偽の美 02
コーデリアから新たな暗殺について聞かされて数日。
俺は最初の標的である、ブレット・ニューマークという武器商に接近するため、コーデリアの手引きで護衛として潜入することになった。
向かったのはグライアム市の郊外、新興の閑静な住宅地に在る屋敷だ。
まだ建てて間もないであろうその屋敷は、白い外壁へでかでかと赤いペンキを使い、絵だか文字だかしれぬものが描かれていた。
昼食を兼ねたちょっとした休憩の最中、空気を吸いに屋敷の外へ出た俺は、その赤い謎の物体を見上げる。
「結局これはなんて書いてあるんだ?」
「実はわたしたちも知らなくて……。あまり知りたい訳でもありませんけれど」
折角の綺麗な建物を盛大に汚す赤。得体の知れぬそれを見上げた俺は、隣で地面を掃くメイドに問う。
どうやらこの豪邸を建て引っ越してきたその日、ニューマークは自らの手で真新しい箒を使い、この得体が知れぬモノを描いたらしい。
つまりこのラクガキ、別に高名な画家が描いたような代物ではない。
ただ俺にはどうにもこいつに芸術性があるとは思えず、眺めては首を捻るばかり。
実際屋敷で働く使用人たちにしても、これが何であるのかがサッパリのようであった。
「ご主人様は、"お前らのような下層市民が理解できるほど、生易しい芸術ではない"と」
「そいつはまた、随分と親切な説明をしてくれるもんだ」
「もう諦めています。ご主人様の気質は、ここに来て最初の数日で理解しましたから」
隣で仕事にいそしみながら口を開くメイド。
彼女はここに来た当初、使用人に対しあまりにぞんざいな扱いをする主人と、わずかながらコミュニケーションを取ろうとしたらしい。
結果返されたのが今聞かされたような、辛辣というか自意識過剰に過ぎる言葉だ。
案外自分自身でもなにを描いたのか理解しておらず、碌に説明も出来なかっただけの可能性はあるが。
「もし仮に他も見学されたいのでしたら、お屋敷の中がお勧めですよ」
訳の分からない自称芸術品に呆れていると、メイドはニヤリとし箒の柄で屋敷を指す。
広い屋敷の中には、通路や応接間など至る所に調度品が置かれ、その財を見せびらかすように飾られている。
彼女はきっとそのことを言いたいのだろう。少なくとも、屋敷の主人が描いたラクガキよりは多少マシなはずだと。
「確かにそうだな。建物の中なら霧も出ない」
「実にもったいない事です。この霧で折角ご主人様がお描きになった、素晴らしい芸術品が見られないなんて」
「ああ、きっと近隣の住民も残念がっているよ。濃くなればなるほどね」
周囲を見回せば、住宅地には濃い霧が立ち込め始めていた。
多くの風景画家たちが霧の都と称す、グライアム市の名物。工場や家庭から排出された、スモッグ混じりの濃霧だ。
それによって壁のラクガキはゆっくりと覆い隠されていき、閑静な住宅街に相応しい景色が戻りつつある。
そのことを指して、メイドと皮肉というか嫌味が多分に混じったやり取りをする。
彼女と気晴らし的な会話をしひとしきり笑うと、俺は休憩を終え屋敷の中に戻っていった。
通用口から屋敷へ入り、ブラックストン邸ほどではないが広い廊下に。
どちらに視線を向けても飛び込んでくるのは、それこそ無駄なほど雑多に置かれた調度品の数々。
「よくこれだけ集めたもんだ。よほど儲かって仕方ないんだな」
屋敷内の至るところへ置かれたそれを横目に眺め、ノンビリと廊下を歩いていく。
コーデリアから渡された資料によれば、ここニューマーク家は数年前に一度、事業が大きく傾いている。
だがある時を境に持ち直し、逆に商会の規模は拡大。以降このように美術品を買い漁るようになったとのこと。
おそらくその頃からだろう、軍への納入品の偽装を始めたのは。
ただ当主であるブレット・ニューマーク、有り余る金に物を言わせ美術品を集めてはいても、その趣味はかなり悪そうだ。
やたらと金を多用し、宝石を無意味に散りばめ、色合いもまるで統一感が無い。
ブラックストン家に置かれていた、簡素ながらも品の良さを感じる調度品に比べれば、典型的と言えるほどに成金趣味丸出しだ。
「これじゃ逆に馬鹿にされるだろうに……」
いわゆる上流階級の連中というのは、普段暇と金を持て余しているためか、こういった部類の趣味へ妙に眼鼻が利く。
俺のような素人や、使用人にまで笑われてしまうようなセンスでは、きっと陰口を叩かれているに違いない。
そんなことを考えながら、ブレットの私室前に来た俺は軽くノックをして入室する。
「遅いぞ。どこをほっつき歩いていた」
入るなり襲い掛かってきたのは、強い苛立ちの含まれた声。
見れば壁にかかっている絵画の前で、小太りな男が腕を組んで険しい表情をし、こちらを睨みつけていた。
こいつが今回の標的、ブレット・ニューマーク。
この場は安全であろうに、常に護衛がそばに居ないと不安であるらしく、少しの間離れていた俺に不満気だ。
現に俺の他にも二人、交代で休憩を取りながら護衛を行っている人間が居り、そいつらは部屋の隅へ無表情で立っていた。
「呑気なものだな。もしお前が怠けている間に何かが起きてみろ、痛い目では済まさん! ワシの身はお前らなど下層の連中とは違うのだ」
それにしても、横柄という言葉がこれほど似合う輩も珍しい。
必要もなく自身の地位を誇示し、面と向かった相手を下に置こうとする者は多々居るが、大抵はもう少し上手くやるものだ。
以前ブラックストン家を訪れた貴族たちなどは、内に黒々としたものを抱えていても、それをあまり表には出さなかった。
対してこいつは隠すのが下手なのかそれともわざとか、気性が表に現れっぱなし。
使用人たちの話によると以前護衛を務めていた別の男は、こいつの性格に辟易し病を装って職を辞したとのこと。
「申し訳ありません。屋敷内の美術品に目を奪われておりまして」
「ふん、見え透いた世辞を」
「あまりに見事な品々でしたのでつい。我々の感性では、到底及びもつかぬ物ではありますが」
「……まあいいだろう。早く役目に戻れ」
流石にここまで露骨に言えば、世辞が多分に含まれているとは理解しているだろう。
しかしそうと分かっていても、自身のコレクションが褒められたのはまんざらでもないようで、機嫌を若干持ち直していく。
もっとも他の護衛二人は、さっきまでの無表情を僅かに崩し呆れた様子。たぶん俺の露骨なおべっかに対して。
「外出をする。お前もついて来い」
「これから、ですか? 予定にはございませんが」
「急な予定が入った、いいから黙って来ればいい。あれだけ休んだのだ、しっかり護衛を務めてもらうぞ」
暗殺を実行する時のために、隙を見てもう少しばかり屋敷内を探りたかった。
だが突如として外出が告げられ、こっちの目論見はアッサリと破綻。
有無を言わせぬ標的の命令で、護衛全員で揃って同行することになってしまう。
屋敷の外に出ると、いつの間にやらさっきまではなかった馬車が停まっている。
二頭立ての豪勢な、……加えて若干趣味の悪い装飾が施された大きな馬車に乗って、濃い霧の中を市街中心部へ。
その最中、無言な車内から外を眺めるフリをし、チラリとそこに居る全員へ視線をやる。
「……どうした?」
「いや、気にしないでくれ。ちょっとばかり乗り物に弱くてね」
ただほんの一瞬であった視線に、対面へ座っていた護衛の男が気付く。
俺はその彼に誤魔化すように理由を告げ、今度は本当に窓の外へと顔を向けた。
車内にはブレットと護衛が一人。外には御者を務める護衛が一人。
外のヤツに気付かれぬよう車内の護衛を片付け、ブレットを始末するのは容易い。
目の前に座る男は銃を持っているが、抜いてから発砲するまでに片が付く。ナイフ一本あれば済む作業だ。
しかしここで行動に出るのは止めた方が良さそうだ。
こんな場所でブレットを仕留めてしまえば、暗殺されたというのを隠しようがない。
後には大物であるザカリー・ファース卿が控えているのだ、警戒させるのは避けたいところだった。
絶好の機会ではあるが、今回は諦めるしかない。
俺が内心で残念に思いながら外を眺めていると、馬車は目的地に到着したようで、静かに停まるなりブレットは俺に命令をする。
「新入り、お前だけついて来い。残りは店の入り口で待て」
馬車が着いたのは、旧市街に立つギャラリーの前。
そこの入口へ向かおうとするブレットは、俺だけを呼ぶと残る二人の護衛には待機を命じた。
さきほど世辞で美術品を褒めたことで、この趣味についてとやかく言うことがないと考えたか。
面倒を見ずに済んだため、むしろホッとしている護衛たちに見送られ俺も店内へ。
そこでは画商らしき男と握手を交わす標的が、すぐさま一枚の絵画に目を奪われている光景が。
ただその絵画、グライアム市の風景を描いた物のようだが、俺にはどことなく違和感を覚えてならなかった。
「素晴らしい! これがかの有名な」
「はい、ご希望通りの品をようやく競り落としまして」
俺が抱いた妙な感覚に反し、ブレットは随分とお気に召したようだ。
一見してただの風景画だが、かなり高名な画家の作であるらしく、入手に相当の苦労をしたことが窺える。
「他にも購入を希望されるお客様はいらっしゃるのですが、なによりもまずニューマーク様にと」
「当然だ。このような傑作、我が家にこそ相応しい」
「まったくもって同感です。こちらの作品を所有することで、さぞ世の人々も羨むことかと」
他にも狙っている者が居る、貴方にこそ相応しい、大きな自慢になる。
客を購入へと駆り立てるであろう、数々の売り文句。それに対しブレットは満足そうにほくそ笑んでいた。
どう見てもカモにされているが、こいつはそれを気にした様子もなく購入を即決。
画商が屋敷への搬送を指示するため、店の裏手へ行ったところで、ブレットは絵を眺めつつ俺に口を開く。
「お前も見るがいい。このように素晴らしい作品、ワシの護衛をしていなければ一生お目に掛かれんぞ」
俺が闇競売でアーネストに競り落とされた額に比べれば微々たるものだが、とてつもない金額で絵画を購入したそいつは、恍惚とし自慢げに語る。
一応その言葉に従い、少しだけ風景画に近きジッと観察する。
やはり絵の良さがよくわからないというのもあるが、それでもさっき感じた違和感が拭い去れない。
そう考えつつもう少しばかり観察し、絵の下へ置かれたプレートに記載された作品と作者の名前、それに作成年月日を見て違和感の正体に気付く。
「どうした、なにか問題でもあるのか?」
「いえ、滅相もありません。私のような者には、評価を口にするのも憚られる素晴らしさだと」
「そうだろうそうだろう! お前は外のヤツらと違って、少しは見所があるようだ」
怪訝そうにするブレットに、愛想笑いを浮かべ称賛する。
ヤツはそれを聞いてまたもや満足そうな素振りを見せるのだが、俺は内心でその様子を嘲笑った。
特別芸術に関する知識を有していない俺だが、間違いなく断言できる。この絵画は贋作だ。
画商が知っていて売ったかは不明だが、それに気づきもせず浮かれるブレットへと、再び世辞を並べ立てるのだった。




