定められた未来 02
首都であるグライアム市の南部に広がる、古めかしい家々や工場が立ち並ぶ区画。
そこの一角に建つパブへと入り込んで、早数日が経過した。
外観的に特徴がある訳でなく、実際に中に入っても平々凡々としたパブだ。
特別高い酒が置いているでもなく、上品な絵画や洗練された給仕が居るでもない。
けれど他のパブと少しばかり異なる部分を挙げれば、店内にはガス灯が設置されているということだろうか。
「グラス磨き、終わったようだな」
「今終わりました。ついでにボトルの方もやっておきますか?」
「そうだな。この店に来るような客は、あまり気にはせんだろうが」
この日も午前中から来た俺は、パブの掃除や設備の修繕を済ませ、酒場の店員としての作業を消化していく。
そうこうしていると徐々に太陽が真上を通り過ぎ、密集した建物のせいもあって窓からは光が入らなくなったため、設置されたガス灯へ明かりを灯して作業を再開した。
ガス灯は高価な設備ではあるが、ここ最近は中流階層あたりの家でも見られるとは聞く。
それでも可燃性の酒が大量に置かれ、タバコの火が燃えるパブへと設置するには物騒な代物だ。
もっともガスが漏れた上で、強い火花でも起きなければ大事にはなるまい。例えば銃弾の発射のような。
ガスそのものにやられるという可能性もあるが、そうなる前に酒を呑まぬ店長が勘付くはず。
なのでこいつを暗殺に使うのは難しいかもしれない。そんなことを考えていると、まだ開店準備中であるというのに、荒々しく扉が開かれた。
「酒だ、酒を出せ!」
「……いらっしゃい、オーナー」
「とりあえずジンを寄越せ。ダブルでな」
この日も一番乗りをしたのは、標的としている人物。
組織の親玉の息子であり、パブのオーナーでもあるまだ年若い男であった。
「最初はエールにしておいた方がいいんじゃないですかね。まだ日が高い」
「煩いヤツだ。いいんだよ、今日は親父の小言を聞かされてウンザリしてるんだ」
やって来るなりカウンター前へ立ち、度数の高い酒を注文する。
そんな親玉の息子を嗜めようとする店長だが、それは易々と撥ねつけられ、男は自らカウンター上に置かれたジンを掴みラッパ飲みを始めた。
ここに来るようになって連日目にしてはいるが、噂通り粗野な男であるらしい。
仕立てだけは上等な服に反し、行動が粗雑な男はひとしきり酒が入ると、壁際のダーツへと近寄る。
こちらに背を向けゲームに興じる姿は警戒感の欠片もなく、背後から近付けばアッサリ一突きできそうだ。
しかしカウンターにはもう二人ほど、別に客の姿があった。
「あいつらは気にするな、時々水を差し入れてやれば十分だ」
ゲームに熱中する男の周囲を窺うそいつらは、常に行動を共にしている護衛。
店長はその彼らには、あまり関わらなくても十分であると告げる。
その忠告に頷いた俺は、口を噤んで黙々とボトルを磨いていく。
ここに居る全員を、今この場で仕留めるのはおそらく容易い。ただ問題があるとすれば、こいつの後にマフィアの親玉が待っているということ。
明確に他殺とわかるやり方をしてしまえば、もう一人を仕留める前に市警が乗り出して、面倒なことになってしまう。
ならばどう行動したものか。作業を進めながら思案するのだが、思いもかけず近づくチャンスは巡ってきたようだ。
「そこのお前、オレの相手をしろ」
アルコールの臭いすらしそうな、若干呂律の回らぬ言葉。
そちらを見てみると、近づいていた男はダーツをカウンター上に突き刺し、ニタニタと嫌な笑顔を浮かべていた。
「自分がゲームのお相手を、ですか?」
「一人でやってもつまらん。ここに来る連中は、どいつもこいつも誘いを断りやがる」
どうやら男は暇を持て余していたようで、ダーツの相手として俺を選んだ。
実際素行も悪いようだし、どのように聞いても良い評判を聞かないような輩。
不自然に膨らんだジャケットの裏には銃を忍ばせており、下手に機嫌を損ねれば撃たれかねないということで、他の連中もなんとか断り続けているのだろう。
横でグラスを磨く店長からは、「断れ」と言わんばかりな気配が発せられているのに気付く
だが俺はそれに気付かぬフリをし、カウンターに刺さったままなダーツの矢を引き抜いた。
「承知いたしました。喜んでお相手させて頂きます」
標的を除いた三人からは、緊張らしきものが漏れる。
きっと男たちはこう考えているのだろう。殺されてしまう、と。
「意外だな、本当に受けるとは思わなかったぞ。もしかして話を聞いていないのか?」
「お噂はかねがね。貴方にダーツで下手な負け方をした者は、"一杯奢っていただける"とか」
「……知ってて受けたのかよ、この気狂いが」
事前にコーデリアから見せられた情報には、この男が勝負事を非常に好むという性向が記されていた。
しかし勝負事を好むとはいえ、気に食わぬ結果であった際には、パブの中で撃鉄を起こされてしまう。
特に男のご機嫌取りをしようと、わざと負けた相手に対して。
ガス灯の設置された閉鎖空間で、よくそんな真似をするものだと思う。
ただ元来の気質に加え、こいつは薬物の常習者でもあるようなので、そういった無茶な行動を起こしても不思議ではなさそう。
「もっともその噂、事実とは違うな」
「どのように、でしょうか?」
「以前オレに圧勝したヤツも居たが、そいつも同じ目に遭ったってことだ。精々本気で競ってもらおうか」
ただコーデリアのくれた情報も、不足した部分が存在していた。
馬鹿正直に勝負を挑んだ結果、こいつの逆鱗に触れた人間が居たようで、そいつはこのパブで酒と血の海に沈むハメになったと。
……上等だ。血生臭い世界で安穏と育ったお坊ちゃんに、少しばかり付き合ってやるとしよう。
挑発的にニヤつくそいつの表情を不愉快に思いながらも、平静さは崩さず的の前へ。
そこで集中し矢を放ると、狙いとする箇所へ突き刺さった。
「惜しいな。他の連中よりはずっと上手いが」
しかしこれを狙いを外したと受け取ったようで、男はニタつきながら微妙な賛辞を贈る。
ヤツは自身の矢を投げると、狙い違わず中心へ。すると若干ではあるが、ホッとしたような気配が。
自身の技量を誇示しようとした結果、なんとか失敗せずに済んで安堵したようだ。
そこからはひたすら無言のまま、延々ダーツの矢を投げ続ける。食らいつき、時に逆転し、また逆転を許すという繰り返し。
そんな一進一退な状況を固唾をのんで見守るギャラリー。そして負けじと真剣になる男。
一方で俺の方は、焦る素振りだけ見せながらも内心は平静。
というのもギリギリのせめぎ合いというこの状況、意図的に作り出しているためであった。
子供の頃から続けていた訓練の中に、ナイフを使った諸々も含まれていたのだが、投げる技術はダーツにも有用であるらしい。
「勝負あったようだな。オレの勝ちだ!」
しばし続くゲーム。だがあるところで男は矢を置き、静かに自身の勝利を宣言した。
スコアは僅差。結果はヤツが言うように向こうの勝利。
そのことを誇るかのように、ヤツは懐へと手を伸ばした。
一旦は俺が接戦で負けたことに安堵し、惨劇は起こらないであろうと安堵していた他の連中が、再び緊張するのが手に取るようにわかる。
そしてガス灯の明かりに照らされた黒い物体をこちらに向け、撃鉄を起こし指が引き金にかかったところで、ヤツは口元だけで小さく笑んだ。
「たまにはぶっ放してやりたいところだが、楽しませてくれた礼だ。今日のところはジンの一杯で勘弁してやる」
ゆっくりと撃鉄を戻し、銃を上着の下へと仕舞う。
ヤツはカウンター上に置かれてあったジンの瓶を取り、グラスへなみなみと注いだ。
さらにもう一杯分のジンを注ぐと、男は店内の隅に置かれた席へ移動。
自身が座ったのと別に席を引くと、ここに座れというジェスチャーを見せた。
「気に入られたようだな。……同情するよ」
店長はそんな俺の肩へ軽く手を乗せ、同情の言葉を囁く。
妙に実感がこもっており、それが本心から出たものであるのは間違いなさそう。
見れば護衛の二人からも、同じような気配が感じられた。
同情心を寄越される俺ではあるが、内心では好機であると考える。
ちょっとばかり想定とは異なったが、標的に近づくという目的そのものは成功した。
この後はしばし成り行きに身を任せ、仕留める機会を窺うべく、ジンのグラスが置かれた席へ腰かけるのだった。