グレイ、店を所望する
【魔法都市アルベリオン】は【フランツ王国】を構成する主要都市の1つだ。この国には3つの公爵家ーー三大公爵家があり、それぞれが魔法、学問、商業の中心となる都市を治めている。
そのひとつであるアルベリオンは当然ながら規模が広大だ。そのため、都市の周囲を囲う城壁も自然と広大なものとなる。城壁内には家々だけでなく、鉱山や森、ダンジョンなども存在し、もはや1つの小さな世界があるようである。
グレイたち一行は顔パスで街に入りノンストップで進んでいった。いや、途中、盗賊の引き渡しなどをしたが……所詮はその程度だ。そして、その後はカイゼルの自宅へと向かっていた。
アルベリオンは喧騒といっていいほどの活気に満ち溢れていた。主要道路には多くの商人や市民が行き交い様々な声が飛び交っている。
建物に目を向けると、石造建築や赤い煉瓦造りの建築、木造建築などが建ち並んでいる。どうやら種族ごとに違う文化を尊重しているためにこのような雑多な形になっているのだろう。しかし、それぞれで特色ある建築物はグレイの目を大いに楽しませた。
「この国には差別はないんですね」
往来を歩く人々を見てみると多種多様な人々がいるのが見て取れる。
「そう言えばお主は獣人じゃったな。この国は差別を法で禁じておるんじゃよ。まあ、中には他国出身の者が差別する場合があるが、そういう者は騎士団にしょっ引かれるか、周りに白い目で見られるのう」
グレイは内心、差別が横行するような場所だったらどうしようかと思っていた。異世界ものの話で獣人が差別されるという話がザラにあったからだ。
最初に彼を見たときのカイゼルや騎士の反応を見たときに差別はなさそうだと予測してはいたが、実際に自らの目で確認するまでは不安だったのだ。
「そうですか。安心しました。獣人を差別する者がいたらどうしようかと少し考えてましたから」
「ガッハッハッハ!グレイ殿なら絡まれても問題なかろう。むしろ相手が不憫じゃ」
「……ハハハ」
グレイは「確かにそうなるかもしれない」と乾いた笑いを浮かべるのだった。
♦︎♦︎♦︎
やがて目の前に1つの西洋風の屋敷が現れた。
街の喧騒から大分離れたこの場所は、周りに家はなく静かな場所だった。三面は森に、一面は湖に面しており、まさにグレイが探し求めていたかのような立地条件であった。そのため彼は密かに「いつかこの近くに住もう!」と決意するのだった。
「ここが儂の屋敷じゃ」
「ほー。すごい屋敷ですね」
そして、カイゼルが扉を開け、屋敷に入ると中には執事服を着た初老の男性と2人のメイドがいた。
「お帰りなさいませ。カイゼル様。……そちらの方はどなた様でしょうか?」
「今回の任務で危ない場面があってのう。そこを助けてもらったのじゃ」
「なんと!そうでしたか。……この度は我が主人の窮地を救っていただき、使用人一同を代表いたしましてお礼申し上げます。誠にありがとうございました」
使用人3人が頭を下げた。
「いえ、まぁーただの成り行きですから」
その後、グレイはリビングへとひとまず案内された。
直に夕食とのことでメイド2人は準備のために席を外し、執事もグレイが泊まる部屋を整理するため席を外した。
夕食までの間の時間はカイゼルの案内で屋敷を見回ることになった。屋敷内にはセンスの良い調度品が嫌味にならない程度の絶妙のバランスで配置されている。内装はグレーで統一されており落ち着いた印象を受けた。
「こっちじゃ。そろそろ夕食の時間じゃからこのまま食堂へ向かうぞ」
カイゼルが先頭を行き、グレイはその後に続く形で食堂へと入った。
案内された食堂は20畳ほどの長方形の部屋だった。扉が付いた面の反対側には大きなガラス付きの戸が設置されており、外を覗むことができる。
食堂は湖に接する面の部屋であり、月の光が湖の水に反射してゆらゆらと揺れているのが見えた。幻想的で美しい光景である。
「いい場所ですね」
「そうじゃろそうじゃろ。儂はこんな場所をずっと探しておってな。隠居を期に探し回ってようやく見つけたのじゃ」
そんなことを話していると、やがてグレイが初めて見る人物が現れた。
「遅くなりました、お爺様。おかえりなさいませ」
「ただいま。エリーよ」
「はい……あの、そちらの方は?」
「そうじゃった。まだ言っておらんかったな。彼の名前はグレイ。今回の任務で助けられたのじゃよ」
「⁈それは失礼いたしました。この度は私の祖父を救っていただきましたことを深くお礼申し上げます」
彼女の名前はエリザベート・フォン・アルベリオン。金髪碧眼の10代前半くらいの少女だ。容姿端麗で品のある凜としたその顔からは幼いながらも知性が感じられる。彼女はカイゼルの孫娘であり、現アルベリオン公爵家当主の長女だ。しかし、彼女はそんなやんごとなき身分でありながら家では爪弾き者にされている。
エリザベートは現アルベリオン公爵家当主ヴィルヘルム・フォン・アルベリオンと第一夫人との間に生まれた。しかし、時を同じくしてその第一夫人、つまり彼女の母親が出産時の衰弱が原因で亡くなったのだ。
当主である父親はその第一夫人を溺愛していたがために、身代わりのような形で生まれてきたエリザベートを憎み、避けるようになった。そしてまた不幸は続く。彼女には魔法の適性が全くなかったのだ。
人は生まれた時点で魔法の適性が決まる。例外はあるが、基本的に生まれた時点で適性がない魔法は一生使えない。
エリザベートの場合はその魔法の適性が1つもなく、魔法が1つも使用できなかった。
【魔法都市アルベリオン】を治めるアルベリオン公爵家にとって身内にそのような存在がいることは決して容認できることではなく、第二夫人や異母兄弟はエリザベートをこぞって無視、爪弾き者にするようになった。
カイゼルは幾度となく状況を改善するよう諌めてきた。しかし、状況は一向に改善されることはなく今もまだ爪弾き者にされたままだ。彼はそんなエリザベートを家族の中で唯一気にかけ、そして優しくしている。
だが、実はカイゼルが優しくする理由はそれだけではない。アルベリオン公爵家は男系家族であるため女児はあまり生まれない。それ故に唯一の孫娘であるエリザベートは彼にとって目に入れても痛くないほど可愛くて仕方ないのだ。故に溺愛している。それも過保護なほどに……。
3人は椅子に座る。使用人は後ろに控えていた。彼らは主人たちが食べた後に夕食を摂るそうだ。
食卓の上には素人目に見ても豪華な料理が並んでいた。地球で見たフランス料理に酷似したものであったり、全く見たこともないものもあった。
グレイは初めて見る料理を食べる際は戦々恐々としていたが、いざ食べてみるとどの料理も非常に美味であった。
「お主は貴族だったのか?貴族以外でテーブルマナーが出来る者などほとんどおらなんだが……」
「いえ、違います、平民です。ただ、少し変わった両親でして『色々なことを知っておくと役に立つから』と教え込まれたんです」
「ほう。立派な考えを持ったご両親じゃな」
「そうですね。今では感謝してます」
嘘である。ただ、日本で暮らしていた時に偶然テレビで放送していたテーブルマナーをどうにか思い出して、それらしく振舞っていただけだ。まあ、間違ってはいなかったようだが……。
「礼の件じゃが、何か欲しいものはないか?なんでも構わんぞ?」
食事がひと段落した後、同じく食堂にてカイゼルが切り出した。
「そうですね……ああ、街の中に店を開きたいので、その紹介をお願いします」
「店?何の店じゃ?」
「錬金術です。盗賊と戦った後に騎士の方々に渡した回復薬、覚えてますか?」
「うむ。あれは良い品であったな。……まさか⁈あれはお主が作ったのか⁈」
「ええ。そうですよ」
「ほう。お主は多才じゃの」
通常この世界では錬金術と魔法を両方学ぶ者はいない。何故か?それは錬金術が一子相伝の秘術だからだ。錬金術を学ぼうとしたら、錬金術師に弟子入りして学ぶことになる。そうなると必然的に魔法を学ぶ時間がとれなくなるのだ。
その後も幾らか雑談をし、やがて食事を終えた。そしてリビングへと移動した。
「して、グレイ殿」
リビングで寛いでいたグレイに、突然カイゼルが改まった様子で告げた。
「敬称はなくていいですよ。それで何でしょう?」
「了解じゃ。では、グレイと呼ばせてもらおう。それで盗賊団に使っていた魔法なのじゃがアレは【雷槍】じゃよな?それにしては威力が強かった気がするが……」
「ええ。【雷槍】ですよ。ただ、魔法陣を少し改良してあるので通常よりは威力も速度もありますが」
「そうか……(この者ならもしかしたら……)ボソッ……」
カイゼルは魔法が使えない孫娘のために今まで自らが持ちうる様々な情報網を駆使して後天的に魔法を取得させる方法を探していた。しかし、結果は芳しくなく落胆する日々を送っていた。
そこで魔方陣の改良が行えるほどに魔法への造詣が深いグレイに聞いてみることにした。魔方陣の改良は【魔法都市アルベリオン】内においても一握りの者しか十全にできないからだ。
「グレイは後天的に魔法を取得する方法を知っておるか?」
その言葉にカイゼルの横に座るエリザベートがピクッと反応した。祖父である彼が自らのために尋ねていることが分かったからだ。
「俺の知る限り、努力によって後天的に魔法の才能を得ることは不可能ですね」
「……そうか」
カイゼルとエリザベートは肩を落とす。
「ですが、道具を使えば可能ですね」
「何ッ⁈それは真か⁈」
「えっ?え、まあーはい」
「良かったら教えてくれぬか?実はエリザベートは生まれつき魔法の適性がなくてのう。どうにかして後天的に得る方法はないものかと長い間探しておったのだ」
「私からもお願いします。どうか、どうか教えては下さいませんか?」
2人は必死であった。これを逃せば一生知る機会がないかも知れないからだ。
グレイはそんな2人に気圧されながらもすぐに居住まいを正し語り出す。
「え、ええ。いいですよ。そうですね、お2人は魔導書はご存知ですか?ああ、魔の道の書ではなく、魔を導く書と書いての魔導書です」
「いえ、聞いたことありません」
「儂もじゃ」
「魔導書とはその名の通り魔を導く、つまり魔法の適性を、読んだ者に与える書物です。まあ、一度使ってしまうと、ただの紙と化してしまうんですけどね」
「それはどのように手に入れるのじゃ?」
「ダンジョンですね。ただ、深層に潜らないと手に入らないですが……」
無論、グレイのこれらの知識はゲーム時代のものだが、ほかに話しようがないので、そのまま話すことにした。
「……そうか」
「そう……ですか」
カイゼルとエリザベートの2人は明らかに落胆していた。魔法を扱える可能性がある。方法も分かった。にも関わらず、それを掴むことができないからだ。
ダンジョンの深層と言えば、凶悪な魔物が闊歩する超危険地帯だ。カイゼルが現役だった頃に万全の準備をし、且つ同じ程度の実力を持つ者とパーティーを組めばなんとかなったかもしれないが、今の彼には不可能であった。……いや、現役だった頃でも彼が王国一の実力を持っていたことを考えればメンバーを集めることは困難であり攻略は難しかったかもしれない。
「良かったらこれを差し上げます。俺にはもう必要ない代物なので。ただ、残念ながら希少属性の雷と氷の魔導書はありませんが」
グレイはそういうとインベントリから各属性の魔導書計6冊を取り出した。火の魔導書、水の魔導書、風の魔導書、土の魔導書、光の魔導書、闇の魔導書の6種類だ。
「ッ⁈インベントリ持ちじゃったのか!旅をしている風なのに荷が少ないと不思議に思っとったんじゃ!」
「ええ、まあ。それよりもこれどうぞ」
グレイはエリザベートに魔導書を手渡す。
「えっ?その、よろしいのですか?かなり高価かと存じますが……」
「ええ。構いませんよ。俺はもう全属性覚えてますし。金には執着無いので。情けは人のためならずと言いますしね」
「ありがとう、ございます。本当にありがとうございます。」
エリザベートは受け取った魔導書を胸に抱くようにして啜り泣き始めてしまった。グレイはまさかこうなるとは思わずオロオロとしてしまう。カイゼルはそんな2人を見て微笑ましく思うのだった。
「してお主はこれからどうするのじゃ?度々申し訳ないのじゃが、もし予定がないようならお願いがあるのじゃ……」
「特に何も決めてませんね。それでお願いとは?」
「実はのう、あと2ヶ月ほど先に学院の入学試験があるのじゃが、それまでの間家庭教師をして欲しいのじゃ」
「お爺様⁈」
「ええ、構いませんよ。その代わりと言ってはなんですが、店の件頼みます」
グレイは快諾した。というのも「孫娘の訓練を餌にすればこの爺さんは全力で動くだろう」と灰色の脳細胞で導き出したからだ。かつて、“帰宅部の孔明”と呼ばれた彼に抜かりはない。
「うむ、了解じゃ。希望はあるかの?」
「そうですね……あまり忙しいのは望むところではないので裏通りに面した店があればそこを紹介してください」
「うむ。了解じゃ」
「グレイ様!よろしいのですか⁈」
「うん?ああ、いいですよ」
「何から何までありがとうございます!この御恩は一生忘れません!」
「そんな大袈裟なことではありませんよ。訓練は明日からでいいですか?」
「はい!よろしくお願いします!」
こうしてグレイは異世界での第1目標「拠点の確保」を取り付けたのだった。
♦︎♦︎♦︎
その日の夜。
グレイは今、非常に困った事態に遭遇していた。というのもーー
「はあー。……お爺様!グレイ様に謝ってください!あれはお爺様が悪いです!」
きっかけはほんの些細な出来事だったのだが、その後のカイゼルの態度に納得のいかなかったエリザベートが怒りだしてしまったのだ。彼女にとって、グレイは長年の悩みを解決してくれた恩人なのである。
「じゃ、じゃが……」
「謝ってくれないのでしたらもう一生口を聞きません!」
「な、なん、じゃと……」
カイゼルの顔を絶望が支配していく。顔からは血の気が引き、生気が抜けていくのが幻視できる。まるで生きた屍のような姿がそこにはあった。
彼にとって孫娘は命。一生話せないなど発狂してしまうほどの一大事だ。それを知ってか知らずか、交渉の材料にするエリザベートは中々に恐ろしい子供なのかもしれない。
カイゼルはグレイに向き直り土下座する。
「本当にすまんかった!どうかこの愚かな儂を許してくれまいか……」
貴族の矜持などその一切を捨て去った姿がそこにはあった。今彼の中にあるのは何としてでも、何を犠牲にしてでも孫娘に許してもらい、再び口を聞いてもらえるようにするというその気持ちだけ。
「謝罪を受け入れますから!だから早く頭を上げてください!騎士の方々が見てますから!」
今日の件について、カイゼルに用があったらしい騎士たちは、部屋の入り口付近にて待機していた。そうなれば当然、このことは嫌でも目に入る。
急に、元とは言え公爵家の当主が土下座をしたらどうなるか?言わずもがなである。
カイゼルは魔法騎士団長を務めていた時には「鬼のカイゼル」などと呼ばれており、その勇猛果敢な姿は英雄譚として騎士たちの間で語り草となっている。故にカイゼルは騎士で知らぬ者はいないほど有名なのだ。そんな人物を土下座させたのだから騒ぎにならないわけがない。
この日以後、グレイは鬼を土下座させた男として一部界隈にて有名になるのだが今はまだ知らない話。
「分かってくださればいいのです、お爺様」
(これが裏ボスというものか……。エリー恐るべし)
エリザベートを見ながらグレイは思った。