新たな生 01
両親によって売られ、ブラックストン家に引き取られ十年近くの月日が経過した冬。
子供と呼べる時期はとうに過ぎ去り、俺は立派な大人の一員として見られるような歳となった。
競り落としたブラックストン家当主のアーネストが欲したのは、生まれ持った暗殺者としての才能。
そいつをどこで使うつもりなのか、いまだ教えては貰えない。
けれどいずれは活用するつもりがあるようで、ここまでの数年間は様々な訓練を受けさせられ続けていた。
ただそれ以外の時、普段この屋敷でさせられている事と言えば、もっぱら異様に広い庭に生えた植木や芝の手入れ。
表向きは田舎町から来た、庭師見習いということになっているためだ。
そしてこの日もまた、午前中を諸々の訓練に当てた俺は、午後になるといつものように庭へ出る。
庭の一角で腰をかがめ雑草を引き抜いていると、遠くから男が俺の名を呼ぶのが聞こえた。
「こっちを手伝ってくれないか!」
立ち上がって振り返ると、視線の先には大きく手を振る老人の姿が。
ブラックストン家に来て以降、表向き庭師見習いである俺にとって師匠と呼べる人だ。
彼は掘り起こした土を手押し車へ詰め込み、真冬だというのに大量の汗をかきながら運んでいた。
「ドラウ爺さん、あんまり無理しないでくれよ。また腰をやられちゃ、堪ったもんじゃない」
「すまんなフィル。やれやれ、年を取るとこの程度の作業にすら難儀してしまう」
「気にしないでいいって。向こうの花壇用の土だよな、やっておく」
ドラウ爺さんは、俺がこの屋敷に来た時点で既に七十近く。
当時から腰が悪そうにしていたが、あれから年月の経った今ではもっと辛くなっているはず。
そのドラウ爺さんから手押し車を引き受けると、花壇へ向け運んでいった。
さっきドラウ爺さんが呼んだように、俺がブラックストン家へ来たのに伴って、名前も新たなものへと変えることとなった。
本来のイライアスという名を捨て去り、フィルという新たな名を当主により与えられた。
苗字もオグバーンからハイランドに改め、この地で新たな人生を送る事に。
あのまま生家で暮らし、両親から冷たい視線を浴び続けるのを想えば、まだ恵まれている方なのかもしれない。
そんなことを考えながら、運んだ土を花壇に移し均していると、再びドラウ爺さんが手招きするのが見えた。
「爺さん、他にも手伝おうか?」
「いいや、そうじゃないんだ。ご当主様がお前を呼んでいる、早く行くといい」
手伝おうと小走りで駆け寄るも、どうやらそれが目的ではなかったようだ。
ドラウ爺さんは視線だけで屋敷の方を指すと、軽く背を押してきた。
大抵主人であるアーネストが呼ぶとなれば、俺が日々受けている訓練に関するものくらい。とはいえ今日は既にノルマをこなしている。
いったい何の用事だか知らないが、主人の呼び出しであれば拒絶の余地もない。
「ちゃんと泥を落として、着替えてから行くんだぞ!」
後ろで叫ぶドラウ爺さんに急かされるがままに、着替えるため屋敷へ向かう。
井戸で水を汲むと裏口から入って自室へ戻り、冬の寒さと水の冷たさに震えながら身体を拭く。
クローゼットの清潔な衣服に着替えて部屋を出ると、使用人が使う簡素な通路から絨毯が敷かれた家人用の区画へ。
主人であるアーネストの書斎が見えたところで軽く咳ばらいをし、普段の気楽さから使用人としての態度に切り替える。
そして意を決しノックをすると、中からは聞き馴染んだ声が。
静かに扉を開けて入り、俺は姿勢を正して一礼した。
「お呼びでしょうか、ご当主様」
書斎の隅に立ち、書架の前で本を立ち読むアーネスト。
彼は部屋に入ってきた俺を一瞥すると、手招きし自身に近づくよう促す。
近づいてみると、アーネストがそれなりの年齢であるはずなのに、随分と若々しいことに気付かされる。
背筋はピンと伸び、本に対し向けられる目は、若者がするそれと大して変わらない距離。
ドラウ爺さんとも歳が近いというのに、相変わらず矍鑠とした人物だ。
そんな若々しい屋敷の当主、アーネストは本をパタリと閉じると、独白するように口を開く。
「コーデリアが寄宿学校へ行って、もう何年が経つのであったか」
「確か……、そろそろ6年近くになられるかと。お嬢様とは、3年ほどお相手をさせて頂きましたので」
「もうそんなになるのか。ということは6年もの間、一度も帰省していなかったという事になるな」
ブラックストン家のお嬢様、つまりコーデリアとは俺がこの屋敷に来てからの3年間、まるで兄弟のように共に過ごしてきた。
一応主従という建前があるはずなのに、あえてそのように過ごしてきたのは、目の前に立つ当主の意向があったため。
どうしてそのようにしたのかは知らないが、日々の訓練という労を差し引いたとしても、俺にとって最も心穏やかな日々であったと言っていい。
そのコーデリアは現在、王国北部の寄宿学校へと行っている。
小領の主とすら言われる郷紳である以上、それなりの水準で教養を身に着けるべく、良家の子女が通う学校へ行かされたため。
ただ夏季や新年の休暇であっても帰省してくる様子がなく、このご主人様は毎度落胆しているのだった。
「お嬢様がどうかされましたか?」
「うむ、そのコーデリアからの手紙が届いた、二通な。片方は私宛てに、そしてもう一通が……」
アーネストはそう言って、手紙を2枚懐から取り出す。
どうやらコーデリアから届いた物らしいが、一方は彼自身に宛てられたもの。
そしてもう片方を、アーネストは「お前に宛ててだ」と言い差し出してきた。
寄宿学校に行ってから6年。コーデリアもそろそろ卒業を迎える頃。
なのでアーネストに届いた手紙は、その件を伝えるための物であると思う。
一方俺に対し届いたのはおそらく、これまで定期的に来ていたのと同じように、近況を記した物に違いない。
「想像していた通り、卒業に関する内容だな。来週には帰ってくると書いてある。……まったく、我が孫娘ながら急が過ぎる」
立ったままで手紙を読むアーネストは、その内容が考えていた通りの物であると告げる。
ただ屋敷に戻ってくるのが来週。手紙を出してから届くまでに要する時間を差し引いても、あまりに突然。
その事に若干憤慨をしているようだが、心なしか嬉しそうにも見える。
基本的には生真面目な当主、そして厳格な祖父という仮面をかぶっているアーネストではあるが、孫娘に対しては甘々なお爺ちゃんなのだ。
……おそらく彼の息子夫婦、つまりコーデリアの両親を亡くしているために。どうしてそうなったのかも教えてもらえていないが。
「ところでご当主様、どうして自分をお呼びに?」
手紙を渡すためだけであれば、それこそ他の使用人やドラウ爺さんにでも任せれば済む。
現にこれまではそうしており、他の使用人たちにも俺とコーデリアが親しいのを知られている以上、わざわざ呼び出してまで渡すような事はなかった。
しかし今回はあえて、書斎にまで呼び直接手渡した。
そこには何か特別な意図があるように思えてならず、俺は少しばかり緊張しながら問う。
するとアーネストは意味深げな笑みで、孫娘からの手紙を指先で摘まみ揺らした。
「コーデリアが帰ってくるタイミングで、お前には試験を受けてもらおうと考えている」
「試験、ですか?」
「これまで散々訓練を受けてきただろう? お前の"才能"、私は腐らせておくつもりなどないぞ」
ニヤリと笑むアーネストの表情に、背筋が粟立つのを感じる。
非合法な商品ばかりを扱っているであろう闇競売場。そこで俺は常人にはまるで現実感が無いほどの巨額で落札された。
世間にごく僅かしか持つ者が居ないであろう、暗殺者の才能を求めて。
膨大な財を持つこの当主にとっては、痛くはあっても決して出せない額ではないはず。
だが決して物珍しさや興味本位によってではない。それはここまで何年もの間、ずっと訓練をさせてきたことからも明らかだ。
つまり彼が言うところの試験とやらによって、最終的に資質のほどを見極めようということか。
「詳しくはコーデリアから聞くといい。あやつには既に色々と話をしてある」
「お嬢様から……」
「我が孫娘がお前のパートナーだ。これはあいつにとっての試験も兼ねている、しくじるなよ」
どうやらこれこそが、わざわざ書斎へと呼び出した本題であったらしい。
もう要件は済んだとばかりに退出を促す主人に従い、俺は受け取ったコーデリアの手紙だけを手に、一礼して書斎から出る。
同じ順を辿って絨毯の上を歩き、使用人のための通路を通って自室へ。
入るなりベッドの上に転がって天井を眺めると、吐き出すように小さく呟く。
「平穏もこれで終わり……、か」
暗殺などという、普通の人々にはまるで縁のない言葉。
そんな才能を持って生まれてしまった俺が、そいつを活かすための機会が来たと告げられたのだ。
これまでそれらしい色々な訓練こそ受けてきたものの、そこ以外はただの庭師見習いという、一般人も同然の暮らし。
だがそれも、遂に終わりを告げるようであった。