定められた未来 06
食器の鳴る音だけが静かに響く、ブラックストン邸の家人用食堂。
使い道に首を傾げたくなるほど広いそこで食事をするのは、当主のアーネストと孫娘のコーデリア。
普段であれば食事をする二人のために、多くの使用人が動き配膳や調理をしている。
しかし現在食堂や厨房にそれら使用人たちの姿はなく、だだっ広い部屋の中はガランとしていた。
「今日の三品だけ、か。仕方がないとはいえ、やはり物足りぬな……」
持っていたフォークを皿に置くアーネストは、夕食の最後に供されたデザートを前に小さくため息をつく。
歳のわりに食欲旺盛なアーネスト。普段は平気で一人前以上を平らげてしまうだけに、彼は今夜出てきた量に物足りなさを感じているようだ。
暗殺を終え屋敷へと戻った俺が目にしたのは、使用人たちの姿がまるで見えぬ屋敷の光景であった。
キッチンメイドや洗濯婦、それに家人が戻れば出迎える数人の執事や従僕さえ。
ブラックストン邸は郷紳にしては巨大な屋敷であるため、常時三十人は居るはずな使用人のほとんどが居らず、俺は呆気にとられた。
いったいどうした事かと思っていると、連れ添って戻ったコーデリアは簡潔に、「ほぼ全員に暇を出しました」と告げる。
再会した暗殺稼業に関わらせぬようにとの配慮らしく、次に行く先を用意し昨日屋敷から出したとのこと。
最終的に残ったのは執事長と庭師のドラウ爺さん、そして俺というブラックストン家の稼業についてを知る者だけとなった。
「申し訳ありません。明日はもう少し早く取り掛かりますので、一品は増やせるかと」
かつて当主が、暗殺者として現役であった頃の状態に戻っただけ。
とはいえ食事の用意にすら事欠くありさまで、キッチンメイドが居なくなった今、夕食を作ったのは執事長。
彼はたった一人で用意した食事の品数が少ないことを、アーネストに謝罪し頭を下げていた。
「あまり気にするな。それに案外悪くはない、昔お前の料理を何度か食べたが、あの頃より腕を上げたのではないか?」
「恐縮です。休暇をいただく度に、こっそり練習を重ねた甲斐がありました」
以前にも執事長が作った料理を食べたことがあるという彼は、デザートにフォークを向けながら賛辞を口にした。
食堂を照らす薄い蝋燭やランプの明かりによって照らされた料理は、アーネストが言うようにとびきり美味そうだ。
なので執事長がそちらに注力すれば、とりあえず当主一家の食事に関しては問題ないらしい。
掃除その他屋敷内の課題については諸々山積しているが、ひとまずその部分だけは安堵していると、当主にってその安堵すら打ち砕かれてしまう。
「さて、これからの事だが……。私は近日中に屋敷を発つつもりだ、彼を連れてな」
そう言って、視線だけで執事長を指す。
俺はそんなアーネストの言葉と仕草に、唖然とし目を見開いてしまう。……いや俺だけではない、コーデリアもだ。
「お、お爺様!? 急になにを仰って……」
「落ち着きなさい。それに急にもなにも、前々から知っていたはずではないか。後継者が決まれば私は身を引き、お前に跡目を譲ると」
慌てて立ち上がるコーデリアと、平静に諫めるアーネスト。
俺は事情の一切を知らないのだが、両者の短いやり取りによっておおよそのことは察した。
屋敷を出てどこに行くのかは知らないが、最初からアーネストは当主を引退する気であったらしい。
そして彼が言っていた後継者というのは、コーデリアではなく俺の事だ。
しばらく休止状態であった暗殺稼業再開の目途が立ったため、これを機に代替わりを試みようという意図か。
そういえば執事長はアーネストとのやり取りで、休暇のたびに料理を練習していたと言っていた。
多分に趣味という側面も含むだろうが、おそらくこれも理由の一つに違いない。
「指定した標的の暗殺も無事成功した。市警の動きも想定の範囲内、発見のされ方も印象に残る。試験は合格と考えて良いだろう」
「ですがお爺様……」
「当面は国内を周るつもりだが、そのうち海を越え共和国に渡ろうと考えている。だが安心しなさい、時々は手紙を書くつもりだ」
前もって聞いていたというコーデリアにしても、よもやここまで急とは思ってもいなかったようだ。
なんとか納得しようと試みるも、当主という座に不安を抱いて仕方ないようで、どことなく視線も泳ぎ気味。
そんな彼女に対し、アーネストは心配せぬよう穏やかな言葉をかける。
しかしその言葉からは、有無を言わさぬものを感じられてならない。
「……お爺様がこうまで仰るのであれば、もう止めはしません。いささか不安ではありますが、ブラックストン家当主としての責務、精一杯務めさせて頂きます」
「そう言ってくれると助かる。なに、財のほとんどは屋敷に残す。お前は安心して励むとよい」
「それはありがたいのですが、執事長を連れていかれるとなると、少々問題が……」
抗議の声を上げるも受け入れられぬと悟り、不承不承ながら頷くコーデリア。
しかしそうなると彼女が言うように、今度はまた別の問題が発生する。最もこの屋敷の雑事に詳しい、執事長までもが去ってしまうという点だ。
コーデリアは言葉を濁したが、実際には少々どころの話ではない。
全てを取り仕切る彼が居なくなってしまえば、屋敷が荒れ放題となってしまうのが目に見えている。
加えて女性の使用人が居ないとなれば、コーデリアの世話という点で大きな問題が。
まさか歳が近いとはいえ、異性である俺が彼女の下着を洗う訳にもいくまい。いやむしろ、歳が近いからこそ大問題だ。
「お前は一通り何でもできるはずであろう。フィルにしても同様だ」
「しかし世間体というものがあります」
「郷紳としてのプライドなどという、安いものは捨てておけ。我が家は上流と言えど、元々社交界などにも縁遠いのだからな」
上流階級に位置する家の当主としては、相変わらず豪快な思考をした御仁だ。
いずれはそういった見栄を気にしなくてもよい時代が来るのかもしれないが、コーデリアが難色を示すように、少なくとも今のご時世にはそうもいかないというのが普通。
アーネストのように気楽な考えをする者は、まだまだ少数派なのだから。
暗殺者としての役割について秘匿するためにも、ひとまず自分たちでなんとかしろと無茶を振るアーネスト。
対してコーデリアは口の堅い者を見繕い、使用人として迎えたいと考えた。
このままでは延々平行線を辿りそうに思えたため、俺は差し出がましいと思いつつ助け舟を出すことにする。もちろんコーデリアに対して。
「お話し中に失礼を。ご当主様に一つお聞きしてよろしいでしょうか」
「無礼があるとすれば、主人を間違えていることだな。登記上はまだだが、既にお前の主人はコーデリアだ」
「では"前当主様"、他に当家の事情について知った上で、使用人を引き受けて下さる方はいらっしゃらないのですか?」
個人的な考えとしては、使用人は少なからず必要となる。
郷紳の屋敷にしては広大に過ぎるため、最低でも十数人は居ないと掃除にすら手が回らないのだから。
とはいえ口の堅さはなかなか雇う前から判断がしづらい。ならば最初から人となりを知った相手に頼むというのは、決して突拍子もない案ではないはず。
「居るには居る。しかし使用人の代役となると話は別だ。あやつらに屋敷の雑事を負担させるのはな……」
「フィル、実は我が家が営んでいる事業の方に、何人か事情を把握している人が居るのです。しかし彼らには、主に情報収集を担ってもらっているので」
俺の質問に答えたのは、アーネストとコーデリアの双方。
ブラックストン家はいくつかの事業に手を出しており、それがより財を増やす要因ともなっている。
特に市内中心部の仕立屋街、アズウィルク・ロウの一角に構えるテーラーなどは、上流階級の人間にも顧客が多い店だ。
市警や軍へも制服を納入しているし、政府高官がスーツを仕立てに来ることも多い。
コーデリアの言う情報収集とやらは、それらの従業員によって行われているようだった。
なのでブラックストン家という暗殺を担う組織、存外手広く活動をしているらしい。
「それぞれの分野で専門的な知識を持つ者たちだ、今更使用人としての仕事を覚えろと言っても難しかろう」
「ではそちらから連れてくるのは無理、ということですね。……当面は屋敷の雑事に忙殺されるはめになりそうです」
「そう小難しく考えずともなんとかなる。なにせ私のように手のかかる者が居なくなるのだからな!」
直面した状況に悪態つくのは我慢するも、それに勘づいたように笑い飛ばされる。
使用人がすべてを担わなければ、家の中ですら右往左往してしまうというのは、上流階級の人間にはよくあることだと聞く。
しかしアーネストに関しては、彼自身が言っている内容に反しほとんど手のかからない。
気が向いたときに自身で着替えを用意し、突発的にキッチンへ立って使用人に手製の菓子を振舞っていたアーネストは、上流の人間にしては生活力がある方だ。
そんな大きく笑うアーネストの姿を眺めたコーデリアは、深くため息つき最低限の譲歩案を口にする。
「ではお爺様、もし仮に信用に足る者が見つかったなら、私の裁量で雇っても構いませんね?」
「その時は好きにすると良い。今この瞬間から、お前が当主なのだからな」
さっきの鋭い雰囲気とはうって変わり、今度は穏やかな表情を浮かべるアーネスト。
会話の最中も食事を続け、デザートの皿を綺麗に平らげた彼は立ち上がると、その言葉だけを残し私室へと戻ってしまう。
残されたコーデリアの方はと言えば、あとは無言のままで甘味に舌鼓を打つばかり。
彼女は食べ終え丁寧に口元を拭って立ち上がり、前当主と非常によく似た仕草と口調で、簡潔な言葉で告げた。
「フィル、後で私の部屋へ。次の標的について話があります」
それだけ言い残すと、彼女は早々に食堂を出て行ってしまう。
どうやら暗殺者としての役目はまだ山積み。屋敷の人手不足を言い訳にさせてくれないらしい。
食堂に残されたのは、食器の片づけを始める執事長と俺。そしてここまで静かに口を噤み、ずっと壁際で立っていたドラウ爺さん。
「これから大変だな。新たなご当主様は、お前をこき使う気のようだ」
一言も発することなく、風景の一部として溶け込んでいたドラウ爺さんは、そう言って愉快そうに笑って片づけを手伝い始める。
ドラウ爺さんはアーネストが暗殺者として現役であった頃、その支援役として動き回っていたと聞く。
そして言葉に出しこそしないものの、屋敷に残る彼は今度は俺を手伝おうとしてくれている。
もっともこれから振り回されるであろう俺を、愉快に眺めていくつもりでもあるようだ。
俺はそんな爺さんに感謝をしながらも、同時に若干の小憎たらしさも覚えつつ、コーデリアが空にした食器を手に取るのだった。




