定められた未来 03
従業員としてパブへ入り込んでから、さらに数日が経過。俺は毎夜訪れる標的に、ダーツの相手を務めさせられ続けていた。
いつヤツが鉛玉を持ち出すかわからぬ緊張感。とはいえそれも連日となれば、次第に周囲の人間も慣れてきたようだった。
どうやら俺はかなり気に入られてしまったらしく、日に日に来る時間も早まっている。
午前中から店に居座っているヤツのおかげで、ジンのボトルも消費量が半端ではない。
「随分と酒量が増えておられるようで。あまり身体のために良いとは思えませんが……」
「余計なお世話だ。いいからもう一杯寄越せ」
心配をするフリだけはしながら、追加分のジンを運ぶ。
まだ午前中だというのに、これで既に5杯目。かなり酔いが回っており、今日はダーツに興じるどころの騒ぎではなさそう。
それでも運ばれてきたジンに口をつけ、胡乱な目で天井を眺めている。
俺は空になったグラスや瓶を片付けながら、密かに男の様子を窺う。
つまらないお遊びに付き合い続けた結果、半分こちらへ気を許しているのに加え、酒と薬物によっ判断力を低下させていた。
「そういえば店長はどうした? 姿が見えんが」
「今日は店自体が休みです。既にご存知かと思いますが、普段の仕入れ先が市警に踏み込まれまして」
今日暗殺を実行するとした場合、いくつか都合の良い理由がある。
酷く酔っているというのが一つ。それにこの日、男の側には護衛が居ない。酔った末に銃をチラつかせ追い払ってしまったからだ。
さらに理由はもう一つ。それが標的である男自身の口から発せられた疑問に対する答え。
パブの仕入れ先である業者、これまたマフィアの関係するところだが、昨日市警によって捜査を受けたのだ。
結果従業員のほとんどが逮捕され、パブは酒や食材を仕入れるのが困難になってしまう。
という訳で店は臨時休業、客どころか店長も来ない。それでも強引に入ってきたこいつを始末するのに、うってつけな状況となっていた。
「つまらんな。ダーツをするにも……、見物人が居た方が、盛り上がる……」
「それは残念なことで。楽しみは次回に取っておくとしましょう」
気怠そうに椅子へもたれかかり、うとうとし始めた男。
そいつに適当な返事をしながら、実行するための案をいくつも頭に思い浮かべる。
無難なのは刺殺か絞殺だが、どちらもあまり好ましくはない。
あのように明確に殺人とわかる手段であれば、市警が総出で干渉してくるため不都合この上なかった。
可能なら事故死に見せかけたい。少なくとも、もう一人の標的を仕留め終えるまでは。
事故となると一番こいつが出くわしそうなのは、やはり銃の暴発だろうか。
普段から持ち歩いている銃だが、あまりメンテナンスをしているようには見えない。暴発を引き起こしても不自然さは少ないはず。
なので意図的に引き起こすことは可能だが、暴発だけでは不確実。腕の一本を失うのが精々といったところ。
となると……、やはり予定していた通りの手段を取るとしようか。
「水がお好みでないなら、これでも飲んでください」
心配する素振りで標的に近づき、エールの入ったグラスを置くと、そのまま歩いて壁際へ向かった。
男からは見えない場所に立ち、壁の一角を這うように設置されたパイプを掴む。
繋がる先はガス灯。手にしていた金属の棒を使ってパイプのつなぎ目を破壊すると、中からは静かにガスが漏れ始めた。
「失礼、シャツがお酒で濡れていますよ」
漏れるガスを背に再度男へ近づくと、適当な理由をつけてシャツに触れる。
酒に酔ってうとうとしているそいつの懐へ素早く手を差し入れ、ジャケットの下に忍ばせている銃を抜き取った。
まるで気付く様子のないヤツが舟を漕いでいる間に、装填されていた弾の一つを抜き取って回収する。
「このままではジャケットが汚れてしまいます、お預かりしましょう」
次いで親切心を装ってジャケットを脱がしたところで、銃を男の肩にかかったホルスターへ戻す。
若干ひやひやしたものの、その動作によって少しばかり目を覚ましただけで、銃に関してはまるで気付く様子が無かった。
「……この酒にも飽きた。どこかで良い酒を手に入れてこい!」
さっきの動きによって目を開いた男は、グラスのエールを一気に煽る。
だがこれまで散々飲んでいるそれに不満を持ったらしく、グラスを床に放って割ると、不機嫌そうに買い出しを命じてくるのだった。
散々飲んで味覚も鈍っている状態で、飽きたも何もないだろうにとは思う。
だがこの流れは好都合。どのみち何か適当な理由をつけて、この場を離れようと考えていたのだから。
「それは構いませんが、しばらく留守をお任せしてしまうようになりますよ?」
「子供扱いをするな。適当にエールでも飲んで待っているから、早く行ってこい!」
酒と薬物によってなけなしの自制心も崩れ去っているせいで、俺の言葉に癇癪を起しホルスターへ手を伸ばす。
そんな男の様子に内心で満足しながら、文字通り逃げるようにパブを後にした。
外へ出ると扉を閉め、用意しておいた鍵をかける。
しばしその場で待ち、扉に頭を当てて鼻を利かせると、僅かな隙間から異臭が漏れ出してくるのに気づく。
そこでパブの前から離れ、少し離れた場所に建つ空き家の陰に隠れると、ジッと入口を凝視する。
「そろそろ、……かな」
パブの中は特別広いわけではない。なので漏れ出したガスは、そろそろ店内に充満している頃。
上手くすればそのまま中毒症状で倒れてくれるはず。
しかし店内に立ち込める異臭は、酔った男の頭すらも叩き起こすものであったようだ。
頃合いかと思ったところで、閉じられた扉を叩く音が聞こえてきた。
「悪いな。簡単には出してやれない」
何度となく扉を叩き、中からは叫び声すら聞こえてくる。
扉には頑丈な鍵がかけられ、ただ一つしかない窓の外では"偶然"にも、どこぞやの不心得者が大きな荷箱を置いて塞いでいた。
悠長にしているとガスによって意識を奪われ、ゆるやかに死が侵食していく。
しかし助けを求めようにもこの時間、ここいら一帯の住民は工場などの職場に行っているし、子供たちにしても同様。
もし仮に人が居たとしても、あのパブがマフィア絡みの店であることは、近隣住民にとって周知の事実。積極的に関わる者などない。
「さあどうする? 助かるために採れる行動は、一つしかないはずだ」
あの扉を開けるには、無理やり鍵をこじ開けるしかない。そう例えば、銃で撃ち壊すなどのように。
そう考えたところで、扉を叩く音が静まる。
諦めたか、あるいはガスにやられたか。それとも最後の足掻きをするつもりなのか。
結果ヤツが選んだのは三つ目。自身の持つ最も信頼する武器に頼るというものであった。
市街地へと響く轟音、そして強い振動。
窓や壁の一部、扉が爆風によって吹き飛ばされ、パブからは炎が噴き出す。
炎は瞬く間に上階へと伸び、炎の海に呑み込まれていく。
その光景を確認すると、すぐさまパブの前へ移動。路地に転がっていた錠を回収した。
壊れた扉の向こうで突っ伏した状態の男を横目で見ると、コートの前を閉じ素知らぬ顔で大通りへ。
そこではさっきの大きな音に反応した人々が、ザワザワと困惑する様子を見せていた。
「ひとまず成功か。……まずは市街地を出ないと」
かなり目立つやり方であるのは確かだが、とりあえず事故に見せかけるのは成功しそうだ。
倒れていた男があの時点で死んでいたかは定かでないが、消防がここに到着するまでは時間を要するし、間違いなくその間に炎で焼かれる。
建物も半焼では済まぬだろうから、証拠は碌に出てこない。つまり残るは俺が無事ここを脱するのみ。
不審に思われぬよう周囲の人々と同じ歩調で歩き、燃え盛るパブから距離を取る。
歩いていると進行方向から、消防士を乗せた馬車が数台走ってきた。それを視線だけで見送っていると、すぐ近くで止まっていた別の馬車から声がかけられた。
「フィル」
突然に名を呼ばれ、ハッとして馬車へ視線を向ける。
そこには小さく開けた窓から見知った顔が覗き、こちらへ手招きしていた。
呼ぶ動作に従い、二頭立ての豪勢な黒い馬車へと歩く。
扉を開けて中に入り、腰を下ろした途端合図もなく走り始める馬車。
そのタイミングで向かいに座る人物、コーデリアは静かに口を開く。
「通報を受け、近隣の市警分署が動き始めています。燃えている場所が場所だけに、何かがあると考えたのでしょう」
淡々と状況を説明するコーデリア。
パブが爆発してからここまで、まだあまり時間が経過してはいないというのに、もう市警の動きまで察知しているようだ。
そんな彼女が意味ありげな視線を寄越したため、こちらも経過の報告を行う。
「市警から若干の疑いは持たれると思いますが、一見して事故に見えるようにはしておきました」
「なら結構です。明確な他殺という証拠が、今すぐに見つからないのであれば」
最終的にはこの件によって、市警がなにがしかの捜査を始めるかもしれないが、それまでの間に残る一人の暗殺が完了すればいい。
コーデリアもそのことに満足したようで、座席の隅に置いてあった本を手に取り読み始める。
ただ一旦は開いた本をどういう訳か閉じると、彼女はおずおずと問いを向けてきた。
「ところでその……、どうでしたか?」
「どうとは?」
「今まで訓練は受けてきていても、フィルが人を手に掛けたのはこれが初めてのはず」
コーデリアに言われ、俺はここに至ってようやくその事実に気付く。
色々と手探り状態であったのも理由だが、目の前で標的を爆殺したというのに、まるでその事に対する感慨がなかったのだ。
「言われてみれば……。どうしてでしょう、今の今まで気にもしていなかった」
「……そういった部分も含め、暗殺者としての才能なのかもしれませんね」
「やはり真っ当な才能ではない、ということですね。実際に突き付けられると、普通の生き方が出来ないと思い知らされます」
「私は決して、そのような事を言いたい訳では! ……いえ、気にしないでください」
暗殺者としての才能や適性という点を差し引いても、どうしてここまで平気なのか、俺自身にすらわからない。
そこでつい誤魔化そうと自虐的に軽く笑うのだが、コーデリアは困ったように一瞬だけ声を荒げた。
気まずい空気が馬車の中を占めていき、そこから逃げるように本を開くコーデリア。
俺もまた口をつぐみ、窓の外を眺める。
ただ徐々に景色が郊外へ移っていったところで、遂には空気に耐え兼ね質問を向けてみることにした。
「ところでお嬢様、もしかして俺のことを待っていてくれたのですか?」
「まさか。我が家がグライアム市内で事業を営んでいるのは知っていますね、今日は少しそちらに顔を出していました。なのであくまでも偶然です」
「そうでしたか。……ですが助かりました、屋敷までの移動は徒歩だとなかなかの距離で」
重い空気を取り換えるべく振った話題だが、コーデリアは乗ってくれたようだ。
ただやはり屋敷に在る彼女の私室のように、気安い口調でとはいかないようだ。
コーデリアは少しだけ固い口調で、決して迎えに来たわけではないと断言する。
外で馬車を操っている御者、おそらく執事長だとは思うが、彼に聞かれぬように。
だが偶然だと口にした後で彼女の口角が、ほんの少しだけピクリと動いたのを見逃さない。
幼いころから彼女が持つ癖なのだが、ここいらは昔と変わっていないようだった。
そんなコーデリアは軽く咳ばらいをすると、思い出したようにとある約束についてを呟く。
「無事暗殺に成功したわけですし、屋敷に戻ったらフィルが聞きたかった事をお話しします」
「まだ二人目が残っていますが?」
「多少であれば構いません。一切を知らせぬままというのは、双方ともに気分が良くはないでしょう?」
彼女は標的を始末した後で、ブラックストン家が暗殺を担う理由を話してくれると言っていた。
なし崩し的にその約束は流れてしまうかもとすら思っていたのだが、コーデリアは律儀にも約束を果たしてくれようとしているようであった。