77話 街に出て
「最近、街で教えてもらった店なんだ。料理はシンプルなんだけど、素材を生かした味わいで非常に美味なんだ。それに何よりも店の雰囲気が素晴らしい」
強引に連れ込まれた馬車の中で、トルティッサは目をキラキラと輝かせながら、これから行く店の話をしている。
俺は軽く相槌を打ちながら、弟に教えてもらった通りに話相手の観察をする。
こいつがこんなに絶賛するなんて、よほど高級店なのだろう。学院に入る前にルビーに教えてもらった正式な食事マナーは覚えているだろうか、と少し不安になる。
しかし、せっかくトルティッサがこんなに嬉しそうにお勧めの店を紹介してくれると言っているのだ。率直に嬉しい気持ちを伝えるのがいいだろう。さっき学んだとおりに、素直に。
「そうか。それは楽しみだな」
……素直な気持ちを言葉に出すって、思った以上に恥ずかしいな。不自然になり過ぎないように注意しながら、出来るだけサラリと伝える。
トルティッサが少し目を瞠るような表情をした。トルティッサが驚くような顔をするのは珍しいのですこし楽しい。
「そ、そうだ。少し独特の店なので、入るときにこれを羽織った方がいい」
トルティッサが気を取り直した様に、自分の席の隣に置いてあったカバンの中からゴソゴソと何かを取り出す。
「???」
俺は手渡されたそれを見て、意味が分からず首を傾げる。トルティッサから渡されたのは、少し古びた感じのマントだった。
「これって……」
俺が質問をしようと口を開いた時、がくんと馬車が揺れて止まった。
「ああ、着いたみたいだ。さ、そのマントを羽織って。ここからは路地に入るから少し歩くよ」
トルティッサの言葉にまた俺の頭の中に『?』が飛び交う。路地? ……ああ、隠れ家的な奴か?
――そんな俺の予想は壮大に外れていた。
俺がトルティッサに連れてこられたのは、何のことはない裏路地にある場末の酒場だった……。
酒場の中の喧騒が少し離れた場所まで聞こえていた。随分盛況なようだ。トルティッサが扉を開けると、騒音と共にモワッとした熱気の様なものが店内から漏れてきて俺達を包み込んだ。
「凄いだろ? 私も始めて来た時は驚いたが、慣れると楽しいんだよ」
トルティッサが楽しそうにそう言って店に入る。入り口付近に座っていた目つきの悪いゴロツキの様な男たちがジロリとこちらを睨んだが、みすぼらしいマントを羽織った男二人にすぐに興味を失ったらしく、手元のカードゲームに視線を戻した。
「お前……一人でこんなところまで食事に来てるのか?」
俺が人ごみをかき分けて進むトルティッサについて行きながら、小声で話しかけるとトルティッサは笑いながら答えた。
「まさか! いつもはこういう店に詳しい従者と一緒さ。ほらさっきの馬車で御者をやっていた男だよ。今日はアダム君とゆっくり話したいから離れた場所に居てもらえるよう伝えてあるんだ」
あっけらかんとトルティッサは話す。うん、だよな。こんなところに世間知らずの坊ちゃんが一人で入ったら鴨葱だろうしな。俺はトルティッサの話を聞いて少し安堵する。え? べ、別にトルティッサのこと心配した訳じゃないんだからね!
トルティッサは一番奥のカウンターまで行くと、端っこの席に陣取り、そして空いている隣の席を指さした。
「アダム君もここに座りたまえ。店内の様子を見るにはここが一番いいんだって、教えてもらったんだよ」
「あ、ああ」
俺は頷いて、トルティッサの隣の席に腰を下ろす。確かにここからなら店の様子が見渡せる。
……けど、あんまりジロジロ見ていると、絶対「何見てんだ! このヤロー」になりそうな雰囲気バンバンだぞ。これ。まあ、絡まれたとしても今の自分なら負ける気はしないが、後々めんどくさいだろ。
「驚いた? もっと高級な店にした方がいいかとも思ったんだけど……一度この店に友達と来てみたかったんだ。もし気に入らなかったらすまない」
俺が、容易に起こりそうなトラブルを想像して難しい顔をしてしまったせいだろうか。トルティッサが少し不安げに微笑みながら話し掛けてきた。
へー、いつも自信満々そうなのに。コイツでもこんな表情するんだ。
いつもよりも注意深く観察しているからだろうか? これまでに気付いていなかったトルティッサの意外な繊細さが垣間見えて新鮮な気持ちになった。
「いや、お前がこういう店を好きなんだってことが意外な気がしただけだ。ちなみに俺は気取った店よりこういう店の方が好きだから心配ないぞ」
「そうか! それなら良かった」
トルティッサがまた輝くような笑みを浮かべた。ぐお。目が、目がぁぁ~。
そして俺と同じようにトルティッサのイケメンスマイルに直撃された人間が他にも居たようだ。
「あらぁ。素敵なお兄さん達、あんまり見ない顔ねぇ。一緒に飲まない?」
艶の含んだ声が聞こえたかと思うと、薄衣の女が色気満々にトルティッサにしなだれかかってきた。
「あら、じゃあ黒髪のお兄さんは私でどぉ?」
フワッと化粧の匂いが鼻をついたかと思うと、細い腕が俺の首に緩く巻き付いた。後頭部には何やら柔らかいモノが押し付けられている。……うお! これは……もしや……。
「上等だ!! テメェ!!」
「きゃあああああ!!!」
俺が後頭部の感触を楽しもうとしたその時、怒号と悲鳴が同時に店内に響き渡った――。




