偽の美 03
護衛としてブレット・ニューマークに接近。それから一週間ほど経過したところで、突然にその事件は起きた。
日ごとに増えていく屋敷内の調度品。廊下に並んだそれらが問題の発端。
屋敷の主人によって節操なく並べられているため、屋敷内を掃除するメイドたちは非常に苦労しており、彼女らは慎重に作業を進めていた。
それでもいつかは失敗をする時が来る。若いメイドの一人が、うっかり白磁の壺を割ってしまったのだ。
彼女にとって不運であったのは、割ったそいつが冗談では済まない額の代物だったこと。
おそらくこのメイドが寿命尽きるまで屋敷で働いたところで、きっと返済には至らない。給金の全額を使ったとしても。
この事態を知った使用人や俺を含む護衛たちは、ブレットが珍しく温情を見せてくれることに僅かな望みを抱いていた。
「許してなるものか。失った壺は、あのような小娘よりも遥かに貴重な品なのだぞ!」
しかし案の定、調度品の破損を知ったブレットは激怒。
高価な美術品に囲まれた書斎であるため、八つ当たりもできず振り上げた拳を収め、メイドを美術品よりも価値が低いと罵倒する。
だが実際は金額云々ではないのだ、おそらく破損したのがもっと安い、それこそ子供の小遣いで買えるような物でも同じことを言ったはず。
分類としては使用人に当たる護衛を前にして、よくこのような言葉を吐き出せるものだ。
最初からわかってはいたが、こいつには人心掌握という概念すらないらしい。
「いったいどうしてくれよう。ちょっとくらいの仕置きでは腹の虫が治まらん」
「ご辛抱下さい。他の使用人たちが怯えてしまいます」
美術品周りで好意的な言葉を吐く俺を、こいつはいたく気に入ってしまったようだ。
そのため四六時中側に居させれている俺が、ブレットを宥める役回りとなってしまった。
以前から居たはずである二人の護衛たちも、視線で俺にその役目を押し付けてくる。
面倒なことこの上ないが、メイドが不憫な目に遭うのはしのびなく、なんとか自制を促す。
だが今日は特に虫の居所が悪かったようで、こちらを指さすブレットは耳を疑う命令を下した。
「いいや、我慢ならん! 新入り、お前がメイドを痛めつけてこい!」
強い怒気交じりの声で、メイドへの制裁を口にするブレット。
俺を含めこの場に居る全員が一様に顔をしかめる。当然だ、メイドはただの一般人でしかないのだから。
護衛である以上、無法者や襲撃者に襲われれば相手を殴ることも厭わない。
しかし雇い主の癇癪に付き合わされ、ただの娘を痛めつけるというのは流石に気が咎める。
「ご主人様、それは余りにも……」
「なにをしても構わん! 骨を折ろうが、犯そうが好きにしろ!」
期待などしていなかったが、それでも自制を口にする。
だがその淡い可能性はもろくも砕かれ、ブレッドはあまりに非情な命令を下した。
これは八つ当たりや仕置きという次元を、軽く飛び越えてしまっていた。
自身でそれを行おうとしないのは、単純にリスクを考えて。流石に自らが過度の暴力を振えば、使用人たち全員が反旗を翻しかねないため。
怒りの最中にあっても、こういった小賢しい部分にだけは頭が回ると見える。
「もしその小娘が、外でこの事を話そうとしたら……。わかっているな?」
「……承知しました。お任せください」
「ワシはこれから出かけてくる。戻るまでに済ませておけ」
次いでブレットが下したのは、この件を口外しようとすれば始末しろという命令。
俺はそんな命令に苛立ちながらも、表面上従順なフリをし頷いた。
ブレットが屋敷を出ていったのを確認すると、一旦物置に寄り道をしてから、罰としてメイドが閉じ込められている地下室へ。
そこの扉を開けて中に入ると、蝋燭一つの薄い明りに照らされていた娘は、俺を見てビクリと身体を震わせた。
「あ、あなたは護衛の……」
薄暗い中でも、誰であるかはすぐにわかったらしい。
しかし俺の顔を見た彼女は、後ずさりすらしかねないほど不安そうな表情に。彼女は想像してしまったに違いない、さっきブレットが命令したような内容を。
この屋敷に来て数日、彼女を何度か目にしてきた。
まだ名前は知らないけれど、いつも真面目に仕事をしているのを見て、好意的にすら思えていた娘だ。
「君、名前は?」
「リジー……、です」
「わかったリジー。だいたい予想していると思うが、君はここの主に目をつけられた」
怯えるメイドの娘、リジーへとありのままを伝えると、みるみる内に彼女の顔が青くなっていくのがわかった。
この様子だと、過去にも同じような目に遭った者が居そうだ。
一応その部分を問うてみると、彼女は頷きそれを肯定する。
「ま、前にあたしの先輩が……」
「その人はどうなった?」
「この部屋に閉じ込められて、次に出てきた時には、……とても酷い姿に」
やはり以前にも美術品を壊してしまった使用人が居り、罰として地下室で暴行を受けたようだ。
リジーはその時の状況を濁して話すが、おそらくブレットが命令したような内容が行われたに違いなく。案外最後の手段すら行使された可能性も。
実際ブレットはこれまで、共犯者であるファース卿と組んで、悪事の証人を始末させた前科がある。
もし俺が断っていたら、次に他の護衛たちへ命令が下ったはず。その時彼らは不満を抱きながらも、たぶん拒絶することは出来ない。
リジーの様子をみたところかなり動揺しているようで、外へ出てから何を口走るかわかったものでは。となれば……。
「悪いけれど、君には最悪な形でこの屋敷を出てもらう。つまり死体袋に詰め込ん――――」
「そんな……。お、おねがい! なんだって差し出すから、命だけは」
「話は最後まで聞いてくれ。あくまでもそのフリをするだけだ、本当に危害を加えたりはしないから」
殴る蹴るの暴行をしたところで、あの様子を見る限りブレットは納得しそうにない。
となれば最終的に片付けたという事にし、密かに逃がすというのが落としどころか。
幸い使用人たちは彼女に同情的だ。もしバレたとしても、見て見ぬフリをしてくれる。
今は外出しているブレットに同行した護衛だが、彼らもまたブレットを好ましく思っていないため、無用な追及はしてこない。
リジーの死体を見せてやった方が、ヤツからより気に入られるかもしれない。
そうすれば暗殺そのものは実行しやすくなるだろうが、そこまで従順になってやる義理はなかった。
「でも、弟が家に残って……」
「ならその弟も迎えに行くとしよう。ひとまず周囲を欺く、コイツに入って」
地下室へ来る前に寄った倉庫で回収した物、大きな麻袋を広げリジーを押し込む。
そして彼女が入った袋に赤い塗料を少しばかりぶち撒け、口紐を縛ると肩に担いだ。
リジーはここまでの説明と行動で、何を求められているのかをしっかり理解したらしい。
布袋越しに触れる身体は緊張に強張っているが、死体になりきって身動き一つしないという意思がありありとしていた。
偽の死体袋を担いだ俺は密かに、かつ堂々と上階に移動し通用口へ。
最中に二度ほど使用人とすれ違い、そのどちらもがハッとするもすぐさま状況を察知、口を噤み視線を逸らしていた。
以前も似たようなことがあったため想像したのだろう。この麻袋の中に、暴行の末に死んだリジーが入っているのだと。
「馬車を借りるぞ。いいや、屋根付きのじゃなくていい。そっちの荷運び用をだ」
裏庭の一角で馬の世話をしていた使用人へと、小銭を放って馬と馬車を拝借。
乱雑に見えるようリジー入りの麻袋を荷台に乗せると、馬を走らせ屋敷を出た。
「もう少しばかり辛抱してくれ。しばらく町中を流す」
揺れる御者台の上から、荷台でジッとするリジーに声をかける。
彼女は律儀に身動き一つしないが、おそらく了解してくれたことだろう。
そこからしばし町中を行ったり来たり。誰も追いかけてくる姿がないのを確認し、人の気配がない区画の路地へ入ると袋の口を解いた。
外の明かりが見えたことで、ホッとしたようなリジーの表情が。彼女を引っ張り出すと、弟が居るという家の場所を聞き、隣に座らせ馬車を走らせた。
「弟さん以外で、他に心配事は?」
「いいえ、これといって。もちろん仕事を失ったので、そこは不安ですが」
「そこはこっちで世話をさせてもらうよ。ところでご両親は?」
「家族は弟だけです。もう身内はあの子だけしか居ないので、とても心配で……」
弟以外にも何かないかと問うも、目下彼女の心配事はそこに尽きた。
両親が居ないというのは、そう珍しい話ではない。
何年か前にも流行り病が蔓延し、グライアム市だけでも多くの人が倒れた。特に貧民街に被害が多かったと聞く。
弟が暮らすという家の住所はまさにそのど真ん中。なのでリジーの両親もそうだったのだろう。
「ところで弟と一緒に、あたしはどこへ行けば?」
「その前に約束してほしい。いや約束というより、契約だな。命を助ける代わりに、この件を決して誰にも話さないこと」
「弟にもですね、わかりました。弟と一緒に助かるのであれば絶対誰にも言いません」
「上等だ。君と弟さんはこれから、とある屋敷へ行くことになる。そこでメイドとして働いてもらうよ、かなり仕事は大変だろうけれど」
身内の件や今回の事も含め、リジーを不憫には思うが受け入れるしかない。
なのでせめて彼女にはこの次に行く先をあげるとしよう。つまりはブラックストン家での、メイドという職についてもらう。
今回リジーを助けたのは、罪のないメイドが痛めつけられるのが不愉快であったというのが第一。
そしてあくまでもついでではあるが、ブラックストン邸が抱える最大の問題を解決しようという意図があった。
使用人のほとんどに暇を出し、執事長までもが屋敷を離れる以上、ブラックストン家は見事なまでの人手不足。
そこで欲したのが、決して裏の事情を口外しない信用の置ける者。別の言い方をするならば、弱みを握った相手だった。
「ありがとうございます。貴方と主に感謝を」
ここまで見てきた限り、彼女は生真面目な気質であるのがよくわかった。口も、おそらく堅い方。
偶然ではあるが、折よく好都合な使用人が見つかった。彼女を利用するようで悪いとは思うが。
そのリジーは御者台の上で横に並び、手を組んで感謝を口にする。
しかしその対象がこれから主となるコーデリアではなく、神であることに若干の不満を抱いてしまうのであった。




