グレイ、師匠と呼ばれる
翌朝。グレイは朝早くに目覚めた。彼に用意された部屋は1階にある客人用の部屋で湖側に面している。窓から外を覗くと湖面に朝日が反射し、昨日の夜の趣とはまた違った美しさがあった。
グレイは暫しその風景を堪能し、リビングへと向かう。リビングには執事のセバスチャン以外は誰もいなかった。聞くところによると、カイゼルたちが起きだすのは今からおおよそ1時間後とのことだ。そこでグレイはセバスチャンに周囲を散策することを伝え、外に出た。
今の季節は冬真っ只中の1月。外気は冷たく地面にはうっすらと霜が張っていた。ここ【フランツ王国】は基本的に日本と同じような気候だ。いわゆる温暖湿潤気候で、グレイにとっては慣れた環境である。
適当な時間で散策を切り上げ屋敷に戻る。リビングに向かうとすでにエリザベートを除いた全員が勢揃いしていた。朝方見当たらなかったメイドの2人はどうやら料理番も兼任していたらしく1時間前には朝食の準備をしていたようだ。ちなみに料理長は別にいる。
「エリーはいないんですか?」
「エリーはまだ寝ておるよ」
「起こさないんですか?」
「何を言う。あんな可愛らしく寝ているエリーを起こせるわけなかろう」
「「「「……」」」」
((((ダメだ、このジジイ。早くなんとかしないと……))))
グレイと使用人の心がひとつになった瞬間だった。
「はあー。メリダ。アリア。エリザベート様を起こしてきてください」
「「承知しました」」
セバスチャンの命令でメイド2人がリビングを出ていった。
メリダはカイゼルが公爵家当主をしていた頃より勤めている元メイド長だ。勤続40年の大ベテランで御歳56歳になる。彼女はカイゼルが隠居する際に直々に引き抜いた。極めて有能な人物で、メイド長時代には書類仕事や労務管理などをこなしていた。ちなみにセバスチャンとは夫婦の関係だ。
アリアは隠居に際して新しく雇ったメイドだ。隠居時からなので勤続12年ほどになる。歳は32歳。料理長とは夫婦の関係にある。
この場にいない料理長は名をモーガンという。カイゼルに引き抜かれる前はアルベリオンの街のレストランにて副料理長を勤めていた。
「皆さん、おはようございます。遅くなってしまい申し訳ありません」
エリザベートがメイド2人と一緒にリビングに入ってきた。適当に挨拶を交わし全員で食堂に向かう。
朝食はスクランブルエッグにトースト、サラダにポトフというラインナップだった。味は良かったと記しておく。
朝食が終わると少しの食休みを経てから、早速エリザベートの訓練を始めることにする。そのことをカイゼルに言うと、「訓練なら草原でやるのが良いじゃろう。案内するぞ?」と言うので案内してもらうことにする。
グレイたちは移動を開始した。家を出て森の中の道を10分ほど進むと、やがて草原が見え始めた。
「ここじゃ。儂も魔法の訓練をするときにはいつもここでしておるのじゃ」
その場所は周囲の2面を岩壁に囲まれた草原の一角であった。カイゼルが魔法の訓練をしていたということで所々に抉れたような跡や焦げたような跡が見て取れた。
「ほう。いい場所ですね」
「そうじゃろう」
グレイはそんな感想を呟きつつ、さらに良い訓練場にするために土魔法を展開する。これでもかと魔力が込められた土魔法は十数秒で立派な訓練施設を創り出した。
「すごいです! グレイ様!」
エリザベートはグレイをキラキラした目で見ている。その目には尊敬と感動など賛美の色しかない。
「……お主ホントにデタラメじゃな。全く少しは自重せい」
カイゼルは呆れた様子でグレイを見ている。そこに賛美の色はない。
「……これが薄汚れた大人と汚れなき子供の差か。この世のなんと虚しいことよ」
「なんじゃ? 今何か言うたか?」
「いえ、なんでも。じゃあ、エリー、訓練を始めようか」
「はい! お願いします!」
グレイは訓練を開始する。カイゼルは仕事があるそうなので屋敷に戻っていった。
「コホン……。では、始めます。早速ですが、エリーに質問です。魔法を行使する上で最も重要なことはなんだと思いますか?」
「えーと……すみません。分かりません」
「そうですねー、例えば上級魔法しか使えない魔法師と中級魔法しか使えない魔法師がいたとします。もし戦ったとしたらどちらが勝つと思いますか?」
「えっと、上級魔法しか使えない魔法師、でしょうか」
「そうですね。基本的には上級魔法と中級魔法がぶつかり合えば当然上級魔法が勝つでしょう」
「はい」
「ですが、実際はどうでしょうか? 上級魔法は詠唱が長く、中級魔法の詠唱は短いですよね? とすると必然的に中級魔法が先に発動することになります」
「はい……あっ!」
「では、もう一度質問します。上級魔法しか使えない魔法師と中級魔法しか使えない魔法師が戦ったらどちらが勝つと思いますか?」
「中級魔法しか使えない魔法師です」
「正解です。つまり、魔法とはいかに早く発動するかが一番重要なんです。いくら強い魔法が使えたところで実戦で役に立たなければ意味はありません。ですので、今日からは短詠唱を習得してもらいます」
「はい! 分かりました!」
グレイの話はエリザベートからしてみれば目から鱗が落ちる内容であった。今まで見てきた数々の童話や歌では強い魔法が登場し、それを使う主人公が悪者を倒すという構図だったからだ。それ故に強い魔法が使えること=強い魔法師というイメージがあった。
また、エリザベートがそのように思っていた別の理由として現公爵家の邸宅で彼女の兄が魔法を学ぶ様子を見ていたことも挙げられる。実家の家庭教師は「いかに強い魔法を使えるか」という点に重点を置いた訓練をしていたのだ。そのため、エリザベートは余計に勘違いをしていたのだ。
しかし、エリザベートはその間違いを正すグレイの話を聞いて彼に心酔するのだった。
「じゃあ、まずはエリーの目標とする魔法を見せます」
「はい! グレイ様!」
グレイは魔法陣を一瞬で構成し次々と下級魔法を見せていく。エリザベートはその度に目をキラキラさせながら見ている。グレイは気を良くし、予定になかった大魔法を見せてあげることにした。エリザベートにそう告げたところ彼女もノリノリである。
「【ダウンバースト】」
右手を前方に翳し魔法名を唱えると魔法が発動した。【ダウンバースト】は最上級風魔法に分類される魔法で風によって対象を押しつぶす中範囲殲滅魔法だ。
グレイが発動させた【ダウンバースト】は直径50mに渡って抉るような跡を残していた。グレイ自身は本気で放ったわけではないので、「こんなものかな」などと内心思うのであった。ちなみにグレイたちを襲った突風は結界魔法によって防がれている。
「ふわぁー」
しかし、グレイの心境とは裏腹にエリザベートは大いに感動していた。この魔法は過去のとある英雄が好んで使用していた魔法だからだ。また、そんな大魔法を短詠唱で扱ったことに対して驚くとともに更なる尊敬の念を抱いた。
詠唱は魔法陣を展開する際の補助的な役割を果たしている。だが、魔法陣の構成を理解し頭の中で組み立てられるようになれば、グレイのように魔法名を言うだけで魔法を発動することが出来るようになる。ちなみにこの詠唱を短詠唱と言う。詠唱には他に全てを詠唱する完全詠唱と一部を省略する省略詠唱がある。だが、一般的に詠唱と言う場合には完全詠唱を指す場合が多い。
「どうです? これから努力を続けていればいずれは使えるようになりますよ」
エリザベートの心境などはいざ知らず、グレイは軽い感じで尋ねた。
「すごいです! 私も使えるようになるんですね! 頑張ります! 改めてこれからよろしくお願いします! 師匠!」
「し、師匠?」
「はい! 師匠です!」
「う、うーん……。エリー、師匠はやめてほしいんですけど……」
この日以後、エリザベートは今まで魔法が使えなかった期間を取り戻すかのように知識を貪欲に吸収していった。実は彼女は魔法が使えなかっただけで他の事柄に関して言えば同年代と比べて極めて優秀なのだ。その実力が魔法にも及ぶようになったので、本人の意欲も相まって凄まじい成長を見せていた。
ちなみにエリザベートから師匠呼びを止めてもらうのに苦心したのは言うまでもない。
♦︎♦︎♦︎
エリザベートが魔法を教わり始めておよそ1ヶ月が経過した。彼女はすでに全属性の下級魔法を短詠唱で使用し、中級魔法を省略詠唱で使用している。「麒麟児」。「神童」。彼女にはそんな言葉が相応しいだろう。
グレイは異世界での魔法習得状況を知らないので「優秀だな」程度にしか考えていないが……。
そんな一方でカイゼルはなんとも言えぬ感情に囚われていた。無論、孫娘が急成長したことは自分のことのように嬉しい。だが、孫娘から聞く話はいつもグレイのことばかり。
はっきり言おう。カイゼルは気に入らないのだ。エリザベートからグレイの話を聞く度に心の中では血の涙を流している。「もっと儂を構って欲しい」そんな気持ちを彼は抱いていたのだ。本当にどうしようもない爺さんである。
そしてある日とうとう溜め込んでいた鬱憤が爆発した。
「グレイ! 儂と決闘せい!」
突如「ドガーン」と荒々しくリビングの蹴り壊しながらズカズカとカイゼルが入ってきた。リビングには訓練を終えたグレイとエリザベートがセバスチャンにお茶を入れてもらって寛いでいた。
「えっ? まあいいですけど。そのいいんですか?こう言っちゃなんですが俺が勝つと思いますよ?」
「ふんっ! そんなことは鼻から承知じゃ! これは……これはそう男の矜持なのじゃ!」
「はあ」
グレイはよく分からなかったが、彼は基本的に暇なので相手をすることにした。だが、決闘は暫くお預けになりそうである。
「カイゼル様?」
セバスチャンが笑みを浮かべながら底冷えのする声を発した。だが、目は笑っていない。グレイは自分が呼ばれているわけでもないのに背筋が冷えるのを感じていた。隣に座るエリザベートの顔も心なしか青くなっている。
「これを直しておいていただけますか?」
「じゃ、じゃが」
「直して、おいて、いただけますか?」
「う、うむ。了解じゃ……」
この日グレイとエリザベートは知った。この世には決して怒らせてはいけない人物がいることを……。