第106話 自業自得 後編
「クソ、憲長……やはり彼奴は人間じゃ無い。まるで悪魔……」
頭部から出血し、意識朦朧状態になった佐藤辰興に、両拳を握りしめ血管がメロンのように浮かび上がり、顔中が怒りジワだらけになったイワネツがゆっくりと歩み寄る。
「я убью тебя! Сука!!」
イワネツはロシア語で辰興の殺害を予告し、たいまつの篝火の光で当てられたその顔は、怒りで血管が収縮して青白くなった、まさしく悪魔のような顔だった。
「ひっ、来るな化物!」
辰興は、懐に隠し持った短筒式多根が島を構え、イワネツに魔力を極限まで高めて発砲する。
体に何発も浴びせたのに、怯む事なくゆっくりと着実に自分へ間合いを詰めてくるイワネツに、辰興は両手で印を結び、周囲の岩という岩をぶつける土魔法を繰り出した。
「土遁! 土竜撃」
しかし、一個一個の重さが数トンはあるだろう岩全てが、イワネツのチャクラで吹き飛ばされ、辰興は舌打ちすると、印を結び直して周囲を業火で包む。
「火遁、火炎竜」
周囲の炎のエネルギーをかき集めた辰興は、炎で出来た東洋竜を作り出し、イワネツを業火で焼き尽くそうとしたが、イワネツの繰り出す裏拳一発で炎の竜が消滅した。
「くっ、水遁! 水刃斬」
今度は境川の水を利用し、超高圧の水の刃でイワネツを両断しようとしたが、音速で飛ぶ水撃をイワネツは片手のみで受け止めて、握った水を地面にバシャリと握り捨てる。
「な、ならば奥義! 風遁、竜巻落とし」
辰興は複数の巨大な竜巻をぶつけて、風圧の魔力で捻り殺そうとするも、イワネツはものともせずに、真っ直ぐ拳を握り締めながら辰興のもとへ歩み寄った。
「そんなもんかよ……ああ゛ぁ? この俺と殺し合うんだろ? もっと来い雌犬!」
スーカ―という単語の意味は解らなかったが、その単語に魂の傷を抉られたように、傷を払拭するために目の前の織部憲長こと辰興の血が激流の様に上り、魔力を最高潮に高める。
「くそ……俺は負けんぞ! 俺は佐藤家当主! 蝮の辰興だ!」
印を結び直し、辰興は全魔力を両手に込める。
「絶技! 雷遁、稲光!」
辰興は蝮の道山が得意とした、必殺の術を繰り出す。
大気中の電子をかき集め、ギガボルト級の稲妻でイワネツの体を光速の落雷で打ち抜くと、地面が衝撃で爆ぜて大爆発を起こした瞬間、数万度に達したため、河原の砂利はガラス状になって溶け出し、熱気と風圧で辰興の体も吹き飛ばされそうになる。
「これならば……あの化物も……!?」
ギガボルトの直撃を受けるも、着物が少し焦げた程度のダメージしか与えられず、静電気で逆立ったイワネツの髪が燃えるように赤く染まり、口から高温に熱せられた唾液や胃液の水蒸気の煙を吐く。
「お、お、鬼じゃああああああああああああああ」
辰興は恐怖で絶叫し、魔族の血特有の瞳孔が爬虫類のように縦に収縮し、左手を着物の裾に入れて煙玉を出すと、地面に炸裂させて、透明化の魔法で姿を消そうとしたが、イワネツのボディブローが腹を貫通して、前のめりになって吐血する。
「……なんだよ、俺と同じ赤い血が流れてんのかお前?」
イワネツは、辰興の体を貫いた拳を開いて、腕を引いたと同時に、辰興の体内の臓物を握り、腸や胃、膵臓を掻き出すように引きずり出す。
ジッポン南北朝の戦いで、南朝側に印象付けた敵対する武将を一騎打ちで破った処刑方法のひとつであり、南朝側を恐怖に陥れ、臓物原、または臓物花などという血なまぐさい地名を残すに至ったイワネツ必殺の一撃。
イワネツこと織部憲長の生み出す恐怖の伝説の一端を担う処刑方法ではあるが、当事者のイワネツ本人は野蛮であると内心気持ちの良いものではなかったが、それで自分に歯向かうものがいなくなれば、これ以上流される血は少なくなることを願った、ある種デモンストレーションとも言える処刑方法だった。
「ぎゃあああああああああ!」
辰興は絶叫し、耳障りだと思ったイワネツは、懐から出した丸薬数個を辰興の口に突っ込んで、掌打をアゴに繰り出して丸薬を咀嚼させると、辰興の脳内と中枢神経に快楽物質が流れ出て、強烈な多幸感と陶酔感を覚えて、死に至るような傷の痛みも一気になくなり、むしろ快楽感に包まれる。
「効くだろ? うちの織部のケシ畑で作ったブツは? チーノやヒンダスに輸出予定の、イワネツ様特製、ロシアの雪の大地をイメージした最高純度のホワイト・ヘロインよ。これからお前の意識が続く限り、嬲り殺しにしてやるからよ? 楽に死ねると思うな」
ケシを原材料にしてモルヒネと呼ばれる麻酔薬を生成するのだが、これを麻薬目的で効果を高めたものがヘロイン。
その快感は、覚醒剤を遥かに超えて、オーガズムの数万倍の快感を伴うと言われており、臓物を抜かれた辰興は、視界が歪み意識を保ちながらも肉体と魂を切り離されたような陶酔感に包まれ、多幸感に包まれながら河原に膝をつく。
イワネツは、辰興の右肩を左手で掴み、右手で辰興の右手首を掴むと、引っこ抜くように右腕を千切る。
「あっあっあああああああああ」
絶叫する辰興の左肩を今度は右手で掴み、先程と同じように左手首を掴むと、今度は辰興の左腕を肩から引き千切ると、薬物の作用で血圧が一気に低下してるために、出血はある程度抑えられてたが、激痛と多幸感が交互に訪れ、辰興は気が狂いそうになる。
「にゃあああ、にゃああああああ!」
「うるせえぞ馬鹿野郎。今からお前の体をバラバラに解体してやる! 歌でも歌いたい、くそったれな気分だぜ! なあ!?」
イワネツが今度は辰興の左足に手をかけ、力を込めながら歌い始めた。
「収容所の窓際で♪ ヘロイン食ってヒゲいじる~♪ 雌犬共が跪き♪ 盗賊達の朝が来る♪ 今日も泣きたくなかったが♪ 涙が勝手にほとばしる~♪ シベリアに来たくなかったが♪ 盗賊はみんなそうしてる~♪」
イワネツが歌っているのは、ロシア民謡のチャストゥーシカ。
チャストゥーシカはロシアで19世紀末から大流行し現在も歌われている、短詩型の早歌民謡である。
その名の通り、速いテンポでアコーディオンやバラライカの伴奏に乗せて歌われ、軽快な踊りを伴うことが多いため、形式が簡単で短いため暗唱しやすく、即興でも作れるので非常に替え歌の生産性が高い。
革命、戦争、農村の集団化、冷戦、ペレストロイカ、ソ連崩壊後の混乱……とあらゆることを庶民の立場から歌いこんできたチャストゥーシカは、小噺の一種アネクドートと並んで、20世紀を代表するロシア・フォークロアである。
またチャストゥーシカの中には、踊りとも伴奏とも関係なく、むしろこっそり耳打ちされる歌もあったのだが、それは当局に知られると身の危険となる政治や社会を風刺した歌、そしてロシア語の‶豊かな″卑猥語や侮蔑語を用いた、笑いと自虐の歌である。
庶民の歌であるチャストゥーシカは、天下国家よりもごく身近な事柄を笑い、その中には現代ではロシア人にも理解しにくいソ連時代の様々な制度も見られ、このイワネツが歌うチャストゥーシカは収容所内で歌われた盗賊達の歌であった。
歌を歌いながら辰興の左足を引き千切った光景を、救援に駆けつけてきた佐藤家の家臣団が目にして、イワネツの恐怖で動けず嘔吐するものも出始め、ただその光景を見ているだけしか出来なかった。
辰興は死の恐怖の中、ふいに思い出す。
自分は、ジッポンに出回る多根が島では無い、ナガンと呼ばれる木の銃床と金属で作られたライフルを持ち、ナチと呼ばれた敵との大戦争で、戦果を挙げて少佐と称賛された記憶だった。
大佐とも呼ばれるようにもなったが、自分が所属する軍で派閥争いが起きて、軍籍を剥奪され収容所送りにされた先で、身の安全をはかるため元軍人達と徒党を組んだ時、盗賊集団に目を付けられる。
「お前みたいな雌犬が、ムショで調子こいてんじゃねえよ。ぶっ殺すぞ」
国の英雄と言われた自分が、こんな子供と背丈が変わらないような、二回り以上年の離れた無頼の小僧に舐められてたまるかと反抗したが、1発殴られただけで自分は昏倒する。
そして気がつくと、額の痛みと共に「Сука」と刺青が彫られており、犯罪者集団に取り囲まれ、将校と呼ばれた自分が、ありとあらゆる苦痛を受ける屈辱を味わった。
自分は何の為に、祖国を守って来たのだろうと自問自答した結果、失意のうちに収容所で自ら首を括って命を絶った、男の記憶を辰興は思い出す。
「俺はお前を知ってるぞ……俺の前の名前はウラジミール・イヴァノヴィッチ。お前に雌犬扱いされて死んだソ連の英雄で軍人だった。盗賊の小僧め、呪われてしまえ……」
両手両足をイワネツにもぎ取られ、臓物を掻き出された佐藤辰興は、ロシア語で呪詛の言葉をイワネツに呟くように言い放つと、イワネツの目の光が一切無くなり、辰興の頭を右手で鷲掴みする。
「そうか、じゃあまた俺があの世に送ってやる」
イワネツは辰興の首を左手で掴むと、首の肉や骨ごと握り潰し、右手でねじ切るようにして辰興の首を刈り取った瞬間、巳濃の家臣団は自身の新当主が惨たらしくなぶり殺しにされたのを見て絶望する。
イワネツと織部に逆らおうという気力などもはやなく、恐怖で片膝を地面につき跪いて平伏した。
巳濃佐藤家は御家断絶し、なんとも言えない虚しさを感じながらイワネツは刈り取った首を、道山と胡蝶の首が置かれた獄門台に叩きつけるように、乱雑に置いた。
「敵将討ち取ったりいいいい!」
風魔法を使い空を飛び、ヘルを連れて空から舞い降りた筆頭家老、平井長政が勝鬨を上げ、物悲しい表情をしたイワネツをヘルは見やり、傍らに立つ。
「業だわさ」
ヘルはボソリと呟いた。
「この世界でも、暴力や酷い犯罪をすると、その業が巡り巡って全部お前や関係した人々に返ってくるだわさ」
「ふん、俺は上玉の戦利品が傷物にされてぶっ殺されたから、見せしめに敵対する盗賊をこの手でぶっ殺した。この女は、俺が奪うべき巳濃強奪に利用させてもらっただけの、ただの売女……」
「嘘だわ!」
ヘルは、イワネツのその場で吐いた嘘を看破した。
冥界の裁判神としての力を失い、なぜ人間の心を時折意識を集中すれば読めるのかも、ヘルはわからないが、イワネツの心は、父親の急死後に情ができた胡蝶の死と、自分が認めた男の死、そして前世の悪行の因果がこの世界で顕著化し、彼の心が悲鳴を上げて壊れそうになっている事をヘルは見破り、冥界の裁判官としてイワネツの非道を糾弾する。
「お前はクズ犯罪者だった時の業が顕著化し、それでも強がりを言ってワルぶってるだけなのだわ! 盗賊と嘯く心の弱い人間がお前なのだわ! 人間界で極悪非道を続ける限り、お前にその業の報いが今後もお前を苦しめるかしら? 自業自得だわさ!」
「メスガキめ。俺は……こうするしか生きていけなかった……ソ連でも、このジッポンでも」
「暴力など使わずとも、生きていけた筈だわさ! お前なんかを勇者に選んだわらわが間違っていたかしら? お前の無軌道な暴力で殺された魂が、どれほど魂に傷を負って……」
イワネツはヘルに怒りの眼差しを向け、神に対する憎しみの炎を心に燃やす。
「だったらなんで、ソ連を神が救ってくれなかったんだ! 人が死んだ時にしれっと出てきて裁判をかけるだけが神か!? ソ連で好き放題した独裁者達の非道を放置するのが神なのか!? 俺や盗賊がいなかったら、裏の力が無かったら、ソ連はロシアに変わる事なく、ペレストロイカも起きねえでアメリキーとの核戦争で地球人類が滅び去っていたかも知れねえんだぞ!」
「それは……お前の国そのものが神を否定していたからだわさ。信仰の力が無いから……」
「俺たち盗賊は、神を信じてた! イスス、キリストを……聖母マリヤも! 入れ墨を彫って犯した罪の許しを請い、神にその日を生き抜けるように祈っていた! 盗賊だけじゃねえ、一般のカタギの奴らだっておふくろだって……神が救ってくれると信じてたんだ……ソ連から……」
二人は互いの意見が衝突し、その様子を周囲を警戒しながら弓を構えて平井は見つめている。
そして、イワネツの想いに平井はうっすら涙を流していた。
「そ、それはわらわ達ユグドラシルの担当地域じゃないのだわ! そんなのどうでもいいのだわ、人間達の親たる神を否定した者達の国なんてっ! わらわの裁きの対象になる人間共なんてどうでもいい! わらわの前にくる人間は欲望まみれ! 人間と言うのもおこがましいクズばかりだったわさ!! お前含めた、罪人達なんて虫唾が走るような畜生以下の犯罪者だわ!」
ヘルの物言いに、イワネツは激怒して振袖の襟を掴んだ。
自分の生き方は決して褒められたわけではなく、侮辱されてもしょうがないと思ったが、自分が裁判に携わった人間すべてを、いくら悪人だったとはいえ畜生以下と罵ったこの女神の物言いを、イワネツは許せなかった。
「お前っ! お前は神とか名乗ったくせになんて無責任さだ! 俺は……畜生じゃねえ人間だ。人間の親から生まれて、盗賊だったが俺は……人間だった。お前だって今は神の力失ってるくせに! ロキって親から生まれた……」
「わらわに親なんていないのだわ!」
ヘルは涙目になってイワネツの瞳を見返す。
「あいつのせいで母様が死んだ! あいつが神界で反乱を起さなかったなら……わらわはオーディンから冥界なんかに押し込まれずに。うっ、うぅ……そのせいで今まで世界を担当したことも無ければ、世界を導いたり女神らしいことなんてしたことないのだわ! 裁判以外神らしい事を何一つしたことも……外様の魔族出身の冥界神ですら世界を救って担当してるのに……わらわは一人取り残されてうああああああああああん」
ヘルは、自身の境遇と母の死の原因を思い出し、顔を伏せて泣く。
あの父親さえいなければ、自分はこんな境遇に陥ってなかったのにと。
自身を拾った上役の神が、自分を虐げてきたことも、そして冥界で人間の裁判をする以外は、自分が神らしいことを何一つさせてもらえなかったとヘルは涙した。
彼女が嘘をついていないことを瞳の色から察して、神の世界でも道から外れた悲哀を、イワネツはこのヘルに感じる。
イワネツは、実の親を否定する境遇で育った盗賊を、親方として幾度も見てきた。
自分と同様に親から虐待された者や、親が盗賊出身で世の不条理を見すぎて育った者、親を見下して自分こそが優れると自負した者や、ヘルのように親が犯した罪のせいで周りから存在を否定され、それでも表の社会で生きようとした結果、挫折して闇の世界に落ちてしまったもの。
このヘルは後者である。
その時、イワネツの首を獲ろうと神社勢力に雇われた被差別階級の忍者の一族、才賀衆の狙撃手がイワネツとヘルが言い争っている隙を突き、殺気を完全に押し殺し、多根が島を構えた。
境川から遠く離れた1里先から、撃ち下ろすようにして、引き金を引く。
しかし、これを察知したのが聴覚が発達したハイエルフのエルゾを遠い先祖に持つ、筆頭家老の平井。
狙撃手に弓を放つも、すでに猛毒を塗られた弾丸が発射され、目の前のイワネツを見やった。
「若! ごめん!」
イワネツを突き飛ばし、頭部を撃ち抜こうとした銃弾を、自分が盾になって庇い心臓を貫かれる。
「ってえな、爺や……爺や?」
口から出血して平井は満足げに笑うと、その場に崩れ落ちた。
「爺やああああああああああ」
イワネツは平井に縋り付き、絶叫する。
次回、勇者覚醒