら! こいつは俺の生き別れの妹だ。頭打ってておかしなことを言ってるけど気にすんな。名前はそうだな、親父殿が憲秀だから秀子だ、いいな!」
「??? ぎょ、御意!」
「ちょ!? だぁかぁら、わらわはお前の兄妹ではないだわさ!」
家臣団や町人が一斉に頭を下げ、それを遠くで見つめて腕を組んで見つめる憲秀が組んだ手を解き、右手でイワネツを手招きしたので、イワネツはまとわりつく胡蝶姫を押しのけ、憲秀の前まで歩み寄る。
「憲長よ、今度は何をたわけたことを言っとるのじゃ? よくわからん娘を妹などと」
「親父殿、あれは本物の神ですぜ。奴の父神ロキが西方で活動してて、契約結んだんだ。娘を保護してやるかわりに、俺達織部に協力しろとよ。この前、その神から腕輪を貰った」
イワネツは金色に輝く無骨な腕輪を、憲秀に差し出した。
「にわかには信じられぬが、お主は一体……」
「ああ、どうやら俺は神から勇者というものをやらされるらしい。俺が赤子でこの世界に送り込まれたのは、神々の意思だそうだ。勝手な話だぜ、俺の前世のソ連では……神なんかいなかったのに!」
イワネツは神々に対して憤る。
ソ連時代の不条理を思い出し、神がいるならばなぜソ連人民が、共産党の独裁者達に人間らしさを奪われていたのかと。
「みんなソ連から救いを求めてやがったのに! おふくろが信じてたマリヤもイススも神も救いの手なんかっ! ……救いなんか差し伸べてくれなかったのに! クレムリンの人でなし共は、好き放題して多くの人間の人生を玩具みてえに弄んでやがったのにっ!」
自分を含めて、神に救いを求めた人々も多かったのに、なぜ神はロシアを見捨てた状態だったのかと憤る。
「ワシはソ連というものも、お主がいう前世もわからぬ。しかし、このジッポンの状況もそうじゃ。如流頭なる神などに祈っても、誰も救ってくれぬ。そして戦乱の世で救いを求め、我が織部に民が集まっておる」
憲秀はイワネツの胸を拳で突いた。
「お主がいるからじゃ。皆、お主を救いを求めているのじゃ。皆がお主を必要としてるのじゃ。この悲しき乱世を終わらせてくれるやもしれぬと。うつけと呼ばれるお主じゃが、このジッポンでお主の存在が求められているのじゃ!」
イワネツは前世の若い時代、人類史上最悪の独裁者達が支配するソビエトの、闇の掃き溜めのような、外の雪が吹き込む獄中で、盗賊の誓いをした記憶を思い浮かべる。
「イワンコフよ、お前は盗賊として何を信念とするか」
刑務所を牛耳っていた、モスクワ闇市の主人でもあったガリンコーフという、祖先にアジア人の血が混じったような強面の盗賊から、当時19歳だった自身の盗賊志願の信念を問われていた記憶。
「はい、親方。俺は、この先どんな手段を使ってもソビエトなんて名前ではない、ロシアを復活させる。人間が人間として生きていけるため、ソ連共産党と共産主義社会をぶっ壊すのが俺の信念です」
ガリンコーフは目の前の少年を、青臭いガキだとうすら笑いを浮かべて盗賊への志願を一蹴しようとしたが、当時のイワネツは黒く死んだような瞳に人間らしい涙を流す。
「このソ連は、人間として生きる術をみんな奪われちまってる! 夢も! 希望も! 土地も! 財産も! 信仰も! 人間としての光も心も魂も! 俺は……悪に魂を売り渡してもいい! 奴らから自由を! 人間として生きる喜びをこのロシアに取り戻すため、奴らから全てを強奪してやりてえんです!」
すると、ガリンコーフはこの少年の魂の叫びを聞き入れ、胸を拳で突いた。
「ならばそれに相応しい、盗賊としての生き方を目指すのだ! そうすればお前の胸の襟骨の下に、最上位の盗賊の星が瞬く事となるだろう」
イワネツは、前世で唯一親方と慕った男と憲秀を重ね合わせ、頭を垂れる。
「はい、親父殿。俺は親父殿と織部のために、神もいねえような、最低でクソッタレのジッポンの戦争を、さっさと終わらせてみせよう」
イワネツは踵を返して、自らの愛車になる予定の祭りの山車に戻ると、憲秀は膝をついて吐血するも、すぐに周囲にバレないよう口で塞ぎ、懐の手拭いで血を拭き取り平静を装う。
それを見たヘルは、憲秀の前まで音も気配も消してそばに寄る。
「この世界のチビ人間の父親役の男よ。もうお前にはこの世界の時間が残されてないのだわ」
憲秀はハッとした顔で、なぜそれをわかったのかとヘルを見やる。
ヘルは、冥界の裁判官として多くの人間の人生を垣間見ていた為、この憲秀に死期が迫っていたのを一目見ただけで看破していたのだ。
「お前の体に宿る魂は、業より生まれし罪深き魂の転生体。チビ人間もお前も、地獄で罪を精算し切れてないのだわ。お前の魂はあの男に引き寄せられるかのように、この世界の織部憲秀という男に乗り移ったのだわさ。お前の心は救いを求めて、いやもう救われつつあり、この世界での生を終えようとしてるだわさ」
憲秀の魂に宿るのは、かつて第二次世界大戦後のモスクワの闇市を支配下に置き、数々の脅迫や強盗、殺人を犯してきた凶悪なブラトノイ、ガリンコーフの魂の転生体だった。
「……まだワシはあの世に行けぬ。奴が、馬鹿息子の意識が、織部の、ジッポンの人々の希望のためにならんとしておる。小娘よ、お前が神ならばワシはあとどれくらい持つのじゃ。一月か二月くらいか?」
「持って1ヶ月、いや、もう少し短い一週間にも満たないかも知れないのだわ。冥界の冥王たるわらわの見立てに、間違いないのだわさ」
憲秀は、胃の痛みと共に自分に死期が迫っている事を理解しており、憲秀の情とガリンコーフの魂は、自身の魂とこの世界の救いを願っている。
「他言無用にお願いする、神とやら。あやつは……心が本当はガラスのように繊細なのだ。ひび割れた心に救いを求め、世の不条理を激しく憎み、正そうとする強い意志を持っておる。あやつが、あの子が本当の心に目覚めれば……このジッポンはきっと……」
憲秀は一筋の涙を流した。
「さて、おい寝るぞメスガキ! 猿野郎、朝までに作業を終わらせとけ!」
イワネツは、ヘルに声をかけて胡蝶姫を抱き寄せながら自宅へ引き上げた。
自身の愛車と軍団で、街道を駆け抜けて巳濃へ赴くのを楽しみにしながら。
次回でイワネツ編が一旦終わり、召喚術師の主人公サイドの話に戻ります。




