過去のあの人 02
市内の西部、多くの中流階層と一部の上流が暮らす区域。
グライアム市の中でも比較的裕福な者たちが多いそこの一角に、小ぢんまりとした店はあった。
アパートの一階部分構えられたそこへは、異国製の花瓶やよくわからない装飾品が並べられているのが、ショーウインドウ越しに見える。
地元の物品だけでは飽き足らぬ、生きるのに余裕を持つ者。
そういった人間が足しげく通い、連日客の賑わいが絶えぬ店であるようだった。
「そうして見る限りでは、あそこが違法薬物の集積地とは思えないけど」
「だからこそ欺けるんだよ。誰もがいつも行っている店の奥に、そんな危険物があるなんて思いやしない」
コーデリアから次の標的について指示された俺とシャルマ。
翌日の準備を経て、二日目には行動を開始した。
手段は前回と同じ。店を見張れる位置に拠点を設け、ひとまず監視を行うというものだ。
幸いにもあの店には、建物の構造上裏口というものが存在せず、監視もこの一点からのみで事足りる。
おそらく正規の商品と共に運び入れるため、堂々と表から搬入しているのだろう。
「ところで執事殿、聞きたいのだけれど」
アパートの三階にある空き室を使っての監視をする俺とシャルマ。
単眼鏡を使う程の距離でもなく、適当に掛けたカーテンの隙間から直に覗いていると、後ろで休憩をしていたシャルマの声が。
「なんだいメイド殿、可能な限り答えるよ」
「茶化さないで。……あなたは、本当に納得してここに来たの?」
わざと軽口を叩くのだが、シャルマはさほど乗ってもこず本題を切り出す。
俺たちがここに居るのは、なにも対象を監視するためだけではない。
当然その先には暗殺という最終目的が存在し、あくまでも今はその前段階でしかなかった。
そして標的であるロイド・オグバーンは俺にっての実父。シャルマはそこを言いたいのだ。
「私にはどうしてもわからない。どうしてコーデリアは、あなたにこんなことをさせるのか」
「わからないのは俺も同じだよ。ただそいつが俺の役割なんだから仕方がない」
「仕方がないですって!? あなたは不審に思わないの? 私が言うのもなんだけど、こんなのは真っ当な命令じゃない」
少しばかりの怒りを湛え、シャルマは腰を下ろしたままで俺の目を凝視し断言する。
真っ当でないという点で言えば、こんな暗殺稼業をしていること自体が普通ではない。
けれど彼女はそんな返事で納得してくれそうになく、俺は誤魔化し目的で茶化すように返す。
「今回は随分と気にかけてくれるんだな。ここまで一度として、君の皮肉が飛んでこないだなんて」
「単純に納得がいかないだけ。コーデリアが命じたのは、どう言い繕っても親殺し。そっちの事情は知っているつもりだけど、本当にそれでいいの?」
しかし俺の言葉にも、シャルマは調子を変えようとはしない。
それだけ真剣に問い詰めている証拠で、これ以上茶化すのは流石に申し訳なく思えてくる。
「こんなのを平気で行える人間は、よほどの恨みを抱えた者くらいよ」
そんなシャルマは言葉はいつも通り強いものの、心配そうな素振りを混ぜ、恨みがなければ出来はしないと断じた。
彼女が言うところの恨みを抱いているか。そう聞かれれば、首を縦に振るのが普通だろう。
子供の頃は厳しくも優しい父親だと思っていたし、なんだかんだで愛情を受けていたのはわかる。
だが稼業が傾いていたタイミングで、異端の才能を宣告されたという理由によって地下競売へ売られたのだ。
つまりロイドは結局は親子の情よりも金を選んだ。となれば恨む方が自然かもしれない。
「確かに恨んではいる。そこは否定できない」
「ならあなたにとって、今回の任務は"復讐"ね」
「そう言われればそうなんだろうけれど……。なんと表せばいいのか」
シャルマは俺の恨みと任務への容認を、"復讐"という言葉で言い表す。
はたから見ればそれが真っ当な感想だとは思うのだが……。
しかし実際のところ俺のロイドに対する心象は、"微妙"の一言が最もしっくりくるように思えてならなかった。
暗殺者などという裏家業に浸りきっているのは、世間的に見れば幸福であるとは言い難いはず。
けれどあのまま生家で不安定な立場のままで居たのを思えば、ブラックストン家によって買われた今の方が、遥かに幸運であったとも言える。
それにたまに両親のことを思い出し苛立ちもするが、普段はまず意識をしない。存在を忘れていたと言ってもいいくらいに。
思い出せば嫌悪感を抱くが、今の幸運がちゃんと忘れさせてくれる。
俺にとって実父ロイド・オグバーンという存在は、その程度のものでしかなかった。
暗殺対象として示された時には、流石に激しい動揺をしてしまったけれど。
「正直恨みをぶつける機会が無いなら、それはそれで構わないと思っていた」
「では本当に、命令されたから手を下すというの?」
「他に理由はないよ。単純にこれまでは訓練やら任務やらで、考える暇がなかったってのもあるけどさ」
言葉の固さや強さに反し、珍しくこちらを心配している素振りなシャルマ。
そんな彼女へと努めて明るい調子で返す。
すると完全に納得はしていないようだが、それでもこれ以上の問いは無意味と考えたか。
シャルマは口を閉ざし、そろそろ交代をしようと言いだした。
その言葉に甘え、腰かけていた椅子から立ち上がろうとした俺だが、その直前に見えた光景に身体を硬直させる。
「どうした?」
「……アレだ、標的は」
異変はすぐさまシャルマも察知。
彼女にソッと告げ、カーテンを僅かに開いて指さす。
指が向く先には、監視している店から出てくる数人の男たちの姿。
客ではない。作業着らしきものを着た連中は、商品を納入しに来た業者かなにかだと思う。
だがそいつらのすぐ後に出てきたスーツの男。俺はそいつを指し、静かにそれが"標的"であると告げた。
「間違いないのね」
「……かなり老けたようだが、あの顔は確実に」
単眼鏡を取り出し、しっかりと顔を窺う。
俺と同じくらいの身長、同じ髪色、そして同じ瞳の色。
癪ではあるが顔立ちも含めて、血の繋がりを明確に感じさせるそいつが、標的であるロイド・オグバーンであるのは間違いなさそうであった。
十年の時を経たにしては、それ以上に老けているようには思える。
しかしコーデリアから聞いたような経緯を辿ったとすれば、十年分以上の心労が顔に刻まれていても不思議ではないか。
「コーデリアの情報は間違いではなかったみたいだな」
「それが良いのか悪いのか」
「どっちでもないな。さっきも言ったろう、俺たちはただやるべき事をやるだけだ」
シャルマの問い詰めるような態度と、十年ぶりに見た実父の姿。
それらもあって若干心情が揺れつつあるのは否定できないが、それでも俺にはこれを拒否するという選択は存在しない。
横に立つシャルマに気取られぬよう呼吸を整えると、ようやく確認できた"標的"に対し、どう行動するかを思案し始めた。
「護衛は居ないみたいだ。仕留めるのは訳ないが、問題はどうやるかだな」
周囲にはこれといって、標的を護衛しているような存在は見られなかった。
裏社会の資金源となる違法薬物を扱っているのだから、非常時に備えそういった連中を雇っていてもおかしくはないというのに。
自身がそこまで重要と考えていないのか、それとも単純に油断しているのかは不明だけれど。
俺の呟いた言葉に、シャルマが微妙そうな視線を向けてくる。
それには一応気づくも、あえてそれを取り合わず監視をしながら思案を続ける。
とはいえ暗殺実行のための策を立てるにしても、やはり情報がもう少しばかり欲しい所。
「シャルマ、店内の偵察を頼めるだろうか」
「それは構わないけれど、私が下手に近づくと……」
コーデリアから受け取った資料には、店内の見取り図までもが添付されていたが、やはり図で見ると実際に目にするのでは大違い。
そこでまずシャルマに様子見をと考えるも、彼女は自身の目立つ容姿が、複数回の偵察には不向きであると考えた。
「わかっている。それでも店の中での状況が知りたい、流石に俺が行くわけにもいかないからさ」
「……仕方ない。なら暇を持て余した、商家の令嬢とでも偽るとするか。二度か三度も通えば中の状況も探れるはず」
なにせ異邦の民であるのに加え、絶世の美女とすら形容出来てしまいかねないシャルマだ。
メイクによってある程度そういった部分は隠せるが、やはり目立つシャルマに頼むのは気が引ける。
けれど自身が行くよりはずっとマシ。十年の歳月は俺の容姿も大きく変えたはずだが、血の繋がりは標的にそれを気取らせてしまう恐れがある。
シャルマはそのことに同意をしてくれると、渋々ではあるが偵察を了承してくれた。
彼女の持つ"演じる"才能を用いれば、まず疑われることなく情報を持ち帰ってくれるはず。
早速シャルマはそのために必要な、服の調達をするべく外出しようとする。
けれど扉の前で立ち止まって振り返ると、もう一つの疑念を口にした。
「ところで、エイリーンにはこの件を伝えるの?」
シャルマが問うたのは、つい最近屋敷の新たな仲間となったエイリーンについて。
元が俺の世話係兼家庭教師であるメイドの彼女にとって、標的であるロイド・オグバーンは元雇い主に当たる。
つまり関係者とも言えるだけに、知っておいた方が良いのではないかというのだ。
「……いや、話すのは全て終えてからにする」
「そう。あなたが話さないって言うのなら、私に異論はないけど」
エイリーンは俺がこの地で、暗殺稼業を行っているというのを了承してくれた。渋々ではあるが。
しかし元が俺の教育係で、あれでなかなか信心深い方である彼女は、親殺しなどという世間的に大罪とされる行為を決して認めはしないはず。
シャルマには終わってから話すと言ったが、むしろそれ以降も隠し通した方が良いかもしれない。
結果的に彼女を裏切ることになるとしても、おそらくその方がいい。
おそらくコーデリアも、自ら話したりはするまい。
とりあえず同意してくれたシャルマは扉から出て行く。
そんな彼女を見送った俺は、再び窓から店の様子を窺ったところで、ほんの少しだけ心臓が締め付けられるような気がしていた。




