第131話 歯車が狂いだす者達
ところ変わって、勇者イワネツ伝説の一つ、東條幕府倒幕が起きたジッポン北朝。
帝都中京からほど近い、建造から800年になる石上灘波宮、通称如流頭大社にて、ある男が目の前の光景に、思考力を失い絶望する。
「な……なんやあああこりゃあああああ」
北朝天帝家を影から支配する、緋色の衣を着た宮司にして、如流頭大僧正の賢如が、燃え盛る神社を呆然と見つめていた。
きっかけは10日前。
日が沈んだばかりの宮内の庭園で、大音響と共に水しぶきを上げた先の光景を見ると、顔面蒼白になって膝から崩れ落ち、今と同じように地面に両手をつき絶叫する。
本来、幕府が置かれた釜倉にある筈の巨大如流頭像が、石造りの要塞と化した石上灘波宮の堀に、逆さになって堀の池に突っ込まれた状況で、足だけ飛び出た状態で発見されたためである。
「わ、ワイら、た、祟られるで……」
「如流頭様の御像がなんてこと……」
「ありえへん、誰がこない罰当たりな」
髪の毛すべてを剃り上げた僧兵たちが、足だけ飛び出した如流頭像の祟りを恐れて、祈りを捧げる。
すると、一枚の書状がひらひらと賢如に落ちてきた。
賢如は如流頭に祈りながら、書状を手に取るとこう書かれている。
「拝啓紅葉美しく季節柄にて候。小生、松原元康あらためこの度、幕府征夷大将軍と相成った松平家康也。織部弾正中憲長殿を、勇者の官位を下賜して候。東條元将軍に在っては副将軍と相成りましたこと謹みまして帝様、奥の院賢如様へ沙汰を伝える次第にて候 天聞二三年神無月 征夷大将軍松平家康……」
松平家康の書状の横にはでかでかと、イワネツ見参と書かれており、賢如の顔に無数の怒りジワと血管が浮き出て、やや尖った耳は真っ赤に染まる。
なぜならば、東條将軍家が倒され、今まで聞いたことも無い武将、松平家康が朝廷や神社に無断で将軍となり、勇者と言うよくわからない官位が織部憲長ことイワネツに勝手に与えられたという事と、この如流頭像を投げ込んだのが、イワネツであるのを賢如は悟ったのだ。
「う、う、うつけがあああああああああ!」
賢如はイワネツに激怒し、どう誅すべきか陰謀を巡らせる。
「はっ!? せや、甲亥と越狐は健在やろが! あの強大な力を持つ二国の力であのうつけ始末せい! ほんでけったくそ悪いから、南北の帝のボン二人に年号を弘慈に代えろて言うとけ! はようせい権律師十兵衛!」
すると頭を剃り上げた賢如の秘書にして僧侶のサムライ、20代後半の十兵衛という僧侶は賢如に首を振る。
「大僧正様……実は甲亥の玄信権僧正様と、越狐の軍神とも不思議庵とも異名を持つ景虎めは……将軍家に義理は果たしたと、品濃の川中田島にて合戦を開始しようとしてるらしく……」
「やめい言うたらんかいっ! どいつもこいつもアホばかりや! 北朝幕府が倒されたんやぞ!! 如流頭様の御像にこんな所業、悪魔や。こないな事……ワシは悔しい! ウグゥ!?」
賢如は急激な血圧上昇で、発作的に胸を押さえて苦しみ出し、膝をついて過呼吸状態になった。
人生の歯車が狂い出したがごとく、彼の体に異変が起きていたのだ。
幼少より魔力溢れる天才として生まれるも、彼の体自体はそこまで強くはない。
如流頭に祈る催事以外は、中京貴族の公家衆と美食や美酒を嗜み、寝る間も惜しんで朝廷へ陰謀を企てていたためか、徐々に体を蝕む症状は、高血圧、内臓疾患や動脈硬化を引き起こし、まだ30歳にも関わらず、余命幾ばくもない体となっていた。
しかし賢如はまだ死ねない。
北方のエルゾ討伐の為、350年前に天帝の意向で設立された、原丙合戦の勝者である原家、後に東條家が簒奪した幕府が、勇者イワネツに倒されたことを意味し、次に倒されるのはイワネツが行った如流頭像を放り投げて倒すというパフォーマンスで明らか。
この国の権威である天帝家と、裏にいる神社を潰すという事。
「ならばこの十兵衛、手練れの忍び共を率いて、あのうつけを討ち取って見せましょうぞ」
「せ、せやな……ゼー、ゼー、ヒュー、こ、こなたの銃と魔法の腕前、こ、この賢如も認めておるさかい。あ、あのうつけ、い、いてまえ」
「ははー! この明知十兵衛、故郷巳濃佐藤家を滅ぼしたあのうつけを、必ずや!」
こうして、月夜の晩にイワネツに34度目の暗殺指令が下される。
しかしこの時、賢如は人生最大の過ちを犯してしまった事を、後に後悔する。
なぜならこの十日後、織部に放った刺客の十兵衛が、イワネツに絶対的な服従を誓い、勇者イワネツ伝説の一つ、中京如流頭大社焼き討ち事件の実行犯になった事に。
一方、魔女とも言われるヴィクトリー女王エリザベスが、ナーロッパにて異世界半グレ集団、チート7を創設した頃。
ジッポンより海を挟む、かつてこの世界の覇権国家と目されたチーノ大皇国改め、大幻ウルハーンでは、皇国公主の姫たちは毎晩国を簒奪したハーンと言う勢力に嬲り者にされ、遊び半分で矢の的にされる旧皇族や宦官たちが一晩で何人も死にゆく中、皇帝となったハーンの族長、アルスラン・ハーンが黄禁城にて野蛮な酒宴に興じていた。
チーノ大皇国北方には、長年かの大国を悩ましていた騎馬民族が多くの部族に分かれ、群雄割拠の様相であったが、それを制したのがハーンである。
主な部族は大きく分けてスクタイ、トゥールク、モンゴリーなど。
このモンゴリーは、東方のルーシーランドと長年関係を持ち、互いに王族間で縁戚関係を結ぶなど、徐々に資金的な面で多の部族を圧倒していき、モンゴリーの有力部族のハーンが草原を支配するに至る。
彼、アルスランはステップ気候の草原地帯で生まれ、やや長い耳と色白で黒髪。
獅子のようないかつい容貌に口髭を濃く生やし、ハイエルフよりも背が低くずんぐりとした体躯は、ドワーフとエルフの種族を組み合わせたような体躯をしている。
彼は父にして蒼き狼の英雄と呼ばれるジンギルより、蒼き狼を継ぐ男と部族を譲られ、母にスレイヴと言われたルーシーランド人の王族、アリーナ・イゴール・ルーシーを持つ、キエーブ王子のアレクセイとは従兄弟の関係に当たる男であった。
「皇帝陛下、キエーブのアレクセイ殿下より通信です」
狼の毛皮を被ったハーンの部下バトゥが、水晶玉を差し出す。
「むう、キエーブの兄者からの通信か。兄者、アルスランだ」
「アルスラン、そちらはどうか? 何か困ったことはないか? 従弟よ」
身を案じるアレクセイに、アルスランは鼻で笑い、まるで宝くじ当選のルーレットの様に磔にされ、回転する宦官の頭が射られる様子を見ながら、左手の盃を口に運び酒で喉を潤す。
「ない! 楽しませてもらっておるわい。兄者もこちらに来るか?」
能天気な従弟に、苦境に立たされているアレクセイはため息を吐きそうになるが、少年時代と同様、この男に兄らしく振舞わなければ、下に見たハーン達はキエーブを攻め入ると思い、毅然と通信に応じる。
「そうもいかんのだ、我が従弟よ。私には、お前達含め我ら民族救済の使命もある。それが無ければ、幼少時のように、お前と……もしも我が妹が存命なれば一緒に東方を巡ってみたいものだよ」
「……兄者はまだ、エカチェリーナの事を。なあ兄者よ、我らが幼少を過ごしたあの美しき日々は、もう戻ってこぬ。我らは男であることを証明するため、この世界の薄汚いヒト共を抹消するため、神オーディンの使徒の道を歩まねばならぬだろう?」
「……そうだな。それに、お前は病で伏せる、エカチェリーナに良くして貰った。感謝している」
通信先で、互いに100年前の幼少時代の思い出に二人は思いを馳せた。
小国キエーブは、南方にある草原の王国ハーンとの交流を深める。
互いに王族間の交流があり、アルスランは幼少期にキエーブで従兄妹と過ごした美しい日々を思い出し、盃を口に運ぶ。
キエーブ王女エカチェリーナ。
病に臥せりながら外の世界も知らず、従兄アルスランや兄アレクセイの耳から外の世界を耳にしながら、人々の幸福と安寧を願った少女にして、アルスランの初恋の想い人であった。
「エカチェリーナ、外の世界はいろいろな動物がいてな。僕は家畜に害をなす、こーーーんな巨大狼や人の身の丈の倍はある熊を、弓で射ぬいたんだ」
「すごいですわ、アルスラン兄様。エカチェリーナも、早く病を治して……お父様やお兄様、それにアルスラン兄様のお役に、けほっ、けほ」
咳に血が混じる病を患うエカチェリーナに、はちみつと家畜の乳で作ったヨーグルトの瓶を手に持って、彼女に会うのを何よりも楽しみにしていたアルスランだったが、エカチェリーナの病は進行する。
キエーブは、同族と思っていたノルド帝国に、精霊達の力でエカチェリーナを助けてほしいと通信を試みた。
が、アレクセイの父にしてキエーブ王イワンとアレクセイは懇願するも、雑種がわきまえよと差別的な発言と共に無視される。
一方チーノ大皇国に対しても、ハーンを通じて皇帝に書簡を送る。
労咳に効く薬の所望だった。
先進国家だったチーノ大皇国は転生者の医学者もいたのか、ペニシリンを作り出す事に成功しており、皇族や貴族たちが不治の病の感染症から救われたという話を聞き及び、薬の所望を申し伝えるも、帰ってきた返事はキエーブとハーンを侮辱する書面。
「薄汚い蛮族めは滅びよ」
皇帝からの返事である。
イワン王はヒトと精霊人に憤り、その時に脳の血管が切れたのか、チーノ皇帝からの書状を手にしながらばたりとその場で倒れた。
幸い一命はとりとめたものの、現在も王の間に置かれたベッドの上で起き上がる事も出来ず、世界を呪うような呪詛を唱え続けるだけの存在になり、アレクセイが世界に絶望する中、エカチェリーナは幼くしてこの世を去る。
そして吹雪の中、アレクセイはこの世界への復讐を誓った。
「復讐してやる……この世界の薄汚いエルフ達にも、ヒト共にも。この世から我が一族と民族以外の存在全てを、私が駆逐してやる!」
こうして、密かにモンゴリ―とキエーブに信仰されしオーディンが、世界を憎むアレクセイに目を付け、現在に至る。
「アルスランよ、我が従弟よ。実は私は、西方でエカチェリーナの生まれ変わりを見た。彼女は、ヴィクトリーと呼ばれる極西の王家の生まれであったが、あのエカチェリーナと瓜二つで優しい姫だ。私が潜り込んだ国はヒト種の王国でクズの集まりだったが、彼女は……私を守ってくれた」
「なに!?」
アレクセイはある出来事を思い出す。
自身の容姿を侮辱してきた騎士達に、ヴィクトリー簒奪の為に拳を握り締め我慢していた時の事。
「貧乏貴族の分際で、我らがマリー王女殿下に声をかけるな、母が誰かもわからぬ犬め」
「武勇名高きエドワード男爵も、数年前急逝したが、お主が跡目をとるため殺したという噂もあるぞ?」
「耳が尖って、亜人の合いの子かもしれぬな、この若造」
「然り然り、身の程をわきまえよ」
自身がジョージ王の暗殺を決意した晩餐会の時、騎士達に罵声を浴びせられ、世界を憎む己の心を爆発させようとした時、自身の急逝した妹に似たマリーが、騎士達から庇ってくれた記憶。
「そういう物言いは、私嫌いです。私の父の祝い事で、功があった騎士団長への侮辱は許しません! エドワード男爵に謝罪をどうぞ」
この一言でアレクセイの心は、王女である彼女に救われたのだ。
「エカチェリーナの生まれ変わりだと!? して、その王女はどこに!?」
「お前がいる東方の、更に東のジッポンと呼ばれる、蛮族どもの島に囚われている従弟よ。織部と言う国、織部憲長ことイワネツと名乗る悪鬼に」
アルスランは、壁に盃を投げつけた。
「兄者よ、ならばワシが奪い返す! エカチェリーナ、俺は……彼女を二度と死なせるものか! 兄者よ、良いな」
「ああ、エカチェリーナの生まれ変わり、マリー姫をお前が救ってくれ。お前たちへ不甲斐ない兄ですまぬ」
こうして西方進出を果たしたハーンは、バブイールとの戦線を維持して各地を蹂躙しながら、マリー奪還のために標的をジッポンのイワネツへ定めた。
通信を終え、ヴィクトリーの護国卿エドワードこと、ジューの商人達の首魁にしてルーシーランドの小国、キエーブ王子のアレクセイはマリーを思う。
「姫は……息災だろうか。あの野獣のような悪魔のイワネツに何かされ……くそっ! 神オーディンの遣わした女神、まるで役に立たん! そればかりか私を、我が民族を愚弄して!」
自身が信仰するオーディンへの不信感が日に日に増し、ナーロッパより、遠く東の果てジッポンにいると思ったマリーの身を案じる日々を過ごす。
そして、ジークフリードとも呼ばれる、伝説の英雄の魂が蘇ったロレーヌ皇国に対しても、不安が募る。
「あのフレイアの馬鹿女神が蘇らせた冷酷な男は、千年も前に起きたナーロッパの騒乱で散々我が民族を使い倒した。挙句、その後のやつの一族は我々をまた奴隷の身に落とし……なぜだ、私はこの世界のヒト共から民族を救うはずの、神の御子ではないのか?」
さらに彼を取り巻く謎の現象にも悩まされる。
一つは正体不明の白騎士の存在。
今は亡き、自身が暗殺をフレイアと共に実行に移したジョージ三世の甲冑に身を包み、大量のアンデッドを召喚した奇怪な現象。
配下の侍従に、極秘裏に調査させたところ、ジョージの自室に飾られていた甲冑と剣と盾も、行方不明となっており、前王の自室内を捜索させた。
すると日記帳が発見されたが、内容を確認させているが、この世界の人間が綴った文字ではなく、今まで自分も含めて見たこともない字で綴られていた。
それも、捜索前の前日前までの記録。
不安を覚えたエドワードは、日記帳を自室の鍵のかかった金庫に封印し、歴代王家や国家に貢献のあった人物が埋葬される、王都ロンディウム南西に位置する、ジークミンスター寺院の墓所を捜索させると、白銀の甲冑に包まれた王の亡骸を発見した。
つまり、エリザベスとマリーの父ジョージは、完全に死んでいた事を確認したという事。
「生きている? そんなわけあるか。まさか、彷徨う霊魂、幽霊? 馬鹿な、そんなものいるわけない。だが……」
エドワードはゴクリと固唾を飲む。
彼は時折、就寝時に金縛りに合うという現象にも悩まされ、ごく稀に夢に出てくる声にも悩まされていた。
自身の神オーディンの声ではなく、前王の声で、愛する娘達に何かあればお前を殺すという、呪詛にも似た呪いのような宣言。
その時の恐怖を思い出して、きっと自分に残る罪の意識か何かだろうと、頭を振って次の懸念事項を考えた。
次の懸念事項は、自分たちジューの女神と目されたワルキューレ達が姿を消した点と、ロキと呼ばれワルキューレ達からは破滅神と聞き及び、自身はオーディンと兄弟分と言っている謎の存在に魅入られてしまった件。
「あいつ……ロキと名乗る悪魔。女神達が破滅神と呼んでる存在。あいつはやはり悪魔で、それどころか、見たこともない連中がこの城で目撃されている。あの冷酷女のエリザベスは、一体全体、何を考えているんだ」
エリザベスの真意も掴めぬまま、直近の懸念事項について考える。
それは、ここ三日ほど前から起き始めた、大陸のジューの商人達の行方不明事件。
著名な商人達が、一人消え、二人消え、時には家族ごと消えるといった、まるで神隠しにでもあったかのように、大量に行方不明になっている。
最初は身代金目的の誘拐事件かとも思われたが、身代金要求や犯行声明らしきものも出ない状況。
自分達ルーシーランド人を取り巻く情勢に頭を悩ませ、エドワードはジューの商人と関係を持ち、ジッポン海で奴隷貿易を行う同族のエルゾ、越弧の植杉景虎に連絡を取る。
マリー奪還には、自身の従弟にしてウルハーンのアルスランだけでは不安だったため、この景虎に根回しをして、ハーンと景虎で織部を滅ぼす奸計を企てた為だ。
「久しいな、我が同胞の景虎殿。キエーヴのアレクセイだ」
通信が繋がると、女の喘ぐ声がした。
「よう、小僧? 久しぶりじゃねえかイワネツだ」
「!?」
「しかし越弧の軍神と言われるこいつが、上玉のズベとは思わなかったぜ、クックック、フフフ、ハーハッハッハッハア。俺のチ●ポに勝てる女なんかこの世にいねえからよ、楽しませてもらってるぜオラオラ。お前は越孤の軍神じゃなく、エッチ後の女に改名させてやるぜ!」
アレクセイは、心臓が動悸して恐怖で体が思わず強張る。
暗殺を依頼しようとしたら、なぜか暗殺対象が通信先に出るという意味不明な事態に陥ってしまったのだ。
「それとお前、まさかとは思うがジッポン北陸からハーン共を送り込み、この俺様をぶっ殺すつもりだったか? 盗賊なめやがって、ぶち殺すぞクズ野郎!!」
――全てばれてる……この男は悪魔だ。
エドワードことアレクセイは、同胞のエルゾもイワネツに調略されたと確信し、絶望した。
「殺してやる……私こそ、お前を殺してやるぞ悪魔め」
「あ゛ぁ? じゃあ早くやってみせろよ! お前とハーンとか言うゴミ野郎共々、ナニを切り落としてやって豚の餌にしてやるぜ。楽しみにしてやがれ豚野郎!!」
景虎の叫ぶような嬌声と共に通信が切れて、アレクセイは床に水晶玉を叩きつける。
同時刻、もう一人歯車が狂い始めた男が、玉座にて死期を悟り、自身のこの世界の息子の姿を思い浮かべていた。
「なぜワシは、あやつを跡取りにしなかった。よもやワシが前世と同じ過ちを犯すとは……アヴドゥルよ、我が優秀な王子」
老齢に差し掛かったバブイール王国の国王、ハキーム・ビン・カリーフ。
地球では大清帝国、いや歴代中華帝国一の名君とも言われた康熙帝、愛新覚羅玄燁の転生体。
彼は、10日前の事を思い出す。
処刑したはずの、この世界の皇太子にして息子だった、海賊鄭芝龍の転生体アヴドゥルと王国精鋭マリーク戦士団に、宮殿を囲まれた事について。
「よもや……生きているとは思わなんだぞ。この世界の息子にして、海盗倭寇」
「私の体は頑丈に出来てるのですよ。我が父にして前世の仇の皇帝よ」
王宮にて、再び彼らは対峙する。
国内は、大国ロレーヌと超大国ウルハーンに挟み撃ちされたため焦土作戦を展開するも、両国の物量に太刀打ち出来ず、王国民が虐殺され、精鋭イェーニチリーも物資不足で各地で敗北。
中華帝国歴代最高の名君と言われた、この国王ですら、打開策が思い浮かばず、頭を悩ます状況であった。
「飛虹か……」
「親父、いや兄上! この男を! 我らが前世の仇を取りましょうぞ!」
「黙れ愚息、いや愚弟か。国王陛下、この状況は我々に不利な状況、いかがいたしましょう?」
皇太子となった第一王子、ジャースィムこと李旦の魂が取り憑いた男と、前世の記憶が蘇った第二王子ウカーブこと、前世ではアヴドゥルの兄貴分にして、全てを奪われた李国助が、剣を持って国王の盾になる。
「李旦の老船首、いや皇太子殿下よ。私はあなたと戦いに来たのではない。このバブイールの民のため、陛下に許可を取りに来たのだ」
「ふむ許可とは?」
ハキームは、蓄えたあご髭をいじりながら、ジロリとアヴドゥルを見つめる。
「私は、もはや廃太子の身。王家には戻れぬのは承知している。ですので陛下、私に許可を。このバブイールを簒奪しようとする愚か者達へ、海盗の許可をいただきたい」
アヴドゥルこと龍は、国王に海賊行為の許可を取りに来たと申し立てる。
「海賊に堕ちるか……この世界の我が息子よ」
「陛下! 騙されてはなりませぬ。この悪辣な男は前世で私を!」
「住口!」
ハキーム王が中国語で第二王子ウカーブにピシリと言い、海賊許可を取りに来たアヴドゥルを、皇太子となったジャスィームが無言で見つめる。
「海賊よ、それでこの大バブイールは、守れるか? お前の力で守れるのか?」
「守れますな。私の力だけでは難しいが、陛下より王宮のラクダ千匹と、必要な物資があれば容易いかと」
李旦の魂が乗り移ったジャースィムは、アヴドゥルに憎悪の念を送る前世で自身の実子だった李国助こと、第二王子ウカーブに視線を移す。
「うむ、飛虹よ。そういえばお前は、前世における我らが船団の掟は覚えておるな? 争いが起きた場合は本来どうすべきだった?」
「是、老船首,解決陸上沖突」
倭寇一官党の掟、海上での船団員同士の争いは、上陸した港でお互い素手の殴り合いの決着をつける事を意味する。
「決着をつけよう。我が前世の息子、鄭芝龍。お前も良いな」
「はい、老船首にして父よ。そしてこの世界では私の兄上」
王宮の中庭で、アヴドゥルこと龍は衣を脱ぎ捨て、体重100キロを超える筋骨隆々の見事な裸体を晒し、二人の王子と対峙する。
白衣に身を包む二人の王子にアヴドゥルこと龍は頭を下げ、息を力強く吐き、腰を落とし、両掌をゆらりと廻す南派少林拳の構えをとった。
その圧倒的な覇気と、鍛え上げた肉体に、伝説の海賊の魂が宿った李旦ことジャースィム現皇太子からは、思わず驚嘆の声が漏れ、アウグスチン国助ことウカーブは顔面蒼白になる。
文武両道にして倭寇一の武闘派で鳴らした、鄭芝龍の鋼の肉体が、この世界で更に一回り大きくなっていたためだ。
「さあ、打架しましょう。老船首、そして兄貴。前の世界の争いも、恨みも、全て乗り越えたその先の、美しきこの世界の為! 今一度、俺は海賊に戻る!!」
立会人の様にハキーム王が見つめる中、龍は一瞬でウカーブに間合いを詰めて、右の崩拳を繰り出すと、顔面を打ち抜かれたウカーブを一撃で戦闘不能にした。
李旦の魂が乗り移るジャースィムは、龍の背後から抉りこむように腎臓がある背面に、衝撃が伝わるよう掌の肉厚な部分で、風の魔力が宿る掌打を打ち込む。
だが龍にはビクともせず、ジャースィムが間合いを離そうとしたが、技を放った右腕を掴まれる。
「ふふ、強いな飛虹よ。二刀を持たずともその強さ、飛竜のように舞い、猛禽の如く、一撃で獲物を仕留める男であった」
流れるように白衣の奥襟を左手で掴まれ、彼らの時代の日本の侍が得意とした柔術必殺の投げ、この世界のクマをも屠り去る、全体重を乗せた大外落としを繰り出す。
元々はバブイールのリュギュー相撲の横綱であった龍に、格闘で勝てる者などこの国にはおらず、確実に勝てるはずだった、毒を塗った短刀を持った集団での不意打ちでも結局倒せなかった英雄となりつつある男は、前世の因縁に結着を付けた。
全身の骨がへし折れて、もはや体が動かせなくなったジャースィムから手を離し、立ち上がった龍は頭を深々と二人に下げる。
「李旦老船首、国助兄貴、あなた達が正しかった。あなた達が目指した合法的な商いこそ、我らが向かうべき道でございました。私は、この世界であなたの遺志を受け継ぎ、貿易会社を設立します。私が目指す道は、人々が手と手を繋ぎ合う自由交易の道」
李旦が乗り移ったジャースィムは、ふっと笑うと魂が救われたのか、あるべき場所へと戻る。
そして抜け殻のようになったジャースィムは、元の魂に戻ると、全身の痛みで泣き叫び、のたうち回る醜態を見せた。
「陛下、お立会いありがとうございました」
ハキームこと前世では康熙帝と呼ばれた男は、今になって自身が下した処刑命令を後悔する。
目の前にいるこの男こそ、この国を担う王に相応しき男であったと。
だがしかし、今更自分の決定を覆す事が出来ず、断腸の思いでアヴドゥルこと龍に、王家からの出奔を認め、今の戦いの褒美として要求通り、空飛ぶラクダと物資を引き渡した。
「元息子にして海賊よ、貴様に我が国での海賊行為を認める事とする」
ハキーム王から踵を返し、力をと念じたアヴドゥルこと龍の体が光り輝き、着物がはだけると転生前に信仰した八幡神の入れ墨が背中に入り、砂漠の海を移動できる巨大な船が具現化する。
「再見……陛下、いや爸爸」
この世界の息子との別れを思い出したハキームこと、康熙帝は一人涙を流した。
自身の居城へ放たれようとしている、凶悪な魔力反応を感じながら。
「生まれ変わったこの世界で、最大の失敗を犯した。ワシは、前世と同様に息子を信じてやれることもできず、生を終えようとしている。もし次に生まれ変わったならば、今度こそ息子を信じ愛して……」
王都イースターの白と青を基調とする、大陸一美しいとされるトップカップ宮殿は、光に包まれて爆発四散し、キノコ雲が立ち上がる。
「で、殿下! 城と城下町には非戦闘民と無抵抗の王族が……」
「フェルデナントよ、覚えておくがよい。こういう戦では、殲滅を良しとする。下手に一族郎党を残せば、遺恨が生じるためだ」
ロレーヌの皇太子に乗り移ったジークフリードが、大量破壊魔法攻撃を行い、バブイール王国は二千年の歴史に幕を閉じた。
次回は主人公視点に戻ります