今と、未来への空路
ようやく話が進んだ・・・かな?かな?
山中の泉の淵でスノウウルフに吠えかけられた少女のうち一人が腰を抜かしていた。遠目にみて金髪に見える。目の色は窺い知れないが可愛らしい女の子に見える。もう一人の少女も見える、こちらは黒い髪で同じく可愛らしい女の子にラウルの目に映る。ゆっくりと白い鱗の首筋を撫でながら話しかける。
「ユキ、ゆっくりだよ。ゆっくり降りて」
ゴウ、と翼を打ちながら徐々に高度を下げるのは白く眩い竜だった。喉を鳴らしているのがラウルの手に振動として伝わる。機嫌がいいときの喉鳴りだと彼は知っている。良し良しと、ラウルの気持ちを伝える様に鱗を撫でる。撫でられる手の速さと高度を下げる速度は連動しているかのように翼を大きく打ち、緩やかに下降する。
やがてその翼の音が地上に届くくらいの高度で二人の少女が崩れ落ちた。ラウルは慌てて白竜の首を叩く、それに応えるように白竜ことユキは泉へと急降下した。
「あ、あぁ・・・ううぅ」
「ミリ姉様、ミリ姉様ぁ」
「オンッオンッ」
地獄を底から見上げるかのような二人の少女と、尻尾を振り乱し喜びを体現するアッシュ。その二様を見比べてラウルは首を傾げながら声を掛けた。
「ねぇ、ミリアルイゼ姫様とマイアって君たち?」
「え?えぇ・・・えっ?」
「竜が・・・うそ・・・子供が乗って・・・うそ」
「オンッ」
困惑し、膝をつく二人と尻尾を振り回すアッシュ。急に崩れ落ちた二人を見て怪我か、それとも別の不調かと慌てて下降したが二人に怪我は見当たらない。ユキから飛び降りて二人に近づくと白い弾丸がラウルを襲った、二人には鈍い音すら聞こえた。
「アッシュ!【待て!】うぷ【お座り!】」
「フンッフンッ」
鼻息荒くラウルの顔を嘗め回し、ラウルが拳を握ったところでアッシュは足元に座り込む、前足をラウルの服に爪立てるが拳を振り上げたところで前足を地面にそっと降ろした。尻尾は大回転中のままであったが。
「ドルトニアンのおじさんに言われて探しに来たんだけど、この服見覚えある?」
「え?ドルトが?ちょっと!それ私のじゃない!」
「お前ぇ!ミリ姉様の服をどうするつもりだっ!」
「オォン?」
「ぅひゅふっ」
持ち主に間違いないか確かめようとラウルは服を見せただけのつもりだったが、思春期の女子達には宣戦布告にも感じたのだろう、立ち上がり問い詰めようとしたマイアはアッシュの一啼きで跪きそうになるがなんとか堪える。そしてそのまま詰め寄ろうとするも千鳥足、もしくは生まれたての仔牛になってしまう。
「アッシュに匂いで探してもらおうと思って借りてきただけ、返すよ」
「ふん!どうだか!ミリ姉様のお召し物に男の子が触れるなんて十年遅いっていうの!」
「早いじゃないの?マイア」
「十年後で女性の服の匂いを嗅いでたら変態だよミリ姉様!許されるのは離乳食の赤ちゃんだけ!」
至極当然かつ極論を宣う妹分の鼻息に、黒い前髪が揺れる。アッシュの声を怒りで克服しそうなマイアを見て冷静になったのかミリアルイゼはラウルに問いかける。
「あの竜・・・本物よね?貴方は誰?魔法使いなの?お伽話よりも不思議な体験をしてるわ」
「あの竜はホンモノ、僕はラウル、剣士・・・見習い、マホー使いってどんな人?多分違う、オトギバナシっていうのも知らない」
問いかけた疑問を丁寧に返されたが、魔法使いもお伽噺も知らないこの少年に奇異な視線を向ける少女達。質問で分かったことはあの竜はホンモノとやらで少年の名前と世間知らずということだった。あの恐怖感を拭えない竜からは目を逸らす。少女達にはまだ疑問が残っている。
「ドルトニアンは私のお父様よ、どこで会ったの?そのスノウウルフと竜はなんなの?」
「おじさんとはあっちの旗の下で会ったよ、この2人は妹たちだよ」
「妹?妹って言った?しかも【人】って数えた?【2頭】よ僕ちゃん。あなたいくつなの」
物知らぬ少年を見下したのかマイアは得意げに指摘する、年下扱いも兼ねているようだった。父親に会っている人間と判断し、威厳を笠に着た物言いでもある。
「いくつかは・・・分からないけど、先生が数えてくれてたけど、今は14くらい。あとユキとアッシュは家族だよ【頭】で数えるのはなんか・・・嫌だ」
「っ・・・そう!・・です、か」
年を知らない子供など、口が利ける年ならほとんどいない。教えてくれるのがお父さんでもお母さんでもないその理由に、推して図ったのだろうマイアは少し剣幕を抑える。家族が竜と狼というのも想像が悪い方へ膨らんでいく。年上に敬語を使ってしまうのも上下社会の厳しい軍に生きる父親の薫陶だろう。
「んんっ!ラウルって言ったわよね?まずは・・・見つけてくれてありがとうございます。私はミリアルイゼ・アイン・グラント、助けてくれたその・・・アッシュにもお礼を伝えたいのだけど、拳を開いてあげて」
「っ!わ・・たしはマイアスイル・ラツ・アステモル、騎士・・・見習いの側役。姫様を助けて頂いてありがとう、ございます」
「んーん、いいよ。それよりサガネ草を探さない?シャルルあ・・・王妃様が病気なんでしょ?」
はた、と二人は恐怖と混乱からと疑問から頭の片隅に追いやられていた目的、追いかけられていた当初の原因を思い出す。そして先ほど見つけた薬草に向かって駆け出した。白い大岩の足元に向かって。
「これ!これよ!これで母上もきっと治る、ううん絶対に治ってもらうんだか・・・ら」
薬草を誇らしげに太陽にかざすと同時に声が尻すぼんでいく。白い大岩など先ほどはなかった。空から飛んできた竜ほどの大岩など。大岩の正体をゆっくりと認識して、認識する速度に合わせて声が出なくなっていく。岩に目などない、岩と視線が合うことなどない、視線が合っているのは先ほどの三度目の恐怖の原因だ。目を逸らしていた存在をごくごく近い距離で見てしまう。その炎のような舌は何をするものなのだろうとミリアルイゼは思う。
「ユキ!だめ!」
「っ!」
ビクリと肩が浮く、あの少年は何に対して何をダメだと言ったのだろう。竜に対して、食べては、イケナイと言ってイルノダロウカ?恐怖で声が裏返ることはミリアルイゼにもあった。侍女たちの城にまつわる怪談や非業を遂げた死者の想い、貴族同士の悲恋の痛ましい末路。その話のどれもに意識しない高い声を上げたことがある。シカシ、思考ガ、恐怖でニブイ声を思い浮かべるナンテ一度もケイケンがない。
「キュルルルィア」
(そのコエ、は竜が、ナニヲ思って出すコエ、なの)
死と痛みを覚悟する間もなく、顔にぬめりつく何か。
臭い、強烈に臭い、発酵した豆などまるで生ぬるい。何がこうなるのか原因に見当がつかないくらい臭い。今まで吸い込んできた空気が愛おしく思えるほど臭い。目が開かない、恐怖から来る閉眼ではなく痛みから来る閉眼であるほど臭い。嗚呼神様、何故鼻には瞼のような蓋を付けてくれなかったのですかと問いかけるほど臭い。悪魔に嗅覚をささげてしまいそうな程、くさい、クサイ、臭い、KUSAI
「むぶふぅうううう!」
「あぁ~・・・ミリアルイゼ姫様、泉で洗おう。すごく臭うけど何故か水ですぐ落ちるんだよね」
「ミリ姉様ー!だいじょうブッフゥウウング!」
竜に舐められ、慌てて駆け寄る側役が鼻を抑えるほどだった。姫君を姉と慕う妹分が後ずさるほどだった。慣れた様子で近づくラウルを見てマイアが戦慄するほどだった。意地で鼻を抑えずにミリアルイゼに近づき泉の水で首から上をマイアとラウルが拭う。不思議と匂いはすぐに消えた。ぬめりを拭い終えてようやっとミリアルイゼが口を開く。
「普通に考えれば、親愛のスキンシップよね?」
「シンアイは分からないけど、好きな人にしかしないよ、ユキは」
「そう、えぇ、光栄だわ・・・ちなみにどんな人が好きなの?ユキは」
「可愛い女の子」
「・・・マイア」
「ミリ姉様!サガネ草はもう十分に取れたから!根っこは残ってる?葉ではなく根に効能があるんだから!」
二人は可愛い女の子である、一人は黒髪も艶やかに癖もなく、スルリと指先を滑るような軽い髪。唇は熟した桃の皮を張り付けたような薄紅。深緑の瞳は森の静謐さを窺えるようで睫毛も十分な長さと艶がある。
もう一人も太陽の光を弾く金髪に蒼穹を思わせる瞳、睫毛こそやや短いがその瞳は大きく二重の瞼が愛くるしい。頬は林檎を思わせるように薄く、朱く。鼻筋も滑るように長く高い。肌の白さは姫君に軍配が上がるものの健康的な薄く焼けた肌がまぶしく映る。そんな天使にも見紛う二人が、醜い争いに興じている。アッシュは既に会話に飽きたのか、ユキの懐で日の光を避けていた。そこに鶴が鳴く
「ねぇ、王妃様ってどのくらい病気なの?」
「え?もう・・・二月になるかしら」
「そう・・・ですね、最初は軽い不調だけのようでしたが徐々に症状も重くなり、今ではほとんどベッドで過ごしているみたいです、眩暈がやまないとかで・・・」
マイアの言葉にラウルの表情が翳る。思い当ってほしくないものを聞いてしまったような。
「ギリギリかも」
「何か分かるの!?」
「どういう意味です!ミリ姉様を不安にさせるようなことは・・・」
「先生も多分同じだったんじゃないかな。最初は軽い熱と頭が痛かっただけみたい」
「「っ!」」
「でも徐々に熱が強くなって頭がいたくて目が回るみたいだって、先生はほとんど病気にならない人で体はかなり丈夫だったけど、二月と十日で・・・」
「・・・急がなきゃ」
「・・・うん、ミリ姉様」
「グラント王国はここからどのくらいなの?」
「馬車でここまで十日・・・早馬なら何とか間に合うかも!」
「ダメだよ、王妃様って女の人でしょ?見たことないけどきっと先生よりも体は丈夫じゃないと思う、だから・・・すぐ、ちゅうとんちに戻ろう」
「もちろんです、私たちはそこから来たんですから、父上に事情を話せばきっと軍一の駿馬を乗り継いで間に合わせてくれるはずです!」
無類の信頼を口にするマイアを見てそれでも尚、ラウルは首を横に振る。その仕草に不安と苛立ちをぶつけようとマイアが口を開く前に。
「飛んで行こうよ」
またもや鶴が鳴く。短く、力強く、ハッキリと自信と無類の信頼を寄せた口調で鶴が一声鳴く。
その一声に顔を見合わせる二人の少女、そして頷く、先ほどの騒動のせいもあって恐怖感は既に臭いと共に拭い去っている。
「連れて行って」
「連れて行ってください」
「うん、でもドルトニアンのおじさんと約束だから一度ちゅうとんちに戻ろう」
今度は三人が頷き合う。目的を同じくした三人はユキの足元へ、大きさは子供を三人乗せるくらいなら充分そうだ。ラウルが首の付け根に跨り、ポンポンと優しく鱗を叩く。その手に応えるようにスルリと二人の少女へ頭を垂れる。伸ばされた首元を恐る恐る跨ぐ二人の少女、ラウルを挟んで前に少し身長の低いマイヤが、ラウルよりも少し身長の高いミリアルイゼが後ろに身を預ける。
「キュルルルゥーー!」
振り落とされるなと勇ましく嘶く駿馬のように甲高い喉を鳴らす、ゴウ、と翼をユキの脚が地面から離れたところへアッシュが潜り込む、鋭く見える蹴爪で優しく狼の体を挟み込み。さらにゴウ、と風をはらむ。
「まず近くに兵士さんがいるかを上から見てみて」
「無理です」
「私もちょっと怖い・・・下を見れない・・・」
「うーん・・・じゃあちょっと低めを飛んでユキ、いいね?」
「キュルルル」
声に応えつつ高度を下げ、森の木よりも少し高く飛ぶ。陣に向かうのはいいが捜索隊と入れ違いになるのも面倒が掛かる。合図を決めておけばよかったとラウルは眉に皺を寄せるが今となっては仕様もない。
返事をくれるものと期待してアッシュに向けて首の上から声を上げる。
「アッシュ!ウォオオオオーン!!」
「オゥンッ!ウォオオオオーン!!」
「もっと!アッシュ!」
「ウォオーン!ウォオオーーーン!」
連続する遠吠えで森に潜んでいた大小様々な鳥たちが我先にと飛び立っていく。そんな鳥類の阿鼻叫喚の中、微かに聞こえたトキならぬ、鬨の声。声の位置を確かめるべく高度を上げる
[ウオァアアアアアア!]
「あっち!まだ山の裾に広がってる!」
「なんであんなところに・・・父上、全然見当違いです」
「多分、この子たちと別方面に手分けするつもりだったんじゃない?」
「あぁ・・・それで、もしくは私たちが父上の予想を超えた深さまで入っていたのかも」
山の裾から鬨の声、中には歓声に似た声も聞こえてくる。実際のところではドルトニアン率いる捜索隊は少女達の必死を覚悟した体力を甘く見積もっていたために裾野を中心に捜索していた。加えて突如飛来したユキに怯えた馬たちを宥めるのに時間がかかったことも原因の一つとも言える。
「このまま降りるから、お尻を少し上げて!」
「えっ?」
「おしっりっ!?」
ズン、と地面を叩く音と共に小さく少女たちは悲鳴を上げる。悪路に響く馬車の座席を懐かしむほどの衝撃が腰から背中へ駆け抜ける。ラウルはユキの首を両脚で挟み込み、腰を浮かせて衝撃を膝と腰で逃していた。アッシュは着地の前に蹴爪から放たれている。
「ミリア姫様!マイア!」
威厳のある深い声も少々上ずっている。髭と兜飾りを棚引かせてドルトニアンが徒歩で駆けつける。馬が怯えて近寄れないからだ。
「姫様!ご無事か!マイア!こまされておらんだろうな!!」
「父上!なんですかそれ!」
「ドルト!大丈夫!言付けに来たの」
「言付けですと?!」
「サガネ草は見つけたわ!根もしっかりついているものよ!でも母上の時間がないかもしれないの!」
「おじさん!旗を一本とマントを沢山ちょうだい!僕らは空から行くから!寒さを凌げる物とおシロ?に真っすぐ向かえるように!」
「なっ、わ、分かった!」
急な要望に戸惑いつつも最高の知らせと最悪の予想を天秤に掛け即決を下す。近くにいた騎士のマントを全て破る勢いで集め、一番小さく軽い旗印をラウルに渡す。ついでに手持ちの水袋と、僅かではあるが持てる量の食料を背嚢に詰めて渡す。
「恩返しになるよね!」
「これ以上はない!グラント王国の今と、未来をお前が救うぞ!」
「皆!心配と足労を掛けてごめんなさい!お説教は必ず受けるわ!しっかり無事に城へ戻ってきて!」
「側役マイアも同行します、皆様先駆けさせて頂きます!」
歓声で子供たちが見送られる。その熱狂は朝の竜襲来よりも大きく力強かった。飛び立つ白竜の翼を熱狂と歓声が押す。マントで着膨れながら手を振る三人と尻尾を振る二頭の姿に地上に残る彼らは古いお伽噺を重ね合わせた。
後日城下を巻き込む大宴会場で彼らはエールを片手にこう言ったという。
「飛獣?怖くねぇよ!こっちにゃ飛竜がお伽噺から駆けつけてくれんだぜ!」
ううん、サイズ感の描写やキャラ付けって難しいですね。
のんびり更新していきますので生暖かくお待ちください。