81話 毒牙
――さっきの先輩達とのやり取りを考えていて、少しぼぅっとしていたのかもしれない。気が付くと、俺とヴァナルカンドはバラ園の方へ行く散歩コースに入ってしまっていた。
途中でそのことに気づいた俺は、バラ園の方に行ってまたルルリナに会ってしまうと面倒だと思い、いつもは曲がらない側道を曲がった。
――筈だったのだが、そんな俺の行動などあざ笑うが如く、その側道の先でばったりとルルリナに出会ってしまった。くっそ。どういうことだよ。
「アダム様! またお散歩中にお会いできるなんて! 奇遇ですね」
にっこりとかわいらしい笑みを浮かべて、ルルリナが走り寄ってくる。その時、
「あ!」
と、ルルリナの声がしたかと思うと、何かに躓いた様にルルリナの体が傾いた。
「危ない!」
俺はまた咄嗟に手を伸ばし、ルルリナの体を抱き留めてしまった。いつの間にやらジェントルマンの動きが身に付いて来ているようだ。無意識に体が動いてしまう……。
「大丈夫か?」
「……はい」
俺が訊ねると、ルルリナは恥ずかし気に長い睫毛を伏せながら、頬を赤く染めてこっくりと頷く。
俺はそんな『男の庇護欲』を掻き立てるルルリナの動作を眺めながら、(もしかしてこういうドジっ子的な行動もワザとやっているのだろうか……?)とじわじわと疑念が湧いてくる。
『あの子の本性に気付かない男子たちが大勢毒牙に掛かっているわ』
先日のルマティ部長の言葉が警鐘のように心に響く。うーむ。もしかして本当に俺も狙われているのだろうか、この子の毒牙に。
俺はそんな疑念を表には出さないように注意しながら、優しくルルリナの体を起こして話し掛ける。
「まだ、足が治りきっていないのかな? 気を付けて」
「あの……また助けて頂いて、ありがとうございました」
「ああ、気にしないでいいよ。大事にならなくて良かった」
俺が笑顔を浮かべて答えると、ルルリナが潤んだような瞳で俺を見つめてきた。もしルマティ部長の話を聞いていなかったら、ちょっと浮かれちゃってたであろう熱い視線だ……。しかし、今の俺はそう簡単には騙されぬ!
「どうかした?」
心の中とは裏腹に少し鈍感っぽさを演じつつ、首を傾げてルルリナの潤んだ瞳を覗き込みながら問いかける。
するとルルリナが掠れるような小さな声で聞いてきた。
「あの……アダム様は……ルビーさんと……その……お、お付き合いをされているのですか?」
「え?」
予想もしない質問に一瞬呆気に取られる。すると、再度ルルリナが口を開いた。
「……アダム様とルビーさんが婚約をされているという噂は本当なのでしょうか?」
「は?」
俺とルビーがなんだって? こんにゃく? な、訳ないか……。婚約っつった、今? 婚約ってあれか? よく悪役令嬢が破棄される、アレか?
えーっと、婚約設定なんてあったっけ? 俺とルビーは従兄妹設定だったはずだから、婚約とかはしていないはず……。
いや、まてよ。血を守りたい名家だと従兄妹婚もよくあると聞いたことがあるな。俺が聞き漏らしていただけで、そういう設定にしていた可能性も無きにしも非ず、なのか?
想定外の問い合わせを前に、俺は学院に入学する前に読み込んだ、設定厨のルビーが作った『アダム様公式設定集』を必死に思い返す。
――うん、婚約設定は確か無かったはずだ。
「そんな噂があったとは知らなかったな。俺とルビーはただの従兄妹だよ?」
長考した割にあっさりと否定の言葉を伝えた俺に、ルルリナは少しキョトンとする。……しかし、すぐに満面の笑みを浮かべて「良かった」と呟いた。
良かった……か。
その言葉を掘り下げると面倒なことになると直感した俺は、そのまま気付かないふりをして聞き流す。俺はルルリナの毒牙に掛かる訳にはいかない。――毒牙がなんだかはよく分からんが。
……その時、ヴァナルカンドがタイミングよく「ワン!」と吠えた。よっしゃ。
「ああ、すまない。待たせたな、ヴァナルカンド。それじゃ、ルルリナも気を付けて。あ、そう言えばレルワナ副会長に伝言を頼まれていたんだ。『夜更かしは美容の敵だぞ』って。じゃあ!」
俺は一気にそう捲し立てて、ルルリナに引き留められる前にヴァナルカンドと走り出した。ちょっと立ち去り方が不自然過ぎたかな? 俺はちらりとルルリナを振り返る。
「もう……お兄様ったら……」
ルルリナが何やら呟いたようだったが、そのまま呼び止められることはなかった。
「ヴァナルカンド! よくやった。いいタイミングだったぞ」
走りながら小声でヴァナルカンドを褒めると、
「わふん!」
と、ヴァナルカンドが嬉しそうに返事をした。




