ワンチャンス
――全てのことを済ませてから、身支度をし、要請のあった場所に転移した。教官より持たされた魔法結晶は行きの分の魔力しかないような粗末なものだった。帰らぬ人になるのだから、帰りの分はいらないだろう、という意味に思えた。
港町はどうなったのだろうか。人質としての利用価値はどれほどあるのか分からないが、全員無事というのはあり得ない気がする。蛮族としても有名なバジリスクの怪物兵士たちは血気盛んで、必要最低限の人質を残し、あとは煮るなり焼くなりしていそうだ。
転移先の山間地帯は、ちょうどここを突破されると主要な街まで一直線という大変重要な場所に位置していた。敵の軍勢は必ずここを通るのだと言っていた教官の声が今更思い出される。
なぜ、ここを敵軍が通ると断言できるのですか、教官。と聞いておけば良かった。なぜ、奇襲を仕掛けてきた敵軍の侵攻ルートをあらかじめご存じなのですか、と。
ここ数日の雨は止んでいない。俺たち新兵は谷を流れる川を見下ろせる位置、すなわち山の斜面に切り開いた平地で野営し、敵の襲来を待った。ここを抜かれるとまずいのは確かだが、あきらかに新兵がやるようなレベルの任務ではなかった。
卒業生の中には任務を放棄して姿をくらませた者も数名いた。その中には【千里眼】のキースもいて、彼がいないと、索敵範囲に限界のあるニンフだけでは情報収集が難しかった。俺たちは騎士団の一員だが、誰一人馬をあてがわれていない。霊獣とよばれる霊力と呼応して特別な力を発揮する華々しい生物のうち、もっとも機動性に優れたユニコーンはしょうもない軍事パレードにかり出されていて、そもそも新兵には縁がない。
短期決戦を指示されていた。異論は受け付けない、これは上からの命令だと、食料物資の提供もない。俺たちは持参した食料だけでもう一週間も待たされている。近くに川があったのは不幸中の幸いだった。
みな、いい加減腹を空かせて、やや疲弊していた。ただただ待たされるのでは緊張感の維持が難しく、しかし本部からの連絡ではもうじき来るの一点張りで、どうしようもなかった。兵糧攻めされているような気分だった。
夜の暗闇の中、チカチカと光る何かを見つけた俺は皆が寝ているときにテントから這い出して、光源に向かって歩き出した。
すると、雑木林の向こうに人影を見つけ、光源はその者の手の内にあるということが分かった。俺が「誰かいるのか」と問うと、影は手招きした。
「……あ、お前はっ」
「久しぶりだなセラフィム・ボナパルト――ぐわはっ!」
裏切り者のユリシーズだと分かった瞬間、「ほあちゃあっ!」と、ブルースリーみたいな中国拳法的裏拳が飛び出して五十過ぎのおっさんの顔面を捉えた。
「きっ、貴様、いきなり何をするっ」
「いきなりも何も、裏切ったのはそちらの方じゃないか! 密告者め、お前などクビだ!」
「……ふん、もう一ゴールドも貴様の家から金など受け取っておらんわ。今日はエリザお嬢様たっての希望ということで、お前を助けに来てやったにすぎん」
「エリザからもらった手紙にもそんな戯れ言が書いてあったな。なかなか来ないから忘れられているかと思ったぞ」
「といっても、長距離を転移するための魔力結晶を届けに来ただけだが」
ユリシーズの持っていた袋には新兵の人数分の小さなコバルトブルーの魔力結晶が輝いていた。
「こんな小さなもので、帰れるのか」
「貴様の領土から産出したものだぞ。かなりの量の魔力が凝縮した品だ。一粒で軽く三往復ぐらいは出来るが」
「……つまり、逃げろというわけか」
「そうだ、相変わらず物わかりだけは良いな貴様は」
「一言多い。して、状況は」
「敵はすぐそこまで迫っている。この夜の乗じて逃げるしかない。あやつらの受けた「国」からのオーダーには、もとから貴様らを虐殺して進軍するというシナリオが含まれている」
「やはりか。ならば「国」というのは、バジリスクではなく、リティアなのだろう?」
「そうだ。すでに王都の中央新聞社では貴様らが全員死んだという記事が出来上がっている。お前達は国が滅び行くときの最後のビジネスの火種とみなされているのだ」
「ガルメールの奴め……、絶対許さん!」
ユリシーズは俺に向けて袋を差し出した。俺は尋ねた。
「どうしても、勝てない相手なのか」
「並大抵の霊力では斬撃が通らん。接近戦に持ち込まれたらなおのこと勝てぬ。奴らは自らのことを新人類と称しておるが、私が戦場で見てきた限り、あれには人類の面影はない。二つの角を有する鬼だ。歴戦の雄でもかなり手こずるほどの強敵、正面衝突すれば間違いなくあの世行きだな」
「……そうか」
「一つだけ、提案がある」
「何だ?」
「他の者はどうにか説得して王都に帰すとして、貴様だけは残れ。私も残っておいてやる。敵は必ずこの地点に押し寄せる、周囲に民家はなく、山しかない。貴様の剣を思う存分ふるって、その真髄を見せてほしいのだ」
「ダメだったときは?」
「そのときは転移魔法で撤退だ。茜色の聖剣の性能をまだ十分に引き出せていないのは分かるが、今から修行を積んでどうのこうのと悠長なことをしていると、その前にこの国は滅ぶ。ここで万に一つの奇跡を起こさない限り、どのみち滅ぶのだ」
「リティアが、滅ぶ……」
「ワンチャンスある、と思って貴様を士官学校に送り込んだのだ。エリザ様に問い詰められたときは絶対大丈夫だから、などととっさに言い訳したが、正直確信がない。ゆえに私は無理は言わない。ここでダメでもいいのだ。エリザ様は……貴様の妻は、すでにこの国を出るための準備を完了している。あの方は先見性がおありだ。永世中立国であるノードヴィンの権力者の領土に亡命するための経路を確保なさっておいでだから、いざとなれば国が滅んでも家は滅ばずに済む」
「ワンチャンスのために、試しにやってみろ、というわけだな」
「うむ」
――俺は寝ているみんなに謝りながら集合をかけた。そして嘘をついた。迎え撃つ伏兵達(つまり我々)の情報を掴んだ敵軍は兵力温存ために進路を変え、あえなくここは用済みとなった。我々の情報は筒抜けだったらしいが、戦力差を考えると幸運だった。本部に通信連絡を取ると、帰還命令が出て、今晩使いの者よりこれが送られてきた、と。
そして魔力結晶を配布し、最後にひとこと「はやりの映画があるから、必ず見ること」と言って、みんなを先に王都へ帰した。
最後に異光組の面々が、俺の方を見て、うなずいた。俺もうなずくと、チャーチルが泣きそうな顔で、「無理しちゃだめだよ、セラフィム」と言い残し、去って行った。
――数時間後、夜明けとともに山の頂上から大きな足音が谷底へなだれ込んできた。推定三メートル強の筋骨隆々とした体躯と茶色の硬い皮膚、それを覆う銀色の防具、手に持つ種々の大きな武器が明け方の薄暗さの中で怪しい存在感を放っている。
「ダレカイルゾ!!」
「ヒトリダ、オトリカモシレナイ」
「カマウモンカ、アイテハニンゲンノガキダ!」
デスボイスの仰々しい声が聞こえ、向こうの言語なのか上手く聞き取れない。けれどもヘルムの隙間から角を生やした鬼達は谷底にいる一人の人間に向かって木々をなぎ倒しながら突進してくる。好都合だ。
ユリシーズには後方の山の頂上から見守ってもらうことにした。それは見渡しやすいと言うより、安全性に配慮した結果だった。俺はこれまで一度も使ってこなかった「界門」を全開にする術式を試すことに決めていた。
これは士官学校の生徒なら誰もが知る術式で、そして誰も使わない馬鹿馬鹿しいものだ。「界門」を全開にすれば霊力が必要以上に放出され、一瞬でガス欠してしまう。そんな過剰な霊力を必要とする高度な術式はいまだ見つかっていないし、あまり用途がないのだ。
静かに聖剣を鞘から抜いた。
俺は三十二歳のおっさんとして、こういう紋様の美しい剣を見つめていると、たまに自分が勇者やら英雄やらになった気分になる。同時に、セラフィムの肉体が、祖国の危機に対して敏感に反応し、俺に緊張を与える。逃げたくない、という思いが俺の中にわき起こる。
これは賭けだ。またしても賭け。俺はこの世界に来てから、ずっと賭けばかりしている。具体的には、茜色の聖剣が秘める底なしの霊力にまかせて、無制限に霊力を放出し、ガス欠になるまで攻撃を浴びせ続けるという、騎士の風上にも置けないような愚鈍な作戦だ。もはや技ですらない。燃費など無視、今日限りのフルスロットル、どうなるかは知らん。
俺は目一杯鬼を引きつけ、単純明快な【フルオープン】の術式を発動した。手前に構えていた聖剣からたちまち紅の業火が猛り、明るい光が視界を覆った。どうなっているのか分からない、しかし俺は剣を振った。――何も聞こえない、それでも、士官学校で学んだ剣さばきを一つ一つ思い出すように、光の中で剣を振った――




