死神のテーラー 01
教会で十日ほどを過ごし、南部の港町へ行って戻るまでさらに数日。
聖夜祭が目前となりつつある、任務開始から十四日目の昼間。俺はグライアム市の中心部、市警本部前に立っていた。
纏っているのは司祭の法衣でもなければ、警察官の制服でもない。
清潔でシンプルな揃いのスーツを身に着け、片手には大きめな鞄。もう片方にはカバー付きのハンガーに真っ新なスーツ。
一見して洗濯屋か、あるいは仕立屋としか見えぬ風体で入ったそこで、俺は一人の人物へと取り次ぎを頼んだ。
「やあ、君か。しばらく振りだね」
市警本部の正面ロビーで待ってしばし。現れたのは長身の男。
彼はこちらの顔を見るなりすぐ微笑み、手を掲げて気安い空気で声をかけてきた。
「ご無沙汰しております、バリー警部」
「そうかしこまらずともいいよ。ところでどうしたんだい、仮縫いならもう少し先だと思っていたけれど」
現れたのは、グライアム市警のバリー・ロックウェル警部。
先日休暇中の俺が、ブラックストン家の営むテーラーに居た時に来た客だ。
わざわざ彼を訪ね市警本部まで来たのは、注文されたスーツの仮縫いをするため。
「不躾かとは思いましたが、今のうちに伺わなければお会い出来ないかと」
「すまないね。確かにここ最近特に忙しいから、店に行く暇はなかったかもしれない。さあ、こっちに来てくれ」
バリー警部が日々忙しく捜査に走り回っているという噂は、ここいらに住む住人と世間話の一つでもすれば聞き出せる。
おそらく彼が仮縫いのためテーラーを訪れるのは、取り掛かっている事件に一区切りついてから。
とはいえ常日頃から犯罪の頻発するグライアム市だ、それがいつになるか知れたものではなかった。
そこでこちらから訪ねたことを伝えると、バリー警部は少しばかり申し訳なさそうにし、奥に在る部屋へと案内してくれる。
ただ俺は彼の後ろについて歩きながら、それとなく周囲を見回しある人物の姿を探っていた。
「そんなに警察が珍しいかい?」
背後で密かに視線を奔らせていたのだが、彼はこちらの視線に気づいていたようで、応接間に入ったところで問いかけてくる。
ただ視線の理由は誰かを探しているためではなく、市警本部という施設そのものへの関心であると考えたようだ。
「……少しばかり。こちらには初めて入ったもので、後ろ暗くなくとも緊張していまいます」
「ハハハ、大抵の人は同じことを言うよ。でも罪を犯さない限りは安心してくれていい」
「でしたら問題ありませんね。では警部、上着を失礼いたします」
僅かな緊張感をあえて隠すことなく答える。おそらくその方が自然であろうから。
その返事へと冗談交じりに笑うバリー警部。どうやら信じてくれたようだ。
俺はそんな彼から上着を受け取ると、ハンガーのスーツを渡し仮縫いを始めていく。
ただもちろんのことながら、今回市警本部に来たのは本当に彼の服を作りあげるためではない。
こいつはあくまでも、市警本部へ入り込むための方便。本命はここに居る、とある人物にあった。
グライアム市警本部には、教会のシスター連中から袖の下を受け取り、警官からの報告を握り潰していた輩が居る。
コーデリアが時間をかけ調べてくれた結果、その人物が誰であるかの特定が叶った。
だがなかなかに立場のある人物であるようで、仕留めに掛かることは難しいと判断。こうして機会をうかがうべく乗り込んだのだ。
「今日もまた、随分とお疲れのご様子で」
ただ仮縫いの作業をしていく中で、ふとバリー警部の様子が気になる。
前に会った時もそうであったが、彼はどうにも疲れが抜けずにいるようだ。まだ若いというのに、気だるい雰囲気を全身に纏っていた。
もっともそれはバリー警部に限らず、市警本部に居る人間の多くがそうなのだが。
「君には隠し事ができないみたいだ。もしかして、そういう"才能"が?」
「そうではありません、お顔を拝見すれば誰にでも。以前話してくださった事件についてですか?」
前回テーラーで会った時の彼は、俺が仕留めた商人と貴族についての捜査に携わっていたはず。
加えて前任者から引き継いだという、なにがしかの捜査も並行して進めたがっていたのを覚えている。そちらについては教えてくれなかったが。
聞いてみるとどうやら、ザカリー・ファースの事件を調べていた彼だが、ここ最近は引き継いだという別件の捜査に明け暮れていたらしい。
しかしつい昨日、バリー警部はまた別の事件を担当することとなる。
グライアム市近郊の村にある教会で起きた火災、そしてそれと関連していると見られる、人買いの殺害についての件を。
「まさか信仰に身を捧げるべきシスターたちが、あのような悪事を働いていたとはね」
「そういえば今朝の新聞に載っていましたか」
「ああ、大々的に一面を飾っていたな。確か見出しは、『黒い信仰に溺れた女たち、裁きの炎に焼かれる』、だったかな」
「毎度よく考えるものです。今回は煽り文句としてイマイチですが」
応接間の隅に置かれていた新聞を指し、バリー警部は肩を竦める。
先日の件は、保護された子供たちや加勢してくれた警官の証言により、大規模な人身売買事件であると判明するに至った。
もちろん隠し通す気などなかったため、これは想定の範囲内。
それにしてもまさかこの人物が、俺の行った暗殺を二件も担当することになるとは思ってもみなかった。なかなかに世の中も狭い。
「この前のマフィア暗殺事件も抱えているしな……。市警の人手不足もなんとかしてもらいたいところだ」
……訂正、三件もだ。
彼のような新米警部がここまで事件を抱えている時点で、やはり口にするように人手不足は深刻らしい。
バリー警部はそんな状況に疲労困憊。仮縫い中の上着を脱ぎながら、もう一度大きなため息を漏らす。
俺はその上着を受け取り、直すための目印を付けていく。
すると彼はそこで、独り言のように自身の感想を呟いた。
「連中が犯していた罪と、誇示するような殺害の手法。それらを考慮すると、何者かによって"成敗"されたと考える方が自然だ。まるで自身を"正義"だと言わんばかりにね」
「……なんとも豪胆な人間も居たものです」
「っと、今のは出来れば聞かなかったことにしてもらいたい。警察の立場としては、到底許せる行為ではなくてね」
どうやら自身の推測を、表向き一般人である俺に聞かせるのはマズいと考えたであろうバリー警部。
彼はしまったという表情をし、自身の口元へ人差し指を当て、この場限りの話にしてもらいたいと懇願した。
それにしても、彼の推測はなかなかに的を射ている。実際あの悪党どもは、俺という暗殺者によって始末されたのだから。
別段正義感から悪党を排除したというつもりはないのだが、紙面ではバリー警部が言ったように、ある種英雄視するような論調が僅かながら見受けられていた。
しかし警察であるバリー警部には、その記事があまり面白くないようだ。これは当然かもしれないが。
「おや、ロックウェル君。もう服が完成したのかね?」
彼の頼みへ静かに頷き了解を返す。そしてバリー警部が感謝を口にしたところで、ふと応接間の扉が開かれた。
現れたのは中年の男。その男はバリー警部と俺を見るなり、ここでの状況を察したようだ。
「部長。いえ、まだ仮縫いの段階でして。わたしが多忙であるのを察した彼が、こうしてわざわざ来てくれた次第で」
「そいつはいい。ブラックストンのテーラーに任せておけば問題はない、良い品を仕立ててくれるはずだ」
部長と呼ばれた中年の男は、バリーに近づくと大きく笑いながら完成前の服を見下ろした。
どうやらこの男がバリー警部に対し、昇進に当たって見栄えのするスーツを仕立てるようにと勧めた人物であるようだ。
グライアム市警でバリーらを監督する立場ともなれば、言うまでもなくかなりの権限を持つ。
……そう、例えば一介の警官から届けられた、捜査要請を握り潰す程度なら容易に。
今回俺がこの場所へ来た目的こそ、この市警本部で要職に就く男だ。
コーデリアの調査によって、村の警官が送っていた協力要請を握り潰していた者の名は判明。
それがこの部長と呼ばれた、バリー警部の上司に当たる人物であった。
なるほど道理で、村の警官がした要請に市警が動かないはずだ。
袖の下を受け取っていたのがここまでの大物では、あの警官の苦労も到底実を結ぼうはずがない。
「わしももう一着欲しいところだな。春用の物が、かなりくたびれてきていてね」
「良い風合いをした一級品の生地が、東の国より届いております。もしご注文いただけるのでしたら、最高の品をお約束しましょう」
男は俺の方を一瞥すると、新たな服の注文についてを思案し始める。
そこで他に邪魔のない場で、再度こいつと顔を合わせる機会を狙い、新たな注文をという名目で営業をかけた。
「ふむ、では一着仕立ててもらおうかな。近いうちに店を訪ねるとしよう」
「ご都合さえよろしければ、こちらからご自宅へお伺いしても構いませんが?」
「たまにはそれも悪くはないな。早速明日暇でね、頼めるだろうか」
標的が目の前に居るという、千載一遇のチャンス。
とはいえここで実行とはいかない。なにせ目の前にはバリー警部が居る、彼も口封じにというのは流石にマズい。
それに今こいつを仕留めてしまえば、外部から入ってきた仕立屋という存在を認識されてしまう。
「では明日、昼過ぎにお伺いします。その時に古いスーツもお預かりしましょう」
男が明日休日であるというだけでも、ここに来た非常に大きな収穫。
俺は翌日の昼以降に行く約束をすると、外用の笑顔が張り付いた仮面をかぶるのであった。




