執事長クラウスの謀略
街は山に囲われているが、このホロン城の七階から外に突き出たバルコニーからは海は見えた。科学の力で物を運ぶ巨大な貨物船がたくさん浮かんでいるのが見えた。隣街もすでに工業的な世界になっているのだと思った。
空中にはときどき、飛行機の代わりに翼竜が限界ギリギリの荷物をしょってゆっくりと飛行している。益獣の中でも翼竜は極めて高価で、我がボナパルト家の領地には一匹もいない。これには王室の許可がいるし、そもそも田舎の貴族ごときが所有などできないのだ。
「あー、せっかく異世界にこれたって言うのに、また金欠かよ……」
もちろんこれは中島孝則のセリフである。転生前も薄給で苦しんでいたのだ。しかしまさか没落貴族になんぞ転生するとは誰も思うまい。予想外すぎるぞ。
とはいえ、環境には適応しなくてはならない。この後はメイド長セシル直々に魔法学の退屈な座学を受けなくてはならない。もっともこれはセラフィムが定期的にサボっていた事項であるらしいが、他にも魔法実務で貴族として学ばねばならないことがたくさんあった。
「さて、どうしたもんかね」
「――何を一人でブツブツ言っておられるのですか、セラフィム様」
振り返ると、クラウスが来ていた。
「なんだクラウス、どうした」
「折り入って、ご相談が」
俺がうなずくと、クライスが靴のつま先を地面にトンっと一突きして、執事室に転移した。レベルの高い転移魔法は詠唱を必要としなくなるらしい。
元伯爵家の執事長、その書斎は広さは感じないが、やはり一流エリートとしての自負と威厳を感じる。専門でない魔法でさえも我が家では最も優秀である。
「おくつろぎの時間をいただいた手前、話は手短にさせてもらいます」
「うむ」
「実はセラ様が意識を失われていた頃、王室主催のパーティで一悶着ありまして」
「あぁ、余が出席予定だった、あのパーティでか」
「左様。カエサル侯爵家令嬢、エリザ様を覚えていらっしゃいますか?」
「もちろん、あのじゃじゃ馬姫は有名だからな。さては彼女が」
「はい、第七王子ハーディ様と恋仲だったルミナリエ伯爵令嬢をおとしめようとして、それがパーティで白日の下にさらされました。公の場で口論となり、ハーディ様の方から婚約破棄が言い渡されたのです」
「それは、……痛ましいことだ」
俺が沈鬱そうな表情をするのを見たクラウスは、ネクタイを締め直し、厳しい表情で言った。
「何だ、急にあらたまって」
「セラ様、私はこれより恥を忍んで提案申し上げます」
「む」
「エリザ様と婚姻関係を結んでいただきたい」
「……このタイミングでか」
「えぇ、このタイミングだからこそです。本来このような姑息な手を使うのは一般の美学に反します。しかし貴族の世界ではままあること。誰もとがめますまい」
「……しかし」
「セラ様、ホロンの街の民を救うためです。先代の父君からお世話させていただいた私から見ても、これ以上は限界です。――あなた様なら、私の申していることがお分かりになるはずです、どうか……」
貴族の娘を嫁にとれば、嫁入りの際の持参金が転がり込んでくる。経済的に潤っているカエサル家のご令嬢ともなれば相当の資金が手に入り、クラウスはそれを街の復興に当ててほしいと願っているのだ。だが。
「侯爵家と子爵家では無理があろう」
「それが、我々で独自に密偵を行ったところによりますと、カエサル家が貴族の位を剥奪される危機にあるようなのです。あの家は子宝に恵まれないゆえ、一人娘のエリザ様をもてあましておいでなのです」
「婚約を大々的に発表して、後ろ盾になれば貴族位剥奪を免れるという算段か」
「さすがセラ様、ご理解が早くて助かります。こういうときはスピードが肝心ですので、実はもうすでに書簡を送らせていただいておりまして、今晩、馬車に乗ってお忍びでホロン城を訪問されることになっております」
「……今晩とは、はっ! もとから余を丸め込むつもりだったな、クラウスよ」
クラウスは静かに笑った。俺がうなずくと、クラウスはまた足をタップさせ、次の瞬間にはもとのバルコニーで椅子に座らされていた。
俺が、いやセラフィムが部下を放置してあの世に旅立とうとした責任を下敷きにして、今頼み込めばどうにかなるとクラウスは踏んでいたのだ。これはかなわないな。
その後、例のじゃじゃ馬姫が到着するまで、ないし晩餐会が行われるまでの間、セシルより魔法学の講義を受け、手の空いた執事を呼びつけてともに魔法の諸事情を学んだ。