グレイ、公爵家当主に会う1
カイゼルを土下座させた獣人がいる。
アルベリオンの騎士たちに広がったそうした情報は、当然いつかは彼らの雇い主たる現アルベリオン公爵家当主ヴィルヘルム・フォン・アルベリオンの耳にも入ることになる。
ここはアルベリオン公爵家の執務室。今現在そこには当主のヴィルヘルムと執事のアルバートがいた。ヴィルヘルムは手に何枚かの資料を持っている。
「アルバート。この噂は事実か?」
ヴィルヘルムは手に持った資料ーー領内の様々な噂話や現状を記したーーに目を落としたまま、机の前に控えているアルバートに聞いた。
「はい、真にございます。実際にその場に居合わせた者に確認をとりました。ただ、それ故に時間がかかってしまいました。申し訳ございません」
ヴィルヘルムはアルバートに命じて執事業の傍ら、定期的に市井に出向かせて様々な調査をさせている。「噂話にこそ真実が隠されている」とはヴィルヘルムの言である。
「構わん。で、それと同一人物らしき者が王都の武闘大会で父上を倒した、と?」
「はい」
「一体何者なのだ?父上を倒せる者など、それこそ片手で数える程度しかおらんだろう。それにあの父上を土下座させるとは……。まさか噂の……。一度父上に話を聞く必要があるようだな」
土下座事件が本人たちの預かり知らぬところで大事になった瞬間だった。
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とある日の午後。カイゼル宅には1通の手紙が届けられていた。その手紙はアルベリオン公爵家の紋様が押された蝋によって封がされていた。差出人の名はヴィルヘルム・フォン・アルベリオン。カイゼルの実の息子であり、現アルベリオン公爵家当主だ。
「カイゼル様。ヴィルヘルム様よりお手紙で御座います」
「手紙?」
カイゼルはセバスチャンから渡された手紙を読む。読み進めるにつれ、彼の額にはシワがより始めた。
(『至急来られたし』か。それにしても)
「……エリーのことについては全く触れられておらんな」
「左様ですか」
セバスチャンはカイゼルに相槌を打ちながら紅茶を淹れる。
「はあ。全くあのバカ息子が。カロリーネが死んだのはエリザベートのせいではないと言うに。カロリーネが天で泣いておるわ。……本当ならこんな手紙は粉微塵にした上で燃やして土に埋めてやりたいほどじゃ」
「……あの方とエリザベート様の仲を取り持つことはもう不可能でしょう。時が経ち過ぎました。ならば、カイゼル様と私たちがエリザベート様に愛情を注げば良いではありませんか」
「そうじゃのう。……全く人の心というものは難儀なものじゃのう」
人の心を理解することは地球でも異世界でも変わらず、難儀なもののようである。
カイゼルはセバスチャンが淹れた紅茶を飲みながら溜息をつくのだった。
♦︎♦︎♦︎
武闘大会より約3週間が経過した。グレイは武闘大会以前の生活に戻り、今日もエリザベートの家庭教師をしていた。
あと1週間もすればエリザベートの学院入学の是非がかかる試験が行われる。グレイはそのことを考慮し、急ピッチで魔法を教えていた。どうせ学ぶなら、レベルの高い同年代の者たちと切磋琢磨して学んだ方が才能が伸びるのではないか、と考えたからだ。
ちなみにエリザベートが入学を目指す【ウィッカ魔法学院】はアウグスト公爵家が治める【学問都市ウィッカ】にある。かの学院は【フランツ王国】にある学院の中で最大規模であり、高いレベルの魔法や学問などを学ぶことができる。
そんな【ウィッカ魔法学院】の試験は大きく分けると2つ。1つは教養試験だ。教養試験では読み書き計算の他、魔法や錬金術などに関する知識が問われる。
もう1つは魔法の実技試験だ。この試験では受験者が使用した魔法の等級、威力、展開速度を総合的に判断し数値化して評価する。
合否はこの2つの試験の総合点で決まるようになっており、高い点数の者から順にSからEまでのクラスに振り分けられる。仮に教養試験で満点、魔法の実技試験で0点だとするとCクラスになる。
エリザベートは今まで魔法が使えなかったので教養試験の点数だけで合格できるように勉強していた。そのため、教養試験はまず問題なく好成績を修めることができるだろう。
しかし魔法は別だ。なぜなら、エリザベートが魔法を使い始めてからまだ2ヶ月ほどしか経っていないからだ。故にグレイは焦っていた。どうせなら、弟子たる彼女をSクラスに入れてあげたい。だが、それには何処まで魔法が扱えればいいのか分からないからだ。そのことは無論エリザベート自身も知るところではなかった。
そんなことからグレイの指導は以前と比べてハイペースに行われている。しかし、それにめげるエリザベートではない。彼女の魔法を扱うことへの貪欲さは以前にも増して強いものとなっているからだ。
そして今日も今日とて内容が濃い訓練をやり遂げたエリザベートはグレイとともに帰路へとついた。
屋敷に着くと玄関口にはカイゼルが待っていた。
「お爺様。ただいま戻りました」
「今日も精が出るのう」
「はい!魔法を学ぶことはとても楽しいですから!」
「そうじゃな……ただのう、少しだけ、ほんの少しでいいんじゃが魔法を使うときに自重してはくれんかのう?」
カイゼルは悲惨な状態になっていた草原を頭の中で思い浮かべながら言う。
「申し訳ありません。何かご迷惑おかけしたでしょうか?」
エリザベートは「何か問題があったか」とショボンとした様子でカイゼルに聞く。
「ッ⁈大丈夫じゃ!大丈夫じゃ!何も問題はないぞ!次の訓練も今までと同じように頑張るのじゃ!」
カイゼルはそんなエリザベートを見て呆気なく陥落した。とことん孫娘に甘い爺さんである。
「ふう。……それはそうと、グレイ。明日の休日ちょっと付き合ってくれんか?」
「……すみません。俺ノンケなんです」
グレイは思いきり引いたような顔と仕草をしつつ、カイゼルからも距離を取る。
「ちゃうわ!明日出かける場所にお主にも来てもらいたいという話じゃ!……ちなみに儂もノンケじゃからな」
「クックック。冗談ですよ。出かける件は了解です」
グレイは両手を肩の高さまで上げ、やれやれといったポーズをとる。
「では、俺はこれで」
「……お主覚えておれよ」
グレイは恨みがましいカイゼルの言葉を背中で聞きながら帰路へとついた。
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翌日。グレイはカイゼルに同行するために馬車に乗り込む。そして行者台に座ったセバスチャンの操縦で馬車が走り始めた。
「で?どこに行くんですか?」
「公爵家じゃ。今の公爵、まあ儂の息子なのじゃが、其奴に呼ばれておってな。どうやらお主のことが気になっているようじゃ。説明するのは面倒くさいんで本人を連れて行こうと思うてな」
「おい……」
だが、変なところで律儀なグレイはそのまま向かうことにする。一度行くと言ったのだから行かないという選択肢はないのだ。カイゼルもそんなグレイの性格を把握していたからこそ今回の対応なのだろう。そうした人心の把握に優れたところを見れば伊達に公爵家当主はやっていなかったということだろう。
やがて馬車は街に入りグレイが今まで入ったことがなかった区画へと進入した。
その区画には見るからに豪華で壮大な建物が建ち並んでいた。貴族や商人が住む屋敷、もしくはそうした上流階級を対象とした商店などである。
馬車はその区画で止まることなくさらに進んで行く。すると、馬車の前方に城が見えてきた。馬車はどうやらその城に向かっているらしい。
ギギィィィー。
城の前で馬車が停止すると、鉄門の開く音が聞こえてきた。門の左右には詰所があり2人の門番がいる。その門番たちが公爵家の紋様が彫られた馬車を見て門を開けたようだ。
「グレイ、着いたぞ」
グレイは馬車を降り城を見る。
その城は優雅で壮大、荘厳にして優美な建物であった。3つの尖塔が母屋を囲うように鎮座し、母屋の中心部からも尖塔が伸び、その上方には巨大な時計がついている。石造りの外壁の色はベージュで、スレート葺の屋根は黒で統一されており、落ち着いた印象を受ける。
城の周囲を覆う庭はシンメトリーで、咲き誇る色とりどりの草花は訪れた者の目を楽しませる。
「すごい場所ですね。ここまでとは正直思っていませんでした」
「そうじゃろ。貴族でも公爵ともなると王族に次ぐ財力があるからのう。他の公爵家も似たようなもんじゃし。まあ、儂は豪華すぎて少し好かんがな」
グレイたちは庭を抜け母屋へと向かう。扉を開け中に入ると、まず目に飛び込んできたのは広い玄関ホールだった。ホール中心部の頭上に備え付けられた豪華なシャンデリアがホール全体を照らしている。その奥には階段があり、踊り場で二又に分かれたそれぞれの階段が2階へと繋がっていた。
グレイたちはホールにて待機していた執事の後に続いて執務室へと向かう。やがて、到着したのか、1つの両開きの扉の前で立ち止まった。
執事によって開かれた扉をくぐり中へと入る。執務室は15畳ほどの広さだろうか?両側の壁には本棚があり書類や本が詰まっている。置かれている調度品は派手さはないがセンスが良い。扉の向かい側には2つの窓が中心から少し左右にずれた位置に設置されていた。
そんな部屋の窓際中央部には両袖机が置かれており、その奥には1人の人物がいた。
「父上。お久しぶりです。急にお呼び立てしたことをまずお詫びします」
そこに居たのは眼光鋭い切れ長の目と高い鼻梁、耳にかかる程度の髪を持つ金髪碧眼の人物だ。彼の名はヴィルヘルム・フォン・アルベリオン。アルベリオン公爵家現当主にしてカイゼルの実の息子である。しかし、そんな厳格そうな顔にどこかエリザベートに似ているところがあるのはやはり親子ということなのだろう。
「さて、早速ですがお話を聞かせていただきますよ」
有無を言わさぬ迫力をたたえながらヴィルヘルムは告げた。




