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白百合ノ棘  作者: 内藤はると
白百合ノ棘
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第三話





 私がこのサガに目覚めたのは中学一年の頃だった。


 元々仕事の関係でどちらかが家を空けることが常だった両親は、中学へ進級した娘に早々と自立心を見出し、二人そろって出張に出かけることが頻繁になった。


 だがそのことを私は寂しいと思ったことはない。両親は厳しい人たちで、漫画やゲームの類は教育に悪いといって許してくれなかった。だから二人がいない間、私はそれらに触れる事が出来るようになったのだ。


 私はずっと前から読みたかった漫画があった。男の子が読む少年誌に連載されているタイトルだが、まるで絵画のような絵柄と独創的な世界観の虜になった。ほとんど男性しか出てこないがその誰もが強さと美しさを持ち、一人一人が異なる魅力に溢れていた。


 その中で、私は一人のキャラクターに恋をした。二次元に恋をするなどありえない、自分でもそう思っていたが、その人には何故かひどく惹きつけられたのだ。

 海外のタレントのような顔立ちで、きわどい柄のネクタイやスカした高級ブランドのスーツがとても絵になる人だった。


 だがその恋はわずか数ページで終わった。その人には目立たない会社員という表の顔とは別に、連続殺人鬼という裏の顔があった。おまけに殺した女性の手首だけを集めるという異常な性癖の持ち主だったのだ。あのときのショックと憤りは今でもはっきりと覚えている――。



 私は我に返り、ゆっくりと周囲を見回した。

 オフィス街へと通じる細い路地は昼間こそ人通りで溢れるが、夜にはほとんど人通りが途絶える。そしてなにより、この路地にはカメラがない。


 私はこの街で――いや、東京のほとんどの繁華街にある監視カメラの位置を把握していた。一般的にはほとんど意識する必要のないそれらが設置されている目的は、いうまでもなく犯罪行為の抑止である。多くは麻薬の密売現場を抑えるためと聞いたことがあるが、いずれにせよ私の行動の妨げになるものだった。


 私はゆっくりと地面を見下ろす。

 地面に倒れ伏しているのは一人の男性。先ほどまでかすかに痙攣していた手足はすでに動きを止めていた。死因は私の右手に握られたアイスピックによるものだ。


 後頭部と首の付け根に位置する急所を鋭い針状のもので突くと人間は呼吸と共に運動機能が麻痺する。騒がれず、無駄に傷を付けずに仕留めるにはもっとも効率的な手段である。この殺害方法に行き着くまでに何度も試行錯誤を繰り返した。


 行為に及んだ後、私はさっきのように物思いに耽るのが癖だった。ほんの数秒とはいえ、隙となる事は理解している。だが何故かこの悪癖は治すことが出来ずにいた。


 彼のことは名前も知らない。ただ都内の大学に通う大学生だ。

 数ヶ月前、電車で彼を見つけたときに後をつけ、学校と家を突き止めた。それからは定期的に観察し、生活パターンを徐々に絞り込む作業に入った。確実に彼を仕留めるために。


 そして今夜その機が訪れたというわけだ。


 私は彼のポケットを探り、財布を見つけると中をあらためる。免許証には川澄省吾という名前が記されていた。


「ショウゴ――か。いい名前だね」


 私は思わず口元を緩める。

 彼の生活パターンを追ううちに、当然その人となりもみることになる。彼は残念ながら品行方正な人柄とはいえず、数人の女性と交際を掛け持ちしているような男だ。


 だがこれからは関係ない。私が好きになるあなたになるから。


 そんなことを想いながら財布の中の紙幣だけを抜き取り、ポケットにねじ込む。カードの類は周囲にばらまいた。

 金などどうでもいいが、物盗りの線も匂わせた方が気休めとはいえ犯人像を絞り込みづらくなる。実際効果のほどは計れないが、私は毎回犯行現場になにかしら変化を持たせるようにしていた。


 私が標的にするのは何も顔のいい男ではない。ただ手が好みに合うかどうかだ。手首になればどんな顔立ちであろうと後に残るのは静寂と、切り取られた美。


 私はアイスピックにカバーをつけ、上着の内ポケットに戻した。そしてジーンズのポケットに入れているバタフライナイフを開き、刃を左手の付け根にあてがった。


 ふと、さっき考えていたことの続きが頭に浮かんだ。

 私は確かに好きになったあの人のサガを目の当たりにしてショックを受けた。だがそれは彼が殺人鬼であることに対してではなかった気がする。


 ――なんだったっけ?


 そう考えた直後、背後でカシャリという音が鳴り響く。全身の血が引き、瞼を限界まで開けて背後を振り向いた。


 闇の中に黒い衣服を身にまとった人影が立っていた。街灯の光を背にしているので顔は見えないが、ひと目で女性だとわかる抜群のプロポーションをしている。


「黒乃美沙さん。あなただったのね、連続殺人犯って」


 名前を呼ばれた事もだが、一番驚いたのはその声だった。


 私はこの声を知っている。

 忘れるはずがない。

 ひと月ほど前に嬉しくない衝撃を与えてくれた人間なのだから。


「白河――玉子」


 呆然と呟くのと同時に再び電子音が鳴った。先ほど聞こえたものとはまた違う。


 人影はゆっくりとこちらに向かって歩き、五、六メートルほど離れた街灯の下で歩みを止めた。


 黒いライダースーツに似た服を着た白河が光の下に現れた。

 携帯電話を右手に持ち、アンティークドールのように大きな瞳から大粒の涙をこぼれさせながら。



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