挿話 令嬢の我が儘な愛
「お兄様!」
食堂のプライベートルームの一室に、ノックもせずに勢いよくルルリナが入ってきた。
「ああ、ルルリナ。せめてノックぐらいして欲しかったな。しかも約束の時間よりもずいぶん遅れているよ?」
琥珀色の液体の入ったグラスをテーブルに置きながら、レルワナが甘い低音ボイスをプライベートルームに響かせた。
「そんなことよりお兄様! わたくし、やっぱりテリルワムリ様との婚約はやめますわ!」
ルルリナは早口で捲し立てながら、執事がスっと椅子を引くのに合わせて慣れた所作で席についた。
「へぇ? どういう風の吹き回しだい? この間まではあんなに皇后になりたがっていたじゃないか。お前にお願いされてからすぐに宮廷工作も終わらせたんだよ? もう少しでお前がテリルワムリ様の婚約者に選ばれそうなのに……」
レルワナが笑みを浮かべながら、ルルリナに尋ねる。するとルルリナはウットリとした表情で、ホゥ……と吐息を漏らして語りだした。
「わたくし、目が覚めましたの……。 やっぱり結婚には『愛』が必要だってことに。 私、テリルワムリ様よりもアダム様を愛してしまったの。アダム様って素敵なのよ。見目麗しくて、頭も良くて、魔法もお得意で、お強くて……それでいてお優しいの」
ルルリナの言葉を聞いて、レルワナの端正な顔から静かに笑みが消えた。
ルルリナはレルワナの様子には気付かず、そのまま熱に浮かされた様に一気に話した後、執事の入れた紅茶を一口飲んだ。そして今度は急にガラッと表情を変えると、憎々し気に言葉を続けた。
「けど。アダム様が素敵過ぎて、ライバルも多いのよ! シュリアルラとかメルティールナとか、同じクラスだからっていつもアダム様に色目を使っているし、魔石クラブのルマティ部長も油断できないし! なによりあのルビーって女が許せないわ! アダム様の従兄妹だからって、アダム様のご迷惑も考えずにいつもまとわりついて!! ……ねぇ? お願い、お兄様! 私の愛を応援して下さらない?」
ルルリナはまた表情を変えたかと思うと、ウルウルした目で兄を見つめながらいつものようにおねだりをした。
ルルリナはこれまで兄であるレルワナにお願いすれば、なんでも叶えてもらっていた。今回だって、お願いすればお兄様は絶対に何とかしてくれる、と信じていた。
「アダム君はダメだよ」
だからこそ、ルルリナはその兄の口から出た言葉を理解できずにキョトンとした。
「え?」
「アダム君はダメだ」
レルワナがもう一度ゆっくり言った。そのタイミングで、ようやく言葉の意味を理解したルルリナは震える声でレルワナに問う。
「……な、なぜですの? アダム様は家柄だって悪くないし……お兄様なら喜んで応援してくれると思ったのに……」
ルルリナは信じられないという表情でふるふると首を振りながら、ガチャリと紅茶のカップを乱暴に置いた。
「ルルリナ、よく聞いて。君とアダム君が繋がり過ぎるのは良くないことなんだよ。因果に反してしまうから……」
レルワナの諭す様な言葉を途中で遮って、ルルリナが叫んだ。
「またそういうお話!? そんなお説教はお父様とお母様にされるだけで十分よ! お兄様がヴィータ教団をお父様から引き継ぐのかもしれないけれど、私は宗教なんて絶対にごめんだわ!! お兄様だって昔は因果に縛られるのなんて嫌だって言ってたじゃない!! 教団を引き継ぐとなるとコロッと変わられるのね? そんなお兄様なんて大っ嫌いだわ!!」
ルルリナはそう言ってガタンと立ち上がると、そのまま乱暴にドアを開けてプライベートルームから出て行った。
「……追いかけた方が宜しいでしょうか?」
部屋の片隅に立っていた執事の男がレルワナに尋ねた。
「いや、いい」
レルワナはそう言うと、静かにグラスを傾けて琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
ふう、と息をついて空になったグラスを眺める。透明なグラスにはレルワナ・シュパナテイクのゴールデンイエローの瞳が映りこんでいた
誰に言うでもなくレルワナは呟く。
「なぜ、人間は彼に惹かれてしまうのだろう? また僕の物が奪われてしまうなんて……」
グラスに映る瞳にチリっと炎の様な輝きが浮かんで、消えた。




