第2話 冒険者 ラインボルト
この世界に転生して数日。幾つかわかったことがある。
まず"リスナル"という言葉がある。これは地球と同義語と考えていい。
リスナルには3つの大陸が存在している。
1つ目は魔力が強く美しい姿をした"エルフ" が住む"セイクレッド"。
2つ目はずば抜けた身体能力と怪力をもつ戦闘種族"オーガ"が住む"倭国"。
3つ目は身体は小さいが高度な鍛冶や工芸技術をもつ"ドワーフ"が住む"アグニ"。
エルフ・オーガ・ドワーフの3つの種族は"三眷族"と呼ばれ、神に近い高貴な種族とされている。
人間はそれぞれの大陸に幅広く住んでおり、その中には魔法が使える者もいる。全員が全員魔法を使えるという訳ではないらしい。
他にも半人半獣の姿をした種族"亜人"。亜人は全ての種族から疎まれ、その多くが奴隷として働かされている。
昔、この世界には魔王と呼ばれる世界を脅かす存在がいたが、その魔王は4人の英雄によって倒された。それが10年以上も前の出来事。そして魔王を倒した英雄達の消息は魔王が消えた後、誰にも知られていない。だからこの町の住人に英雄の話しを聞いても居場所などを知ることができなかった。
「地道に探すしかないか……」
「何を探すの?」
掃除をしていた手を止めて声のした方に目を向ける。するとそこには小首を傾げ、どこかきょとんとした目でこちらを見てくるアリスの姿があった。
「キミには関係のない話です」
「あ~!その突き放すような言い方はよくないよ」
「すみません。それよりも、掃除は終わったんですか?」
「もちろん!グリムよりも長くここの掃除をやってるのよ。早く終わって当然でしょ」
「ほう。それで今日は何を壊したんですか?」
「ちょっ……。私がいつも何か壊してるような言い方しないでよ」
え?だって事実じゃないですか。
「ずっこけて部屋のカーテンを破く、窓ガラスを割る、この数日で割った皿にいたっては数知れず。ああ、それに昨日は」
「あーあー、聞こえな~い」
おまけに料理は僕より下手ですからね。砂糖と塩をワザとやってるじゃないかって思うぐらい間違えるし、1日1回は絶対こける。どれだけドジッ子なんですか。
世の中にはそんなのが萌えるという言う人がいるが、僕には一生理解できそうにない。萌えるどころか殺意が湧く。何度ナイフに手が伸びたかわからない。
「ところで、何か用ですか」
「お母さんが2人で買い物して欲しいんだって」
「わかりました。もう少しで終わるので待っててください」
「手伝おうか?」
「だったら何もせずにじっとしていてください」
「……は~い」
やれやれ。
止まっていた手を動かして掃除を終わらせる。部屋に置いていたナイフを持って、誰もいない食堂に行けば、不貞腐れたアリスが椅子に座っていた。
……面倒なことになりそうだ。
「終わりましたよ。行きましょうか」
「グリムが冷たい……」
そう言ってムスッとした顔をプイッと逸らされる。
はぁ……。やっぱり面倒なことになった。
軽くあしらったぐらいで機嫌を損ねないでいただきたい。
「グリムは私のこと嫌いなの?」
「嫌いではありませんよ。だからと言って好きではありませんが」
「……一言多いのよ」
「いつまでも拗ねてないで行きますよ。帰りにモガレットを買ってあげますから機嫌を直してください」
モガレットというのはこの辺りでよく食べられている大福のような食べ物。餅の中に餡や果物が入っていたりして、店によって微妙に作り方が違う。僕は果物が入っているのより餡だけのが好きです。
「食べ物で機嫌を取ろうたって」
「確かに僕はキミのことは好きでも嫌いでもありません。ですが、僕が物を奢るということは好きな方だということですよ」
「よしっ!行こう!早く買い物に行こう!」
ふっ。ちょろい。
アリスに腕を引っ張れるような形で町に出る。中世ヨーロッパ風の港町には賑やかさと穏やかさが合わさった雰囲気が流れていた。快晴に近い天気のおかげで、海の境界線までハッキリと見える。何隻もの船が海に浮かぶ光景は1枚の絵みたいだ。
「天気がよくて気持ちがいいね」
「ええ」
「でも、ちょっと暑いかな。モガレットじゃなくてアイスを奢ってもらおうかな」
「どっちでも構いませんよ。買い物が終わるまでに決めてください」
「はーい。えへへ、どっちにしようかな」
機嫌が直ったみたいで安心しました。……なんて言ったら「そんなことない!」とか言って、また不機嫌になりそうなので言いませんが。
とにかくニコニコしてるので大丈夫でしょう。
「平和だなぁ。近くに魔王の城があるなんて信じられないよね」
実はこの港町"コルート"の近くには魔王の城がある。だが、魔王の城とは言っても、今はただの廃墟。周りに魔物もおらず、主を失った城は今でも主の帰りを待つかのように、ひっそりと佇んでいるとか。
魔王の帰りを待っているのは城だけではない。ゴブリンやオークなど魔王の手先だった魔物達もまた、主の帰りを待っていた。昔は頻繁に起きていた魔物による町の襲撃も、今ではほとんど無いそうだ。魔物達はどこかに身を顰め、再び主の元で働くことを夢見ているのかもしれない。
とりあえず言えることは、魔王がいなくなったリスナルは平和そのもの。平和すぎて、マナミアが言っていたことが本当なのかわからなくなっている。今度は魔王を倒した英雄達によって世界の危機が訪れているなんて。
「グリム、ぼ~としながら歩いてたら危ないよ」
「そうですね」
まあ、平和だろうが神の依頼は行いますがね。依頼をボイコットするのは僕のポリシーに反しますから。
とりあえず今はこの町で旅の準備と情報収集を行うのが先です。
でも今は
「さっさと買い物を終わらせますよ」
「そうだね。早くモガレットを買ってもらわないと」
どうやらアリスの中でアイスよりもモガレットに軍配が上がったらしい。僕もどちらかと言うとモガレットの方が食べたかったから丁度いい。
コレットさんから貰ったメモを見ながら買い物をしていく。
そして買い物が終わり、自分とアリスのモガレットを買っていると
「ちょっと!子供相手に大人気ないんじゃないの!?」
そんなアリスの声が聞こえる。
嫌な予感を感じながら買ったばかりのモガレットを持って店を出ると、店の近くの広間に小さな人だかりができていた。その中央にはゴツい顔つきと体格をした男達から小さな男の子を庇うアリスがいる。
予感的中。
「ちゃんとこの子も謝ってるじゃない!なのに殴ろうとするなんて小さい男ね!謝る子供を殴ろうだなんて大人として恥ずかしくないの!?」
アリスの言葉に周りにいた野次馬共が「そうだそうだ」とか「いいぞ!姉ちゃん!」とか口々に言う。
そんな中にいる強面の男逹は居心地悪そうにしているが、その場から離れようとはしない。
ちんけなプライドのせいでこの場から離れることが敗けを認めるようで嫌なんだろう。
相手が女と子供なだけに尚更。
「この女……!好きに言わせておけば……!」
「おい、待て」
人だかりの外から仲間らしき男が現れる。おそらくゴツイ奴等のボスなのだろう。その証拠に怒りを直情させ、アリスに掴みかかろうとしていた男が動きを止める。
「この女をよく見ろ。エルフ族だぞ」
ボスの言葉に拳を震わせていた男の目が見開き、アリスを見る。アリスは子供を引き寄せたまま男達をジッと見ていた。
「……本当だ。あの特徴的な尖った耳はエルフ族の証。でも何でエルフ族がコルートにいるんだ」
「さあな。だが戒律を破ったエルフは一族から追放されると聞いたことがある。このエルフは禁忌でも犯して追放されたんだろう」
ボスがアリスの手首を掴む。アリスは痛みに一瞬顔を歪めるが、強い意思を込めた目でボスを睨みつけた。
「ともかく、エルフを見つけたのは運がいい。エルフを欲しがる奴は多いからな」
「すみませんが、彼女には家族がいます。エルフが欲しいのなら他のエルフにしてください」
ボスとアリスの間に滑り込めば、僕よりも背が高いボスは怪訝な目で見下ろしてくる。僕は笑みを絶やさずにボスを見上げた。
「グリム!助けに来るならもっと早く来てよ」
「すみません。モガレットを買っていたら遅れました」
本当はずっと前から見ていたが、なかなか助ける決心がつかなかった。
僕は目立った行動をしたくないんだ。暗殺者としての理想は風景の一部のように目立たない存在でいること。その方が暗殺の成功率が格段に上がるのを知っているから。
けど最後は身体が勝手に動いてしまった。手を掴まれたアリスを見たら、助けないとという使命感に駆られたんだ。やれやれ、目の前の感情に流されるなんて自分が情けない。こうなったらどうにでもなれ。半ば自棄だ。
「兄ちゃんはこのエルフの知り合いか? 」
「はい。だからお願いします。彼女は諦めてください」
深く頭を下げれば、ボスとその仲間達の嘲笑うような笑い声と、アリスの戸惑うように僕を呼ぶ声が聞こえる。
「正義のヒーローの登場と思いきや、とんだ平和主義者の登場だな。だが残念だな。いくら頭を下げようが無駄だ。エルフ族に会えるなんてもう二度とないかもしれないからな」
「……交渉決裂、ですね」
「ああ。おまえが諦めるんだな」
「それは残念です」
僕は言い終わる前に腰に差していたナイフを抜き、ボスの首を目掛けて一直線に振り上げた。
ボスは今も命を刈り取ろうとしているナイフに気付かず、下賤な笑みを浮かべたままだ。それだけ僕のナイフを振る速度が速いということ。相手に認識されない程の速度なんだ。
後0,1秒でナイフの刃が首に届きそうなとき、横から腕を捕まれる。ほんの少し力を込めれば皮膚が裂ける位置でナイフが止まった。
「間一髪、間に合った……」
僕の腕を掴んだのは、剣を腰に差した褐色肌の男だった。微かに汗と砂の臭いがする男は僕の腕を掴んで離さない。振り解こうと腕に力を込めてもピクリともしなかった。僕は怪力ではないけど、決して非力でもない。ここまで動かないなんて、男は相当身体を鍛えているんだろう。
「おい、アンタ。早くその娘の手を離さねェと首が飛ぶぞ」
「あ?……ひぃっ!い、いつの間に!」
ナイフに気付いたボスが飛び退いた。ちっ、本当に後少しだったのに。残念だ。
「"ラインボルト"さん!」
「よお、アリス。久しぶりだな」
どうやらこのラインボルトという男とアリスは知り合いらしい。とりあえず敵ではないと思い、殺気を消すと、ラインボルトは察したように僕の腕を離した。
「ラインボルト……、まさか電光のラインボルトか!?」
電光のラインボルト?異名みたいなものか?
よくわからないが、突然、ボスと仲間達が距離を取り始める。ラインボルトはニイッと口角を上げた。
「そのまさかだ。この娘に手を出すなら俺が黙っちゃいねェが、どうする?」
「ちっ……。ここは一旦ずらかるぞ!」
「ちょっと待ってください」
逃げようとするボスとその仲間を呼び止める。
僕は静かに殺気を滲ませながら最高の笑顔を作ると、自分の首に人差し指を当て
「これからは暗い路地や夜道には気を付けてくださいね。いつ、どこで、また首を狙われるかわかりませんよ」
シュッと首を斬る真似をすると、ボスは一気に顔を青ざめさせて、仲間達と蜘蛛の子散らすように逃げていった。
これで奴等はしばらく大人しくしているだろう。
ああいう連中は逆恨みして後から報復しに来る可能性がある。その可能性をゼロにするために、奴等の敵意を根こそぎ奪う必要がある。特にボスは僕に殺されかけた。その記憶と恐怖でしばらくは外を出歩けないはずだ。
「さて、アリス、帰りましょうか」
「……あ、うん。そうだね」
アリスの様子がどことなく可笑しい。さっきから僕と目を合せようとしない。
「どうしましたか?」
「ううん、別に。何でもないよ」
何でもないようには見えなくて、更に尋ねようとしたが、それよりも先にアリスがラインボルトの方に全身を向けてしまう。
「ラインボルトさん、さっきはありがとうございました」
「いや、いいよ。怪我とかなかったか?」
「はい、大丈夫です。グリム、紹介するね。この人はラインボルトさん。よくこの町に来る冒険者なの。宿のお得意さんなんだよ」
「よろしくな。えっと……グリム、でいいのか?」
「はい。グリムリーパーと言います。グリムでいいですよ」
ラインボルトから差し出された手を握り、軽く握手を交わす。僕より大きくてガッシリした手には肉刺ができていて、剣士らしいと思った。
「へェ……。俺、アンタが気に入ったよ」
と、僕の手を握ったままラインボルトが言ったが、僕はこの人に気に入られるようなことをしただろうか?……いくら考えてもわからない。