71話 花の園での出会い
「わふん!」
ヴァナルカンドが俺の『散歩』という言葉に反応して、ブンブンと大きく尻尾を振った。
深夜、ヴァナルカンドにリードを付けて学園内の敷地を散歩させるのが最近の俺の日課だ。
「お前……すっかり犬らしくなったな……」
俺は力強くリードを引っ張るヴァナルカンドの紫の巨体を眺めつつ、独り言ちる。
さすがにこの時間に外を出歩いている学生は居ない。たまに見回りの警備兵と出会うが、深夜に散歩をすることについては学院の許可をもらっていたので、警備兵にもその情報は伝わっているのだろう。これまで一度も止められたことはなかった。
学院の広い敷地内は軽く一周するだけで、一時間以上かかる。俺とヴァナルカンドはいつも2時間くらいかけて、学院内の色々な場所を散歩して歩いた。
今日もこれまでに通ったことの無い道を選んで、ヴァナルカンドとの散歩を楽しんでいた。
初めて通ったその道はバラ園の様だった。まあ、正確に言うとバラに似ている花が咲き乱れる広場だった。
花の香りだろうか。その広場に近づくにつれて甘い香りが強く香った。
――へえ。こんな場所があったなんて知らなかったな。
俺は美しく剪定された花を眺めながら、ヴァナルカンドと一緒に香りに誘われるように広場に足を踏み入れた時だった。
「キャッ……!」
突然甲高い悲鳴が聞こえ、俺の体にトンッと『何か』がぶつかった衝撃を感じた。
俺は思わずぶつかって来た『何か』を両腕で抱える。
「も、申し訳ございません……」
俺の両腕に抱えられていたのは黒髪の小柄な少女だった。少女は驚いたような顔をしつつ小さく俺に謝った。
「……いや。こちらこそ、すまない。怪我はないか?」
俺は驚きも相まってややぶっきらぼうになりつつも、腕の中で身を縮こませる少女に尋ねる。
「だ、大丈夫です……」
俺が覗き込むと、少女は消え入りそうな声でそう言いつつ、顔を真っ赤にして俯いた。少女の反応で、自分がガッツリ少女を抱き締めてしまっていることにふと気が付く。
――やべ! 反射的に抱き留めてしまったが、これはセクハラか!? いや、不可抗力だからしょうがないよな!?
俺は慌てて、顔を赤らめる少女から手を離しササッと離れた。
一体、こんな時間に何をしていたのだろう。そう思った俺の疑問が顔に出てしまったのだろうか、少女は慌てた様に言い訳じみた言葉を口にする。
「あの……眠れなくて……少し散歩をしていました……」
「そうか」
「あの……可愛いワンちゃんですね……」
「そうか?」
相変わらず女子と話すのに慣れていない俺は、せっかく話題を作ろうとしてくれたであろう女子の言葉に最小限の言葉だけで返事をしてしまう。――いや、弁明をさせて欲しい。少なくともヴァナルカンドは可愛いというカテゴリーには入らないと思うんだ! え?そういう事じゃない?
当然すぐに会話は終わってしまい、少女が少し気まずそうに俯く。
うん、俺もなんだか気まずい。でも初対面の女子と会話を弾ませるなどという高スキルを俺が使える訳もなく、気まずい沈黙が続く。
「……あの、アダム様ですよね?」
少女が恐る恐るといった感じで俺に訊ねる。うお、名前バレてる。やはり後でセクハラとして訴えられてしまうのか!
「ああ……そうだけど」
セクハラ訴訟は怖いが、ここで誤魔化してもしょうがないとあきらめて頷く。途端に少女はキラキラと目を輝かせる。WHY?
「あの……私、1年のルルリナ・シュパナテイクと申します。アダム様の隣のクラスです」
ルルリナと名乗った少女がスッと小さく屈んだかと思うと、優雅に自己紹介をする。
あー、隣のクラスね。こんな子いたっけ? すまん、クラスメートすらまだ把握してない俺が違うクラスの女子まで知っているハズもないわ。
あれ? でも、『シュパナテイク』ってなんか聞いたことあるような気がするな? うーん、どこで聞いたんだっけ? 『シュパナテイク』という名字に引っかかるが、パッと思い浮かばない。
俺は仕方ないので、曖昧に笑みを浮かべて改めて答える。
「アダム・イスカムルだ。よろしく」
「はい……こちらこそ」
ルルリナは小さく答えると、また頬を染めて俯く。また少しの沈黙の後、少女が呟くように言った。
「私、もう行きますね。……ありがとうございました」
「ああ」
少女はペコリと頭を下げるとクルリと踵を返し、女子寮の方へ優雅な所作で去っていった。俺は去っていく少女の背中を見守りながら、ふと思い出した。
――あ。『シュパナテイク』って、レルワナ副会長と同じファミリーネームか?




