沈黙の美麗 04
日も完全に落ち切り、肌寒い風が吹き付ける夜。郊外に建つブラックストン家の屋敷から馬車に乗って市街へ。
前もって手配しておいた別の馬車へ二度乗り換え、王立のオペラハウス前を通り過ぎる。
そこからさらに行った先で馬車から降りステッキを着くと、俺は受けた風に大きく身体を震わせた。
年を跨ぎ、ゆっくりとではあるが春は近づきつつある。
それでもまだまだ寒さは厳しく、スモッグ交じりの霧に巻かれながら、コーデリアがくれたステッキを手に歩く。
「入口はもう少し先になります。準備はいいですか?」
歩きながら小さく呟き、横へと視線を向ける。そこにはシンプルなドレスを着て、その上にコートを羽織る女性の姿が。
色素の薄いゴールドの長い髪から覗く肌は、遥か東の出身者らしい褐色。そして人目を惹く整った容姿。
東の属領と北方の民、それと他にもいくつかの血が入っているであろう彼女は、現在ブラックストン家に客人として招かれているシャルマ嬢であった。
「……問題ありません」
その彼女はチラリと俺を見ると、一瞬だけ視線が合った。
けれどすぐさま逸らされてしまい、愛想も何もあったものではない簡潔な言葉で返されてしまう。
そんなシャルマ嬢の態度に、内心でため息をつく。
シャルマ嬢と共に夜の街を歩いているのは、今回の標的であるバルカム・オーズリーが主催する地下賭博場へと潜り込むため。
本来であれば、ブラックストン家の客人である彼女が同行するなど考えられない。
それに正直に言ってしまえば、彼女の風貌は目立つ。それだけに潜入し暗殺や工作をするというのには、不適切であると言えた。
それでもシャルマ嬢がついて来ているのは、ひとえにコーデリアの意向があって。
いや、正確にはコーデリアに今回の件を依頼してきた、ミセスKによる意向と言うべきだろうか。
ただそんなことを考えながら歩いていると、無意識にジッと彼女の事を凝視してしまったようだ。
「なにか?」
「いいえ、なんでもありませんよ。ただもう少しだけ、気安く話して頂ければと」
あまりにもコミュニケーションの意思に欠けるシャルマ嬢。
俺は一応世話をする執事という立場ではあるが、なんとか打開出来ぬものかと思いきる。
彼女とはこれからしばらく行動を共にするのだ、このまま気まずい状況が延々と続くのは、出来れば避けたいところ。
「……その必要はないでしょう。与えられた役割を果たせば、それで十分」
「仰る通りで。っと、見えてきました。もう一度お願いしますが、くれぐれも慎重に」
とはいえその目論見も儚く崩れ去り、シャルマ嬢とのやり取りはまるで弾まぬまま終了。
そんな状態で歩いて数ブロック、視線の先には地下賭博場への入口とされる、工事現場の陰が見え始めていた。
王立博物館からたった3ブロックという距離に在るそこの入口には、夜間であるというのに数人の人影が。
遠目からでも街のゴロツキといった雰囲気をまき散らしており、実力的には大したことはなさそうではある。
それでも無難に通り抜けるに越したことはなく、小声でシャルマ嬢へと念押しをした。
「わかっています。言われるまでもありません」
「……左様で。ならその言葉、信用するとしましょうか」
だが結局はぶっきら棒な言葉が返されるばかりで、今度は目も合わせようとしてくれない。
一応客人という扱いではあるが、事こういった場においては協力者。もう少し意思疎通を図ってくれてもいいように思うのだが。
ただその愛想のないシャルマ嬢。彼女に対して抱いた感想としては、単純に話すのが苦手、というのとは違う気がするということ。
どちらかと言えば何か事情があって、極力口を開かぬようにしているといった印象だ。
とはいえ確証を持つに至る間もなく、近づいた地下賭博場への入口で見張りの男が声をかけてくる。
「失礼、招待状はお持ちでしょうか」
「ああ、この通り」
周囲に居る他の連中は、いかにもゴロツキにスーツを着せただけといった風貌。
しかし声をかけてきたそいつだけは所作が自然であるため、警備を指揮する役割を持つのかもしれない。
俺はその近づいてきた男が求める招待状を提示する。
前もって準備しておいたこいつは、シャルマ嬢経由でミセスKから届けられた物であった。
「確かに。それと、申し訳ないのですが……」
「わかっている、こいつを着ければいいんだろう?」
男は招待状を確認すると、周囲の男たちへ問題なしと目配せをする。
ただここに入るためには、招待状とは別にもう一つ条件が。
俺はそれも承知していると言わんばかりに、コートの内側へ手を伸ばし、忍ばせておいた物を掴む。
懐から取り出したのは、白と黒のモノトーンで塗られた顔全体を覆う仮面。
目と口の部分だけに穴の開いたそれは、ここへ入るために必ず必要な正装であった。
仮面を着けるのは俺だけでなく、当然コーデリアも同様。
彼女も俺の連れ合いであることを証明するように、まったく同じ意匠をした仮面を取り出し、自身の顔へ当てようとしていた。
「大変結構です。ではどうぞ、ごゆるりとお楽しみを」
その様子を見た警備の男は笑顔を浮かべ、促すように入口を指す。
俺はそれに反応するように進もうとしたのだが、ふと思い至って右の肘を立てた。
すると意図は察してくれたらしく、シャルマ嬢が腕を回してくる。ちゃんと連れ合いであると示すように。
それは地下へ続く仮設の階段を降り、男たちの目が無くなる場所まで続いたところで解かれる。
とはいえこれでシャルマ嬢も、この任務に協力してくれる意思があるのはわかった。もっとも態度は相変わらずであるが。
「随分と長い通路ですね。会場はもっと奥か」
明りは所々に置かれたランプのみという、歩くには頼りない地下道を進む俺とシャルマ嬢。
地下に潜ってすぐ会場が見えるのかと思うも、存外遠いらしきそこへと歩く最中、俺は再び横を歩く彼女へ視線を向けた。
通路の暗さに加えほとんど喋らないというのもあって、シャルマ嬢の仮面姿は不気味だ。
もっともこの仮面がなければ、目立つ風貌を持つ彼女はこの任務に同行するのは難しかった。
きっとコーデリアはそこを踏まえて、彼女の同行を許可したのだろう。ミセスKの意図は相変わらず不明のままだが。
「……ここ、もしかして」
そのシャルマ嬢だが、ふと何かを思い出したように立ち止まる。
仮面のせいで表情はうかがえないが、ここまでで見ることの叶わなかった、少しばかりの困惑が混じった声。
彼女が立ち止まった理由には、俺も思い当たるものがあった。
まだ少しばかり続いていそうな通路。その方向とここまで歩いてきた距離、それらを考えるとこの先に在るのは……。
「そろそろ王立博物館か。よくこんな場所に地下道を通したもんだ」
距離から考えると、おそらくここは王立博物館の正門を越えたあたり。
もう少し歩けば博物館建屋の真下にくるはずで、まさかあんな貴重な品が詰まった真下に、地下道が通っていることに驚愕を禁じ得ない。
ここが上水と下水、どちらで使われるのかはまだわからないが、こんな通路が存在してしまえば色々と都合が悪いだろうに。
シャルマ嬢もその感想は同様であるらしく、仮面越しにもどこか呆れたような気配を感じられた。
明かりが少ないため先は良く見えないが、奥の方にうっすらと扉らしき物が見える。
おそらくあそこが地下賭博場の入口。変わらぬペースでそこへと近づくと、扉越しに聞こえる喧騒に眉をひそめながら扉を押し開けた。
「まさか博物館の真下に、こんな施設を……」
開いた扉の向こうに見えた光景に、俺は仮面の下で驚きを浮かべて呟く。
工事中の地下を一時的に拝借し改造したという地下賭博場。であるはずだ。
目の前に広がるのは、それこそ頭上の博物館を丸ごと地下へ持ってきたのではと疑ってしまうほどの、広大な空間。
そこに数十では効かぬ数の老若男女が……、全員仮面をしているのでおそらくだが、酒を手に話へ花を咲かせていた。
そんな光景を目にし、さしものシャルマ嬢も自ら口を開いてしまう。
「地下道……、ではないわね」
「確かに。水が通るための場所にしては広すぎる、おそらくここは博物館の施設でしょう」
何台もの卓が置かれ、ディーラーたちが仕切るいかにもな賭場。
ただ空間全体をよくよく見れば、しっかりと壁や階段が造ってあり、急造という印象は受けない。
なのでこの広い空間に関しては、上下水道ではなく王立博物館の一施設として整備された場所であり、そこを拝借しているのだろう。
「ということは、博物館の関係者もグルか。これは相当な大物も引っかかりそうだ」
標的であるバルカム・オーズリーを仕留めに来たはずが、予想だにしない部分で収穫を得そうで、俺は仮面の下で口元を歪ませた。
実のところミセスKからの依頼は、シャルマ嬢を連れていく以外にもう一つ存在する。
それはこの会場に居る客たちについて記された、顧客の名簿を確保することだった。
いったいそんな物を、何のために使うのかとは思うけれど、この点はあまり触れない方が良さそうだ。
「それじゃ、標的に近づく前にまずリストの確保といきますか。とは言うものの……」
自身に気合を入れるべく、小声ながら行動を口頭で確認。
オーズリーが常にその顧客リストを持ち歩いている、ということはあるまい。施設内の金庫にでも仕舞ってあるはず。
ヤツはディーラーの一人を側近として従えているそうなので、そいつが知っている可能性は高そうだ。
だがそのディーラーを探し出すにしても、少々問題が。
「どいつがそうなんだ。これじゃ見分けがつかない」
受け取った資料には、ディーラーの写真も添付されていた。
けれど客だけでなく給仕やバーテンダー、それにもちろんディーラーまで仮面をかぶっているため、どいつがそうなのかまるでわからない。
あらかじめこうなる事は予想していた。なので慌てることはない。
とは言うものの、実際その状況を目の前にしてみると、否応なしに面倒くささが際立ってしまう。
そんな中でも救いと言えるのは、隣のシャルマ嬢が意外にもやる気であったことか。
「なら虱潰しね」
彼女は簡潔にそう呟くと、手近な卓へと歩いて行ってしまう。
さっきまでのまるで熱意のない様子を考えると、まるで別人のようにすら思える。
それでも協力してくれるだけありがたいと、俺も彼女の後ろをついて向かうのだった。




