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溺れる者 11


 勢いよく振り回されるロープの先端へと据えられた分銅が、鋭さを持って伸びてくる。

 そいつを間一髪のところで身体を捩じり回避し、接近を試みるべく地面を蹴った。


 すぐ背後で、屋敷の壁に分銅が衝突し、破砕する音が聞こえる。

 黙視する余裕などないが、音からしてあのロープに付いた分銅が、相当な破壊力を秘めているのは明らか。

 そんな物を真面に食らってしまえばどうなるかなど言うまでもなく、肝を冷やしながらナイフを手に"溺れる者"へと接近していった。



「っくそ、ちょこまかと身軽なヤツだ」



 しかし閃かせたナイフは宙を斬る。またもや驚異的な回避運動をされてしまったためだ。

 なにやら悪人の吐きそうなセリフを口にしながら、俺もまた距離を取って対峙。ナイフを構え直す。


 はてさて、いったいどうしたものか。

 溺れる者はかなりの身体能力を誇っているようだが、見たところ俺やシャルマと同等と言ったところか。

 ナイフの攻撃範囲にさえ達することさえできれば、武器の性質上こちらが優位に立てるとは思う。


 しかしそこまで行くのが問題。

 器用に操るロープは変幻自在で、ナイフで切り飛ばすのも難しい上に、あの見た目異常に重い分銅の破壊力もある。

 掠っただけで骨の一本や二本、簡単にへし折られてしまいそうだ。



「この能力、どこか別の場所で活用すればいいだろうに……」



 まさかこの異常者が、こんな能力を持っていたとは大きな誤算。

 案外戦いに適応した"才能"を有しており、その恩恵を悪事に如何なく発揮してきたということだろうか。


 しかしどうにも、まだ不穏な何か秘めてをいるように思えてならない。

 "溺れる者"には、まだ奥の手がある予感をヒシヒシと感じる。そのうちヤツの攻撃にも慣れるだろうが、第二の手を繰り出されたらどうなるか。

 となると少々情けないが、こちらの採るべき手段は……。



「まさかこの程度で終わりじゃないだろうな? あの子を掴まえたいなら、せめて俺くらいは殴り倒せなきゃな」



 俺は遠巻きに"溺れる者"へナイフを突きつけ、挑発的な言葉を発する。

 するとその挑発に触発されたか、あるいは単純にエメリーを追うにはそれが必要と考えたか、ヤツはロープを手に攻撃の意思を露わとした。


 一方の俺は庭へと置かれていた、花壇を作るためのレンガを拾い投げつける。

 そんな物で効果があるとは思っていない。あくまでも、挑発目的で。

 普通であればただ避ければ済むそれも、さっきの言葉と合わされば相応の効果を持つのか、ロープへ付いた分銅によって粉砕された。


 と同時に駆け出す溺れる者。

 ヤツは正面の障害、つまり俺を排除するべくさらにロープを振った。

 浅い放物線を描き、鋭く迫りくる分銅。そいつをギリギリのところで横っ飛びに回避すると、建物に沿って走り出す。


 こちらの動きに反応し、駆け出す溺れる者。

 降りしきる雨の中で、俺は濡れるのもお構いなしで庭を走っていき、ヤツの周囲を大きく周るように動き使用人棟の方へ。

 その最中も間断なく迫る分銅を、執拗に狙わせるようにギリギリで避けていく。



「ちょっと待ってくれ、参った、降参だ!」



 そうして使用人棟まで移動し、壁に背をつけたところで、ヤツに向き直り両手を上げる。

 口にする降参の言葉。しかし当然のようにそれは無視され、唸りを上げて迫るロープと分銅。

 俺はまたもやギリギリで回避すると、分銅はすぐ背後にある壁を打ち砕き、石材が崩れ金属の転がるけたたましい音を響かせた。


 かなりの威力を誇るとはいえ、流石に壁を砕くとは思わなかったらしく、フード越しにもヤツの動揺が見える。

 ようやく見せた感情らしきものに、ほくそ笑みながら背後の壁をチラリと窺うと、ものの見事に崩れ室内が露わとなっていた。


 使用人棟の厨房に当たるこの部分、経年劣化によって少々脆くなっており、近々修繕をしようと考えていたのだ。

 忙しさにかまけて後回しにしていたのだが、大きく開いた穴から転がる大量の鍋を見て、小さくほくそ笑む。



「さあ、どうする? さっきの音で人が来るぞ」


「……」


「この屋敷は俺以外にも戦える人間が居る。複数を相手に立ち回れる自信が、果たしてお前にあるかな?」



 ようやく動揺を見せ始めた"溺れる者"。

 そいつに余裕綽々といった表情を作り、状況がこちらにとって優位であると告げる。


 時間を経るごとに強まっていく雨脚を遥かに超えるさっきの音は、使用人棟だけでなく屋敷の敷地内全てへと響いたはず。

 当然その音はシャルマやドラウ爺さんの耳にも届いているはずで、二人がこちらに来るのも時間の問題。


 逆に来てもらっては困る人間も居るが、エメリーは今頃リジーのところに居るし、コーデリアはおそらく事態を把握するまで自ら動きはしないはず。

 エイリーンが出てくる可能性もあるが、そこはもうイチかバチか。

 そしてどうやらその賭けは、こちらに軍配が上がったようだ。



「おやおや、これはいったいどうしたことかの」



 ノンビリとした、まるで春の日差しでも浴びているかのような声。

 それとはうって変わり、鋭く飛来するナイフが溺れる者が持つロープを切り裂き、濡れた地面へと突き立った。


 ナイフが飛んできた方向へ視線をやると、そこにはさっきの渡り廊下からゆっくり歩く姿が。

 現れたのは少しばかり腰が曲がったドラウ爺さんだ。

 懐からナイフを取り出し迷わず投げ放ったらしき彼は、雨に濡れるのも構わず庭を歩き、溺れる者を挟み込むように立つ。



「助かった爺さん。シャルマは?」


「お嬢さんなら皆と一緒じゃよ。万が一のために保険として残ってもらっておる」



 現れたのは爺さんだけで、シャルマの姿がない。

 ただ彼女はコーデリアら他全員と共に居るとのこと。不審な輩がこいつだけとは限らないため、そこへの用心として残ったようだった。


 可能なら三人がかりで排除したいところではある。

 けれどドラウ爺さんが来てくれただけで、形勢はこちらに有利となった。



「さて、そのフードの下がどこのどなた様かは存じぬが……」


「……」


「これは追い詰められた状況、言えるように思うがの? ワシら二人を相手に戦いを続けるというのは、流石にお勧めしかねる」



 挟み込んだ溺れる者へと、穏やかな声ながら強い警告を発するドラウ爺さん。

 具体的にどうこうと口にしていないが、奥底から響いてくる彼の真意としては、命を落としたいならば抵抗しろというところか。

 そいつはヤツにも通じていたようで、ほんの僅かな時間逡巡したかと思うと後ずさる。


 そのまま勢いよく反転すると屋敷の庭を駆け、高く聳える塀へ。

 ロープをしならせ塀の外に放ると、植えられた街路樹に引っ掛け一気に登っていった。

 いとも簡単にやってのけたが、これまたなかなかの動きであり、つい呆気に取られてしまう。



「やれやれ、引いてくれたか。老体に鞭打つのは避けられたようじゃの」


「何を言ってるんだか。さっきのナイフ、一線を退いていたにしてはやけに鋭かったけど」



 "溺れる者"が去っていくと、腰を軽く叩き気だるそうにつぶやくドラウ爺さん。

 だがさっきのナイフの軌跡を見る限り、爺さんは一線を退いてからも訓練を欠かしていなかったようだ。

 いつの間にかヤツの背後に回っていたあたり、気配を消す術も勘を鈍らせてはいないらしい。


 もっとも面倒臭そうであるのは確かで、俺は少しばかり言い返すと苦笑する。

 それに対しドラウ爺さんも笑い返すのだが、彼はすぐにそれを収め、一転して真面目な表情となった。



「……通報は、せぬ方が良いじゃろうな」


「だろうな。もし通報したら、市警が大挙して押し寄せてくる」



 本来であればこのような事態、早々に通報し警察に来てもらうというのが当然。

 しかしこの地区に住む子供が襲われたとなれば、相当数の警官たちが押し寄せてくるのは想像に難くなく、きっと根掘り葉掘り聞かれてしまう。

 どうやって撃退したかなど、馬鹿正直に話すことも出来やしない。


 おまけに屋敷には見られたくない物も多い。

 基本的に暗殺に関する資料などはその都度処分しているが、もし見落としがあっては大事。

 それこそ"探し物"を見つけるという才能を持つ、バリー警部のような人が来てしまえば、なにを目にされるかわかったものではなかった。



「特にあの警部殿などは来てほしくないじゃろうしの」


「……考えを読むのは止めてくれよ」


「お前が考えそうなことなど、簡単に想像がつくわい。それに一通り屋敷の住人と接点がある者に関しては、把握しておるからな」



 俺が最も懸念していたことを、ドラウ爺さんはすぐに察したらしい。


 ともあれこのような理由もあって、屋敷に市警の人間を入れるのは非常にマズい。

 しかしどういう訳かは知らないが、"溺れる者"はエメリーに執着しこの屋敷まで侵入してきた。また現れる可能性は捨てきれない。

 そう考えた俺は早速当人の元へ向かうべく、壁面の破壊された部分から使用人棟に入るのだった。


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