表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白百合ノ棘  作者: 内藤はると
白百合ノ棘
9/18

第九話



 「――どういうことか教えてもらっていい?」


 内心の動揺を悟られぬよう平静に振る舞う。今肝心なことは状況を理解することだ。


「ひと月前の夜、ここで僕も見ていたんだよ。君が人を殺すところを――いや、正確には白河さんと話しているあたりかな?」


 竜崎は私の足下を指さしていった。なんということだ――思わず頭を抱えたくなる。


「ああ、でも勘違いしないでね。僕は彼女と違って君をストーキングしてたわけじゃあない。いや実際ダブルでショックだったよ。君が殺人鬼だったことはもちろん、あの白河さんがまさかレズビアンだったなんてね」


 竜崎の口調から微かに感じた蔑み。それが私をひどく不快にさせた。


「そう。なら隠しても無駄ってことで、本題に入ろうか? あんな悪趣味なマネしてまで私を呼びだした目的は?」

「さっきもいったけど、あの日はあまりにもオッたまげちゃってさ。白河さんみたいに君の犯行現場を押さえる証拠をなにも作れなかったんだ。その点彼女は凄いよね、恋する乙女の一念って奴かな?」


 竜崎の笑い声が私の神経を逆撫でする。この男の声はこんなにも狂的な響きを含んでいたか? 学校で幾度か耳を傾けたこともある、優しげで心地よさすら感じさせる声とはまるで別のものだ。


「あの日から僕は君と二人きりで会う機会が欲しかった。もちろん学校の優等生である君ではなく、今の君と。とはいえ君はとても頭が良さそうだからそう簡単に誘い出せないだろう。だから君にインパクトを与える何かが必要だと思ったんだ」

「それで死体から残った右手を切り落として私に? そこまでして私とお話がしたかったなんて変わってるね」

「苦労したよ。刃物なんて持ってなかったからゴミ捨て場にあったビール瓶を割って、それで無理やり切り落としたんだ。それよりあんなものをひと月も手元に置いておくほうがキツかったけどね」


 竜崎が話すのを冷ややかな目で見つめていた私は、ふと今朝のことを思い出した。


「ひょっとして、朝に私と玉子の話を盗み聞きしてたのも竜崎?」

「うん。いや、悪いとは思ったんだけど君が白河さんを凄い顔して連れて行くのを見ちゃってね。好奇心が刺激されちゃったんだ。女の子同士の痴話喧嘩なんてそうそう見れるもんじゃないからね」


 私の中で漆黒の炎が燃え上がる。ごめんね玉子。許してもらえるとは思えないけど、明日会ったら必ず謝る。


 だけどその前に――。


「そう。呼ばれた理由もわかったしもういいよ。私とお話できてよかったね」


 こいつをバラバラに解体してやる――私は手にしたナイフを開くと同時に地を蹴った。


 竜崎の首筋に向かって突き出したナイフが空を切る。必殺のタイミングで放った一撃が竜崎の廻し受けによって逸らされた。


 即座にナイフを逆手に持ち替え、腕を引きざま手首に切りつけようとした瞬間右腕が強く引かれる。同時に竜崎の体が深く沈み込む。


「ぐっ――!」


 左の脇腹に凄まじい衝撃が走る。がら空きになった腹部に体重を乗せた肘打ちを叩き込まれたのだ。衝撃の瞬間腹筋に力を込めたが、肋骨にはヒビくらい入ったかもしれない。


「へぇ、凄いな」


 竜崎が感嘆の呟きを漏らし、私の右手を離す。私はナイフを横薙ぎに振るいながら後方にステップして距離を離す。


「僕が今までノシてきたチンピラどもよりよっぽど鍛えこまれてる。さすが十人近く殺してきたシリアルキラーってところだね」

「チンピラ――なにそれ?」


 私はこみ上げた胃液を、唾液と共にべっと吐き捨てた。喉が酸に焼かれて喋りづらい。


「夜の散歩が趣味でね。たまにそこらでたむろしてるロクでもない奴らを痛めつけたりすることがあるんだ。もちろん殺さない程度にね」

「悪趣味ね」


 もちろん自分が言えた義理ではない。竜崎もくくっと笑った。


「君がそれをいうかい? まぁ、もちろん本当の目的は別だった。僕はずっとリストカット殺人事件の犯人――つまり君を探していたんだ」


「なにそれ? 探偵ごっこかなにか?」


 たっぷりと侮蔑を込めていったつもりだが、竜崎は気に留めた様子もなく続けた。


「君がそうであるように、僕にも抗えないサガがある。僕は好奇心が人一倍強くてね。それを満たすとき、何ともいえない幸福感に包まれる。そして君は僕にとって一つだけ満たすことのできない好奇心を満たしてくれる人間なんだよ」


 竜崎の瞳に剣呑な光が宿り、全身を極細の針で刺されるような緊張感が襲う。明らかにその場の空気が変わった。


 左手で上着に刺していたアイスピックを抜き、再び竜崎との間合いを詰める。ナイフの切っ先が届くギリギリの距離で左右の凶器を次々と繰り出すが、竜崎にはかすりもせず全ての攻撃がいなされる。


 素手に対するナイフのアドバンテージは大きい。直撃ジャストミートさせなければならない前者と比べ、後者は刃先が触れる程度でいい。腕の動脈でも傷つけられればそれで勝負は決まる。


 にもかかわらず一向に私のナイフは当たらず、受けに徹しているように見える竜崎にナイフを持つ手を弾かれる度、徐々に私の腕は痺れていった。


 竜崎は私が突き出したアイスピックをスウェーでかわすと同時に右足を鞭のようにしならせる。肩口に重いハイキックを受け、私は大きく横へと弾き飛ばされた。


「う、ぐ――!」


 ビルの壁面に叩きつけられて息が詰まり、体を支えようとした左肩に鈍い痛みが走る。


 竜崎はハイキックの姿勢のまま、更に足を持ち上げた。そのまま股関節を百八十度開き、完全に足裏を天に向けた状態で静止する。


「僕は産まれた頃からなんでも出来た。一度見たものは忘れないし、体は思う通りに――本当に考えたままに動かせる。どんな格闘技の技術もたったの一度で体得できたんだ」


 竜崎はゆっくりと右足を下ろすと、その場でボクシングのシャドーを始めた。拳が空を切る音が離れていても聞こえる。テレビでプロボクサーが試合前に行っているものと同等か、それより更に鋭い動きだ。


「だから小さい頃は夢中で色々なものを勉強して実践し、周囲を驚かせたよ。まぁそれのせいで他の奴らから嫉妬を受けて、色々とくだらない嫌がらせを受けた。そのせいで母親は精神的にイッちまったりしたけど、それはどうでもいいさ。おかげで爪の隠し方を学べたからね」


 手首をプラプラとさせながら竜崎が笑った。


「さっき話した僕の満たされない好奇心。もういわなくてもわかるだろうけど人を殺すことだよ。だけどそれは悪いことだろう? もちろんこんなふうに女の子を痛めつけるのもだけど、それとは次元が違うよね。だから考えたんだよ、法に触れずにそれを成し遂げる方法を」


 竜崎は私に振り向くと同時に一切の予備動作なしで距離を詰めてきた。反射的に身をよじって飛び退くと、今しがた私の頭部があった位置に足刀蹴りが打ち込まれる。


「正当防衛だよ。夜の街で連続殺人鬼である君が襲ってくれれば僕には君を殺す理由ができるじゃないか。実の所、僕が夜の街を定期的に散歩していたのもそれが理由でね。うまい具合に犯人に狙われないかと期待していた。まさか殺害現場に出くわすなんて思ってもいなかったけど」


 竜崎の哄笑が耳に響く。同時に私の胸を確信に近い予感がよぎった。


「君ならわかるだろう? 好奇心は人を突き動かす。君のサガもまた好奇心から産まれたもののはずだ。好奇心を満たしたいと願うことは人間のサガってやつなんだ」


 今日、この場所が私の死地なのだと。


「黙れ!」


 声を荒げたのは激昂したからではない。胸に湧き上がったものを、声とともに吐き出さなければ呑み込まれてしまう気がしたからだ。


「あんたなんかと一緒にしないで。私は――」

「拘り、いや美学というやつかな? 確かに君は殺した人間の左手に執着しているね。テレビや新聞には書かれないけど、店売りの週刊誌とかなら普通に載ってることだ。君は左手になんの意味を見出しているんだ?」


 左手という言葉に私はギクリとした。竜崎のいう通り、私は確かに左手だけを集めていた。それはとても大事なことだったはずなのに、今の今まで意識しなかった――違う。いつからか意識しないようにしていたのだ。


「これは僕の勝手な想像だから適当に聞き流してよ? ひょっとして君はあの肉片が永遠の愛の象徴であるかのように連想したんじゃないかな? 結婚指輪は左手の薬指にはめるものだしね。――もちろん実際は一つの指輪で生涯を通す人は少なくなったけど」


 顎に手をあて、訥々と竜崎が語り出す。


「君はそれが汚らわしく感じたかなにかで左手を切り離した。手首だけなら愛は不変となるはずだった。ところが実際は切り離した手首は腐っちまう。だから君は次々に手首を換えた。皮肉なことに永遠の愛とやらを求める君の理想はあっさりと現実の前に崩れてしまった――とかね」


 手で口元を隠すようにして竜崎が私に探るような視線を向ける。探る、というより抉り出そうとするかのような不気味な目だ。


「まぁ黒乃さんに限ってそんなことはないか。ごめんね、子供の頃からコロンボや古畑が好きでね。気になったことはどうしても知りたくなるし、知り得ないことは自分で勝手な想像をして埋めるのが癖なんだ」

「黙れつってんのよ!」


 私はがむしゃらにナイフを突き出す。竜崎はその一撃を事も無げにいなし、私の背後に回り込む。逆手で左手に持ったアイスピックを背後に向けて振るうが、竜崎が真下から跳ね上げるように振るった手刀で手首を打たれる。


 私の手から離れて宙へと舞ったアイスピックを竜崎が掴み止めた。


「当てずっぽうだったけど、ひょっとして的を射てしまったかな? まさか連続殺人犯がそんなメルヘンチックな思考をしているなんて誰も思わないよね。興味深いよ」


 アイスピックを右手に持ち替え、竜崎が私に優しい微笑みを向けてくる。死に神の鎌が首筋にあてられるのを感じた。


「君は本当に興味が尽きない。実は白河さんほどではないけど、僕もまた以前から君に興味を抱いていたんだ。最初はマジで君に惚れてるんじゃないかと思ったくらいさ。もっと話をしたいけど、これ以上君を痛めつけてしまうと警察に聞かれたときに厄介だしね」


 竜崎が私に向けて一歩を踏み出すために右足を上げた瞬間、左手側に隙が生まれた。考えるより先に反射的に地を蹴る。おそらく私の生涯で最速の動きだっただろう。


 だが一瞬にすら満たない刹那の間に、私は竜崎の口元が歪むのを見た。私を誘うためにあえて作った隙だと理解したが、たとえ知っていたとしても私は同じ事をしただろう。炎に誘われ焼け死ぬ蛾のように。


 重心を左足に残していた竜崎は体を捻りつつ最小限の動きで私の一撃をかわした。アイスピックを持った竜崎の右手が振り上げられる気配が伝わってくる。


 脳裏にあの人の姿がよぎる。私のサガを目覚めさせたあの人は女性の手を左右の別なく切り落としていた。それがとてもショックだった。この人にとって女は取り替えのきく存在でしかないのだと、そんな気がした。右手に婚約指輪はしないのだから。


 ただそれだけの理由だと思うかもしれないが、私にとってはとても大きな理由だった。だから私は左手だけを求めた。初めて左手を切り落とし、それを部屋で眺めたとき私の胸は晴れやかだった。自分の行いは清らかなものであり、崇高さすらあると感じた。


 だがすぐにそれが幻想であったと気づかされる。手首の腐敗が進むにつれ、私はその醜悪さに耐えられなくなった。私の望む理想に現実は併せてなどくれなかった。


 だから私は次を求めた。そして己の行いを許容するため意味を捨てた。美学はただの拘りへと姿を変えた。結局のところ、私の行いはあの人をなぞらえたに過ぎないものとなったのだ。


「さよなら、黒乃さん」


 竜崎の声で引き延ばされていた一瞬が終わりを告げた。振り向いた私の視界の端でアイスピックが振り下ろされる。


「やめてぇ!!」


 悲痛な叫び声とともに竜崎の右腕になにかが取り付いた。訪れるであろう死に備えていた私は手を付くことすらできずに前のめりに地面に倒れこむ。


「は、離せ!」


 竜崎が狼狽した声をあげる。その右腕を玉子が体全体を使ってしがみついていた。


「玉子!? なんであんた――」

「ごめんなさい! どうしても心配だったの! もう会えないんじゃないかって思ったのぉ!」


 玉子は泣きじゃくりながら、それでも竜崎の腕から離れようとしない。


「この――クソ女ァッ!!」


 竜崎は激昂して右腕を振り上げる。その拍子に振りほどかれた玉子を体重を乗せた前蹴りで大きく弾き飛ばした。


「ぎゃふ――!」


 数メートルほど吹っ飛ばされた玉子は空気の漏れるようなうめきを上げ、体を丸めて激しくせき込んだ。


「一体どこから出てきた? たしか以前もお前はいきなり姿を現したな。本当に気持ち悪い女だ」


 竜崎が吐き捨てるようにいった。私の中で消えかけていた炎が再び灯る。


「バカ、どうして来たのよ。私はあんたにあんなひどいこといったのに――なんでついてくるのよ」

「だ、って――」


 玉子は腹を押さえ、大量の唾液を口から垂れ流しながら身を起こした。


「好きなんだもん――好きな、人に、嫌われたままでいたくないもん――」


「玉子――」


 靴を通して右足にぽたりと何かが落ちた感触が伝わる。中学生の頃から流したことのないものが頬を伝っていた。


 私はまだ泣けたんだ――奇妙な感慨すら湧いてくる。


「悪いが茶番はそこまでにしてくれ。神聖な時間を汚されたよ。本当に最悪の気分だ」


 竜崎はそこまでいうと、ふと何かに気付いたように口元に手をあてた。


「――いや、まてよ。これはかえって都合がいいかもしれない。いくら正当防衛でもやっぱり自分の手を汚すのは多少抵抗があったんだ」


 竜崎は最高に下卑た笑みを玉子に向けた。


「黒乃さんはここで白河さんに何かしらの取引を持ちかけられ、カッとなって殺害に及んだが死の際の反撃を受け同士討ちになる。――いいシナリオだと思わないか? 黒乃さんの犯行を押さえたデータを白河さんは持っているわけだしね」


 玉子は竜崎の視線から逃れるように顔を伏せた。私は胸の奥に二つの炎が灯るのを感じた。


 玉子が与えてくれた勇気の炎と、もう一つ――。


「残念だけどそれは無理。だってあんたは今から私が殺すから」


 竜崎は私の言葉に首を傾げる。


「君が? 無理だよ。君は絶対に僕には勝てない。自分でもわかってるだろう?」


 その言葉が私に確信をもたらした。こいつは理解していない。既にこの戦いの目的が変わっていることに。私が『勝つ』つもりなどないことに。


 ドス黒い覚悟の炎が私に灯ったことも、それを灯したのが自分であることも気付いていない。


 竜崎は私を殺したあとで玉子も手にかけるだろう。だがそれだけはさせない。絶対に許さない。


「美沙――」

 玉子が街灯に寄りかかるようにして立ち上がる。


「来るな!」

 私が怒鳴ると玉子はビクリと体を震わせた。光に照らし出された玉子の姿はやはり白百合の花を思わせる。


「そこでいい。あんたはその場所でいいの」


 ――ここは暗い。こんな場所に玉子は来てはいけない。


 私は前方に伸ばした左腕を曲げ、手首で口元を隠す。右手のナイフを強く握りしめ、竜崎に向かって駆けた。


「苦しまぎれの特攻か。そんなもの――」


 竜崎にはそう見えるだろう。だが私が手首を前に向けてかざした意味まではわかるまい。私はナイフを左手首にあてがった。それを見た竜崎の顔に困惑の色が浮かぶ。


 私はお前よりも知っている。どう切れば、どのように血が吹き出すのかを。


 ナイフを滑らせ、自らの左手首を深く切り裂く。堰を切ったように噴き出した赤い血が、驚愕に見開かれた竜崎の目に降りかかった。


「な――!?」


 視界を塞がれた竜崎は顔を押さえながら、それでも右手に持ったアイスピックを突きだした。先端が左耳をかすめたが、私は構わず体ごと竜崎にぶつかった。水平に構えた右手のナイフを竜崎の左胸に突き立てる。


「ぐ――があぁッ!!」


 竜崎が獣のような悲鳴をあげ、それと同時に私は背中に鋭い痛みを感じた。竜崎が最後のあがきで私の背に二度、三度とアイスピックを突き立てる。


「刺すなら――脳幹よ。この、マヌケ――!」


 私は渾身の力を込めてナイフの柄を捻る。肉が抉れ、肋骨をガリガリと削る嫌な感触があった。


「ゲブッ――」


 竜崎は口から血を吹き、再度振り下ろそうとしていたアイスピックを取り落とした。


私は力の抜けた竜崎の体を押し倒し、ナイフを柄が食い込むほど深く刺し込んだ。竜崎は全身をしばらく痙攣させ、やがて完全に動きを止めた。


「ざまぁ――見ろ。クソ野郎――」


 竜崎が完全に事切れたことを確信し、私はゆっくりと立ち上がった。こんな奴の胸で死んでたまるか――そんな気分だった。


 見下ろした竜崎の顔は見る影もないほど醜く歪んでいた。いや、これこそがこの男にふさわしい顔なのだ。


 私は糸が切れたような感覚をおぼえる。膝から崩れ落ちそうになったところで柔らかいものに包み込まれた。玉子に抱き止められたのだ。


「美沙――美沙ぁ!」


 私は反射的に左手首を上着の下から差し込んだ。血はまだ止まっていない。返り血まみれの姿では、玉子がここから帰れない。


「美沙、聞いて! 私はもう美沙の動画データなんて持ってないの! 美沙が私の友達になってくれた日の夜に全部消したの! ごめんね、本当にごめんねぇ!!」


 玉子が泣きじゃくりながら叫ぶ。そんなことはいわれなくてもわかっていた。おそらく遊園地の観覧車で話そうとしていたのがそれだろう。だから私は話をやめさせた。


 玉子はあの夜すべてを打ち明け、そして私に殺されるつもりだったのだ。だからこそあの日はやりたいことを詰め込んだし、帰ることもためらっていたのだろう。


 私は確信を持つのが怖かった。本来なら玉子の家に行ったときに、手段を選ばなければそれを得ることは出来ていた。私は玉子を殺さずに済む選択肢をいつだって探していた。


 確信を得れば私は確実に玉子を殺すだろう。それを抑えることは私には出来ない。だが確信に至るのを避けることなら可能だった。


「知ってたよ――ありが、と――」


 今ここで話してくれてよかった。もう私に玉子を殺す力は残っていないし、その必要も既にない。


「美沙――しっかりして。私を一人に――しないでよぉ」


 玉子の悲痛な声がひどく遠くで聞こえる。吐息がかかるほどの距離にいるはずなのに。


「玉子――もし、ついてきたりしたら――怒るからね」


 こいつはついてくるのが上手いのだ。釘を刺しておかなければと、そう思った。


 玉子が何かいっているが聞こえない。出会ったときと同じように顔から流せる液体すべてを流して泣いている。あの時は気味悪く感じたが、今はただ愛おしい。守れたことが本当に嬉しい。


 もう泣いてくれなくて大丈夫。光はなくとも私の胸には誇りがある。



 暗闇の荒野だって、きっと恐れずに進んでいけるから――



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ