第38話 大戦勃発 前編
ロマーノ連合王国首都、ロマーノのヴィナーレ宮殿には、ネアポリとシシリーの統治に携わる、アントニオ・デ・ラツィーオ男爵が、ロマーノの事実上の盟主ヴィトー・デ・ロマーノ・カルロに謁見していた。
「アントニオ、よく来てぃくれたさー。お前はよく働いてくれたさー」
「お褒めに預かり恐悦至極」
――あれ? この人って語尾こんな伸ばしてたっけ? でも、ヴィトー様が着てる綿の赤いポローシャツと、雄雌の獅子が刺繍してあるズボン、カッコいいなあ。俺も仕立て屋に作らせて一式そろえるか。
ロマーノではヴィトーの命令で、イリア人好みの色合いと、高度な服飾技術により、通気性を抜群にした、ポローと呼ばれる半袖シャツと、カリユシーと言われる長袖シャツを開発した。
これをヴィトーが着る事により、国中で大流行となっている。
これら新開発の衣類を、ナージアのヒンダスの富裕層、王侯貴族に売りつける事で、ロマーノ連合王国全体の利益にしようと考えていた。
そして今年で30歳になるアントニオは、野心を胸に秘めている。
アントニオは、男爵とは名ばかりの没落貴族出身で、世継ぎとは縁のない、次男として中心都市のロマーノから遠く離れた地、ロマーノ帝国時代栄華を誇った都市国家、ヒスパニア地方マドリッドで生を受けた。
ロマーノ帝国崩壊後、ヒスパニアはバブイール王国に国土を簒奪され、国民は奴隷身分にされたが、ラツィーオ家含む旧ロマーノ諸侯による国土回帰運動の末、3代前のロマーノ王が、イリア首長国連合と力を合わせて奪還。
以降ロマーノ王が、ヒスパニアの王、カルロを兼任して統治しており、徐々に帝国時代のかつての賑わいを取り戻している。
一方アントニオは、貴族の義務である軍役へ仕官するものの、軍歴15年で、ようやく海軍中佐艦長を務めるなど、軍人としてもあまりパッとしなかったが、ある王女との出会いで、運命が変わった。
マリー王女の世話係という形で、事実上ロマーノの君主になったヴィトーからも目をかけられ、ネアポリやシシリーと言った、ロマーノ南部を代表する大領土の統治信託に携わるようになると、元々文官の才能があったのか、経済交易と投資信託で、一定の成功を収めていた。
今、彼はまたとないチャンスとばかり、自分をヴィトーに売り込み、自身の地位を上げようと考えている。
「お前、故郷はヒスパニアだっけ? 次男じゃ跡継げんからなー。お前、将来的にはネアポリの領主やってぃくんない? 爵位が男爵だと箔つかんから、今日から海軍中将で、とりあえず伯爵を名乗れ、な?」
「ははー! ありがたき幸せ!」
――没落貴族の自分に運が向いてきた? やはりマリー姫は俺の幸運の女神だ。
などという彼の思いとは裏腹に、人生最大の苦難が始まろうとしていた。
「そんでアントニオさー、お前に俺ぁの代わりにやってぃ欲しい、極秘任務あんだわ」
「ははー! なんなりとお申し付けを!」
彼にとって更なるチャンス到来。
ヴィトーの名代として、極秘任務を無事成功させ、更なる手柄を立てれば、ゆくゆくは海軍元帥を経験し、大公になるのも夢ではないと野心を秘める。
「お前には最新式の魔導船、ガリバルディの艦長を命ずるさ。ナージアのヒンダス洋経由して、東の果てのジッポンの内情探ってぃこい。通常の帆船航海ならば、風と海流に乗ったとしても、1年以上かかるけど、その船なら1ヶ月かかんねえくれえで行けるはずさー」
「え? ジッポンですか……極東の最果てにある、黄金と呼ばれる謎の島国」
「そうさー、おめえジッポンのハカダって港町経由してぃ、情報集めてノリナガとかいう奴を探せ。うまく情報とってジッポンと交易結べば、お前を公爵にしてぃやるさー」
アントニオは、未知の国への長い旅に一抹の不安を覚えたが、ナーロッパで誰も行ったことがない国へ踏み入れる探究心と、名誉欲を掻き立てられる。
「は! このアントニオ、ヴィトー様の勅命でジッポンに行って参ります!」
「うん、頼むなー。交易用の食い物や、金とかワインや武器とか鎧とか、沢山積んであるから、それ売って向こうで生計立てろー。もう船は港に用意してるから、気ぃつけて行って来い」
こうして、この世界の最果ての地へ旅立ったアントニオだが、1か月後、自身に待ち受けてる苦難を、まだ知る由もなかった。
一方、バブイール王国では連日、西方情勢について王族会議が開かれ、皇太子であるアヴドゥルは、毎晩見る大海原の夢と、目覚めたときには忘れてしまってる、謎の悪夢に苛まれ、目に隈が出来ていた。
「フランソワが、ロレーヌに簒奪されたのは明らかである」
「左様、今はヴィクトリーに敵意が向いてるからよいが、いずれは我が国に矛先が向くだろう」
「然り、ロレーヌは我らを蛮族だと下に見る、傲慢な国だ」
「今のうちに我らの魔法戦士団で、西方に威力偵察して、圧力を加えるべきでは?」
「いっそ、西方に送ったアサシンギルドで、ロレーヌの皇太子を殺せば……」
会議が紛糾する中、アヴドゥルは夢の中の自分に思いを馳せる。
この砂漠の王国とは違う、どこかの大海原で仲間や手下達と航海しながら、多くの言葉を操って数多の国家と交易を行いながら、敵対する船団への奸計を巡らせてる自分。
時に自分は、敵対する船団や、船乗りにあるまじき無礼を働く輩達、陸で非道を働く様な艦船に乗り込み、得意の剣術で相手の船員を海に蹴落として、物資を略奪してやった記憶が蘇る。
――夢にしては、生々しすぎる。俺は、こことは違うどこかで、英雄を志していた。そして俺は砂漠の海ではない、本当の海で王として振る舞い、船団を率いて……名前は思い出せないが、俺が生れた故国を守るため、美しい衣装に身を纏った愛する妻の国を尊敬し、生まれた我が子に何かを託し……なんなんだ、今の俺はどこかがおかしい。それに俺の子はもう死んだんだぞ。
「我が皇太子アヴドゥルよ、そなたは今の西方情勢を如何にして見る?」
大陸一の賢王と称されるハキームが、アヴドゥルに訊ねると、我に返ったアヴドゥルは、議場に掲げられた大地図の前に立った。
「私から説明しよう。ヴィクトリー王国は、魔女エリザベスが、人知を超えた何者かを召喚し、怪物共を使役する、悪夢のような王国に変貌した。ヴィクトリーとの戦争準備を整えた、フランソワ王国のアンリは急逝し、その隙を狙ってナーロッパ中央のロレーヌ皇国がフランソワを簒奪。そして、イリア首長国連合は、ロマーノ連合王国に名を変え、今のところ戦争には様子見状態。ここまでは諸君も理解していると思う」
集まった王族や部族長と将軍達も、静かに頷いて、アヴドゥルの説明に耳を傾ける。
「だが、愚かなマリア帝率いるロレーヌ共は、思い違いをしているのだ。確かな情報ルートによると、シシリー島で死んだ筈の第一王子、アンリが国土奪還を企て、奴がフランソワの国王に返り咲くだろう。マリー姫も奴に力を貸していると、私は見ている」
アンリ王子が生きているとの報に、議場は騒めき立ち、アヴドゥルは両手で議場の騒めきに静寂を促した。
「アンリの今の目的は、推測も混じるがフランソワを奪還後、同国のロレーヌ共を殲滅し、今や世界の敵となったヴィクトリーを、マリー姫の手に取り戻す事だろう。ロマーノも、手を貸す可能性がある」
議場の全員がウンウンとうなずき始めた。
そしてハキーム王と、王族の何人かは、アヴドゥルが言わんとする先を読み、ニヤリと笑う。
「我々が取る手段は、フランソワに大陸最強と呼ばれる、フレドリッヒ皇太子を送って手隙になった、間抜けのロレーヌ国土を簒奪しようではないか! 私も軍の先頭に立ち、東部のブルガリーに侵攻する! 我が国の悲願、西方進出の足掛かりとなるであろう」
アヴドゥルは、ロレーヌ皇国の東方領、ブルガリーを指差すと議場は拍手に包まれた。
「なるほど」
「さすがは皇太子殿下」
「素晴らしい戦略でありますな」
アヴドゥルは拍手を両手で制して沈め、極東のチーノ大皇国を指差した。
「しかしだ諸君、間者によると内戦中のチーノ大皇国へ、馬と魔法戦術の達人集団、モンゴリのハーンが侵攻したという。奴らは支配欲にまみれ残虐だ。チーノを手にした場合、我が国へ侵攻を企てる可能性がある。奴らがチーノを手にするまでに、我らは西方ナーロッパを手にし、いずれ我が国に侵略を企てようとする、残虐なモンゴリを迎え撃とうではないか!」
議場の全員が、アヴドゥルに剣を掲げて忠誠を誓い、父王ハキームは、頃合いを見てアヴドゥルに王位を譲ってやろうと考えていた。
一方の、フランソワ王国。
「フランソワ支配は順調に進んでおります。すでに首都パリスの諸侯らは、我らロレーヌの軍門に下り、アルペス山脈よりロレーヌ軍の本隊が馳せ参じる予定です」
マリー達が精霊ウンディーネの力を得た翌朝、占領軍参謀ハンス・フォン・クレーブ伯爵が地図を広げて、ロレーヌ皇国の若き皇太子フレドリッヒに、フランソワ国内情勢を語る。
首都パリスの名を冠する、最高級ホテルの会議場で、ロレーヌ占領軍中枢が軍議を開いていた。
「なるほど、あとはパリス郊外ブリュヌの森に向かわせた、シュタイナー率いる鉄十字騎士団精鋭の一個中隊が、マリー姫の身柄を抑えれば、僕の悲願は達成出来る」
ジークフリード騎士団長、2メートル半近い長身のスキンヘッド、大公フェルデナントは特大のため息を吐き、諸侯も青い顔をしてうなだれる。
「皇太子殿下……シュタイナー卿は……」
「鉄十字騎士団は戦闘不能にされ、シュタイナー男爵は行方不明に……任務失敗の可能性が……」
参謀のクレーブ男爵の言葉を遮り、大公フェルデナントが告げると、フレドリッヒの顔が怒りに燃えて、幼さの残る顔が紅潮し、まぶたがピクピクと痙攣する。
「4名だけ残れ、クレーブ、ヨーゼフ、カイゼル、フェルデナント」
占領軍ブレーンだけがその場に残され、会議場から出て行く騎士団の面々は、癇癪持ちの皇太子の叱責が、これから始まる事を予感した。
会議場のドアが音を立てて閉まると、声変わりもしてないような、フレドリッヒの叱責が会議室に響き渡る。
「命令しただろ! どんな手段を使っても僕のマリー姫を奪還せよと! 僕の命令がなぜ果たされない!? 精鋭騎士団が全滅? ふざけるな無能共!!」
諸侯に指差しながら罵るフレドリッヒは、内心この国の騎士団と、女帝マリアにも腹が立って仕方がなかった。
自分の顔色を伺い、ろくに正確な情報を打ち明けない配下の騎士団長達や、卑劣な手段でフランソワを簒奪した母に対しても、自身が想いを寄せるマリーを賊に貶めた、エリザベスと黒髪の自称英雄に対しても、怒りが収まらない。
「皆が僕に嘘を吐く! 貴様ら騎士団長も、母上も嘘まみれだ! 下劣な奴らなんか大っ嫌いだ!」
「皇太子殿下! 我々はともかく、マリア陛下への侮辱は……」
たまらず、大公フェルデナントが嗜めるが、若き激情家な皇太子、フレドリッヒは聞く耳を持たない。
「うるさい! 大っ嫌いだ! ロレーヌのアホ共みんなバァァァカ!」
「殿下! 祖国への侮辱は控えていただきたく……」
大公フェルデナントは、皇太子とは思えないフレドリッヒの言動に憤り、タコ入道のような容貌が、怒りで徐々に真っ赤に染まり、皇太子の発言に苦言を呈する。
「英雄ジークの名を汚すクズ共が! 畜生めえええええ」
フレドリッヒは、腰に差したレイピアを抜くと、議場の大机の地図に叩きつけるように突き刺す。
その位置にあったのは、ナーロッパ大陸最大のヴィクトリー島である。
「貴様らの報告は嘘ばかりだ! ローズ・デリンジャー・ギャング団と自称する賊達は、すでにフランソワ平民の人心を掌握している。死んだ筈のフランソワ第一王子アンリが、流行りのセビーロに身を包み、貴族の風上にも置けぬ売国奴や守銭奴を、マリー姫の力を借りて粛清しているのが真実だ! そしてその背後にいるのが、黒髪の英雄もどきなのはわかっている!」
やはり天才と称される、皇太子は見抜いていたのかと、占領軍ブレーン達は首を垂れた。
女帝マリアの勅命で、フランソワ王と宰相を暗殺し、若干10歳の第二王子ルイを即位させたのはいいが、肝心の第一王子のアンリが生きていたことが知れたら、ロレーヌの正統性が無くなる。
ロレーヌの諸侯たちは、アンリと個人的に交流のあった、フレドリッヒには内密かつ秘密裏に、デリンジャーギャング団の真の首魁、アンリを暗殺しようとしていたのだ。
一方フレドリッヒは、ナーロッパ随一の治安機構、フランソワ憲兵騎士団が、表向きの首魁がマリー姫である強盗団とはいえ、追跡に及び腰だったのが大の疑問だった。
それどころか憲兵騎士団の中には、追跡する自分達を殺さず、悪徳領主だけを狙いに定め、流行りのセビーロに、黒のリボン付きの中折れ帽子を被った大男が、憲兵騎士団に敬意を払い、逃走する際に薔薇の花束を投げてきた件。
これに魅了される者達が、憲兵騎士団に続出しており、お辞儀をして帽子を取った顔が、アンリ王子と瓜二つだと言う証言も上っていた。
フレドリッヒは、フランソワには珍しい長身の男の手がかりを掴むため、デリンジャーギャング団の被害に遭い、手足の指を全てへし折られた、パリス近くを領土に持つブリュヌ公爵に、尋問を行った。
その結果、強盗団の真の首魁が、死を偽ったアンリである事を突き止めたのだ。
「貴様らが、マクシミリアン・ミュンヘル大学で習ったのは、ナイフとフォークの使い方と、婦人をダンスに誘う事だけか!? 頭が足りん無能共め! 僕も実施すべきか? 貴様らのような無能貴族共の大粛清を! アンリのように!!」
フレドリッヒが癇癪を起こしているドアの向こう側で、皇太子を溺愛する女帝マリアに、今の会話を知られたら、本当に粛清されかねないと、ロレーヌ貴族の騎士たちが青い顔で震え上がっていた。
「かの偉大なる英雄ジークは、王侯貴族出身でないにも関わらず、ナーロッパを支配したのだぞ? 我らが祖、英雄ジークは……ヴィクトリー島の、偉大なる騎士王を父に持つ美しい姫君と結ばれて……」
ヴィクトリーの美しい姫君という単語で、自身が恋するマリーを思い出し、魔法の水晶玉の映像に残っていた、豊満な白い二つの丸いふくらみを思い出して、血圧が急上昇して鼻血が噴き出す。
「で、殿下!」
「も、もうそれくらいで! 我らは殿下の想い、確かに……」
4人の諸侯が駆け寄るが、フレドリッヒが風の魔力で、フェルデナント大公以外の諸侯たちを壁に叩きつける。
「無能共め、僕が今この場で粛清してやろうか? 何でアンリが生きていたことを黙ってた!」
フレドリッヒが更に風の魔力を高めようとした時、会議場にノックもせずに伝令官が現れた。
「も、申し上げます! フランソワ北方から亜人の大軍勢が夜明けとともに侵攻を開始! 国境警備に当たっていたフランソワ貴族、ランヌ辺境伯戦死及び、フランソワ精鋭、白百合騎士団壊滅の報がもたらされました! また、ヴィクトリー対岸のドーハ海峡に、ヴィクトリーの戦艦とモンスター達の群れが展開され、我が国の海峡、ノースウェスト海にも亜人達の船団が……」
風の魔力を解いた、フレドリッヒが伝令官の報告に絶句する。
「な……なんだとぉ……まさか魔女エリザベス、亜人国家と手を結んだのか?」
陰謀渦巻くニュートピア世界で、世界大戦の序曲が奏でられようとしていた。
後編に続きます




