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溺れる者 01


 初夏の空気に混ざり、涼し気に聞こえる小鳥の鳴き声。

 心地よいそれに耳を傾けながら、ブリキ製の箱に投げ込まれていた新聞を手にし、霧の中を元来た道を辿って屋敷へ。


 本邸から廊下を通り、すぐ隣の使用人棟に入る。

 厨房に行き隅に立てかけておいた台を置くと、さっき取ってきた新聞を広げ、竈で熱を持つ石炭の礫をアイロンへ放り込み、広げた新聞へ当てる。

 普段と何も変わらない、執事として朝最初にやる仕事だ。


 霧のせいで湿気てはいるが、冬場に比べればずっと乾きやすいそれにアイロンを当て、ヨレた部分を伸ばしていく。

 アイロンをかけながら新聞に視線を落とすすぐ背後では、朝食の準備を進めるメイドたちの姿が。

 その内の一人、すっかりメイド業が板についてきたシャルマは、新聞を眺める俺に棘のこもった言葉を投げつけてきた。



「朝っぱらから新聞と睨めっこなんて、随分と忙しいお仕事ね執事さん」


「そう嫌味を言わないでくれよ。これだってなかなかに大変なんだ」



 テーブルクロスのセットを終え戻ってきたエイリーンに、小皿を渡し声をかけるシャルマ。

 案外俺の役割が羨ましいのかもしれないが、一見簡単そうに見えるこれだって、なかなかにコツが要る。

 布よりもずっと熱に弱い代物であるだけに、アイロンの火力調整一つしくじれば目も当てられないのだ。


 彼女の向けてくる皮肉だか嫌味へ軽く返しながらも、俺は手を動かし頁をめくっていく。

 しかしその手はある一点、めくった頁に書かれていた見出しへと、視線をやったところで止まった。



「……またか」


「またって、なんの記事を読んでるのよ?」



 つい呟いた言葉に、スープ皿へ浮き身を乗せていたシャルマが反応。

 ボウルを手にしたままこちらを覗き込んできた彼女は、開いた頁に書かれている内容を見て、整った眉をしかめた。



「ああ……、これか。まだ続いてるのね」


「今月に入って六件目だ。徐々に間隔が短くなっている」



 新聞を見下ろし口にするのは、現在グライアム市を最も騒がすもの。

 俺たちが高原のリゾートへと向かった頃から、グライアム市で発生する連続殺人事件であった。


 共通しているのは、幼い少年ばかりが狙われているという点。

 突然行方不明となった少年が、数日後に町中で死体となって発見されるのだが、揃って拷問を受けたような痕跡があるという。

 どうやら犯人はかなり加虐的な、そして変質的な性向の持ち主であるらしく、男の子を持つ世の親を震え上がらせているようだった。


 口にしたように、今月に入ってこれで六件目。

 記事の内容としては、いまだ犯人の逮捕を果たせずにいる市警に対し、非難の声が上がっているというものだ。

 確かにいまだ捕まえることの出来ていないのは問題かもしれないが、決して彼らとて手を抜いている訳ではないだろうに。



「あら、またですか……」



 俺たちがそんな記事を眺めていると、もう一人後ろから覗き込んでくる影が。

 さっきまで朝食に出す豆を煮こんでいたリジーだ。



「怖いですね、あたしも弟が同じ目に遭わないか心配で……」


「でもあの子は、ほとんど屋敷から出ないでしょ? なら大丈夫よ」



 まさに事件の当事者となっている、幼い少年たちと同じ年頃の弟を持つリジー。

 彼女は自身の弟が巻き込まれやしないか心配し、時折屋敷内の書庫で自習や読書をしている弟の様子を見に行っているようだった。


 とはいえシャルマが言うように、基本屋敷の中に居るのであればほとんど心配はない。

 日中は庭にドラウ爺さんが居り、彼の目をかいくぐって不審者が入り込むというのは難しい。

 それに事件が起きているのは市街の中心部。もちろん安心はできないが、そこまで神経質とならずに済む環境であるのは確かであった。


 とりあえずこの屋敷においては、ある程度安全と言っていい。

 しかし事件に関する感心や興味は尽きず、三人揃って新聞を囲って顔を突き合わせ、ついつい雑談に興じてしまう。



「皆さん、なにをしているんですか。ご当主様が降りて来られますよ!」



 そんなサボりも同然な俺たちに対し、鋭い声が浴びせられる。

 ハッとし振り向いてみれば、そこには食堂で準備を進めていたエイリーンが、腰に手を当て鋭い眼差しを向けていた。


 庭師のドラウ爺さんを覗けば、屋敷内で誰よりも使用人としての経験があり、屋敷の住民としての期間は短いものの、実質的にメイド長とすら言えそうな役割になっている彼女だ。

 朝の忙しい時間に噂話へと興じていた俺たちへと、叱り飛ばさんばかりの気配に満ち満ちている。

 これは下手をすれば本当に雷が落ちかねない。



「り、了解! 早く済ませてしまおう」



 エイリーンの本格的なお説教が繰り出される前に、ビシリと直立する俺たち。

 普段は穏やかなエイリーンだが、お説教が始まるとやたら長く辛辣なのだ。


 俺の発した言葉に反応し、大慌てで散っていくシャルマとリジー。

 彼女らもエイリーンの恐ろしさは骨身に染みているらしく、そこからは集中を切らすことなく朝食の準備を続けていく。

 もちろん俺も、中断していた新聞を整えていく作業を再開。ただ食器(シルバー)を持っていたエイリーンは、チラリと俺の手元を窺って呟いた。



「それは……」


「ああ、エイリーンも流石に気になるのか」



 俺たちに小言を言いかけた手前、熱心にのぞき込んだりはしない。

 けれどエイリーンも、この現在町を騒がせている事件については気になるらしく、横目で険しい視線を紙面に送る。

 しかし彼女はただこの猟奇的な事件への関心を持っているという訳ではないらしい。



「少し前から起き始めたという事件ですよね。ただ……」


「ただ、どうしたんだ?」


「わたしがあの人の愛妾であった頃から、それらしい事件が二度ほどあったんです。もっともこの町では、子供の不審死が然程珍しくないので、そこまで大事にはなりませんでしたが」



 エイリーンはしばらく前、グライアム要塞塔に収監された男の愛妾であった頃のことを話す。

 当時彼女は都市の中心部からほど近いところに住んでおり、そこは件の少年たちが被害に遭っている区域と重なっていた。

 あの頃はまだなにも騒がれていなかったが、どうやらエイリーンによると、似たような事件はしばらく前から起きていたとのこと。



「衛兵たちが話していたのですが、殺された子供は水死だったそうで」


「確かに似ているな。こっちは絞殺される前に溺れたのか、肺に水が入り込んでいたらしい」


「となると同じ犯人なのでしょうね。……恐ろしいことです」



 エイリーンが知る事件と今回の事件、手口からしておそらくは同一の犯人。

 そいつがまだ町の中で歩き回り、幼い少年を手に掛けているという事実に、エイリーンは身震いしていた。


 食器を手にエイリーンが食堂へ戻っていくのを見送り、俺は手元の新聞を綺麗に折りたたむ。

 すると今度は別の姿が厨房に現れた気配を感じ、振り返ってみるとそこにはコーデリアが。

 その厨房へとやってきた彼女を見て、シャルマはジトリとした視線と共に簡潔な言葉を吐いた。



「……ダメです」


「まだ何も言っていないのだけれど」


「朝食が出来るまで待ってください。……でないと私がエイリーンのお説教を受ける羽目になる」



 コーデリアは朝食のさい、度々用意が整う前に厨房へ顔を出すのだが、大抵はつまみ食いを目論んで。

 シャルマもまた同じ想像を働かせたらしく、コーデリアが口を開く前に拒絶の意思を示した。


 実際それは間違いではなかったようで、コーデリアは肩を竦めて早々に諦める。

 ただ食堂へと向かおうとする彼女は、不意になにかを思い出したのか振り返った。



「フィル、ふと思ったのだけれど、たまにはあの子を外に連れ出してあげてはどうかしら」



 "あの子"、というのが誰を指すかはだいたいわかる。

 彼女がそう言うのは大抵リジーの弟に関してだ。


 普段は屋敷の中で本を読んだり、エイリーンを家庭教師として勉強をしている少年。

 同年代の子供が近くに居らず、口には出さないまでもきっと寂しい想いをしているであろう彼を、たまには外へ連れ出してあげようというのだ。

 非常に良い考えだと思う。色々な刺激を受けた方が、きっと彼のためにもなるだろうから。しかし……。



「ご当主様、今このタイミングでそれを言われるとは思ってもみませんでした」


「なにか問題が?」



 ついさっきまで交わしていたやり取り。それを考えれば、今は非常に時期が悪い。

 しかしコーデリアは俺の言葉に首を傾げる。これはこちらを試しているのではなく、本気でわからないという反応だ。


 彼女とて今世間を騒がせている猟奇殺人について、まったく知らぬわけではあるまい。

 そこでさっきアイロンがけしたばかりの新聞を開き、件の記事が書かれたページを上にして渡す。



「ああ、この事件の事ね。大丈夫よ、少なくとも昼間なら」



 案の定コーデリアも、少年が次々と襲われているという話は知っていた。

 けれど彼女曰く、昼夜を問わず市警が町中を警邏しているため、人通りの多い場所を選べばほぼ問題はないとのこと。

 ここ最近はサーカスを観に行った時を除き、あまり市街地に行かないため気付かなかった。



「それにフィルが一緒なら大丈夫でしょう」



 彼女は無事の根拠へ付け加えるように言い放つ。

 そう言われては返す言葉もない。俺が側で護ってやればいいのだ。


 簡単であるとばかりに告げるコーデリアの言葉に、俺は為す術もなく頷き、「承知いたしました」と返すのであった。


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