婚約者 リオネル・ロンズデイル
「お嬢様!!大変です!!」
お茶の用意に出掛けたフェリアがノックもせずに扉を開けて入ってくる。
そのフェリアの表情はひどく焦っていた。
「ど、どうしたの?フェリア。」
「たた、大変なんです!ロンズデイル公爵のご子息、リオネル様がお見えにっ……!」
「っ!!」
リオネル様の名前を聞いて私の体がびくりとはね、全身の血の気が引いていくような感覚が私を襲う。
「い、急いで顔を隠す飾りを――――」
フェリアがクローゼットに近寄り、棚の引き出しを開けて顔を隠すための飾りを用意してくれる。
だけど、時はもう遅い。
「必要ない。」
「っ!!」
リオネル様は既に部屋までやってきていた。
「リ、リオネル様。本日は如何様なご用件で?」
冷ややかな目。
醜く、見るに堪えがたいものをありったけの嫌悪感を抱きながら見つめてくる瞳。
その瞳に私の体は震えが止まらない。
だけど怯えてはいけない。
私は伯爵令嬢で、リオネル様は女王陛下のご親族であられる公爵家の方。
失礼があってはいけないのだ。
私は自身の顔を手で隠しながらリオネル様と向き合った。
「……婚約者に用もなく会いに来てはいけないのか?」
「……い、いえ、そのような事は……。ただ、リオネル様はご多忙な身……。用向きがなくいらっしゃられるとは思わず……。」
蛇に睨まれた蛙の様に怯え、委縮する体。
それでも頑張って言葉を紡ぐ私に、ある意味幸いと言えるだろう。
醜い顔を見たくないからか、距離を取って話すリオネル様。
これ以上近くで話されては私も困るというものだ。
婚約者と言えど、私たちは「そういう」間柄なのだ。
「……新学期が始まる前に陛下が明日、夜会を開くというのは聞いているな。」
「……はい。」
「わかっていると思うがお前は私のパートナーとして隣に侍る事になる。」
「…………はい。」
いくら階級が下だからと言え、侍るなどという言い方はあんまりだ。
なんて思うけれど私は傷ついた胸を、つかめない心臓を掴むように胸の前で手をぎゅっと握る。
……リオネル様にとって私は婚約者というよりは仕方なく飼っている醜い化物の様なものなのだろう。
私を見る目がそう語っている。
「下手なことはしでかすなよ。お前が下手をすれば俺の王位が危ぶまれるのだからな。それだけだ。明日はこちらに迎えの馬車をよこす。それに乗れ。」
「……はい。」
私の返事を聞く前にリオネル様は踵を返し去っていく。
私の言葉など、意思など、関係ないのだ。
リオネル様が立ち去った私の部屋は嵐が過ぎ去ったかのように静かになった。
「……お嬢様。今ならまだ間に合います。あの方との婚約を破棄いたしましょう!今は亡き、女王陛下のたった一人のご息女様とフィアナ様が似ているという理由から、次期国王には亡きご息女様にそっくりなフィアナ様と結婚なさった王族を選ぶなどと申されたばかりに、このような物のような扱い!あんまりです!!」
「……いいの、フェリア。……むしろ、こんな醜い私をよくもらってくださる気になって頂けたものだわ。」
「……フィアナ様……。」
女王陛下の旦那様、元国王陛下も随分と前に病で亡くなられている。
再婚は絶対にしないという女王陛下のご意思もあり、ご世継ぎが現状居ないのだ。
次期王は誰になるのだろうとひそかに貴族の間ではずっと話が上がっていた。
そして、去年の11月の事だ。
女王陛下は突然、私と結婚したものを次期国王にすると公爵家の方々に伝えられたのだ。
この国では公爵の爵位は王族の血縁の物しか賜れない。
つまり、公爵家の方々は全て王位継承権ができたという事だ。
私という化物を伴侶にさえすれば。
だから、ご機嫌を取ろうと必死になって毎日のように十二の公爵家の方々からたくさんの贈り物が私の元へと送られてくるようになった。
でも、誰も私の前に現れる事がなかった。
醜い顔は隠してはいる。だけど、顔だけが問題なわけではないからだ。
左右色の違う瞳。
その片方の色に問題があるのだ。
人間が忌み嫌う魔族と同じ瞳の色。
その瞳の色に恐れや気味の悪さを抱いている人は多い。
そして更には私を傷つければ不幸が起きるという噂。
それが私が魔族である故だと思わせているようだ。
……いえば結局、結婚だなんだと申し込んでくるわりに私をおそれ、誰も近寄りたくないのだ。
だけど……――――――
「……フェリア。確かにリオネル様は気難しいお方よ。でも、他の公爵家の方よりずっといいの。怯えられるよりは忌み嫌われているほうがましだし、それに、彼は変なご機嫌取りでこちらをうかがわないもの。」
変に怯えられ、顔色を窺われると本当に自分が畏怖を抱かれるような存在にでもなったかのような気持ちになる。
勿論、かといって忌み嫌われ、嫌悪感を向け続けられることを良いとは言えないけれど。
それに、リオネル様は唯一私の望むものを送ってくれた人だった。
その望むものをご自身の足で、私の前へと持ってきてくれたのだ。
「……お父様、お元気かしら……。」
私という化物を娘に持ったせいでお父様は社交界の場でいつも心無い言葉を言われていた。
お優しいお父様は【自分は何を言われてもかまわないけれど、娘を悪く言うのは許さない。】とよく仰ってくださっていたらしい。
けれど、そんなお父様が気にくわなかったのか、密かにお父様にひどいことをする方々たちがたくさんいらっしゃったらしい。
そして、お父様はどんどん心を傷つけられ、病に陥ってしまった。
そんな事があった同時期に私と結婚した方を王位にという話があがってきた。
きっと女王陛下なりのお気遣いだったのだと思う。
結婚し、お父様を安心させてあげられたなら、回復も早くなるのでは、と。
だけど、お父様の病はひどくなるばかり。
私の心に結婚だなんて考える余裕はなかった。
だから、どれだけ豪華なプレゼントも私の心には全く響かなかった。
そんな中、リオネル様は私の元へ自分の足で赴かれ、私に契約書を突き出してきたのだ。
【俺と契約しろ。俺と結婚するというのであればお前の父の病は我が領地の名医に必ず直させよう。】
どんなプレゼントよりも父の回復を願う私にとってはこれ以上と無いほどのプレゼントだった。
(……本当は叶うなら結婚は好きな人としたかった。だけど、いつまでたってもリオには会えないし、会えない人に夢を抱き続けるくらいならと私はリオネル様と婚約した。……リオネル様の事は正直怖い。だけど、後悔はしていないのよね……。)
初めてお父様にできる恩返し。
それがとてもうれしかった。
最も、お父様が病にかかられたのは他でもない、私の責任なのだけれど。
「私が醜いせいでどれだけお父様に迷惑をかけたのかしら。どれだけたくさんの事に耐え忍ばれていたのかしら。それを考えると私は、お父様の為にとなんでもできるわ。」
リオと共になりたいという自分の夢を捨てることだって……。
「…………。」
「……フェリア?」
私をじっと見つめながら寂しげな表情を浮かべるフェリア。
どうかしたのだろうかと小首をかしげていると、
フェリアはそっと私に近づくき、私の前髪を綺麗な指先で持ち上げた。
そして、白く細いその手で私の頬をなでると醜い私の顔に口づけを落とす。
「醜くなどありません。これは貴方様が美しすぎるが故に与えられた枷なのでございます。この世のものであれる為の枷。……愛しいわが主、フィアナ様。どうか、私の言葉を信じてくださいませ。」
切なそうに語るフェリア。
そんなフェリアに言ってあげたい。
本当に美しすぎるのは貴方なのだと。
フェリアが私の元へ現れたのはリオと出会った夜会のすぐあとぐらいだった。
私の醜い顔を見て一瞬驚きはしたものの、フェリアは【醜い】などと私に言葉の暴力を向ける事はなかった。
それどころか、隠していてはもったいないと二人きりの時は私に隠さないでほしいとまで言ってくる。
……美しいのは見た目だけじゃない。
醜いと感じるものですら受け入れてくれる心の広さ。
真に美しいのはフェリア、貴方だと。
「フェリア……貴方は私にとって天使だわ。リオネル様ではなく、貴方が私の寄り添うべき人なら良かったのに……。」
「……フィアナ様……。」
……なんて世迷言を言っているのだろう。
フェリアは男性でもなければ、貴族でもない。
夢のまた夢だ。
……それに、本心をフェリアとというのだって違う。
私が本当に求める人はたった一人、他にいる。
(リオ……貴方に会いたい。)
リオネル様が部屋へと来られた瞬間、私はリオネル様を傷つける事がないように指輪をポケットに急ぎ忍ばせていた。
その指輪に触れるため、ポケットに手を入れ指輪をなでる。
(リオ……貴方は夜会にいたという事は貴族なのでしょう?叶うならもう一度、もう一度だけでいいから――――会いたいわ。)
私に初めて【綺麗】と言ってくれた男性。
……性別の違いかもしれない。
それはフェリアに何度【美しい】と言われても塗り替えられることのなかった高鳴り。
その忘れられない高鳴りが8歳の少女から17歳の少女に成長した今でもこの胸にある。
いつか、いつかリオネル様の元へ嫁ぐ日が来るだろう。
その日までにもう一度、私を化物ではなく、人として見てくれる貴方に会いたい――――――。
「……今度こそお茶のご用意をいたします。」
「……えぇ。」
フェリアが去っていった後、私はポケットから指輪を取り出し、ギュっと胸の前で握りしめる。
「愛しいリオ……貴方は今、どこにいるの……?」
・
・
・
指輪に祈るように力をこめ、握る少女フィアナ。
そんなフィアナをひどくはなれた空の上から覗き見る一人の少年の姿があった。
「……見~つけた。俺の指輪の持ち主。」
少年はフィアナを見つめ、静かに言葉をこぼした。