嘘とエッセイ#2『砂漠』
小学生のときに、自分の名前の由来を聞く授業があった。母親が言った。真っすぐな人に育ってほしい、と。人を憎むことなく。自分を蔑むことなく。世の中に必要とされる人間になりなさいと、そう教えられてきた。
振り返ってみる。足跡は嫌になるほどはっきりと残っている。右に左に蛇行していて、私の心根を表しているかのようだ。飽きやすい性格もあるのかもしれない。極めて楽観的な言い方をすれば、好奇心旺盛とも言えるだろう。
だが、真人という名前は私を鎖のように縛り、軌道修正を余儀なくする。真っすぐ歩くことができなければ、両親に報いることができない。精密な呪いだ。
もう一人の自分が叫ぶ。現状に甘んじていてはいけないと。変わらなければならないと。唆されるように足を動かす。踏みしめる砂はスニーカー越しにでも熱い。どうにもならない。長靴を履いてくればよかった。
熱さを感じるのが生きている証拠なら、私は感じなくていい。日に焼かれるような痛みも、喉がひりつくような苦しみも感知しなくていい。
小石にでもなって、川を流れて擦り減って、最後は目に見えない砂粒になる。堆積していって地層の一部になる。百億年ぐらいすれば考古学的に意味を持ってくるだろう。だけれど、そのとき人類はとっくに滅亡している。地球は太陽に飲み込まれ、ただでさえ広大な宇宙は、今とは比べ物にならないくらい膨張しているに違いない。
宇宙の果てを想像しながら、私は歩く。燦燦と照り付ける太陽は、まるで自分を中心に宇宙が回っているような不遜さだ。銀色に輝く独楽の心棒みたいな。唯我独尊といった表情で、私を虐めている。
雲が出る気配は微塵も感じられない。たぶん乾期なのだろう。誰に教えられたわけでもないのに、肌感覚で分かる。人間の触覚というのはなかなか侮れない。
誰かと触れ合う心地はしばらく経験していないからもう忘れてしまった。大人になると握手をしなくなる。触覚の正常な使い方が私にはできていない。
子供の頃の運動会を思い出す。太った男の子とフォークダンスで手を握っていたっけ。甘酸っぱさは、怪獣にでも食われてしまったかのように消えて、残ったのは嫌悪感だけだった。一ミリも楽しくなかった。
それでも、手を握ることの効能を随分味わっていないことを考えると、あんな無意味な儀式にも意味はあったのかもしれない。きっと私が次に手を取られるのは、白装束を着たときだ。悲しいなんて感情は、風に吹かれてなくなっているだろう。
気温はいったいどれくらいだろう。アルミホイルに包まれて蒸し焼きにされる白身魚の気分だ。日本では観測史上最高気温更新を競っている街がいくつもあるけれど、児戯のように思える。
デジタル表示の気温計が三六度を指しているのを、去年の夏に見た。私の体温と同じだと馬鹿みたいに思ったけれど、たぶん今の気温は人間の範疇を越えている。病院にでも担がれて、点滴でも差されてベッドに寝かされるのだろうか。無機質な天井が目に浮かぶようだ。四三度までぶっ飛んでしまいたい。
水はしばらく飲んでいない。そんなもの見渡す限りの無表情の、この世界にあるわけがない。ここにあるのは黄色い砂と水色の空だけ。憎たらしいくらい目に映えるツートンカラーだ。
省略化された景色は、私のあがきやもがき、艱難辛苦の全てを無視してしまう。オアシスなんて古代神話の理想郷。目指しても、目指しても辿り着く気がしない。むしろ遠ざかっている気さえする。
まったく、承認を求めて彷徨っていたかつての私と同じだ。頑張れば頑張るほど、見えてくるのは自分の幼稚さばかり。上には上がいて、頂点は気を失いそうになるほど遠い。
別に目指しているわけでもないし。ナンバーワンよりオンリーワンだし。自分を愛撫する言葉を積み重ねても、最下層にいることには変わりがなくて。お前らが生きていられるのはピラミッドの底辺に私たちがいるからなんだぞ。私たちから搾取した養分で生き長らえているんだから感謝しろとか言ってみても、しゃぼん玉みたいにあっけなく消える。
今ここで何を叫べばいいのだろう。馬鹿野郎、か。くそったれ、か。それとも芥みたいなプライドを力づくで沈めて、誰か助けて、とでも言えばいいのか。未成年の主張ならまだしも、成年の主張に足を止める人間はいない。今ここが学校の屋上で、力の限り叫んでみても、警察に通報されるのがオチだろう。出来の悪い喜劇にすらならない。
大人になって、ある程度の身体的自由と経済的自由は手に入れた。しかし、それと代償に、か細い声に耳を傾けてもらえる特権は失った。今の私は家と仕事場を往復するだけの、構造物でしかない。
まあ、今はその仕事さえないのだけれど。
というか、水のない状況で叫ぶのは自殺行為だから、いずれにせよ、口を閉ざして歩き続けるしかないのだけれど。
いっそのこと、ここに巨大な蟻地獄が現れて、私を飲み込んでくれないだろうか。もし登れば登るほど落ちていくのだったら、私は無抵抗主義者になり、タイの寺院にある仏像のポーズでもして、あくびをしながら落ちていくだろう。
そして、巨大化したウスバカゲロウの幼虫にギザギザの歯を突き立てられる。「痛い」とか言うかもしれない。言葉なんて通じないのに。
ドラキュラみたいに血を吸われて、餌としての価値がなくなったらその辺にポイ。砂に埋もれて、踏みしめられても痛みを感じない。
石油にでもなれれば万々歳だけれど、辺り一面、油田のような機構はない。元々価値がなかった三〇〇〇グラムの塊だ。二六年の人生で何の付加価値もつかなかった。それだけのことだ。それでも、最後に自然のサイクルに組み込まれることができたら、身に余るほどの光栄というものだろう。
そもそも私は何でここにいる。どうして辿り着かないと知って歩いている。棒きれみたいな細い足で、砂を踏みしめる。壊れたオーディオみたいにでたらめなリピートをするだけ。それでも、歩くことに、立っていることに意味があると信じたい。
だが、容赦なく照り付ける日差しが罵詈雑言みたいに、私の肌をグサグサ刺す。お前の生に、意味も意義もない。波に漂うことしかできないエチゼンクラゲの方が、食べられるだけ数倍マシな存在だと。
人肉を好んで食う動物はいない。人間は捕食されるようにできていない。だから、人肉はパサパサしていて不味いし、食人部族はバーバリアンの扱いを受けて駆逐される。結局、私は誰の糧にもなることができないのだ。
それに流されているのは、昨日までの私も同じだ。アパートの林の中でひっそりと暮らし、ビルの森の奥で、人知れず座っている。折り紙の鶴をまた広げて、別の鶴にするみたいな。最新鋭のAIじゃなくても、ゲームボーイアドバンスぐらいの知能があれば、簡単に取って変われる。
燃えないようになんとか形を保っている不細工な灯篭。それが私だ。
誰かが「この世に意味のない仕事はない」とかほざいていたけれど、できることなら、そいつの首根っこを捕まえて、私がポンコツマシーンと化すところを見せてやりたい。
それでもまだ同じセリフが言えるなら、腹に殴打でも何でも加えてやる。顔の形が変わるまで叩きのめしてやる。ナイフでも喉元に当てたら黙るだろうか。鏡の中にいるので、引きずり出せないのが残念だ。
大学を出て普通に就職した弟の、半分以下の給料。昨日までの私は、それで命を保っていた。帰ってすることといえばSNS。誹謗中傷、法界悋気、誇大妄想のオンパレードだ。誰々が嫌いという話で、今日も華々しく盛り上がっている。流れてくるニュースにコメントをつけた。「許せない。こんなことをする奴は人間じゃない」。
投稿は悪意の高波に飲み込まれて、拡散されることはない。画面の向こうにいるのは、たぶん藁人形か何かだ。どれだけ釘を打ち込んでも構わない。実体のない皆という適当な概念を振りかざし、私はハンマーを振るう。
毎日毎日こんな調子。朝になれば起きて、夜になれば眠るのと同じぐらい体に染みついた生活。体の中でずっと波が揺れている心地がある。海に長らく浸かっていた後のような錯覚だ。
それが昨日までの私の日常。習慣。盲目。変わりたいと願っているだけで、何もしない。怠惰に支配され、恐怖に攫われていた。
それが、起きてみたらどうだ。こんな広漠な砂の王国にいる。ゲームスタートで放り出された主人公のようだ。どうする。王様でも探してみるか。魔王討伐にでも精を出すか。
だが、ご生憎。ここには子供が作るような砂の城も、触れたら壊れてしまうような、脆弱なモンスターもいない。ただ放置されるだけ。私がプレイヤーだったら、辞書でもぶつけてハード自体を再起不能にしてやるところだ。
でも、これは現実である。これが現実である。私の五感が、紛れもなくそう告げている。
皮肉だ。心は倒れたいと嘆願しているのに、体は進みたいと反発している。足はまだ動く。
ふざけんな。
解放されたいんだろう。終わらせたいんだろう。反骨精神なんて捨てちまえ。望んでいるものなんて、純水なんて手に入るわけないだろ。
そこまでして生きようとする理由がどこにある。誰にも求められず生きる理由がどこにある。
何が、生きることは素晴らしい、だ。そんな耳触りが良いだけの言葉では、私はこれっぽっちも助からない。心は少しも揺すられない。
極限まで甘く煮詰められたガムシロップを飲まされたような。
白髪染めの匂いが充満する理髪店に入ったような。
目元がジグザグに霞む。頭に霧がかかる。手足を鉄板に押し付けられているようだ。しかし、次第にこたつのような心地よい暖かさになる。棘棘しい日差しはもうない。毛布でくるんでくれるような、他人行儀じゃない優しさだ。
太陽が味方になった。いつも真上で光り輝く、憎たらしい太陽が。ゲームオーバー。コンティニューはない。
ああ、良かった。だって、これが私の望んだ最期だったから。誰にも迷惑をかけない。それこそが最上の死に方だ。それにいつも死にたい死にたいって、願っていたじゃないか。鏡を見れば死ね。何か手を動かせばキモッ。人と喋れば消えちまえ。
目を閉じれば、顔が車に轢かれてペシャンコになっているところを想像するし、自分の腹を刺してみたいと思ったことも、一度や二度じゃないだろ。死ぬべきだって声に出さなくても、毎日思っていたんだから、本望じゃないか。
何を思い残すことがある?お前の人生に、価値はないんだよ。
いや、違う。
この世にいらない。生きている価値がない。生まれない方がよかった。
否定語を重ねて賢くなったつもりかよ。小さい賢さと書いて、こざかしさと読むんだ。生意気な口を利きやがって。
同じ否定語を使うなら、死なない、消えない、いなくならない。ネガティブワードを力強い肯定語に変換してみせろ。親からもらった命だろ。名前の通り、真っすぐ生きてみろ。それが意地ってもんじゃないのか。流されることのない決意ってもんじゃないのか。
右手に精一杯の力を込めた。強く握る。体が言うことを聞いてくれることはなかった。役立たずの枝みたいに、情けなく転がっている。
カウントダウンが聞こえる。秒針が時を刻む音だ。刻一刻と減っていく残り時間。
辛うじて目を見開くと、遠くに人影が見えた。頭にターバンを巻いた、たぶん原住民だ。
ああやった。助かるんだ。まだ生きていくことができるんだ。
そっと瞼を閉じた。
時計の音は聞こえなくなって、平和な沈黙だけが私の全身を、ゆっくりと満たしていった。
(完)