嵐は突然やってくる
「あの、リオネル様。女子寮まで送ってくださりありがとうございます。」
辺りはもう夜の闇が訪れ、遅い時間になっていた。
リオネル様の領地から戻ってきて学園の寮までやってくると、女子寮の入口までリオネル様が送ってくださった。
人目などないのに優しいリオネル様に今だ慣れず、私は照れくさくなりながら笑った。
「……礼を言うのはこちらの方だ。このロザリオは大事にすると約束しよう。」
私の渡したロザリオを大切そうに手に取るリオネル様。
自分の渡したものを喜んでもらえる嬉しさを初めて知る。
なんだかとても幸せな気持ちだ。
「……別れるのが名残惜しいが、移動も長くて疲れただろう。早く部屋に戻ってゆっくり休め。」
「……はい。」
優しい言葉をかけてくれるリオネル様に私は静かに礼をすると、そのままリオネル様に背を向けて自室に向かい歩き出した。
(本当に素敵な休日だった……。)
こんな素敵な休日は生まれて初めてだ。
……家族以外であんなふうに出かけたのは、初めてだ。
(とても幸せな気分…………。)
そう思いながらゆっくり部屋までの道を歩いていた私だが、その足はゆっくりと止まる。
(本当にしたのよね……契約じゃなくて、普通の婚約を……。)
そう遠くない未来、私とリオネル様は夫婦になる。
その実感がわかないというか……正直、まだ気持ちの整理が追い付いていない部分がある。
ちゃんとした夫婦になるということは私はリオネル様のものになるということだ。
(……私が指にはめる指輪はリオの指輪じゃなくてリオネル様の指輪になる……。)
そんなことを思い始めると一つ大切なことを思い出す。
(……リオからもらった指輪……返さなくちゃ……。)
私はポケットに入れていた指輪を取り出し見つめる。
そう、これはリオの所有物であるという証。
でも私はもう、リオの所有物ではいられない。
リオネル様もリオもどちらも意地悪だけれど、昔はともあれ、今のリオネル様はとても優しい方だ。
本当に私を大事にしてくれると思う。
リオと違って私をおもちゃとしてみたりはしないと思う。
(リオネル様を選ぶ方が絶対に幸せになれる……。だから……だから――――)
けじめはつけないと。
そう思う私の心はひどくざわついている。
手放さなければいけない指輪を強く握りしめ、まるで手放したくないと体が勝手に動いているかのようだ。
でも、そんなことは出来ない。
私はもうリオネル様の正式な婚約者だ。
書類上ではまだでも、私はちゃんとリオネル様の申し出を受けたのだ。
曖昧な事は出来ない。
私なんかを大事にしてくれるリオネル様を、ちゃんと好きになりたい。
好きになってもきっと、悲しい思いをすることもないリオネル様を。
そう思いながら私は自室の扉のドアノブを掴み、自室へと踏み込んだ。
その瞬間だった。
「お帰り、フィアナ。」
私は突然、背後から誰かに抱き着かれた。
……いや、誰かといってもリオネル様以外に私に関わってくる人物など一人しかいない。
リオだ。
(……やっぱりもう、愛称で呼んでくれないのね……。)
愛称で呼んでくれない事がとても悲しい。
でも、おかげで私の迷いが消える。
(……ちょうどいいわ。)
リオが私からそっと離れた。
リオの腕から解放された私はそっと振り返りリオと向き合った。
「丁度、会いたいと思っていたわ。」
私の口から出た言葉。
その言葉を聞いたリオの表情は真顔になった。
「へぇ……俺、避けられてると思ってたんだけど?勘違いだった?」
勘違いなんかじゃない。
私はリオを避けていた。
でも、避け続けていては用事を終えられない。
丁度、向き合わなきゃと思っただけの事だ。
そう――――――
「フェミリオル。これを貴方に返すわ。」
リオからもらった指輪を返すために。
「……何これ。」
指輪をリオに差し出した私。
そんな私の手の上にある指輪を見てリオは不機嫌そうな顔になった。
その表情に私は罪悪感を覚え、胸が痛むけれど気持ちを強く持つ。
曖昧なのは絶対ダメだ。
「フェミリオル。私はリオネル様とこれから先、共に歩んでいくことを決めたの。
私はもう、貴方の【物】じゃない。リオネル様の【もの】なの。」
今まではなんて言い出すときりがない。
でも、過ぎた事はもういい。
リオネル様にとっても今までの私への扱いは【物】だった。
でも、今は違う。
一人の人間として大事にしてくれる。
……リオとは違って。
一緒にいてこんなにも苦しい思いもしない、悲しい思いもしない。
最近のリオネル様の隣は楽しくて、不思議と落ち着くから。
「……だから人間なんて嫌いなんだよね。平気で利用できるものは何でも利用する。
約束や誓いなんて、平気でなかったことにしようとする。ずっと……俺だけのモノだって、誓うって言ったのに……。」
(…………え?)
悲し気に、苛立たし気に肩を震わせながら言うリオの言葉。
その言葉に私は覚えがなかった。
(私が指輪をもらう時誓ったのって、自分がリオのモノだって自覚を持つことと、リオ以外の前では泣かないって事だけだったわよ?)
決してずっとリオだけのものであると誓った覚えはない。
そう、もらった際にリオだって言っていた。
この指輪を持っている限りって。
(それに何より、リオ、あの時の記憶ないんじゃ無かったの……?)
確か記憶を失っていて、初めて会った夜の日の事をリオは覚えていないといったのに。
(……どういうことなの?)
解らない。
解らないけど、私は――――――
「……ごめんなさい。」
……ただ、謝る事しかできない。
私は搾り出すように謝罪を口にした。
すると私の謝罪を聞いたリオは私の手の上から指輪を奪い取るように取ると
冷たい視線を私に向けた。
「……じゃあね、フィアナ。」
「あ……え、えぇ……。」
さよならを告げると私に背中を向けるリオ。
そんなリオの様子に皿に罪悪感が込み上げてきたその時だった。
「なんていうと思った?」
「え……--------きゃぁっ!!!!!!」
部屋から出ていこうとしていたはずのリオが荒々しく私の襟元をつかみ、自分へと引き寄せると今度は乱暴に私を払いのけた。
払いのけられた勢いのせいで私の体勢が崩れ、私は激しく転倒してしまう。
痛い。
そんなことを思う暇もなく気づけばリオが私の上に覆いかぶさっていた。
「あーほんと、あんたってむかつく。いっそ殺してしまおうかな。そしたら面倒な契約だってなかったことになる気がするんだけど。」
冷ややかな瞳で蔑んだような視線を送ってくるリオ。
そんなリオの声はとても冷たくて、威圧的で、とても怖い。
信じたくないけれど今リオの口から零れ落ちた「殺してしまおうか」という言葉が心の底から出てきた本心で、それを実行することを本当に検討しているように見える。
そんなにも……そんなにも私が嫌いなのだろうか。
「ねぇフィー、選んでよ。死ぬか、俺に無理やり抱かれるか。」
「…………え?」
嫌われている。
そう思ったのに信じられない提案が出てきて驚かずにはいられない。
リオは一体何を言っているのだろう。
それとも聞き間違え?
「わ、私を抱くって……なんで……」
「何でって…………そんなの単なる気分だよ。」
単なる気分。
そうは言うけれど私の疑問に対しリオはまるで一瞬自分でもその理由がわからないような悩むそぶりを見せた。
それがどうも引っ掛かり、私の中に生まれていたリオへの恐怖は薄れ、代わりに今のリオの気持ちを知りたいという思いが膨れ上がってくる。
それと同時に、うぬぼれた気持ちも。
「リオ……私の事、嫌い?」
「は!?んなわけ――――――」
何か言葉を言いかけるリオ。
その次の瞬間リオはひどく驚いた表情を浮かべ、その後すぐに私の上から退いた。
突然のことに困惑しているとリオは静かに部屋の扉の方へと歩き始めた。
「リ、リオ?」
いきなりどうしたのだろう。
今の今まで私のことを殺すだのなんだの言っていたくせ突然様子が変わってしまった。
いったいどうして?
「今日のところはおとなしく帰ってあげるよ。「またね」、フィー。」
「え?ちょ、リ、リオ!?」
いきなりおとなしくなり部屋から出ていくリオにどうしても驚かずにはいられない。
一体どういう心情の変化なのだろうか。
でもとりあえず……----
「た、助かった……の?」
どうやら私は命拾いをしたようだった。