第103話 九頭龍大神 後編
イワネツが啖呵を切ると、最初に目覚めた鍾乳洞の洞窟に場面が切り替わる。
この鍾乳洞と泉は、ドラクロアの未練の光景。
神々と勇者の戦いに瀕死の重傷を負い、体力を回復するために訪れるも、自身が作り出した世界と子孫達から否定された、未練の残る竜の泉を模した精神世界。
一方イワネツは、自分が前世で下に見ていた日本のヤクザ、清水正義が転生した勇者マサヨシの輝きに魅了されていた。
地球世界の裏社会で伝え聞いていた、狡猾で凶暴にして金の事しか頭にないような極悪なヤクザが、自分が魅了されるような美学を持ち、目の前にいるドラクロアの悪徳の世界を盗み取り、人間としての生き方や人間の素晴らしさを非情な世界で訴える姿と、暴力と悪徳の世界を素晴らしき世界に変えていく過程と、勇者としての生き方に、一人の男として感銘を受けたのだ。
ロシアの格言の通り、‶心が心に知らせを伝え”イワネツの瞳を変質させる。
死んだ魚の目を通り越して、社会を憎んで絶望したようなブラックホールのような瞳に一筋の光が灯り、目の前にいるソ連共産党の独裁者を越えた暴虐と悪徳の魂の主に、イワネツの魂に激しい怒りが沸き起こり、チャクラの力が光り輝く。
清水と言うヤクザにできて、自分には出来ない事はないと。
人の社会と生き方を否定するような、吐き気を催す巨悪に自分も立ち向かい、男として格好をつけたいという想いを、国は違えど勇者の思いを理解したイワネツは、ドラクロアと対峙する。
「貴様、ワシの魂を盗むだと!?」
「ああ゛ぁ? 聞こえなかったかクソ野郎! お前の全てを盗んでやるぜ! くそったれ!」
ドラクロアはまた右手を引き寄せられて、イワネツ怒りの左ボディブローがみぞおちに抉り込まれるように炸裂した。
「お前の人生、随分ぬるい人生だなあ? 甘やかされて育って、圧倒的な力を持っていやがったから、シミズ以外にもこんな追い込みなんか、かけられた事なんてねえだろ? 強制収容されたり、体にAKライフル撃ち込まれた事あるか? 隠れ家を爆弾で吹っ飛ばされた事は? お前なんて生まれてこなければいいんだなんて言われたことはあるか?」
握った右手をパッと離して、何度も何度もドラクロアの腹に、両拳のボディブローをイワネツは繰り出した。
「俺はあるぜ? 何度も何度も民警や、軍に、敵の盗賊に、そして地球史上最悪国家のソ連と、社会の不条理と戦い続けたからなあああああ」
海老のように背中を丸めたドラクロアの金髪をイワネツは左手で掴み、目の前の泉に彼の頭を突っ込むと、左手でドラクロアの髪を掴みながら、人間で言うと腎臓がある背部、腰の位置へ右拳で何度もパンチをくらわす。
ドラクロアは生前の魂を象り、身長も魂の大きさも大人と子供のような体格差なのに、ドラクロアは目の前のイワネツの、暴力と気迫に圧倒されてジタバタと抵抗する。
イワネツの魂にもダメージが入るが、強烈な怒りと殺意に龍の神と呼ばれた男は恐怖し、彼の体を選んだのを後悔する。
そして彼の魂奥底に眠る、チャクラの源の光の輝きにも恐怖し始めた。
「や、やめろ! 貴様の魂も滅びるのだぞ!? なぜだ強者よ、なぜ貴様はワシを拒絶する!? 貴様だって力を信奉しておるだろう! 力こそ法! 力こそ正義! 力こそ真理よ!」
信念も理念も無い、力を高めることでしか己の価値を見いだせない男に対し、イワネツが今度は両手でドラクロアの金髪を掴み、足払いをかけて洞窟に転がしたあと、全力で蹴飛ばした。
「何を当たり前の事を言ってやがんだゴミ野郎! 俺が強くてお前が弱い! 俺が正しくてお前がクソだ! 何も間違ってねえだろ!?」
イワネツは魂にダメージを受けながらも、何度も何度もドラクロアの体を蹴飛ばし続けた。
「だいたいシミズに負けた負け犬風情が、このイワネツ様に上から物を言うのがおかしい! 皇帝と呼ばれた俺の面子を立てながら、地べたに這いつくばって懇願するんだろうが! イワネツ様、自分のようなクズめの力を授けます、よろしければ是非とも使ってくださいって、頭を下げるのがお前の正しい行いだよなあ!? クソ野郎!」
ドラクロアは龍の神、龍の大帝、龍の王子と周りから言われておだてられ、崇められ、恐れられて生きてきたため、屈服を拒否してイワネツを睨みつける。
「なんだその目はゴミ野郎!」
イワネツは、仰向けに倒れたドラクロアの顔面を思いっきり踏み抜いた。
イワネツの魂にダメージが入るが、チャクラの光がさらに激しさを増し、彼はもっと力をと念じる。
「強いのは良いことだ、だが賢明なのはなお良いことだ。帝政時代の偉大な劇作家が残した言葉よ。そして賢明さが信念を生む!」
何度も何度も自分の顔面を蹴り飛ばすイワネツの暴力性とチャクラの光に、ドラクロアは歯が立たず、ついには光り輝く龍の姿へ魂を変質させた。
普通の龍より体は小さく、人間より一回り大きい程度の体躯だが、9つの竜の頭のようなオーラを纏い、その力は神々を超え、あらゆる次元世界で無敵の力を持つドラクロアの最終形態。
勇者や神々でも恐怖する戦闘形態を取ったドラクロアだが、その姿にも臆する事もなくイワネツは間合いを詰める。
「お前には信念も理念もねえ! 信念も理念もない者は人間じゃねえ、未熟なガキか畜生だ! ロシアじゃその辺のゴプニクですら、一丁前に己の信念を語るのに、お前には何もねえ!」
龍と化したドラクロアの顔面に、近年における異世界ニュートピア最大規模の戦い、ジッポンの南北戦争において、イワネツは軍竜を屠ったように拳を何度も叩きつけた。
「お前が負けたのは、俺の前の世界でカスみたいだったシミズが、俺を魅了するほどの信念を持ったから、お前は出し抜かれたんだ! 信念を持つ人間の力にっ!」
拳を打ちつけるイワネツを、龍と化したドラクロアは、大口を開けてイワネツの体を頭から噛み付いて呑み込む。
「何が信念だ、力こそ全て解決する。あのヤクザが言ってたように仁義の事か? 愛情とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする! そしてその恐怖がワシに強さを生む!」
ドラクロアの物言いに、イワネツの怒りと憎しみが最高潮に達っする。
奇しくもドラクロアが発したのは、史上最悪と呼ばれた独裁者、スターリンの残した呪詛の言葉であり、イワネツは巨悪を前にして自身に念ずる。
この最低最悪の規律のないクズを屈服させるため、自分に清水正義のような勇者の力を、強き光を与えろと念じた。
ソ連の惨状を放置していた神などではなく、己が最も信じて頼りにしている五体と魂に念じた時、イワネツの魂を口に入れて飲み込んだドラクロアは、これで彼の魂を掌握したはずだと思ったが、閉じた口が光り輝き、一気に光が爆ぜて中からイワネツは飛び出してお互い目が合う。
イワネツの、虚無を感じさせる漆黒の瞳に灯り出した、人間としての光の輝きと、あらゆる魂を裁いてきた冥界の女神ですら恐怖する圧力で、ドラクロアの魂は恐怖でガタガタと震え始めた。
「なんだ? 恐怖が力を生むんじゃねえのか? おい、他になんかやってみろよ? お前強いんだろ? このイワネツ様に対して足掻いて見せろぉっ!!」
「ば、ば、化物がああああああああ」
ドラクロアがもう一度イワネツの魂を喰らおうと口を開けた瞬間、カウンター気味に繰り出したイワネツのパンチが光り輝き、エネルギー弾のようにオーラが射出させると、ドラクロアの魂が大爆発を起こす。
「人を化物扱いしやがって、お前が化物だろうがクソったれ野郎! 負け犬野郎が!」
イワネツが連続で拳を振るうと、その度にオーラの光が撃ち出されてドラクロアの魂を圧倒していき、イワネツの雑に後ろに縛ったポニーテールのような黒髪が、結び目が解けて一気に逆立つと、真っ赤に光り輝き、白い肌がさらに青白さを増し、絶対強者だったドラクロアが恐怖するような容貌にさらに変わっていく。
「おかしい! 貴様の魂には何かいる! なんだんだ貴様は!? なんなんだああああああ」
9つの竜の首のようなオーラがイワネツの魂を封じて、ドラクロアは渾身の力を魂に込めて爪で引き裂くも、イワネツの魂にはもはや傷一つつかなくなった。
「盗賊だ! クソ野郎!!」
イワネツはまとわりつく竜の顔を両手で掴み、片っ端から思いっきり頭突きを繰り出すと、9つの竜の頭のオーラはぐったりして消え去った。
「ちょうどいい機会だ化物、お前に俺の信念を教えてやろう。力は手段であって目的じゃねえ。俺の信念と目的はな、盗賊の掟に基づき、気に入らねえクソ野郎がいたら殴って奪う。気に入らねえクソ野郎ってのは、お前みたいな規律も信念もねえゴミだ!」
さらにイワネツがドラクロア本体に頭突きを入れると、魂の痛みでドラクロアが絶叫する。
「人間が人間らしく生きていけず、人間の生き方を否定する社会も! それを生み出す奴もゴミだ! 俺の生まれたソ連も、この生まれ変わったジッポンも!」
溢れ出るチャクラが臨界点を超え、イワネツの魂が源流へと遡り輝きを増す。
かつて最強の肉体を持っていたドラクロアであるならば、目の前の男など恐るに足らぬ存在であったが、無間地獄で憔悴しきり、魂だけのエネルギー体となった彼は、イワネツとその奥底にいる源流に心の底から恐怖する。
「き、貴様の中にいる魂は……に、人間じゃない! 貴様は一体、一体なんなんだ。ワシが手も足も出ず、尻尾も動かない! なんなんだ貴様!」
「俺は人間だあああああああ!」
ドラクロアの魂と接触して、イワネツの魂の源流がさらに人ならざる姿に光り輝くと、彼にソ連時代ではないどこか別の記憶を、うっすらと断片のようなものであるが思い出させた。
その世界は、太陽の光も存在せず、空の大気は強烈な放射線が差し込み、大地は汚染されて荒涼とする最低の環境で、生物は魂の循環すら入れてもらえず、全ての尊厳を奪われた、力こそ全ての愚かで最低の世界。
その世界で、全てを憎んで全てを暴力で壊してきた男の記憶。
「魂を、想いを、尊厳を奪われた悲しみや怒りは……どこにぶつければいい! それ即ち「天則」・「理法」也! 法と律こそ人が歩ととして生きる証也! 人の生き方を、生きとし生ける者の愛を、尊厳を奪うものはこの俺にひれ伏せ!」
イワネツは、魂の奥底に眠る何者かの導きによって、両手を組むと、光り輝くチャクラのエネルギーを収束していき、悪しきを滅ぼす光の光線を、ドラクロアへ炸裂させた。
イワネツの魂の源流に潜む者は、いつしかその最低の世界の暴力も虚しくなり、魂の救いを求めてその世界から逃れ、逃げた先の世界で人の優しさと愛の光に触れ、人間を守護するために全ての世界の不条理を破壊しようと決意し、魂が変質して長い時間をかけて人間の世界を彷徨った男。
その光をイワネツは放つ。
「俺は皇帝だ! どこの世界でも俺は皇帝だったぁ!」
イワネツの右拳の魂がダイヤモンドの様に変質して光り輝き、渾身の力を込めてドラクロアの顔面を粉砕すると、元の人間の姿になったドラクロアは、土下座のような姿勢を取りガタガタと魂を恐怖で震わせる。
「いやだ、もういやだ。こんな生き物今まで見たことない、まるであのヤクザと名乗った勇者がとった形態変化のような……いやそれとも違う……もう嫌だ……ワシを許して……」
自身が敗北した勇者マサヨシや、神々に追い込まれた時でさえ恐怖したことが無かった絶対強者のドラクロアが、プライドをかなぐり捨て命乞いをする。
頭を下げたドラクロアに、追い打ちをかけるようにイワネツは連続で頭を踏みつけた。
「俺に平伏して服従しろっ! 俺をなめるなゴミクズ!!」
もはや抵抗する気も失せたドラクロアは、イワネツの魂の源流に完全に服従し、怯えながら光に取り込まれていった。
「俺が必要と思った時にだけ、お前の知恵と龍術とやらを授けろ! じゃねえとお前の魂をバラバラに引き裂いて粉みじんにした後、俺の庭に撒いてやる。いいか!?」
「……はい、服従します」
こうして、別の異世界で勇者マサヨシに敗北して地獄に落ち、元女神フレイアの悪意によってこの世界に召喚された絶対強者の九頭龍大神ドラクロアの魂は、地球世界最悪の暴力団犯罪者、ロシアンマフィア・ブラトノイ、規律ある泥棒の皇帝と呼ばれた男、勇者イワネツの下で活動することになった。
すると、意識の向こう側でイワネツをチビと連呼する少女のような声がする。
「チッ、うるせえメスガキが。多分ここは夢の中だろうから早く目覚めねえと。起きたらあのガキ、頭引っ叩いてやる」
イワネツが呟くと目の前の鍾乳洞の光景が暗転し、瞼が開いた。
「若あああああああ!」
「イワネツ様!」
「もうダメかと」
「よくぞお目を覚ましてくださった!」
目を覚ますと、寝室の布団でイワネツは目覚めて、家臣団が次々に布団に縋り付く。
「おう、ただ悪い夢から目覚めただけなのに、これは一体なんなんだ爺や?」
イワネツが体を起こして、老家臣の平井に呟くようにして理由を聞くと、平井はその場で涙を流して平伏した。
「若……いえ、ご当主様はこの10日間、ずっと眠りについていたのです。昏睡しており呼吸も弱々しく、心の臓も脈も止まりかけておったのです」
「な……んだと? この俺様が?」
「織部家ご当主様、心してお聞きください。前当主のお館様が……憲秀様が逝去されました! そして周辺国家はご当主様も死にかけてると知り、この織部に北朝国家全てが包囲網を敷き、織部が……織部がああああ」
イワネツは、平井の報告に耳を疑う。
こいつは一体、何を言っているのだと。
「今、お前なんて言った? 親父殿が死……嘘だろ……。おい! 周辺国家全部がうちを一斉に包囲だと!? わけがわからねえぞ! あいつら協調性なんかまるでなくて揃いも揃っていがみ合ってたじゃねえか!」
「若、いえご当主様ああああああ、この織部は神たる如流頭を否定する国として、将軍家東條と神社勢力の賢如が結託し、北朝の天帝も賛同して、織部はこのジッポンで賊国と相成りました! このままでは、もはや我々はジッポンで生きて行けませぬううううううう」
「な、なんだあそりゃああああああ」
イワネツがドラクロアの魂と精神世界で戦っていた間、体は10日間も昏睡状態にあり、その間にこの世界の父である織部憲秀が病死し、イワネツも病に伏して死にかけていると、周辺国家に知れ渡った結果、この織部は戦国の世に倣い族滅の危機に瀕していたのだ。
「お゛い! そういや許嫁とかいう俺の女にした胡蝶もいねえぞ!? どこ行きやがった!? あの女逃げやがったか!?」
「も、申し訳ございませぬ! 許嫁の胡蝶様は、置き手紙を残され、自分が巳濃国を説得すると二日前に織部を離れてえええええ! この平井、ご当主様に面目がたちませぬううううう」
イワネツは、現状に理解が追いつかず、転生前に服役した数年後、自分の預かり知らぬところで組織と官憲が裏取引した後に釈放され、雪が積もる曇天のモスクワ郊外に、官憲からいきなり放り出された感覚に陥る。
例えるならば、刑務所から一般世界にいきなり放り出され、自分の判断で物事を考えられないような、いわゆる刑務所ボケの症状に似ていた。
「なんだよそりゃ……俺がいねえ間に、どうなってやがんだよ織部はよお。そうだ、メスガ……じゃねえ、俺の妹はどこだ!?」
「憲秀様の霊前にて秀子様が、妹君はおられます」
イワネツは家臣の平井に連れられて、憲秀の屋敷まで赴くと、30畳ほどある大広間で如流頭に祈祷する神官達が囲む布団から顔を出して物言わぬ父を見る。
白い死装束に身を包んだ織部憲秀の亡骸を見たイワネツは、この世界の父が死んだ事に理解が追いつかず、膝から崩れ落ちながら自分が置かれた状況に絶望し、両掌を畳について涙を流した。
次回からロシアマフィアの彼に受難や不幸が続きます。
前世で好き勝手したツケが一気に回ってきて、極限まで追い込まれ、鬱展開になりますがどうかご容赦を