第66話 打架(ストリートファイト)
デリンジャーは、風の魔力で荒れ狂う鉄船の甲板に降り立ち、アヴドゥルをじっと見据えた。
「アンリか……」
「ああ、そうだ友よ。どうやらクレイジーな状況のようだが、思い出したかい? 自分が何者かを」
頭を抱えながらアヴドゥルは首を何度も横に振った。
「わからない、俺は……俺は何者だったんだ!? お前ならわかるのか? 俺は一体……教えてくれ! 鄭芝龍とは何者だったんだ? 他にもニコラスや飛黄や飛虹、平戸一官、龍とも呼ばれた。俺は何だったんだ。転生前の息子、鄭成功とは、妻は……俺は……」
デリンジャーは帽子やコートと背広を脱ぎ捨て、38ガバメントに変えた銃を抜くと、その場に放り投げる。
「今のお前にはハジキは必要ねえ。男と男が語り合うなら……そんな無粋な道具なんかいらねえだろ?」
デリンジャーは、落ちてた短剣を拾うと鉄船に突き刺し、3本の線を引く。
そして、ライン上をサラマンダーの精霊魔法で炎の線に変え、中央の線の前にデリンジャーが立った。
頭痛と転生前味わった死の苦しみを思い出し、苦悶の表情を浮かべたアヴドゥルは、この男は何を考え、何をしようとしていたのかまるで読めなかった。
そしてデリンジャーはアヴドゥルと目が合うと、不敵に口元を歪めてにやりと笑う。
「前世のガキの時にやらなかったか? ストリートファイトってやつだ。中国でなんて言うか知らねえけどよ、お互い真ん中の線で向き合って殴りっこしようや? ガキみてえによ、ファックファックって言いながら殴り合いだ。ビビッて後ろの線から一歩でも出たら負けって、ガキの遊びよ」
――打架。
アヴドゥルの頭の中に、この2文字が浮かび上がる。
転生前、かつて世界最大の貿易港泉州と呼ばれた地で、酔って迷惑をかける不良漁師や、海賊崩れの船乗り、南洋との交易で富を得た成金のドラ息子を相手に、打架……。
武術を嗜み、大柄で力が有り余っていた自分は、これらを相手に殴り合いの喧嘩で倒した後、金を巻き上げていた少年時代を思い出した。
デリンジャーの誘いに乗り、半月刀を投げ捨て南派少林拳の構えを取り、デリンジャーは転生前の刑務所で覚えたボクシングの構えを取った。
「この喧嘩、極悪組二代目ニコ・マサト・ササキが預かりやした。双方ようござんすね……いざ尋常に……勝負!」
闘技場が歓声に沸き立ち、ザイードは立ち上がり、アヴドゥルに声援を送る。
「殿下ああああああ! 相手はフランソワ最強と噂される、アンリ・シャルル・ド・フランソワ殿下です! フランソワ公を一騎討ちで破れば……ナーロッパはもはや皇太子殿下のものでございまするううう!」
極悪組サタナキア方面ブロック長、エイムがマイクを取った。
「観客席が最高潮に沸き立ちましたにゃー! 我らが組長の号令のもと、喧嘩開始ですにゃ! 意図せず部外者同士の決闘になりました。が、しかーし、我らの偉大なる初代の格言、極悪組たる侠客は博徒である事を忘れるべからず! せっかくだし、みんなで楽しむにゃ! さあ張った張ったにゃあー」
闘技場が即席の賭場となり、サタナキア獣騎軍が箱を持ち賭け金を回収していく。
「あのアヴなんとかという筋肉ダルマに1000ゴールド!」
「ワシも筋肉男に1000ゴールドじゃ!」
「いや青髪の男に1000ゴールド!」
「私もあのイケメンの青髪男に500ゴールド」
「いや、あっちもイケメンだし筋肉があるマッチョマンに有り金全部賭けるわ」
「アンリという男に3000ゴールドで。若頭様や二代目様、初代様ほどじゃないけどイケメンだし」
ニコは、組員達が勝手に賭けを開始するざまに大きなため息を吐きながら、自身も勝負に100万ゴールド賭けた。
「へっ、まるで刑務所の中の賭けボクシングだ。この世界のくだらねえ人間同士の戦争も、喧嘩も、全部幕を引いてやる! 行くぜこの野郎おおおおおおおお!」
デリンジャーのジャブをアヴドゥルは首をひねってなんなくかわし、逆に思いっきり床へ足を踏み込む震脚から、デリンジャーの心臓付近へ向けて、掌の肉厚な部分で衝撃を伝える掌底発勁の突きを放つ。
精霊の目で攻撃を可視化したデリンジャーは、これにカウンターを合わせるように、右ストレートをアヴドゥルの顔面にヒットさせた。
アヴドゥルも負けじと右の手刀で、デリンジャーの首を打撃した後、鍛え上げた4本指を脇腹に突き刺す左の貫手を放つと、デリンジャーも左のボディーブローを放ち、二人同時に苦悶の表情を浮かべるが、すぐに構え直して双方にらみ合う。
「そんなもんじゃねえだろ? 大海賊! 本気で来いや龍よ! 何者だったかを思い出せ! お前は他国の領土を奪うために攻め入って、女子供を泣かすようなクズ野郎か!?」
デリンジャーは、アヴドゥルの顔面にワンツーとパンチを放った後、右わき腹目がけて左のレバーブローを放とうとしたが、アヴドゥルは撃ち下ろすような右肘打ちと、突き上げるような右の膝蹴りでハサミ潰す技を繰り出し、逆にデリンジャーの左手をへし折った。
苦悶の表情を浮かべるデリンジャーに、連続で手刀や突き、肘打ちを流れるようにアヴドゥルは放つ。
「俺は……俺は今まで一度だって自分だけの利益で海盗を、略奪なんかしなかった!」
震脚の後、アヴドゥルはデリンジャーの鳩尾に発勁をヒットさせるが、一歩も引かないデリンジャーはまるでボールを投げるピッチャーのように、右のチョッピングブローをアヴドゥルの顔面に放った。
「全然効かねえぞ!? てめえの思いを全部吐き出せぇ!」
「俺は……前世では部下のため家族のために! 女子供から金を取ったことも、弱い者から略奪したことも一度だってない!」
「だったらなんで、ここで戦争になってやがんだよおおおおおお!」
お互い一歩も引かない殴り合いとなり、大男同士の殴り合いに観客席が湧き立ち、その度に金貨や銀貨が飛び交う鉄火場と化す。
「そんなもんかよ……ええ!? 龍よ!? なあ、お前の魂はなんて言ってるんだ!」
デリンジャーが折れた左手でアヴドゥルの髪の毛を掴み、何度も拳を顔面に叩きつける。
「王族のお前じゃねえ、龍よ! 人間の尊厳を、想いを、生き方を……誰かを愛する気持ちを止められねえと……お前だって思ってるはずだあああああ!」
デリンジャーの渾身の右ストレートを受けて、アヴドゥルは転生前の記憶を思い出した。
「私は貴方様に惚れて……幸せでした。たとえ唐人でも、あなたを愛することを、私は……」
転生前の愛する妻のマツの記憶の断片が脳裏に思い浮かび、アヴドゥルの魔力が更に高まり、デリンジャーのアゴめがけて渾身の一撃を打ち込み、デリンジャーが膝をつく。
そして転生後に、幼くして死んだ息子のムラ―トとマツの面影が重なり、彼女が自分の子供としてこの世界に転生したことを彼は悟り、目から涙が溢れ出る。
「お前に……お前に言われねえでもわかってんだ。俺は……畜生」
両こぶしを握り締め、うな垂れて涙を流すアヴドゥルにデリンジャーが立ち上がった。
「まだ決着がついてねえだろ? 俺は1インチも、一歩たりとも後ろに下がってねえ……来いよ! かかって来い! カマアアアアアアアアアアアアン!」
顔がボコボコに腫れあがり、口の中がズタズタに切れながら、両手で挑発するデリンジャーにアヴドゥル、否、海賊・鄭芝龍の魂を取り戻した男は横に首を振った。
「もう……いい……これ以上やったらお前が死んじまう」
「ブルシット! ふざけんなてめえ……すかしてんじゃねえよ! まだ始まったばかりだろうが!」
デリンジャーが拳を振りかぶって右ストレートを繰り出す。
芝龍の拳に風の魔力が宿り、クロスカウンター気味にデリンジャーのアゴを打ち抜いた。
「そういう貴様こそ……何者だ!? 何者だったんだあああああ!」
デリンジャーの足がぐらつき、生まれたての小鹿のようにがくがくと足が震えるが根性で踏みとどまり、逆にアヴドゥルの顔面に右フックを当てる。
「転生前の名はジョン・ハーバート・ジュニア……またの名をデリンジャー! 俺はギャングだ! 貧乏人や市民から……女子供から金を巻き上げた事なんざ……ただの一度も1ペニーだってねえ国家専門の銀行強盗だ! なめんじゃねえぞ海賊風情がああああああああああ!」
「何だと!? ただの匪賊風情が調子に乗りやがって! 俺をなめるなよ貴様あああああああああ!」
もはや格闘技術もへったくれもない、まるで子供同士の殴り合いのようになり、一発殴られたら殴り返すという、男と男の意地の張り合いの様相になる。
肉を打つ音と共に、血が飛び、おそらくは顔面の骨があちこち砕けてる両名の姿を見て、観客席の異世界ヤクザ、極悪組の面々が息を呑んでその様子を見つめる。
デリンジャーは、立ってる足がおぼつかなくなりフラリと後ろの線に尻もちをつきそうになるが、体を前のめりにして、じっと芝龍を睨みつけた。
「まだらぁ……来いよ。お前の想いを、男の意地と誇りを見せてみるぉ」
「いかれてんのか貴様……你瘋了だ、死ぬぞ」
「なんらぁ……クレイジーらって? そうらぁ……その言葉は俺にとって……最高の誉め言葉だらぁ!」
歯がへし折れて唇がはれ上がったデリンジャーが、渾身の右アッパーを繰り出す。
時折芝龍が呟く中国語も、デリンジャーは拳を通じて心で理解できるようになり、ジローとの戦いのダメージもある芝龍が、ついに膝をついた。
「なんでだ……なんで、お前は……立ってるだけでもやっとなのに……你腦袋有問題吧」
「頭がおかしくなってんのはてめえらぁ。こんなくだらねえ戦争起しやがって……なあ、俺は間違った事言ってるか? 立てよ! 立てってんだよ! おめえの国のせいで……転生後の俺の妹も弟も死んだ……他にも大勢……罪なき弱者が虐げられてる……もうこんな事は沢山だ! 人殺しも、戦争も!」
デリンジャーは膝をついた芝龍を引き起こし、渾身の頭突きを放つと、鼻からまるで蛇口のように鼻血が流れ出した芝龍は涙を流す。
体の痛みではなく、転生後の自分自身への行いと陰謀を悔やむ、心の痛みで涙を流していた。
「俺は……うっ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
二人は闘技場に浮かんだ鉄船の甲板で頭をぶつけあう。
もはや互いに満身創痍で、腕も振れないほど憔悴しきっていた。
「そんなもんじゃねえだらぁ!? もっと来いこの野郎っ!」
「うおおおおおおおおおおおおお!」
頭部に衝撃が走るたびに、芝龍は転生前の記憶を一つずつ思い出す。
転生前の父に連れられて初めて海を眺めた記憶、家を飛び出し外洋に出た記憶、妻との出会いと息子を抱いたときの記憶……転生前に忘れ去ったはずの、魂の奥底に刻まれた家族の記憶を次々に思い出した。
「俺は……まつ……成功……次郎……」
「へっ……取り戻した見てえだな自分を……」
何度も頭突きの応酬になった後、互いに前のめりに倒れ、両者とも一歩も後ろに引かず、背後の線を越えていなかったが、戦闘続行は不可能になった。
「勝負ありだ。二人ともすげえ喧嘩だった……この喧嘩の見届け人として宣言する。この勝負引き分け!」
ニコが宣言すると、闘技場の観客席全員が立ち上がり、拍手喝さいとなる。
ザイードも何かを思い出して、自身が敬愛する皇太子の戦いを見て涙を流していた。
脳裏に思い浮かんだのは、皇太子と出会う前、砂漠で病弱な母やラクダ達と共に暮らす生活ではなく、龍と名乗る海賊と共に大海原を旅した後、名前は思い出せないが大帝国に降るものの、見せしめに自身が頭領と慕っていた龍と、自分の家族も皆殺しに遭い服従を誓わされた記憶。
その後大帝国で提督として頭角を現し、英雄とも反徒とも呼ばれた龍の一族を撃退し、敬愛していた龍の墓の前で懺悔するようにひとしきり泣いた後、罪の意識に苛まれて魂に傷がついた事と、自分が「琅」という名で洋上で戦っていた思い出。
まるで自分が自分でないような、よくわからない映像を思い浮かべるも、気のせいだと思いザイードは頭を振る。
鄭芝龍は、うつ伏せに倒れたままデリンジャーに、どうしても聞きたいことがあり顔を起こした。
「教えてくれ……前世の息子は……成功は……」
「英雄らしいぜ? そう聞いている……」
二人の前に、アシバーのジローが体力と魔力を回復し鄭芝龍の前に立つ。
「そうさー。台湾ぬ組織ぬ人間から聞いたくとぅがあん。オランダから植民地支配さったん台湾救たん、伝説ぬ英雄さー」
「そうか……成功……」
アヴドゥルこと鄭芝龍は、自分の死後に息子が英雄となったと聞き、嗚咽しながら泣いた。
「お二方、大怪我してるんで回復魔法で手当てしますぜ……それとオイラに了解とらねえで勝手に賭けたやつらな」
組長の睨みに、観客席のドワーフやエルフ達と魔族のエイムはビクリと体を震わす。
「このお二方の喧嘩、オイラは引き分けに100万賭けたからよ、引き分けに賭けたのオイラだけなもんで、おめえらの賭け金は親の総取りな」
「ちょ親分!?」
「えぇ……」
「兄貴……親父さんに似てちょっとがめつい」
「うるせぇ! まったくおめえらと来たら……」
すると、ニコの水晶玉に着信が入る。
「すみません叔父貴、それとお二方。フランソワのカリーにいる親父からの通信だ」
水晶玉から流れてきたのは、勇者マサヨシとマリーが世界へ陰謀を企てた黒幕たちとの問答。
マサヨシは水晶玉の音声機能をオンにして、組の人間に内容が聞けるようにしていた。
「……こんな婊子を……俺の国は神と崇めていたのか……こんな奴を……ククク、フフ、哈哈哈哈哈! 我⽇你!」
「くんな外道共に世界が……あったーよ! たっ殺してやる!」
「かましに行こうぜ、神が……英雄がなんだ! この世界を舐め腐ってる奴らから世界を強奪するぜ!」
かつて、大海賊とも、戦果アギャーとも、犯罪王とも呼ばれたアウトローの義賊たちが世界救済の正義に目覚め、悪に立ち向かおうと決意する。
「ザイード!」
「は! 皇太子殿下!」
「貴様はマリーク魔法戦士団を率いて、本国へ一時帰還せよ。私は……世界へ陰謀を企てた悪に代償を支払わせに行く! 悪が栄えた試しなど……この世界に無いことをわからせてやる」
「は? か、かしこまりました殿下!」
憤怒の表情を浮かべるアヴドゥルこと鄭芝龍の怒りと、溢れ出る魔力とオーラを感じたザイードは水晶玉で通信を始め、旧魔王軍ことサタナキアに捕虜にされていたマリーク戦士団に撤退命令を下した。
「我らの姫が、惚れた女が戦ってる。我らが行ってやらんで誰が行くんだ?」
「ああ、その通りだぜ。ビッチに殴り込みと行こうや」
「だからよー、腹ぁ減って血ーぬ足りねえさー。船でぃ肉寄こちくぃらん? レアでやー」
「善は急げってやつだね。お三方、船にどうぞ!」
旧魔王軍旗艦、空中空母バエルに乗り込み体力を回復させる。
「すまんが、私の衣服が血と埃にまみれてしまった。君は、その衣服覚えがあるな……日本の衣服だった気がしたが? 同じものはあるかね?」
芝龍は身に着けていた金のアクセサリーを、全部その場に差し出した。
「はい、オイラ転生前は日本出身です。着物ですか……お待ちくだせえ。その金で特注品をエルフに急いで作らせますんで」
ニコはエルフやドワーフ達に、色とりどりの男性用の反物を用意させると、アヴドゥルは藍色と空色の中間のような水色の反物を手に取り、筆と紙に大まかな寸法とデザインをエルフの乙女に手渡した。
そしてカリー市到着10分前、アルペス山脈を越えたあたりで特注の着物が完成する。
空と海を示す水色の長衣に、ミスリル銀とオリハルコン金が刺繍されている、魔法効果の高い帯を装備し、着物の下にはアダマンタイトの鎖帷子を着用して、頭には転生前にしていたように、大砲の攻撃や白兵戦で手傷を負った時、止血に使うための反物をバンダナのように巻く。
「似合ってるじゃねえか、シカゴの街の劇場で見たカリブの海賊っぽいな」
「あー子供向け人形劇で見たことあるさー、トラヒゲやん。さしずめアンリ君はマシンガン・ダンディでぃ、マリーちゃんは、サンデー先生……いや、プリンちゃんがやー? となると我が王子様やんやー」
「あ? 何だそりゃ? 死ねよ」
「ふむ、なんか違う気がするが、まあいいだろう。さて、窓の外が光ったり爆発音が聞こえるが……そろそろ着く頃合いだな。相手は神と英雄、それとジュ―の王子か……倒した後のことも考えんとな。ジューは世界中にいるし、フレイアやジークを信仰する者も多い」
すると、ジローが悪い顔をしながら右手を挙げた。
「うぬ事やんしがさー、いいあんべーな方法あるさー」
「?」
ジローは、ある陰謀を二人に話す。
笑顔で語るジローに、芝龍とデリンジャーはドン引きした。
「お前さー、結構タチ悪いよな」
「確かにある意味合理的ではあるが、よくもまあそんな事を思いつくものだ。お前の前世は極悪人だろ?」
「我の前世はただぬ遊び人さー。やしが、くぬ世界し悪さすん外道には……肝心ぬ鬼にせんと駄目だばー」
そして空母バエルがカリー市上空に到達したとき、巨大な魔法陣が具現化したのを確認すると、男達は顔を見合わせて戦場へと降り立った。
次回から第二章ラストバトルに戻ります。




