第146話 動き出す男達 中編
翌朝、ロマーノ連合王国王都ロマーノ。
事実上盟主だったジロー・ヴィトー・デ・ロマーノ・カルロから、父にしてイリア首長国連合盟主ヴィクトール・デ・ロマーノ・カルロ大公が、ナーロッパ最強の軍団の一つと言われる、アルペス山脈を本拠地とするシュビーツ傭兵団支援の下、君主に返り咲く。
「バカ息子め、だから言ったのだ。我らイリアは……ロマーノは資本経済無くしては立ち行かぬと。我が連合国は、資本家無くしては民を食わすことも出来ず、奴らの都合で王位もすげ替えられてしまう」
かつてのイリア首長国連合の実態は、シュビーツの実質的支配者であるハプスブルング伯爵家含む、様々なジューの資本家により間接支配を受けていた。
これにより、どの都市国家が資本家から資金を得るかで争い合い、諸国内で内戦を繰り返して、戦争で生じる経済で資本家が富を蓄えるという、悪循環が生じていたのだ。
だが、ジローが王子として台頭していき、ロマーノと名を改め連合国から緩やかに中央集権化した結果、元々帝国時代の文化水準や技術力が高い事を武器に、各都市国家間の物作りにさらに磨きをかけ、貿易で外貨を稼ぐようになる。
その結果、国家の技術力も向上し、ナーロッパ諸国との投資活動及び、ヒンダスとの貿易により国家資本が倍以上膨れ上がり、周辺国と比べて屈強な海軍も所有するほどになる。
こうして、イリア連合諸国の増大した軍事力を背景として、ジューの資本家達に増税を課し、富の再分配と都市国家間の格差是正を目論んでいたが、ジューの資本家と密接に繋がった傭兵団に国を占拠され、現在に至る。
「決定権などないのだ……我が王子よ。最初から我らイリア諸国にはな」
ヴィクトールは大ロマーノを復活させると、言っていた自身の息子の身を案じながら、そんな事は不可能であると独り言ち、顔を伏せた。
一方ジローはというと、勇者ロバートと共に変装してロマーノに帰国し、情報収集と国家奪還の期を伺って街中を散策中であった。
勇者ロバートは、白のブレザーに白のスラックスを着用し、濃紺のシャツの胸元から見えるのは、転生前と同様に肌身離さず身につけているロザリオ。
転生前のロザリオと違うのは、シーエルフ達の魔力が篭った黒真珠と、透き通るような高純度の7色鉱石の数珠を精霊銀の鎖で繋ぎ、メダイの聖母マリアと十字架は、創造神への信仰力を増大させるオリハルコンで作成していた。
一方のジローは、植物の葉を編んで象られ、白に染色されたパナマ帽のような帽子を目深に被り、多機能装置付き黒のサングラスを着用。
前世の沖縄シャツを元に作った薔薇が刺繍された白の長袖カリユシーに、黒のスラックス、そして素早さを増大させるヘルメスの靴。
街にはシュビーツの傭兵達が巡回している状況で、街の人間は傭兵団を見ると目を伏せる。
「おお、サンタマリーア、素晴らしい。まるでもう一つのイタリアのような南国。太陽、空、この街の色彩、熱気のある市場、そして女性も、なにもかもが美しい。銀ピカのブリキ野郎共が、そこかしこにいるのを除いてだが」
「そーさぁ、くりがロマーノさぁ。ん?」
ラヴォーナ広場前を歩いていると、露天売りの少年が、大量の盗品や手作りのアクセサリーを、シュビーツ兵相手にぼったくり価格で売りつけているのを、ジローが見つける。
その中には、見る物を唸らせるような芸術品も混在しており、露天売りの少年は10代前半の褐色肌で、黒い髪の毛を逆立て容姿は整っているが、左の小指と薬指が欠損しており、どこか抜け目のない目つきをしていた。
「何ーやん? 逞しさるガキやん。くりぃネックレス、いい出来さあ。一個くんない?」
ジローは、ロマーノでは見たことがないデザイン、ペンダントトップが立ち上がる獅子を模した銀のネックレスを手に取る。
そしてぼったくり価格のさらに10倍、1万リーラ入りの白金貨が入った皮袋をポンと出すと、少年はジローを見て鼻で笑い、中の皮袋からぼったくり価格の代金だけ受け取った。
「いらないよ、こんなに。それは俺の手作りで魔法効果がない、純度も低いバッタもんみてえなシルバー細工だし、物乞いじゃねえし、俺を馬鹿にしてんのか?」
「くりぃ、お前ぬ手作りがー。なかなかいーデザインやあらんが? 彫金技術もなー。持ってけ、その金でぃ職人になれー。お前には才能あるさー」
少年は渋々代金全額を受け取ると、今度はロバートがカフスボタンを吟味し始めた。
「ふむ、この木で作ったカフスだが、仕上がりがいいな。星と太陽を象ったオリジナル製があるデザインだ。他のカフスも木で作ってるようだが、木目がいい味出してて芸術的だな。気に入った、これとこれをくれ。その金で自分の店を持つといい」
ロバートは、懐からジローと同額の1万リーラ入りの皮袋をポンと置く。
「だぁかぁら、こんなにいらねえっての。金は好きだけど、世の中には適正価格ってのがあんだろうがよ。ていうかあんたら何者だよ? ただもんじゃねえだろ? あ……」
少年は懐から通信用水晶玉を取り出すと、指で操作し始めて一瞬ニヤリと笑う。
「今日は店仕舞いだ。代金は貰うから帰ってくれよ。あと、貰いすぎだからこれとこれ、あんたらにやるから」
少年は何品か二人に差し出し、そそくさと店仕舞いを始める。
「あ、お二方! 市場見てたら、オレンジ安くて人数分も買って参りました」
「おお、ペチャラ君。すまんな」
「にふぇーでーびる、ペチャラちゃん。すりとぅ、くぬわらばーなかなか、じょーとぅー売てぃてぃ……あれー?」
ジローが露天売りの少年の方を見ると、すでにその場から姿を消してどこかへ行ってしまってた。
「何ーやん、せっかちさー。せっかくペチャラちゃんやマリーちゃんの土産、買おうと思ったやしがー」
ジローは舌打ちすると、二人を連れてアジトのある裏路地に入っていき、頬に傷のある男と向かい合う。
「すいません、合言葉を」
「何ー? たーがしーじゃがー?」
傷のある男は、冷や汗を流しながら隠しスイッチを押し、ロバートとペチャラは、それは合言葉なのだろうかと首を傾げながら、地下に通じる階段が現れた。
「どうぞ、御三方」
地下室は広大な会議場になっており、円形の机には、地下に潜ったドランゲタ、マフィーオ、カモリースターの顔役達が一同に席に座り、サルバトーレ・デ・ネアポリーノ伯がジローを待っていた。
「シージャ、準備できとるさぁ」
サルバトーレは阿片中毒から立ち直り、前世と同様、黒シャツに白の蛇柄のベルトを巻いた黒スラックス、白の蛇柄のローファーを履き、ジローを兄貴分として慕う、比嘉小吉の魂を完全に取り戻している。
「やっさぁ、全員ひざまづきー」
ジローの号令で一同が椅子の上に正座し、ロバートは、なぜ椅子の上でおかしな座り方をするのだと、首を傾げた。
「小吉ぃ、いぃーくる、喧嘩ぬ準備やん。那覇ーうぅてぃさる時ぬぐとぅすんばー」
「おうシージャ、すんば? すんばー?」
悪そうな笑みを浮かべた小吉とジロー達が、何を言ってるのかわからず、一同が小首を傾げる。
「ああ、すまん。沖縄弁、お前ら、わからんさぁやー。ロバート、お前と兄貴とぅ我が立てた計画、わかりやすくみんなに頼むさー」
ロバートは、目の前にいる地下の秘密結社めいた議場を見て、ふっと笑う。
まるで、ファシストを打ち倒した秘密結社、我が名誉ある先祖のようだと。
自分の先祖も、このように名誉ある社会を守ろうとしたのかと。
かつて第一次大戦後のイタリアにおいて、元軍人でもあり教師でもあった政治家ベニート・ムッソリーニと、元警察官だったチェーザレ・モーリというシチリア知事の辣腕により、犯罪の温床と言われたイタリアマフィアは壊滅的な状態に陥る。
イタリアを脅かしていたマフィア撲滅などの政策は、人々から賞賛され、ムッソリーニは独裁者としての地位を確固たるものとし、第二次大戦へ向けて突き進む、悲劇の道にイタリアは舵をとる。
一方のマフィアは、北アメリカ大陸に渡ったコーサノストラ、カモッラ、シカゴの組織が、故国イタリアを蝕み、人々を抑圧するファシストに奪われた、同胞達の縄張りの復権の為に立ち上がる。
伝説のギャング達、義賊の二つ名を持つジョン・デリンジャー、ベビーフェイスの二つ名を持つレスター・ジョージ・ギリスに次いで、アメリカ合衆国から公共の敵ナンバー1と呼ばれ、幸運の二つ名を持つ、伝説的なイタリアマフィアの下にシンジケートが結成された。
人々を抑圧し、戦争に導いたファシストから、名誉あるイタリア社会を取り戻すための、連合国軍への全面協力。
ヨーロッパ戦線でイタリアファシスト、ナチスドイツへ対抗するレジスタンスとしてマフィアは潜り込み、米陸軍のパットン将軍が指揮するシチリア上陸作戦、イタリア本土上陸のハスキー作戦を勝利に導く。
そうした先祖たちの英雄的な役割を、世界が違うも自分が担う事になり、勇者ロバートは自身の先祖たちも、こうして地下に潜り、会合を開いた後、世界の敵だったファシストを打ち倒したのかと満足気に笑う。
世界は異なっても、最初に転生した世界で、闇の世界に変えていた悪徳の集団を打ち倒した時も、そして今も、血縁が導いたかのような運命めいたものを感じ、自分に流れる先祖の血筋を愛さずにはいられなかった。
「諸君、これよりブリーフィングを開始する。決行日は明後日! フランソワで行われるミスターデリンジャーの演説後。作戦内容は、ロマーノ連合王国内のシュビーツ達を、我らがファミリー達の力で戦闘不能にして拉致する」
ロバートはインクのついたナイフを手に、ロマーノ連合王国の地図に、バツ印をつける。
「君たちも知っての通り、このロマーノ地方を占領しているシュビーツの傭兵団の数、おおよそにして4000名! その大半が、ロマーノ市街地に投入されている。この他、連合王国及びヒスパニア地方に投入されたヴィクトリー軍と傭兵団の総数が、おおよそ3万。彼ら兵士達の正確な居場所と、基地司令部の攻撃をサポートするのが、諸君達の任務だ」
「へい!」
「君たち元護民官は、この連合王国内の地理に明るい。ここを司令部にして、君たちが把握している兵士達の居場所を水晶玉で報告せよ」
すると、マフィーオに所属する黒のセビーロに身を包んだ痩身で浅黒い肌の伊達男が手を挙げた。
「もう自分ら、サルバトーレ伯の命令でほぼ全てのブリキ野郎共の所在を掴んでます。自分ら縄張りの全てを把握してますんで」
ロバートは、痩身の凄みがある顔付きの男に頷く。
「それにあたしらマフィーオは、元々はシシリー出身。うちらシシリーを代表して、自分の兄貴分のマッシモが騎士隊長として、マリー様のお役に立ってます。自分らも世界救済のため、人肌脱がせてもらいますぜ。うちらシシリーの名誉のためにも」
「うちらネアポリのカモリースターも、マリー様にはご恩と義理があるんで。やってやりますぜ、徹底的に」
「自分達ドランゲーダのドーラ一家も、イリアと呼ばれたロマーノ連合王国の為、ご恩があるジロー王太子殿下と、マリー殿下のため、男気を見せる準備は出来てます」
この世界で、マフィアが生まれつつあった。
犯罪組織ではなく、世界を救い見守るための、正義の秘密結社の集団の誕生である。
ロバートは、このようにして先祖達が名誉の為にイタリアの歴史上、何度も立ち上がって来たのだろうと思い、自然と笑みが溢れた。
「やっさぁ! 方針は決まったばー! 皆でぃ世界を救うさぁ! すりとぅ命どぅ宝……お前ら死ぬなよー」
「へい!」
ジローが締めた後、ペチャラは全員に買ってきたオレンジを振る舞う。
奇しくも、シシリー島で作られた作物だった。
その後、ロマーノ連合王国内で調査活動をしていたロバートの通信用水晶玉から、ある者の着信を知らせるゴットファーザーのテーマが流れたので画像を見る。
「集え選ばれし者達よ」
正体不明の白薔薇からのメッセージだった。
「チッ、調べ物してる時にめんどくせえぞファック野郎が。……こいつらっ!? ミスターデリンジャーとマサヨシの兄弟に報告せねば」
水晶玉でチャット画面が開かれ、異世界半グレのチート7が結成されたのと、勇者マサヨシとその仲間が白薔薇に懸賞金がかけられた事を、当事者の兄弟分とデリンジャーに、ロバートは報告する。
一方、ジッポンでは頭を剃髪した僧兵が、帝都中京からほど近い、石上灘波宮、通称如流頭大社に帰還する。
「開門せよ! 権律師十兵衛、帰参いたした! 無事、我らが如流頭に逆らう織部憲長を討ち取ったりいいいいいい」
門が開き、十兵衛は境内に進むと、堀でコイに餌を撒いていた、大僧正にして宮司賢如の前に跪く。
「ご苦労はん十兵衛。あのうつけ、いてもうたんやろ?」
「ははっ! 憲長討伐の証としてコレを、大僧正様に」
十兵衛は、皮で出来たバットケースのような袋から、古の合戦で行方不明になっていた三種の神器、一見して金属バットのようなアマノムラクモを両手で賢如に差し出した。
「おお……コレは……神の残された初代天帝の伝説の剣……アマノムラクモの御剣。で、でかした。でかしたで十兵衛」
感動に震えながら、賢如は両手で受け取る。
「原丙合戦にて消失したこの神器、憲長めは不法に所有しておりましたので、我が神社の御神体として剣を如流頭へ奉納し、奉り候」
「十兵衛、見事やった。旅の疲れもあるやろ? 風呂炊いたるさかい、神宮でゆっくりしてけ。明知十兵衛上人、大僧都よ」
「ははー! 大僧正様! 新たなる僧階、感謝御礼奉り候」
十兵衛は、三日前の事を思い出す。
三日前の十兵衛は、地下に作られた腐臭のするプールのような水牢に沈められ、糞尿を垂れ流す無様を晒していた。
「……」
神社勢力の賢如から、織部憲長ことイワネツの暗殺命令を受けて、織部の国に潜入した巳濃出身の明知十兵衛という僧兵である。
イワネツ暗殺計画は見事に失敗し、単筒式多根が島の射撃も、修行して身につけた術も一切通じず、圧倒的な暴力で囚われの身になった。
「こ、こんなはずでは。聞きしに勝る力だった。鬼だあの男……まるで魔王……人間じゃない」
すると、地下室の階段から足音がして、水の冷たさで震えるのではなく、恐怖で十兵衛は歯を鳴らして怯え始めた。
「よう、俺は優しいからよお。飯持ってきたんだ、お前に」
織部国当主にして、幕府より勇者の官位を授けられた織部憲長ことイワネツ。
前世で、史上最悪と呼ばれたロシアの盗賊、規律ある泥棒の中でも、皇帝の二つ名を持ったブラトノイ首領である。
イワネツは腐臭と糞尿漂う水牢に、握り飯を放り投げると、水面にバラけた米が十兵衛の周りを漂う。
空腹にこたえた十兵衛が、米粒ごと水を飲みこむと同時に胃の中身が逆流して、吐瀉物を吐き出した。
「お前この野郎、俺がやった飯を吐き出しやがって! ぶち殺すぞゴミ野郎!!」
水牢から一気に引き上げられた十兵衛は、イワネツに殴る蹴るの暴行を受ける。
自分は如流頭に仕える神官であるのに、神をも恐れぬこの男に殺されると、十兵衛は恐怖で思考能力が完全に奪われてしまった。
「おう、ゲロ野郎。俺様の命狙ったお前は、本来ぶっ殺す所だけどよ、俺の兄弟分になったデリンジャーが、殺しは嫌いだって言うから生かしてやる。ありがてえと思え」
「……神、如流頭と慈悲深き憲長公に感謝します」
イワネツは舌打ちして、うつ伏せで倒れている十兵衛の脇腹を蹴りまくる。
「俺に感謝すんじゃねえ! デリンジャーだろ阿呆が! それとニョルズなんてもういねえよ、俺がぶっ殺してやった」
十兵衛は意味がわからなかった。
神を殺す? 人間がそんな事できるのだろうかと、理解が追いつかない十兵衛に対し、イワネツは一瞬バサラ化する。
戦闘の際、相手から悪魔と言われていたから、自身の力を鏡の前で解放した時、本当に悪魔のように見えたことで精神的ショックを受けたが、逆にこの悪魔のように恐ろしいこの姿ならば、相手を恫喝する時や、恐喝や脅迫に使えると、彼は気持ちを切り替えたのだった。
「お、お、鬼だあああああああ!」
絶叫する十兵衛をイワネツは睨みつけ、魔力をほんの少し解放すると、水牢の水が一気に蒸発し、恐怖で十兵衛は正気を失いそうになった。
「そうだ、この力で神をぶっ殺してやった。お前、死んだ神に従うか、俺に服従するかどちらだ?」
神を超えるような男。
十兵衛は信仰心が崩れ始め、如流頭頼りの精神の均衡も崩れ出し、イワネツの下駄に縋りつき、己の舌を駆使して服従を誓うため、足袋をなめ回し始めた。
「きったねえぇ! 俺の子分共でもねえくせにボケナスが! 蹴り殺すぞ!!」
イワネツの足を舐める極限状態で、足蹴にされた時、この世界で生まれる前の遠い記憶を僅かながら思い覚ます。
浪人だった前世の十兵衛は、イワネツのような主君に取り立てられ、敬愛、いや崇拝する主君と共に、栄光を勝ち取る筈だった。
古今東西、これほど人間としての魅力に溢れる男はいないだろうと思いながら。
しかし年下の主人は、いつしか自分に付き従った家来を冷遇し始め、神のように崇拝される男から、神として崇拝させるような男に変わっていき、国の在り方まで変えようとしていたのだ。
十兵衛は、変貌していく主君から、いずれ自分も捨てられるのではないかと危機感を抱くようになる。
長年仕えた譜代の家臣でも、使えないとわかったならば、冷徹に追放するのも知っていて、同盟国の食事の席で不手際があり、皆の見てる前で主君から叱責され、罵倒され足蹴にされた。
その後、前世の十兵衛は遠く離れた戦地の援軍に向かうため、戦支度していた時、ある事に気がつく。
主君とその長男が警備が手薄な場所におり、他の家臣は遠く離れた戦地に赴いていて、かたや自分は主君のすぐ側にいて、一万以上の大軍を動かせる。
魔がさしたとしか言えなかった。
主君を殺した後の事など、全然考えがいたらず、神仏に祈りを捧げるも、主君が常日頃言っていたように、神仏などこの世に現れるはずもなく、人間の手で戦で民が死ぬ世を変えるのだと、言っていた主君の言葉を思い出して、強い後悔の念に駆られる。
十兵衛は領民に善政を敷き、民の事を思い、それが自分に力を与えた事を思い出す。
民のための国家形成の構想を描く最中、内心小馬鹿にしていた男の軍に敗北し、民を思った十兵衛は落人狩りの民により体を串刺しにされ、世の無常を感じながら魂が傷つき命を落とし、この世界に転生したのだった。
そして今の自分を足蹴にするイワネツの姿に、かつての前世の主君の姿を重ねる。
「上様に屈服を、帰順を。忍従し、従順し、屈伏し、あなた様に忠誠を尽くします。何でもします、あなた様に服従を! どうか私めを捨てないでください上様、レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ」
すると、何でもすると言った明知の言葉にイワネツは無表情から一転、満面の笑みになった。
「そうか、お前……俺に何でもしてくれるのか? うれしいぜ、何ていい奴なんだお前、このスキン野郎」
イワネツは縋り付く十兵衛を蹴り飛ばし、右手でアゴを掴み、引き寄せた。
「お前は、どこの誰で何という名だ?」
十兵衛は喋った。
巳濃の国で生まれ、幼少より神童とされ勉学に励み、10代で国主の佐藤道山に見出され、国の金で中京に留学。
その優秀さを神社勢力の大僧正、賢如に認められ、僧位を得て、側近の一人として仕えていると、イワネツに身の上全て話す。
「そうか、お前……ジッポンを陰で支配する神社の親玉の側近か。クックック、ちょうどいい。お前、いま何でもするって言ったよな?」
「ははー! 我が主君! のぶ……」
イワネツは、十兵衛に頭突きをくらわす。
「俺はイワネツだ。次間違えやがったら、ぶっ殺すぞ。俺は今から、甲亥と越狐って所に行って、奴らを屈服させてくる」
「おお……甲斐と越後攻略でござるか。この十兵衛、上様に付き従い、直ぐにも敵めらをこの手で」
日本語で呟く十兵衛に、何言ってんだこいつとイワネツは首を傾げ、アゴをむんずと掴む。
「お前は、俺を殺したって適当な事言って中京戻れ。そうだな……三日以内に奴らの神社燃やして来い。ただし人死には出すな、火をつけたら俺に知らせろ、いいか」
「ははー! この明知十兵衛光秀! 上様のためにお役に立ってみせましょう!」
こうして、勇者イワネツによる北朝制圧の布石が打たれて、イワネツは甲亥と越狐が合戦中の川中田島へと赴いた。
後編に続きます