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白百合ノ棘  作者: 内藤はると
白百合ノ棘
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最終話





 冷たい風が吹き抜け、玉子の長い髪を揺らした。


 既に四月にさしかかろうという時期だが、イングランドの春の訪れは日本よりも遅い。だが北海道より高緯度にあるにもかかわらず、海流や地形の影響で寒すぎたり雪が降り積もっているということもない。一年を通して過ごしやすい国といえる。


 高校を卒業し、第一志望だった大学へ入学するまでの間に玉子はこの国を訪れると決めていた。両親にはひと月ほど前その旨を話したが、一人で行くことはさすがに許してもらえなかった。

 女の子一人で海外なんて――玉子の母はそういって反対したが、本当の心配は別のところにあると玉子自身も理解していた。自分がそのまま帰ってこないのではないかという思いがあったのだろう。


 本当のところは一人で行きたかったが、愛する両親にあまり心配をかけさせたくはないという思いもあった。だから自分たちと一緒に行くなら認める、という両親の提案を玉子は受けることにした。


 由香にもこのことを話したら当然のように心配された。一緒に行きたいといってくれた彼女の気持ちは本当に嬉しかったが、今回ばかりは彼女を連れて来るわけにはいかなかった。


 小高い丘の上から見下ろす景色は美しかった。なだらかにうねる緑の丘陵地帯に石造りの集落が点在し、調和の取れた景観を生み出している。丘と城の国――そう呼ばれるにふさわしい。


 玉子はコートのポケットから手袋を取り出し、左手にはめた。美沙が身につけていたこの手袋はあの夜玉子が持ち帰った二つの遺品の一つである。柔らかな黒いゴートレザーが玉子の左手に吸い付き、美しい手のラインを形作る。


 玉子は手袋で包まれた左手の掌に頬ずりし、そっと目を閉じる。こうしていると美沙が傍にいるような気がして勇気が湧いてくる。


「美沙、知ってますか? この国では同性同士の結婚が法的に認められてるんですよ」


 玉子が左手に語りかける。瞼を閉じればいつでも鮮明に美沙の姿が浮かんだ。もし美沙が隣にいれば、きっと彼女は慌てふためいていうだろう。


 ――は? いやいや私たち日本人だし! よそはよそ、うちはうちって子供この頃いわれたでしょうが!


「だから、私たち二人でここに移り住めばいいんですよ。ちゃんと居住権も国籍もとって」


 ――いやいや、そういう問題じゃないから! それにイギリスってスゲー飯がマズイって話じゃない。やめとこうよ、ね?


「大丈夫です。私が美味しいご飯作りますから。それでお茶の時間には庭でハーブティー淹れるんです。ケーキやスコーンも私が焼いてあげますよ。お母さんの直伝です」


 玉子はそういってから顔を上げた。視線の先、遙か草原の先に石造りの建物が見える。尖塔のような屋根に十字架が立てられた教会だった。


 玉子はその場所で美沙の手を引く自分の姿を思い描いた。いかにも気の進まなそうな美沙の顔が容易に想像できる。


 ここに来る前に用意しておいたペアリングの片方を取り出し、シルバーの指輪を自分の右手の薬指にはめた。そしてもう片方、ゴールドの指輪を虚空に向けて差し出す。


 美沙はきっとなんだかんだいいながらもはめてくれるだろう。

 ――形だけよ!? 形だけ!

 そう念を押しながら渋々指輪をはめたあと、私にはにかんだ笑顔を見せてくれる。玉子はそう確信していた。


「追いかけるのはダメっていわれたから――私は美沙がいったように光の下で生きていきます。でも時々耐えられなくなりそうになるんです。私は――美沙と違って弱いから――」


 玉子の頬を涙が伝う。美沙がいないと考えただけで気が狂いそうになるほどの悲しみが玉子を押し包んだ。両親と由香、そして最期の美沙の言葉が玉子をかろうじて支えていた。


「生きてあなたに償い続けるとここに誓います。だから、これからも歩き続けることが出来るよう私に力を――勇気をください」


 玉子は手袋の上から指輪をはめた。一回り大きなサイズに仕立てた指輪はまるで最初からそうあったようにすらりと指に収まる。


 遙か彼方に見える教会を正面に据え、玉子は両手を合わせた。金銀の指輪が触れあい、カチリと音を鳴らす。玉子は目を閉じ、心の奥で祈りを捧げた。


「玉子」


 背後から名を呼ばれ、玉子が振り向く。少し離れた位置にホテルで待っているはずの母が立っていた。


「ママ――」

「ごめんね、心配になって追いかけて来ちゃった」


 悪戯がバレた少女のようにちろりと舌を出して母が笑った。玉子は胸にこみ上げるものを感じて母の胸に飛び込み、声を出して泣いた。美沙がいなくなってから、両親の前で泣いたのはこれが初めてだった。


 母は何もいわず、何も聞かずにただ玉子を強く抱きしめた。柔らかな温もりに包まれ、やがて玉子の心は静けさを取り戻した。


 玉子は母に抱かれたままそっと目を開く。視界の端に建つ家屋の広い庭で大きな赤い薔薇が揺れていた。


 今は薔薇のシーズンではない。あの薔薇が偶然収穫を逃れたものか、それとも枯れ果てたものなのかこの距離では玉子にはわからない。だがたった一人で気高く咲き誇るその姿に、玉子は美沙の姿を重ねた。



 自分が愛した――否、これからも愛し続けるだろう一輪の黒薔薇を。




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