#003 恋せよ乙女 #03
青木先生から話し掛けてくれたぁ。どうしても顔がほころんじゃう。
ひょっとしてパワーストーンの効果? それとも香水かなぁ?
真面目な顔を必死で作るけど、嬉しいよぉ。数学のことでもほんと嬉しくって……どうしよう。
* * *
学食でお弁当を広げながら、早速三波ちゃんに報告する。
嬉し過ぎて、話し終えた時にはすっかり息が苦しくなっていた。
「興奮し過ぎだよ、おしのちゃん」
「だってさぁ……あたし、まさかこんなチャンスが来るとは思ってなかったし」
三波ちゃんは彩りも見事なお手製弁当を開けながら、ため息をつく。
「チャンスったって、勢いに乗って告るわけでもないんでしょ?」
「そんな……告るなんて、全っ然、無理無理っ」
あたしはまた呼吸困難になりかけながら、両腕で大きな×を作って首を振った。
「おっ? 東雲たちは弁当かぁ」
その声に振り向くと、トレイを手にしたたなっちが物欲しそうな目で見ていた。
「あれぇ? たなっち、奥さんの愛妻弁当はぁ?」
「いやぁ、実は昨日からうちの奥さん具合が悪くてねぇ……学食が開いてる日で助かったよ」
普段から情けないと評判のたなっちの顔が、更に情けない感じになっている。
「そうなんですかぁ……大変ですねぇ」
あたしが言うと、三波ちゃんはにやにやする。
「実は喧嘩しちゃって作ってもらえなかっただけだったりして」
その突っ込みに一瞬たなっちが焦る。
「いやいや! だったらもっと安いモン食ってるから! 今日はちゃんとお昼代もらって――」
「今日『は』ってことは、以前はあったんですね」
「いやっ、ないから。ないぞ、最近は全然……ほん、ほんとに」
三波ちゃんの更なる攻撃に、たなっちは動揺しながら隣のテーブルに座った。
「こらこら、先生をいじめるんじゃない」
青木先生が笑いながら、たなっちの向かいに席を取る。
「青木先生っ。いえ、あの、あたしは全然、いじめてないですよぉ?」
あたしが慌てて言い訳すると、三波ちゃんが抗議した。
「あっ、ずるぅい、おしのちゃん。自分だけぇ」
「三波……先生、さっきから見てたぞ?」と青木先生は笑いながら、割り箸を割る。
「え~? あたしだけ悪者ぉ~?」
三波ちゃんはため息をついて、ひじきの煮物をつまんだ。
「三波も東雲も、お母さんが料理上手そうでいいなぁ……田中先生は結婚してらっしゃるし」
青木先生はチャーシューを一口食べる。今日はチャーシューメンなのね。あと、もやしとお豆腐と鶏胸肉の中華風サラダ。このサラダ、ダイエット女子に人気なんだよね。
「やっぱり、独身時代は栄養が偏りますよねぇ」
たなっちもしみじみとうなずく。
「あ、三波ちゃんは自分で作ってるんですよぉ」と説明すると、先生たちは感心したように目を丸くした。
「……あたしの評価上げてどうすんのよ」
三波ちゃんに小声で突っ込まれた。確かに……でもさっきは下がっちゃったし。
「東雲は、料理しないのか?」って、たなっちが振って来た。三波ちゃんが『ほらやっぱり』という目で見た。
「あたしはぁ……料理っていうか? お菓子ならちょっと作るんですけど」
なんて、簡単なチーズケーキとかだけど。
「そうかぁ。まぁ料理上手じゃなくても、自分で作れた方が便利だよな」
「なぁんだ、田中先生。自炊の話ですか。一応できますけど、ひとり分は面倒で」と、青木先生が笑う。
「あ、そうなんだ? 俺は全然駄目だったから」
「たなっちって、きっと、奥さんの料理に惚れたんじゃない?」
三波ちゃんが囁く。たなっちなら有り得るよねぇ。
「やっぱり、ひとりだと何食べても味気ないですかね……彼女もいないし」
青木先生は苦笑した。でもあたしは嬉しくなってしまう。
彼女、いないんだ……そっかぁ。
* * *
お弁当を食べ終わってから講習をしていた教室に戻ると、青木先生がもう来ていた。
「あぁ、東雲はちゃんと来たな」
先生はにっこりと笑う。
東雲『は』って? 席に着きながら、あたしは首を傾げる。
「本当はあと三名来る予定だったんだけどな……帰ったらしくて」
そう言って先生が挙げた名前は、みんな青木先生目当ての子。つまり、講習について行くのが大変な子たちばかり。
……折角のチャンスなのに帰っちゃったんだ。
「それじゃ早速始めようか。まず今日のポイントの――」と、先生が黒板に向かう。
「あっあのっ」
あたしはブラウスの上からペンダントを握り締め、立ち上がる。
「あの……あたしひとりだったら、黒板じゃなくても……あの……」
先生はチョークを持ったまましばらく考えているようだった。
これは高望みし過ぎだったかなぁ……そう思い始めた時、先生がふっと笑った。
「黒板の方が緊張しないかと思ったんだけど……まぁいいか」
そしてノートやプリントを持って、あたしの前の席に座る。
「なんだか、先生も学生時代に戻ったような気がするなぁ」
少し照れたように言う先生は、やっぱりカッコいい。
「こんな風に誰かに教えてたりしたんですかぁ?」
あたしが訊くと、先生は懐かしそうな目をした。
「そうだなぁ、そういえば教えてたかも。悪友とか、彼女とかにも……」
やっぱり、彼女いたよね。当たり前だと思っても、少し嫉妬しちゃう。
「いいなぁ。みんな、先生に教えてもらいたがったんじゃないですかぁ?」
しみじみと言った言葉に、青木先生は首を傾げる。
「いや、そんなことはないと思うけど」
「でもぉ教え方すごい上手でわかりやすいし、優しいしカッコいい、から……」
段々、顔が赤くなって行く気がして、あたしは下を向く。
先生はお世辞だと思ったのか、軽く笑った。
「はは、そんな風に言ってくれるのはここの生徒だけだよ。ガリ勉タイプだったからモテなかったし」
「でも彼女いたんでしょぉ?」
あたしは口を尖らせる。
「ん~……まぁ、一応ね。彼女も勉強好きだったから」
「やっぱり、頭いい子が好きなんですかぁ?」
三浦先生とか、頭悪い子は嫌いみたいだし。
「いや、別に……なんだろ、たまたまその子とは一緒にいる時間が多かっただけというか……」
そう言って、青木先生はカバンから小さなアルバムを取り出した。
「丁度、昨日実家へ行って来てね、これ……見る?」
照れながら開いてくれたアルバムには、高校生の青木先生が写っていた。
「わぁ~。今よりなんか大人っぽい? あ、あんまり笑ってないからかなぁ」
それでも、学校祭の準備の時とかは、友だちと楽しそうに笑ってる。
「いいなぁ……あたし、この頃に会ってみたかったかも」
ついぽろりとこぼしてしまって、あたしは焦った。
「あ……えっと、ほら、今だったら年の差があるし……って、えっとそうじゃなくてぇ」
更に墓穴を掘りまくってしまったあたしは、慌てて顔を伏せた。
「そうやって言ってくれるのは嬉しいけど……ごめんな」
――え……?
驚いて顔を上げる。
先生は咳払いをすると、何もなかったようにプリントを開いて説明を始めた。
今、『ごめん』って言われた気がする……
あたしってば、片想いのまま、告る前に失恋しちゃうのかなぁ……?