第105話 自業自得 中編
勝鬨城内では、イワネツの目覚めを見届けた家臣団達が織部国の現状について会議を開いている。
イワネツこと織部憲長が死の淵から蘇って目覚めた事で、家臣団全員が勢いづいており、あとはこの場に当主でもあり、軍の最高指揮官のイワネツを待つだけの状況になっていた。
「イワネツ様が存命とあれば千人、いや万人力よ、例え雑兵共が何人いようが返り討ちにしてくれん」
「鬼髭殿の意見に賛同いたします。すでに我ら忍者部隊、フクロウ隊も情報収集にあたってるゆえ、いつでも反転攻勢に出られます」
「フクロウ殿の忍者隊がいれば、情報収集に問題はないでしょうが……しかし、周辺諸国の連合軍でありますと数が多いゆえ、我が国への侵攻ルートは複数個所となるでしょう。どのように兵共を配置すればよいか」
「一刻も早く対処せねば、拠点となる砦や山城も数で圧倒され、一度とられた城を取り返すとなると、かなり厳しい戦になるぞ」
しかし軍議は時間だけが過ぎていき、方針もなかなか決まらない。
この世界の織部軍の編成については、イワネツがロシアンマフィア組織を基にして形成したいきさつがあり、イワネツが作り出した組織は軍隊や日本のヤクザ組織とは少し違い、特殊な形態をとっている。
絶対的な権威が憲秀で、実質的な仕切り役が親方であるイワネツ。
筆頭家老の平井を相談役とし、その下はほぼ横並びの地位に付けた家臣団を幹部連合、旗本のような一般兵士を抱え、使いパシリの足軽のような見習い兵士が最下層となっている形態をとる。
一見するとピラミッド形態となるが、日本のヤクザ組織のようなピラミッド組織と違う点は、ピラミッドの枠組みからあえて外れ、一般兵士や幹部を装い、本当の身分を偽って組織の監査役兼イワネツ個人に忠誠を尽くす親衛隊を置いている点が挙げられる。
例を挙げると、幹部と兵士から裏切り者が出ないよう監視目的で、犬のニックネームを持つ前島犬千代ことニコライのような警備監査役が活動し、資金の流れを監視する会計監査役を算段に長ける器用な配下、鶏のニックネームを持つ丹羽住秀を置く形態をとっており、幹部である家臣の武将達独自が自由に活動できるように見え、その実はイワネツに金と情報と権限が集中する組織形態となっていた。
そのうえ織部軍は、圧倒的な強さを持つイワネツの武力あってこそのものであり、周辺国から虎とも呼ばれ、恐れられた今は亡き憲秀への判断も仰げず、肝心のイワネツは意識を回復してからと言うもの、憲秀邸にこもってしまった状況。
すなわちトップでもあり国の象徴たる憲秀が死に、実質的な親方であるイワネツの指示が仰げない以上、幹部連である武将達へトップダウンに指示を飛ばすものがおらず、内部監査役がいるおかげで組織瓦解が起きにくいものの、イワネツが前世で作ったロシアンマフィアの弱点が、モロに露呈した状況となってしまったのだ。
一刻も早いイワネツの軍議参加を家臣団が心待ちにして、全員がうな垂れる。
そして城に避難してきたアントニオは、イワネツが死の淵から復活して存命であると聞き及び、ロマーノ本国となぜか連絡が取れないのを不審に思いながらも、ジローの水晶玉に不敬ではあるがと思いながら直接連絡をした。
「何ーやんアントニオ! どうしたさぁー!」
「はっ! 王太子殿下! 織部国は周辺国家に包囲されて滅ぼされようとしてます! イワネツ公は死の淵から蘇りましたが、魔道船も港も攻撃され……私は織部国で孤立しました!」
「わかったん! 今お前もイワネツも助けに行く! 持ちこたえれー!」
水晶玉の連絡が切れたが、一か月がかりでジッポンまでたどり着いたのに、ロマーノ軍がどうやってこっちまで来るのだと、ジローが自分に気休めを言ってるのではないかと思ったアントニオは、通信に絶望する。
一方、本来は将軍家の東條と勢力争いをしていた副将軍家にして東海一の弓手と言われる、織部討伐連合軍総大将の三川今田家当主、エルゾの血を引く今田元網。
天帝からの勅命のため織部国討伐で周辺国は挙国一致し、元綱はやや尖った耳をピクピクと動かし、織部一の美男子とも称されるイワネツを絶対に手中に収めてやろうと、欲望をたぎらせて織部領、桶知多間にて陣を敷き、盃を片手に小姓達を侍らせていた。
彼は修道を好む、所謂ホモセクシュアルである。
「ふっふっふ、今宵こそあの憲長めをワシのモノにしてやるわい。北朝の中京宮廷でおうて以来、ワシはあやつに恋い焦がれておる。幾度もあやつの気を引こうとちょっかいをかけて来たが、なかなか焦らしてくれおるわい。しかしもう、辛抱たまらぬのじゃ。者ども、絶対に生け捕りにするのじゃ! 織部一、いやジッポン一の美男子、織部憲長を我が手に!」
今田元網は舌なめずりしながら、イワネツの姿を思い浮かべた。
同時刻、父の亡骸に縋りついて咽び泣くイワネツに、魔法の水晶玉に着信が入り、表示番号から胡蝶からの着信であるとイワネツは確信し、涙を着物の袖で拭い応答した。
「俺だ」
「久しいな、織部家新当主の憲長よ。父の代わりに巳濃の新当主になった蝮の名を継ぐ佐藤辰興だ。死にそうと聞いていたが息災で何よりである。貴様の妻になった愚かな妹、胡蝶の身柄を預かった。返してほしければ、そちら織部と我が巳濃の国境、境川の河原に来い。軍勢を連れてきても良いぞ?」
イワネツの生存が確認できた辰興は、彼が周辺国を自身が死に瀕していると欺瞞情報を流し、攻め入ってきた連合軍を領内に引き込んで、織部軍で殲滅させようとしているのではと思い、ならばイワネツを誘い出して自身の手で抹殺しようと奸計を企てた。
連合軍が攻めている中、辰興はこのままイワネツが指をくわえている性格ではないのも、聖徳神社に軍を率いて実力をアピールしたことで、辰興はわかっており、その知能と謀の実行力は、まさしく巳濃の蝮にして天才忍者。
蝮の子は蝮である事を、佐藤道山は息子の力量を見誤っていたのだ。
イワネツは、自分をなめられていると思い、瞬間的に血が上がり、父の死に目で涙している状況を邪魔したため、絶対にこいつを殺すと決めた。
そしてやはり自分は盗賊としてでしか生きられないと、怒りが頂点に達したイワネツは自嘲気味に笑い、巳濃の新当主になった佐藤との会話に全神経を集中させる。
会話から察するに、自身が認めたビジネスパートナー、道山からも国を奪い取り、自分の戦利品の女を盗み取った、自身と敵対する盗賊かつ厄介な盗賊という認識もすると、激しい怒りが冷たい怒りに変り、すうっと深呼吸した後で息を吐く。
「ほう? 毒蝮の道山から国を奪いやがったか。それに胡蝶は俺様の女だが、それを奪うとはいい度胸だ。お前死ぬ覚悟は出来てるだろうな?」
「くっくっく、腹が立ったか? さあ来い、貴様の死に場所を用意してやる」
通信が切れると、イワネツはため息をついて血管が切れそうなくらい激怒し、血流で血管が浮かび上がって色白な肌が真っ赤に紅潮した。
「このくそったれのジッポンは、俺にきちんとした親子の別れもさせてくれねえらしい。で? ショーグンの連合軍が俺の織部を、縄張りに足踏み入れてるんだよなあ、今田のチョールト野郎もよお。どいつもこいつもこのイワネツ様をなめやがって! ぶっ殺してやる!! 俺をなめてる奴らは全員殺す! 俺から奪い取る奴らも全部ぶっ殺す!! それがソ連時代から最強と言われた、規律ある盗賊の生き方よ、爺や!!」
「ははー! ここに!」
イワネツが呼びかけると、大広間のふすまを開けて家老の平井が現れ、その場に跪く。
「俺の部下連中は集まってるか!?」
「ははー! 城内でご当主様をお待ちでございます!」
「今から全員に命令を下す! 城に行くぞ!!」
勝鬨城の大広間にイワネツが姿を現すと全員が平伏し、織部木瓜紋が壁に掲げられた一段高い壇上の椅子にイワネツは腰かける。
「おう! 心配かけたなお前ら! これよりお前らに命令を下す、鬼髭!」
「ははー! イワネツ様」
「お前は司令官として兵隊共の指揮を執れ! 領民共を少しでも多く保護し、俺の織部に入り込んだショーグン諸侯連合軍のクソ共を皆殺しにしろ! 続いてフクロウ!」
「はっ! イワネツ様!」
「お前はニンジャを指揮して、展開してる敵幹部の暗殺を実行しろ! 手段は選ぶな! 続いてニワトリ!」
「ははっ!」
部下達全員に敵対者に対する抹殺命令を下す姿は、ソ連時代最恐最悪と呼ばれたロシアンマフィア・ブラトノイの首領そのものである。
そしてイワネツの組織には、今の織部もソ連でも共通する点がある。
犯罪組織間の抗争や軍隊同士の武力衝突に、普通は親分や最高司令官が直接最前線へ出向くことはないが、これは洋の東西どこも共通する事であり、大将が自ら出陣する事などは暗殺のリスクや、死んでしまった時の指揮系統の喪失からの大混乱が予想されるためである。
そして犯罪の実行は手足となる幹部が計画し、末端の者が実行に移す。
現代のロシアンマフィアももちろんそうなのだが、このイワネツは別。
イワネツは獄中やソ連市街地で行われた組織間抗争の時も、国営企業を恐喝する時も、ソビエト共産党高官の邸宅に強盗で押し入る時も、ほとんど全部自らが先頭に立って乗り込み、己の手で数々の凶悪事件を引き起こしてきた、個人ではソ連、いや世界最強とも言われた武闘派ヤクザ。
それが盗賊としての彼の生き方であり、これが盗賊の王どころか皇帝とも呼ばれた圧倒的なカリスマ性をイワネツに与え、ならず者だけでなく元軍人、元秘密警察、元オリンピック選手達が集まる。
皆がイワネツの圧倒的な力に魅了され、ペレストロイカ時代になると盗賊組織の戦闘力が一国の軍事力に匹敵し、ソ連の高官たちを圧倒的な暴力と資金源と恐怖で買収もしくは恭順させていき、超大国ロシアの政財界を陰で支配するとまで言われるロシアンマフィアが、ソ連崩壊後に誕生した経緯だった。
「巳濃の佐藤辰興は、俺を侮辱しやがったから直接俺が首を獲りに行く! 全員、わかってるよなあ!? 俺達に歯向かう奴らと織部をなめてる奴らは全員皆殺しだ! イワネツ一家全員でぶっ殺しに行くぞお前ら!!」
「ははーーーーーー!! 御意っっ!!」
もはや、イワネツのブレーキ役となった織部の虎こと憲秀もいない。
世界最強かつ最恐にして最凶最悪の暴力団と呼ばれたイワネツとその手下たちが、敵対勢力へ反転攻勢を開始し、城を出たイワネツの傍らに、犬こと前島犬千代と、怯えた顔付きのヒデヨシが現れる。
イワネツが生きていたと知り、あの時逃げなくてよかったと安堵する一方、犬千代がさっきの件をイワネツに報告しないか気が気でなかった。
「お゛い犬、お前は俺からの特別命令を下す! 織部黒母衣衆と赤母衣衆の特殊部隊を率いてイマダを暗殺しろ! 居場所見つけ出してあのホモ野郎をぶっ殺してこい! それか最低でも、三川の主要幹部殺すかさらってこい! いいか!」
「はい、我らが親方! あの辺の地理に詳しい猿も一緒に連れてきますね」
「え゛!?」
「え?」
ヒデヨシは絶句して犬千代を見るが、せっかくボスの役に立てるんだから一緒に行かないの?
と言った顔で犬千代はヒデヨシを見やった。
「さあ行こう、猿。大丈夫だって、オレ強いからさ。手柄たてに行こうよ一緒にさ、友達でしょ?」
ヒデヨシは、胃痛がしながら特攻服を身に纏い、イワネツは自分の五体に力をと念ずるが、ヘルが現れる。
「チビ人間、お前は父親の手紙を見ても、凶悪犯罪者であることを改められないのかしら? 理解が出来ないのだわ。その行いはいつかお前や近しい者に……」
「ふん、メスガキ、覚えておくことだ。女は化粧をすれば自分を変える事が出来るが、男と言うものはそう簡単に生き方を変えられない。俺は盗賊の生き方でしか自分を表現できねえ。だが、クズ何とかというドラゴンを退治した、ある勇者の姿を見た。このイワネツ様が魅了されるほどの輝きを放っていたから、俺はあの輝きを実力で奪い取る。皇帝と呼ばれた俺様にこそ、勇者の称号が相応しい」
小首をかしげるヘルにイワネツは、月夜を見上げる。
「世界救済と勇者だったか? やってやると言ってるんだ! 気に入らねえクソ野郎がいたら殴って奪う! 人間が人間として生きられねえ社会は俺がぶっ壊す! 単純な話だろ!? おい、クズ龍俺に力を渡せ!」
イワネツが自身の魂の奥にいる龍に命ずると体が光り輝き、垂直に宙を浮く。
「龍飛行」
イワネツはヒデヨシが作った特攻服を纏い、龍術の力で超音速の速さで空を飛び、強烈な殺意と怒気のチャクラを纏いながら国境の境川に急行する。
「ち、チビ人間! 勝手に置いていくなだわ。それに……一応わらわは忠告したのだわ」
「秀子様、私めは風の魔法を使えますゆえ、もし若の戦場に赴くのならば私が」
ハイエルフの末裔、エルゾの血を引く家老、平井がヘルに手を差し伸べ、二人はイワネツの後を空を飛んで追った。
一方の斎藤辰興は、イワネツを確実に殺すために配下の手練れの忍者達を完全武装で配備しており、その数、末端を入れて約1万8千もの手練れの忍者衆である。
「ふふふ、いかにあの南北朝の役で虐殺した化物とて、この数の手練れの忍者相手にはかなうまい? 軍を連れてくれば好都合じゃ。その方が彼奴等に深手を負わせられる。のう胡蝶そう思うだろ?」
「……」
目を閉じた胡蝶に微笑みかけた後、辰興は慢心しきって盃の酒をちびりと飲む。
聖徳神社の一件で、辰興は初めてイワネツを目にした時、恐怖を感じた。
言い知れぬような、魂に揺さぶりかけるような、恐怖の感情。
まるで生まれる前から、イワネツと言う男を知っていたような、言い知れぬ不安と恐怖が辰興の感情を揺さぶりかけ、絶対にあの男を殺さなければと脅迫観念めいた思いを抱く。
そして、あのイワネツからすべて強奪して国も命も財産もすべて奪い取ってやろうと。
境川上空にイワネツは到達すると、手に入れたばかりの龍術ですべて可視化し、岩や景色に偽装した忍者達の総数を数えた。
「1万、いや2万ってとこか? よくもまあ俺の命を盗むためだけにこれだけ集めやがったもんだ。が、俺をなめやがって、密集しすぎだぜ? これだから現代戦って奴を理解できねえ、この世界の野蛮な連中は困る。それに辰興って奴は口で言うほど喧嘩慣れしてねえな? 歩哨もただ隠れて待ち伏せするだけで、ろくに警戒してねえ。ソ連軍や南朝だったら上空警戒とかしてたからな」
イワネツは軍勢を一目見ただけで、辰興の戦闘経験の浅さを看破し、両手を合掌して、ロキから授けられた黄金の腕輪ドラウプニルの力も発動させる。
「俺は別に殺人鬼じゃねえが、見せしめが必要だ! 俺をなめてる奴らは全部ぶっ潰す!」
イワネツは宇宙空間に思念を送ると、炭素やケイ素を主成分とした直径数十メートルの隕石群の一つの軌道を変えて引き寄せる。
「彗星爆発」
上空の光に気が付いた忍者達は時すでに遅し、尾を引く光の玉が夜空で瞬いたと思ったら、一瞬昼間のように明るくなり、周囲の人間の内臓が破裂するほどの大音響と衝撃波と共に、生じた熱線で周辺の岩に人間の影が焼き付くほどの炎で、周囲が大火災を起こす。
境川沿いにいた複数の巳濃陣地の忍者が戦術核兵器クラスの威力の小惑星衝突で消滅した。
これにはいかに屈強な忍者集団であっても、この爆発には透明化や擬態化の魔法を解き、パニック状態となって逃げ出す。
イワネツは懐に入れていた二丁の多根が島式、魔力ライフルを取り出して両手持ちにする。
「てめえらは俺の拳を振るうまでもねえ! 失せろクソ野郎共!」
逃げ惑う忍者達に対して、AKライフルをイメージしたイワネツは、多根が島の一斉掃射を行い、次々に散った忍者集団へ銃撃を撃ち込む。
「オラァ! 出て来い辰興! イワネツ様が来てやったぞ! この俺をなめやがってクソ共め、皆殺しにしてやるぜ!」
などと言いつつも、イワネツはわざと取りこぼしを作り、重軽傷者が多数出るような攻撃を繰り出した。
なぜならば、この戦いで生き残りが出て自分の恐怖を語り継いでくれた方が、その後に巳濃を自分の縄張りに奪う事も容易であると思っているからで、暴力の恐怖があれば、その後の巳濃支配が容易となる事を、ロシアンマフィアのイワネツはよく知っているためだ。
「ぎゃあああああああああ!」
「お助けゔぁあああああ!」
「鬼じゃああああああ!」
イワネツの眼下の境川が忍者達の血で真っ赤に染まり、陣で油断しきっていた辰興は、大爆発が起きて陣周辺が焼かれた悪臭と、けたたましい銃声と悲鳴が響いていたため、辺りを感覚強化の魔法で見回すと、地獄絵図のような状況に恐慌状態になる。
「な、な、なんじゃああああ! これはあああああああああああ!」
絶叫する辰興と、巳濃本陣を見つけ出したイワネツは、一気に降下して辰興の後頭部に、飛び蹴りをくらわす。
「見つけたぞ阿呆!」
「ぬああああああああああああ!」
イワネツの蹴りの威力で、ジッポン人にしては長身かつ筋骨隆々に鍛え上げた辰興は、不意の一撃で昏倒してしまった。
「口ほどにもねえ雑魚め! さあて、俺の戦利品を奪い返しに来たぜっと」
魔法の印を結び、または手裏剣を投げようとする忍者達に対して、イワネツは多根が島の一斉掃射で皆殺しにすると、巳濃本陣を歩きながら忍者に銃撃を加えていき、松明が灯る祭壇で胡蝶と道山を見つけた。
獄門台の上に、首だけになって物言わぬ彼女と道山の姿を見たイワネツは思わず絶句する。
イワネツは無表情になり、胡蝶の首の髪の毛を撫でてやると額にジッポン語で雌犬と入れ墨が彫られていたが、これは転生前のイワネツもソ連の獄中でやった事がある暴力。
独裁者スターリンの死後、ソ連では行き過ぎた死刑制度を見直す動きがあり、よほどのことをしない限りは死刑にはならないようにはなったが、やはりソ連人民にとっては強制収容イコール死を連想させた。
社会から隔離され、凶悪犯ひしめくグラーグと呼ばれるソ連の強制収容所では、不衛生と栄養失調、囚人間や看守の暴力など、獄中死が毎月十人以上出るような劣悪な環境下であり、弱くては生き残れない弱肉強食の世界である。
その収容所を牛耳っていたのが、盗賊と呼ばれる帝政ロシア時代から続く悪徳集団かつ、ロシアンマフィアの原点。
彼ら盗賊達にとって、刑務所こそが学校であり家でもある。
これら盗賊達を取り仕切るのが親分総会制度と言われ、頂点に立つ盗賊の親方と認定された場合、帝冠式として、刑務所で八芒星の刺青を胸に彫られるのだ。
この制度は刑務所内で誕生し、スターリン時代にソ連全土の盗賊組織を横断する共通ルールを設け、団結を図り利益を守り共倒れを防ぐためのものであり、日本のヤクザ組織的に言うと親睦連絡組織といったものに近い。
イワネツはソ連時代、親分総会制度により、30代前半で自他ともに認められる盗賊の親方であるとの称号を得て、ソ連崩壊までに5回も強制収容所に入る。
シベリアの極東マガダン収容所送りになったことも二度あるが、刑務所の中からソ連全土の犯罪者たちに指令を飛ばし始めるなどしたため、手をこまねいたソ連当局から釈放になったりを繰り返していた。
そして敵対組織の盗賊達はイワネツに文字通り、ミンチにされるまで殴られるなど、収容所の中でも暴力の嵐が吹き荒れ、結果イワネツは中で69回も規則を破り、35回も懲罰房に送られ、16回も独房房に入ったが、死刑のおそれがある殺人罪で立件される事はなかった。
なぜなら収容所の所長が、イワネツが立件されれば、自分が殺されるか所内で大暴動が起きる事を恐れたため。
収容所で暴動など起きた場合は、自分が当局から粛清されると思い、刑務所内で毎月起きるイワネツ絡みの殺人を揉み消していたと言われる。
次第に刑務所内におけるイワネツの威光は凄まじいものとなり、ペレストロイカ時代5度目の収容所入りの時は、雑居房などではなく、刑務所離れにあるテレビ付きの自室が与えられ、囚人はおろか看守も絶対服従となり、影の所長とまで言われた。
また、イワネツが来たと知ったソ連当局と繋がり、共産党に忠誠を誓うような盗賊達、例えば胸にスターリンやレーニンの刺青を入れているような者達は、保護を求めて自ら独居房入りを申し出る。
なぜならばイワネツに見つかったが最後、当局と繋がる雌犬の烙印を押されて、額に屈辱的な刺青を無理矢理彫られるか、殺されるためだ。
そして、前世でこのような暴力で敵対相手を殺してきた事を、胡蝶の首を見て思い出し、前世の行いが今の自分に返って来ているのだと、イワネツは悟りに至る。
道山と胡蝶の首に向けて、魔法で刺青のインクを消してやり、胡蝶の首を抱きしめたあと、獄門台に戻す。
イワネツは目に一瞬だけ涙を浮かべ、起きあがろうとする佐藤辰興を、憤怒の表情で睨みつけた。
後編に続きます