縛られた道 01
舞台はヴィクトリア朝ロンドンの雰囲気などを参考に構築した世界です。
最初の2話だけ三人称になります。
長く続いた戦乱は終わり、経済基盤はこれまでの農業から、鉄と油の臭い漂う工業へと移りゆく。
多くの人々が豊かさを享受し、あるいは相反する厳しさに身を置く発展の時代。
大陸から海を越えた先に存在する、リットデイル王国と呼ばれる島国の片田舎。
これといって特徴らしい特徴のない、平々凡々とした町でその少年は生まれた。
材木業で財を成した商家に生まれた少年は、世間的にかなり恵まれた部類であると言っていいのだろう。
少年に兄弟はなかったが、両親の庇護により何不自由なく育ち、幼心にいずれは家を継ぐという曖昧な将来像を抱いていた。
そして10歳となったある夜、小さな町に一つだけ存在する教会へと、少年は両親に挟まれるように向かっていた。
「これで今日から、お前も立派な大人の仲間入りだぞイライアス」
町から離れ、照らすのが月明りだけという冬の夜道。
隣を歩く父親からイライアスと呼ばれた少年は、若干浮足立った声の主を見上げると、目を見開き上機嫌で声を上げる。
「本当? それじゃあボクも、お父さんと一緒にお酒を飲めるの?」
「ハハハ、流石にそいつはまだ早いな」
父親の言葉に気を良くし、一足飛びに大人の証を求める。
しかし父親は大きく笑うと、いくら何でも突飛に過ぎた言葉を諫め、少年の頭へ優しく手を置いた。
「だが10歳となって、司祭様から"才能"を言い渡される。それは大人への入口と言っていい」
「……才能」
「この世に生まれた全ての人間は、神によって等しく特別な"才能"が与えられる。学校でも習ったはずだぞ」
我が子へ寝物語を話すように、この世の理を説いていく。
少年の父親が言うように、この世界には絶対とも言える法則が存在した。
歳にして10を数える全ての子供は、教会の司祭によって神が下した宣告、その者の最も秀でた"才能"を告げられる。
それは決して間違うことのない、この世におけるただ一つの真理であった。
町に住む他の子供たちも、やはり10歳となれば今のイライアス同様に教会へと赴き、儀式を経て各々の才能を宣告されている。
ある子どもは大工の才を。そしてある子どもは速記の才。中には薪を運ぶ才能などというものも。
材木商である父親が、その才能を持つ子を爛々とした目で見ていたのを、今より幼かったイライアスはよく覚えていた。
「ああ、楽しみだなぁ。我が子はいったい、どんな素晴らしい才能を与えられたのだろう!」
「気が早いですわよ、あなた。例えどんな才能であっても、わたしたちの子ですもの。神はきっと良い道を示してくださいます」
「も、もちろんだとも。……だとしても待ちきれん。急ぐぞイライアス!」
どういった才能が宣告されるかはいまだわからぬものの、イライアスはこの日を待ちわびていた。
それは両親も同じであり、夜道を歩きながら浮かれる父親に対し、同行する母親は笑いながら窘める。
温かな、幸せを絵に描いたような家族像。
大人の入口であると告げられたイライアスは、そんな温かさへ心地よく身を委ねながらも、僅かな不安を抱きつつ両親の手を握りしめ小走りとなる。
しばし歩き続けると、教会の前に辿り着く。
そこで父親が忙しなくドアノッカーを叩くと、待ち構えていたように笑顔の司祭とシスターたちが出迎えた。
「さあ、司祭様にご挨拶をしなさい」
町の名士である少年の家を、今か今かと待ち構えていたであろう司祭。
その司祭へと丁寧にあいさつをすると、教会の聖堂へと入り、祭壇前で祈りを捧げる。
「では早速始めましょう。手を差し出しなさい」
祈りを終えると、司祭に言われるがまま膝をついた状態で手を伸ばす。
儀礼用のナイフを手の甲に当てられ、一瞬の痛みを経て僅かに滲む血液。
その血で甲へ十字を切ると、司祭は祭壇に向き直りさらなる祈りを捧げていた。
少年の背後からは、緊張する両親の気配。
期待と不安の入り混じったそれに、まだ子供のままであるイライアスは圧され、大きく息を呑んだ。
しばしの時間が経過したところで、司祭がイライアスへと向き直る。
そこで厳かな雰囲気を纏った司祭は口を開くと、今まさに神から授かっていると思われる、少年の"才能"を宣告しようとした。
「汝、イライアス・オグバーンに与えられし才を申し渡す。その才……」
神聖な空気を纏い、朗々と詩を諳んじるかのように告げる。
だが実際にイライアスの才能を口にしようとした時、司祭は驚きに目を見開き口を閉ざした。
おそらく自身の時にはそのような事がなかったのであろう。
父親と母親は、さらに儀式を見届けるシスターたちからも、怪訝そうに見守っている。
膝を着くイライアスもまた不安気に、司祭を見上げていた。
激しい動揺のせいだろうか、視線は泳ぎ冷や汗を流す。
それでもなんとか表向きの平静を取り戻すと、枯れた声を振り絞り神の伝えてきた才能を口にした。
「その才……、"暗殺者"なり!」
辛うじて張った司祭の声に反し、静まり返る聖堂。
どこかかともなく聞こえてきた野犬の遠吠えと、燭台に羽虫が飛び込み焼かれる音だけが、イライアスの耳に届く。
確かに今、司祭はこう言った。"暗殺者"であると。
それがどのような存在であるか、家にある本から知識を得ていたイライアスは、まるで信じられぬ心地だった。
「し、司祭様! それはいったいどういう……!?」
「お願いです、間違いであると言ってください!」
当然ながら、信じられぬのは両親も同じ。
我が子の持つ才能が、あまりに庶民の生活からかけ離れた、血生臭いモノであったのだから。
無礼など関係なく司祭へ掴みかかると、懇願するように間違いではないかと問い詰める。
「……神は申されました。イライアス・オグバーンが生まれし時より持つは、"暗殺者"の才能であると」
「そんな……。まさかそんな」
「心中お察しいたします。ですが神の御言葉は絶対。決して変えられぬ世の理なのです」
心苦しいという表情はしつつも、司祭の言葉からは断言のみが吐かれる。
それを聞いた父親はガクリと脱力し、母親は聖堂の床へと泣き崩れた。
イライアスはあまりにも意外な宣告によるショックの中、動揺する両親をただただ見つめ続ける。
聖堂内に居るシスターたちからは、ヒソヒソと嫌な声が聞こえる。
そいつを不快に思っていると、突如父親が立ち上がったため、視線で追うと司祭へ何かを手渡していた。
「司祭様、なにとぞこの場で起きたことは」
「わ、わかっております。絶対に、誰にも他言はいたしません」
まだ子供であるイライアスにも、それが口止めの金であることは理解できる。
父親はそれを渡すなり、嘆き涙する母親の手を引き、教会から出て行ってしまった。
イライアスも慌てて後を追う。
雪雲によって月が隠れ、遂には降り始めてしまった夜道。必死に両親の後ろについて歩く。
そして教会からしばらく進み、我が家との中間あたりへ差し掛かったところで、イライアスは意を決して声を出した。
「お父……、さん?」
普段とはまるで違う父親の様子を不安に思い、縋るように手を伸ばす。
しかし伸ばした手は空を切るどころか、突如立ち止まった父親自身によって叩き落とされてしまう。
驚き両親の顔を見るイライアスだが、不安さを湛えた表情は一気に強張る。
両親を見上げたイライアスがその時に感じたのは、儀式のために傷をつけた手の甲の微かな痛み。
そして一瞬だけ覗いた月によって照らされ、表情の露わとなった両親が向ける冷たい視線に、自身へ対する愛情が一切含まれていないという事だけであった。




