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白百合ノ棘  作者: 内藤はると
白百合ノ棘
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第五話





 雲一つない晴天の下、土日ということもあり入場口には長蛇の列が出来ていた。隣に立つ白河が満面の笑顔を向けてくる。


「動物園なんて小学校以来です。楽しみですね」


 なにが楽しみなものか。なんの因果で折角の休日にこんな獣臭いところに。


「そうだね楽しみだね。――あ、大人二人で」

 適当に相槌を打ち、スタッフに引換券を渡して入場券をもらった。


 ここは去年リニューアルされた動物園で、関東圏では最大の規模を誇るらしい。両親から無料招待券をペアでもらったので一緒に行かないかと誘われたのが一昨日。立場上断るわけにもいかず、渋々付いてきたというわけだ。


 入場してすぐの広場には巨大なドーム状の鳥かごが設置されていて、中では木々の枝や止まり木に色とりどりの鳥達が羽を休めている。中々気の利いた出迎えだ。こういうのばかりなら訪れるのにやぶさかではないのだが。


「黒乃さん、ここに園内の案内図がありますよ。どこから見て回りますか?」


 白河がぐいぐいと腕を引いてくる。もういてもたってもいられないという様子だ。私としてはライオンやヒョウをパパッと見てさっさと終わらせたいが、そうもいきそうにない。


「どこからでもいいよ。白河に任せるから」

「じゃあゾウさん行きましょうゾウさん! 動物園といえばゾウさんですよね」


 いやライオンだろ、百獣の王だぞ――私が心の中でブツブツ唱えている間にゾウの檻が見えてきた。少し人だかりがあったが、少し待っているとすぐに柵の手前まで進むことができた。


「黒乃さん、ゾウですよゾウ! かわいい」

「そうだね」

「あははは。黒乃さん、ナイスジョークです」

「ジョークじゃねえよ!」

 そうだねとゾウだねをかけたとでもいいたいのか? やかましいわ。


 白河は完全にハイになっているようで、憤る私を尻目に携帯のカメラでパシャパシャと写真を撮り始めた。


 うう、あの中に私の命運を左右するデータが入っていると思うと胃が痛くなる。今のところ白河が犯行の瞬間を撮した動画をネタにするようなことはないが、いつまでもそんな態度が続くとは限らない。いきなり操を奪われるようなことはないにしても、できるだけ早急に対策を練らなければ。


「黒乃さん、マレーバクですよマレーバク! かわいい」

 かわいくない。中途半端なデカさと毛皮のテカリがキモい。夢を食べるという逸話がキモさに拍車をかけている。


 その後も白河は動物を見ては大騒ぎをしてかわいいを連呼した。心の底から楽しそうな白河にあてられたのか、私も次第に楽しくなっていくのを感じる。最初あれだけ感じた獣臭さもいつの間にか気にならなくなっていた。


 園内の中央にグッズショップやフードコートの並ぶエリアがあり、昼食も兼ねて私たちはそこへ立ち寄った。


「ほら黒乃さんこのシャツ見てください。かわいくないですか?」


 グッズショップで白河がTシャツを広げて見せてきた。やさぐれた顔でタバコをふかす豚のイラストとメス豚という文字がプリントされている。いくらなんでも前衛的すぎるだろう。


「え、なにそれ――って一万円!? なんなのこの強気な値段設定」


 値札に書かれた値段を見てブッたまげる。間違いなく人生で一番無駄な買い物になること請け合いだ。


「このTシャツなにかのコラボ商品なんだって。ここでしか手に入らないんですよ」


 そのコラボを企画したやつの頭を開いて脳みそを見てみたい。どこの誰がこんな物を買うというんだ。


「すいません、これお願いします。カード使えますか?」


 ――ここにいた。


 既に白河はレジに二枚のTシャツを乗せ、会計を始めている。高校生のくせにカードかよ。


「ちょ、ちょっといいって。もったいないよそんなのに」

「いいんです。今日一緒に来てくれた黒乃さんへのプレゼントですから」


 心の底からいらないのだが、すでに白河はカード決済を済ませてしまっていた。さすがにプレゼントするといわれて、それを断る厚かましさは私にはない。


 フードコートの空いているテーブルに座り、白河が持ってきていたバスケットから弁当箱を取り出して開ける。中には生ハムやチーズ、卵といった様々な具の挟まったバケットサンドが詰められ、唐揚げやポテトフライなども入っている。盛り合わせも美しく、専門店でもここまでのものはなかなかお目にかかれないだろう。


「今日はちょっと頑張りました。口に合えば嬉しいんですけど」


 白河がはにかみながらいった。口に合うかどうかなど、食べるまでもなくわかりきっている。


「――うん、すごく美味しい。ありがとね」

 サンドイッチを一口かじり、思ったままを言葉にする。白河は本当に嬉しそうに、今日見せた中で一番の笑顔を浮かべた。


 数日前から学校のある日は白河が弁当を作ってくれるようになり、そのせいで否応なく彼女の料理の腕は思い知らされていた。おかげで舌だけでなく体まで肥えるのではという別の心配まで出来るほどに。


 以前、彼女を女からは嫌われるタイプと評したが、それはどうも誤りであったらしい。正確には彼女との付き合いがない異性に嫌われやすいのだ。

 少し前に白河と同じクラスの男女に話を聞いてみたりしたのだが一人として彼女を悪くいうものはいなかった。人の嫌がる仕事を率先して行い、学校行事にも進んで参加するため教師からの信頼も厚い。


 容姿端麗で成績もトップクラス、性格が良くおまけに料理まで上手くて生徒会副会長。唯一体育のみ不得手であるらしいが、彼女にとってはむしろプラスに働いている。完璧すぎると可愛げがなくなるものだ。


 そんなわけで、白河と付き合う――もちろん友人として――機会を得たものは誰もが彼女に嫉妬する気さえ起こさなくなる。男なら誰でもこんな彼女がほしいと思うし、女ならば友人でありたいと思うのだ。


 だが、だからこそ私には理解できない。なぜ彼女のような人間が同性愛などという業を背負うに至ったのか。結局白河の本質をつかむための私の行為は、彼女の底知れなさをかえって突きつけられる結果に終わったのである。




 白河と別れ、家に帰り着いた時には十七時を回っていた。軽くシャワーを浴び、白河からもらったメス豚Tシャツに袖を通す。さすがに外に着ていく勇気はないが、部屋着としてなら事足りるだろう。


 鏡に映った自分の姿を見て軽く死にたくなったが、もらった以上は義理を通さねばなるまい。


 リビングに降りて冷蔵庫を開け、保冷袋に入れていたショウゴの手首を取り出した。この間は予期せぬ事態のせいで手首を持ち帰るか迷ったが、意を決して切り落とした。そうしなければなんの意味もなく人間を殺したことになり、私の美学に反する。


 ――美学?


 自分の言葉に違和感を覚える。私にとっての美学って――そう考えたとき、不意にソファの上で携帯が鳴った。左手を手に持ったまま携帯を拾い上げ、画面を見ると由香からの着信だった。


「もしもし、由香?」

『オッス。うちにいる?』

「帰ったばっか。今シャワー浴びたところ」

『丁度いいや。駅前のミセドでドーナツ100円だったから買ったけど寄っていい?』

「お待ちしております」


 私が即答すると同時に電話が切れる。携帯をソファに放り、私は冷蔵庫の保冷袋を取り出して中に凍った保冷剤と一緒に手首を詰めた。台所の床下にある保管庫の扉を持ち上げ、一番下に袋を隠してしっかりと扉を下ろした。


 由香には間違っても見せるわけにはいかない。それはかけがえのない友人をこの手にかけることを意味するから。


 すぐにチャイムが鳴り、私はドアを開けた。ちょうど門扉を開けて入ってきたところだった由香は顔を上げると同時に盛大に吹き出した。


「ブッ――アハハハハ!! あ、あんたなにそのTシャツ!? メス豚って、背伸びしたいのか知らないけど方向性間違えすぎでしょぉ!? ギャハハハハ!!」

 およそ眼鏡美少女とはかけ離れた笑い声をあげながら由香は膝を叩きながら爆笑した。笑いたきゃ笑えこのヤロウ。


 ようやくのことで笑いが治まった由香をリビングに通し、私はあらかじめ沸かしておいたお湯で紅茶を淹れた。由香はソファに体を沈めながらテーブルにミセスドーナッツとプリントされた箱を置く。

「感心感心。こういうのって持ちつ持たれつよね」

 由香はリモコンでテレビを点け、バラエティにチャンネルを合わせる。紅茶にミルクだけ入れてテーブルに置き、由香の隣に腰掛ける。


 ドーナツを齧りながらテレビに映るタレントやファッションについての他愛ない会話を続けていると次第に話題も尽きてくる。私はそこで隣に座る由香をちらりと見た。


 さっきもいったが由香は美少女と言って差し支えない端正な顔をしている。眼鏡をかけているのは生まれつき視力が弱いだけで、勉強もスポーツもバリバリこなす。白河とはタイプこそ違うが、彼女もまた高いスペックの持ち主だ。


 ただ由香の場合、百七十センチの高身長に加えてハリウッドB級映画でお馴染みの糞ビッチ並の口の悪さが災いして残念な仕上がりになっている。本人は全く気にしている様子はないが。


「そういえば今日シラタマとどっか行ってたんでしょ? どうだったん」

「まぁ面白かったよ。このTシャツもあの娘のセンス」


 由香は思い出したように私を見て小さく吹き出す。


「あいつって変わってるよね。前までメスの匂い振りまいてるお利口さんて感じでなんかヤだったけど、実際話してみるといい奴で。――あんたが気が合うっていったのわかる気がしたわ。人間話してみないとわかんないね」

「まぁね。パッと見だけじゃ鼻につくぐらいの完璧超人だししゃーないよ」


 私がいうと、由香はくくっと小さく笑った。


「あんたがいう? 中学くらいからずっと学年十位以内の成績キープしてる優等生が。あんた結構男子の隠れファンもいるんだよ」


 中学から――私のサガが目覚めた頃。つまり人目を気にしだした頃だ。

 私が最初に人を殺すことを決意した時、最初に懸念したのが警察に捕まった場合だった。

 もし捕まったらきっとニュースや新聞に載るだろう。その時に私はどう報じられる?犯人の女子中学生は学校では目立たず、勉強やスポーツも振るわない陰気な性格だった――などと好き勝手なことをいわれるのか? それだけはイヤだ。


 だからこそ私は勉強もスポーツも人並み以上に頑張ったし、見た目にかんしても気を配った。自分という人間が出せる限界のスペックまで努力したつもりだ。


「初耳なんだけど。隠れてないで出てきたらいいのに」

「マジだって。ま、あんたはそういうのガッツいてる感じしないからね。向こうが言いだしづらいんでしょ」


 由香のいうとおり、今は『普通の』恋愛ごとに興味はない。ただ、彼女が褒めてくれるというのはとても気分がいい。私の努力は実をなしているという何よりの証拠だ。


 小さなあくびが漏れる。流石に今日は疲れてしまった。時刻は十九時半を過ぎていた。


「――さて、今日はもう帰ろっかな。お疲れみたいだし」


 そんな私の様子を察したか、由香がソファから立ち上がって伸びをした。カップの底に残っていた冷めたミルクティを喉に流し込む。


「今日はサンキュね。ごちそうさまでした」

「おう。んじゃまた明日」


 由香を見送り、私はドーナツの空き箱や食器を片付けたあとで床下から袋に入った手首を拾い上げる。袋から取り出そうとして、なんだか気が進まず冷蔵庫に戻した。不義の仲などという大層なものではないが、白河との奇妙な関係を考えるとなんとなく気が進まなかった。


「キライだな、こういうの」


 ため息をついて自室に戻る。電気を消してベッドに倒れ込み、睡魔に身を委ねた。


 やはり道は自分で切り拓かなければ――。

 眠りに落ちるまでの間、私はぼんやりとそんなことを考えた。


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