弓のマルコ
そのまましばらく街を見下ろした。城の周囲は農家が多く、熱い日差しの中を農民達が安物の器具で土地を耕している。そうだ、これが俺を、セラフィムを失墜させたのだ。
セラフィムの記憶を参照していくと、この家がどのような理由で没落していったかが分かる。基本的にはプライドが邪魔をして、理屈を放棄していたからだ。父親はそれで無茶な決闘を受け入れ、命を散らした。
後を継いだセラフィムも父に負けじとプライドが高かった。他の街の領主は近代化に向けて工業を発展させていったのに対し、よその街の技術者を招き入れるのが癪で、逆に農業の一点張りを主張したのだ。要するに、セラフィムは他人に頼るのが嫌いだった。
セラフィムの自殺はもちろん貴族としての降格もあっただろうが、半年前に病気で死別した母親のこともあった。セラフィムは両親を失い、孤独に苦しんでいたのだ。
妹が別の街の伯爵家に十四歳の若さで嫁に行ってくれたおかげで、我がボナパルト家は貴族としての地位を保護してもらえていたのだが、いかんせん、嫁に行かせるには金がかかった。そのおかげでかなりの経済難だ。
街を変えようにも、資金がなければ話にならない。
俺はいったん考えるのをやめた。元の世界で三十五年過ごした経験からいえば、近代化に金は必要不可欠だからだ。この家は没落する運命にあったとしか思えない。
それよりも、だ。この体の中の主人格ともなっている俺こと中島孝則は、この世界の記憶を持っていても経験がない。まずは一日のルーティンをこなしてみるのが吉だ。ちょっとぎこちないのは体調不良でごまかせるから、セラフィムが変だと気づかれる前にさっさと慣れてしまおう。
俺の中にある恐るべき記憶によれば、この世界には魔法が存在する……
朝食は時間が過ぎているからもういい、それより、その後の弓の練習が食後の日課なのだ。俺は早速、かつてのセラフィムのように指を鳴らした。簡単な呼び出し魔法だ。
数分待つと、ノックがかかった。
「入れ」
呼び出したのは執事のマルコだ。
「失礼します」
俺は内心驚いている。本物のエルフとやらを初めて見たのだ。非常に耳が長く、ダークエルフの村の出身で肌が黒かった。白いシャツとのコントラストが芸術的な、短髪の好青年だ。
「もう体調の方はよいのですか」
「良くはないが、ま、弓は日課だ。頼むぞ」
「はい」
マルコがいつものように転移魔法詠唱して、城の外の弓を練習する広場にいきなりワープした。思わず足下がふらついてこける。
「どうされました、まだ十分に復調されていないのでは」
「む、大丈夫だ、やろう」
起き上がり、数々の種類の弓が置かれている武器倉庫に赴いた。
「テムズさん、おはよう」
「おうマルコかい、おはようさん。……あっ、セラ様、ご無事だったのですか!」
「あぁ、もう大丈夫だ」
「いやぁ、それはよかったよかった! 街のみんなもなんだかんだ言って、心配しておりましたから」
「なんだかんだ、ね」
なんだかんだ、とはつまり街の民はセラフィムのことを普段はあまりよく思っていないことを意味している。治政を怠ったプライドだけのガキ貴族とでも思われているのだ。
倉庫番のテムズはドワーフで、敵国バジリスクからの流れ者だが、敵国を裏切って情報を売り渡すことで国籍を得た輩だ。そうとう母国を恨んでいるようで、昔話をさせたら長い。
倉庫が開けられ、その中からマルコがチョイスした物をいつも使っている。このセラフィムの身体能力に合った弓が選ばれる。
「今日はセラ様の体調も考慮に入れて、軽く引ける物を」
「あぁ、助かる」
ライトルベンという地元でとれる鉱物でできた弓で、普通の人間の腕力だとしならないが、魔力を正しく注入することで柔らかくなり、矢を放つ瞬間に魔力を消すことですさまじい反発が生まれ、矢が高速で飛び出す。
弓の扱いは体が覚えているようで、やや魔力の出力に戸惑ったくらいでなんとかなった。いやしかし、いくら知っているからと言っても、魔法なんてでたらめでチートな概念がまかり通っているのはやはり驚きだった。
弓の練習が終わり、昼食をとる。メイド達が一生懸命作ってくれたおいしい洋風料理を食した後、豪華なバルコニーで茶を楽しんだ。