【閑話】カナリア、日常を過ごす
太陽が昇り、夜の世界から昼の世界へと姿を変えた。昇った太陽はアルベリオンの街に暖かな日差しを注ぎ込む。
その光は裏通りに面する1軒の小さな店をも照らしていた。
その店の2階部ーー住居の、ある1室ではエルフの少女が可愛らしい寝息を立てながら眠っていた。
彼女の名はカナリア。グレイの店の従業員だ。彼女は元々グレイの奴隷だったのだが、今はすでに解放されており、現在は大恩あるグレイにその恩を返すべく日々働いている。まあ、実際はそれだけではないようだが……。
そんな彼女の部屋にはカーテンをくぐり抜けた朝日が注ぎ込んでいた。カナリアはその光を受け目を覚ます。カナリアは上半身をベッドから起こした。いつもよりいくらか早い時間帯だが起きるようだ。
「う、う〜ん。よく寝た」
カナリアは両手を組み、腕を上げて伸びをすると、ベッドから立ち上がる。そして、身支度を整えると軽めの朝食を作る。朝食を作り終わった頃、グレイが起き1階に降りてきた。
「カナリアおはよう」
「おはようございます。朝食できてますよ」
「ありがとう」
2人は朝食を食べ始めた。
「グレイ様は今日どうなさるのですか?」
「今日は薬草とか取ってくる予定。もうあまりなかったし」
「了解です」
グレイは朝食を終えると、すぐに出ていった。
カナリアは朝食を終えると錬金術の作業室へと向かった。
現在、彼女はグレイが開いた店ーー【狼の祠】で店番兼創薬師として働いている。グレイは創薬術を扱えないので、病気を治すような薬は創れない。いや、正確に言えば創れるのだが、その薬ーー【エリクサー】はその存在自体が伝説的なものなので、おいそれと店に置くことができないと、カナリアが説得したのだ。
故にカナリアの創薬術が店にとって欠かせないのである。
グレイとカナリアの店は開店してまだ間もないが、今や周辺の人々及び一流の冒険者たちには創薬と錬金の名店として知られ、地道にファンを増やしている。
店を開いた当初は、グレイが自身で経営する予定だったので、あまり客は増やしたくないという方針だった。しかし、現在はカナリアに店を一任しているので来るもの拒まずの経営方針に変わっている。
カナリアは早速、創薬を開始する。
今現在店で1番売れているのは酔い醒まし薬だ。そのため、酔い醒まし薬を作ることがカナリアの日課となっている。この世界の人々は酒を多く飲むので、酔い醒まし薬がよく売れるのだ。酔い醒まし薬の次点の売り上げとなると、それは胃薬だろうか?そのため、胃薬もほぼ毎日創っている。
1時間ほど創薬を続けると、今日の目標量を作り終えることができた。
カナリアは開店までまだ時間があることを確認し、錬金術の練習を始める。
彼女は昨日、支部長のマーリンが帰った後、いや連れ去られた後、グレイから軽く錬金術について教授を受けていた。今日、いつもより早起きしたのは錬金術の練習をするためだったのだ。
カナリアは早速錬金術の魔法陣を描き、錬金を開始する。
今彼女が作ろうとしているのは【下級回復ポーション】。錬金術を学ぶ者が1番最初に創るもので、最も作製が簡単なものだ。
カナリアは描き終わった魔法陣の上に素材を置く。【下級回復ポーション】の素材は誰にでも手に入るようなものしかない。具体的には薬草、魔力水。この2種類だけだ。
薬草は城壁内の草原地帯や森林地帯、もしくは城壁外の少し離れたところに自生している。そのため、薬草採取は冒険者に成り立ての者が最初の方でよく受ける依頼だったりする。
魔力水は粉末状になるまで砕いた魔石を水に溶かすだけで作製可能な無色透明の液体だ。
カナリアは早速、魔法陣に魔力を注ぎ込む。
「【錬金】!」
魔法陣は光を放ち、やがて終息する。
すると、魔力水の表面に浮かんでいたはずの薬草は姿を消し、魔力水だけが残されていた。しかし、魔力水は元の無色透明ではなく、若干緑がかった色へと変わっていた。
「これは……成功?なのかな?」
カナリアはできたものを一杯分掬い、今日の朝食作りの際に包丁で切ってしまった指先にかけた。
ポーションの使用法は2つに分けられる。1つは先ほどカナリアがしたように、患部に直接かける方法だ。もう1つはポーションを飲むことによって体に薬効成分を取り込む方法だ。しかし、多くの者は患部に直接かける方法をとる。その理由は単純で、ポーションはとにかく不味いのだ。その辺の雑草を口に含んだ時に感じる青臭い味や風味が感じられると言えば分かりやすいだろうか?
カナリアがポーションを指先にかけてから数秒経つと、徐々に傷が塞がってきた。
「う〜ん。とりあえず成功はしたのかな?でも、グレイ様の下級回復ポーションよりも大分効き目が悪いな」
カナリアはその後も挑戦するが、満足のできる品を創り上げることはできなかった。
やがて、店の開店時刻が訪れた。
カナリアは店の扉についている札を『クローズ』から『オープン』にすると、今朝作った薬を台に並べてから商品の整理をする。
それらが終わったタイミングで今日1人目の客が訪れた。
その客はドラゴンの素材を使った漆黒の防具に大剣を背負った大柄な男だった。防具の上からでも分かるガタイの良い身体と、その身体から感じる覇気は一目で強者と認識できるものだ。
しかし、そんな身体とは裏腹に顔には面倒見のいいアニキ的な取っつきやすい印象を受ける。歳はアラフォーくらいだろうか?
「いらっしゃいませー!」
「おう!久しぶりだな!」
「あっ!レンブラントさん!お久しぶりです!」
彼の名前はレンブラント。アルベリオンのギルドが誇るSランク冒険者だ。気が乗らなければ依頼を受けないグレイとは違い、ギルドの依頼を積極的にこなしている。そんな彼に憧れて冒険者を志す者が多いのは有名な話だ。
彼がこの店に来るようになったのは言ってしまえば偶々だ。彼は新しい店の噂を偶々耳にしたらしく、偶々暇な時だったので訪れたのだ。それで買ったポーションを使ってみれば他店のものよりも効き目がいい。そういう理由からこの店の常連客となった。
冒険者は自分の命を賭ける仕事と言っても過言ではない。レンブラントはその危険性がよく分かっているからこそ、多少割高でもこの店のポーションを買い使っている。
「あいつは元気か?」
「グレイ様ですか?元気ですよ」
「そうか。最近は全然依頼受けてねーそうじゃねーか。ったく」
「ははは。でも昨日マーリンさんから指名依頼を受けていましたよ?」
「ほう?指名依頼か。まっ!頑張るこったな!ギルマスの依頼はメンドーなのが多いからな。……それで今日は【最上級回復ポーション】10本くれ」
カナリアはカウンターの後ろに置いてある棚から【最上級回復ポーション】を10本取り出す。
「えーっと、全部で100万Gです」
「これで頼む」
レンブラントは金貨を1枚取り出した。
「じゃあな。グレイによろしく言っておいてくれや」
「はい!ありがとうございました!」
レンブラントは去っていった。
その後もちょこちょこ客が訪れた。その多くは飲みすぎで気持ち悪いから良い治し薬をくれ、というものばかりであった。
そして、正午少し前。騎士服を身につけた綺麗な顔立ちの女性が来店した。
「レイラさん!お久しぶりです!」
「ああ、カナリア殿。久しぶりだな」
レイラとは本名をレイラ・フォン・アースレイという。彼女は魔法騎士団の小隊長を務める若きエリートだ。グレイと武闘大会の準決勝で戦ったことはまだ記憶に新しい。
「今日はグレイ殿はいないのだな……」
レイラは少し残念そうに言った。
「はい。すみません」
「いやなに、カナリア殿が謝ることではない。少し話したいと思っただけだ。……それで今日も【中級回復ポーション】を5本頼みたい」
カナリアは棚から【中級回復ポーション】を5本取り出す。
「どうぞ」
「ありがとう。銀貨5枚だったな」
レイラは懐にしまってあった革製の財布から銀貨を5枚取り出した。
「ではまた」
「はい。ありがとうございました!」
カナリアはレイラを見送ると、ちょうど時間が正午になったので、一度札を『クローズ』にしてから昼食を摂るためにリビングへと向かう。
(そういえばレイラさんってグレイ様のことが好きなのかな?いつも話している時楽しそうな顔してるし……)
カナリアは料理を作りながら頭を傾げてうんうん唸っていた。
「カナリア?どうしたんだ?うんうん唸って」
「ひゃっ!グ、グレイ様⁈どうされたのですか⁈」
カナリアの後ろにはグレイがいた。どうやら転移魔法陣で素材採取の場所から直接転移してきたようだ。
「いや、明日獣王国に出発することに決めてさ。それでそのことでカナリアにお願いがあって……」
「なんでしょうか?」
「カナリアって確か御者ができるって言ってたよな?」
「はい。できますよ」
「悪いんだけど、さ。獣王国まで御者してくれないか?俺、御者できないからさ」
グレイは若干言いにくそうに告げた。
獣王国までは長旅になる。その長い距離を馬に乗って移動するのは中々に辛いのだ。グレイは以前、冒険者ギルドの依頼で4、5日遠出したことがあったのだが、幾度となく馬車で行けばよかったと後悔したという苦い経験がある。
そのことから今回は馬車で行こうと考えた訳だが、よくよく考えてみればグレイは御者の仕方を知らなかったのだ。そこで、以前御者ができると言っていたカナリアに御者をしてもらおうと考えたのである。
「分かりました。了解です」
「ありがとう。助かるよ」
「いえ。そのくらいなんでもありませんよ。それで獣王国に行くのでしたら準備がありますよね?私も何かお手伝いしましょうか?」
「ああ頼む。それじゃあ、カナリアには食料を頼んでいいか?俺は馬車の用意するから」
「了解です」
「買い物はこれでしてくれ。それと、店はもう閉めてもいいから」
グレイは幾枚かの銀貨を取り出し手渡した。
「じゃあ、よろしくな」
グレイは店を出ていった。
カナリアは昼食を摂ると、食料を買うために行きつけの食料品店に行く。
「こんにちは!」
「はい、いらっしゃい!あら?カナリアちゃんじゃない。今日は旦那はいないの?」
「だ、旦那⁈」
「ふふふ。冗談よ」
「そ、そんなこと」
(でも、もしそうなったら……)
カナリアは一緒に暮らしている姿を想像する。
(だ、駄目よ!カナリア!そんなことを考えちゃ!)
カナリアはうんうん唸っていた。
「ふふふ。若いっていいわ」
(あっ!そうだ!買い物!)
カナリアは邪念を振り払うかのように頭をブルブルと振る。
「1週間分の食料が欲しいんですが、何か良いものありますか?」
「あら?どこかに行くの?」
「はい。少し獣王国まで」
「随分遠いところまで行くのね。よしっ!腕によりをかけて見繕ってあげるわ!」
そう言うと食料品店の店主は店奥へと入っていった。
そして10分後。木箱を抱えた店主が戻ってきた。
「おまたせ。こんなんでどうかしら?」
木箱の中には干し肉、干し椎茸などの乾物、新鮮な果物や野菜、その他いくつかの調味料が入っていた。
「あの、これは?」
カナリアは見慣れない調味料を手に取る。
「ああ。それね。それは偶然手に入れた調味料でね。名前は確かに『しょーゆ』いや『せうゆ』だったかしら?まあ、珍しいから取り寄せてみたのよ。タダであげるから今度感想聞かせて欲しいわ」
「分かりました!ありがとうございます!お代はいくらですか?」
「しめて1万Gよ」
カナリアは銀貨1枚を取り出した。
「はい。確かに。ありがとうカナリアちゃん。今度はグレイ君も連れてくると良いわ」
「ははは。伝えておきます」
カナリアはグレイから貰った魔法袋に食料を詰めると、帰路に着いた。
そして、翌日の明朝。グレイとカナリアは獣王国目指して出発するのであった。




