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ろりぽっぷ

 昨日から続いた霧のような雨は夕方近くなってやっとあがって、僕がバイト先を出た頃には雲の間から星が顔をのぞかせていた。

あと三時間で今年も終わるというのに商店街は買い物客でごった返し、店主たちの威勢のいい声があちらこちらから聞こえてくる。

この街に移り住んでまだ一年も経ってはいないけど、商店街がこんなにも活気づいているところを知らなかった僕にとってその光景は新鮮だった。うまくは言えないけど、なんていうか……この街も生きているんだなっていう気がして、ちょっぴり嬉しかったんだ。

――そして、アミノさんが日本を旅立って今日でちょうど一週間になる。

アミノさんがいつ帰ってくるか分からなかった僕は、毎日学園に顔を出していたんだけど改修工事のため、礼拝堂のある建物には入れなくて、女子寮の近くをウロウロしてるだけだしか出来なかった。……今思ってみれば完全に変質者だよなぁ……。

いろりちゃんや千歳ちゃんたちとはメールをやり取りしていたが、二人のところにもアミノさんから連絡は無いらしい。

それもそのはずで、アミノさんは携帯電話を持っていないし、唯一の連絡手段だったパソコンメールは部室に置いたまま。始めから電話をかける気がないのだからみんなの携帯電話番号など知っているはずがない。

大晦日までには帰るって言っていたから、今日には帰ってくるんだよな……きっと。

これからいろりちゃんのお寺で年越しをする話になっているけど……どうしよう。一度学園に行ってみようか……時間はあまり無いけれど。

ふと携帯電話の時計を見ると、一件のメールが入っている。いろりちゃんからだ。

『アミノちゃん来た! コウタンも早く来るがいい』

帰ってきたのか! 良かった……。一週間前のあの日、アミノさんの様子からして、もしかしてしばらく帰ってこないんじゃないかって思ったんだ。

情緒不安定になっていたし、お母さんにも会いたそうにしていた。それに、礼拝堂は立入禁止になっているから、アミノさんの仕事は恐らく休みだろう。そのこともあって、少し心配していたのが……約束通り帰ってきてくれたんだな。

僕は足早にいろりちゃんのお寺へと向かった。

商店街の角を曲がって、公園につながる一本の道を歩いていると、なんだか妙な違和感を覚えた。

なんだ? ……普段見かけないような人がたくさんいるぞ……。スーツを着込んで、見るからに屈強な男たちが歩道の上で一定間隔に立っている。手にはトランシーバーのような物を持っており、まるで要人の警護のようだ。

夜だというのにみなサングラスを掛けているというのは……要人警護にしても怪しすぎるだろ……一体これはなんなんだ。

僕はやや緊張しながら怪しげな連中の側を通り過ぎると、いろりちゃんのお寺と千歳ちゃんの神社に囲まれた公園の前に出た。中ではたくさんの出店が出ていて、提灯の明かりが煌煌と光って眩しい。人はまばらだけど……まだ二十一時だしな。もう少ししたら増えてきそうな雰囲気だ。

お寺の石畳を登り切ったところ、ポクポクポク――と木魚の軽快なリズムが僕を出迎えてくれた。

「千歳ちゃん!?」目の前には千歳ちゃんがいて……まるでタンバリンでも叩くかのようにして木魚を持って叩いている。何やってんだ一体。

「おーコウタ君やっと来たねー?」と千歳ちゃんが言った。今日は巫女装束ではなく、和尚さんのような黒装束に袈裟を掛けていた。

「木魚でいたずらしちゃ駄目だろさすがに」

「んな! してないわよ! ……これはその、マイ木魚だし」

「マイ木魚!? そんな小道具まで買ったのかよ!?」

いろんな小道具持っているからな……千歳ちゃんは。これもコスプレの一種なのだろうか。

「これは小道具じゃなくて本物! 誕生日にいろりからもらったもの!」

「本当なのか……」

「本当だってー。夏に貰ったばっか……あ、コウタ君。もしかしてあたしの誕生日気になる? ねぇねぇ。聞きたい?」

「いや、そんな事より、アミノさんはどこにいるんだ? 帰ってきているんだろ?」

「ちょっとコウタ君! いくらあたしに興味無いからってその反応はいくら私でも落ち込むよ!?」

いつもの調子で話の進まない千歳ちゃん。だけど僕はちょっと安心した。一週間前のイブの日、千歳ちゃんの様子、なんだか変だったし。千歳ちゃんらしさが戻って良かったな。

「わかったわかった……それで、その誕生日に貰った木魚を持って何やってるんだよ」

「見りゃわかるでしょ? ビートを刻むのさ、こうやって」千歳ちゃんはそう言うと、木魚を撥で叩き出した。

こんな日じゃないと、なかなか木魚って叩かないからねーなんて言っているけど……大晦日にマイ木魚持参でお寺に来る人は、僕の短い人生の中では千歳ちゃん、キミが初めてだよ。

――ポポポクポポポクポポポポポポポ……。

千歳ちゃんのマイ木魚が三三七拍子のビートを刻む。

「千歳ちゃんさぁ……巫女だろ? 一応……」僕はげんなりして言った。

「それがどうかしたの? 巫女が木魚叩いちゃいけないっていうわけ?」

「いや、駄目じゃないだろうけど……」

「だってあたしたち、ろりぽっぷだしぃー」千歳ちゃんの言った言葉の意味に、僕はハッとした。

「そっか……そうだよな。既成概念は取っ払わないといけないんだったな」

既成概念をとっぱらって……その先に何があるのか。それはわからないけど……それを目標にろりぽっぷは出来たんだよな。

「あ、そういえばさ『ろりぽっぷ』っていう名前は、何か意味があるのか?」

「んー? いろりがロリポップキャンディ好きだからじゃない?」

「やっぱり!? 本当にそうだったなんて」いつの日か、小川先輩が言っていた事が当たっていた。なんか悔しい。

「……コウタ君って本当にバカなんだね」千歳ちゃんが呆れたように言った。

「なんでだよ!?」

千歳ちゃんは手に持った木魚撥を僕へと向けると「これなーんだ」と言って聞いてくる。

「木魚を叩くための、木魚撥だろ? ……そんなの、僕だって知ってるって」

「ブブーはずれ」

「じゃあ、正解はなんだよ」木魚撥だろあれは。木琴叩く棒とかで代用していなければの話だけど。

「せ・い・か・いは」そう言って千年ちゃんは、木魚撥の先端についている丸くなったところをぺろりと舐めた。

「ば……ばか! さすがにバチあたるぞ!」撥だけに。

「いいもん後で拭くから。それよりほら……これ、何かに見えない?」

「まさかだと思うけど、ロリポップキャンディか?」

「あったりー! 大正解! やればできる子じゃん!」

けらけらと笑う千歳ちゃん。なんとなくおちょくられている気がするけどそれはいいとして……。

「それがどうして部の名前に?」

「へ? なんでってさっきも言ったでしょ? ろりぽっぷだからよ!」

意味が分からなかった……何を言ってるんだ千歳ちゃんは。まるでアミノさんの禅問答だぞこれは。

考えこむ僕に構わず、話し続ける千歳ちゃん。

「フツー木魚撥を見たらどう思う?」

「そりゃ木魚叩く物って思うだろうな」

「他には?」

「他には……そうだな、お葬式とか連想しちゃいそうだ」お経=お葬式という先入観は捨てたほうがいいってアミノさんに言われたけど、普通一般の日本人なんてみんなそんなもんだろ。

「それじゃあ駄目なのだよコウタ君……木魚撥を見たら『わぁ美味しそう!』これがろりぽっぷ精神なのさ!」

「結局、アミノさんが言っていた先入観を捨てろっていう事か」

「そゆことー」千歳ちゃんは得意そうにそう言うと、神社の方角を見て「お家の手伝いしてくる」と言い残し、神社に行ってしまった。

先入観を捨てなきゃろりぽっぷではやっていけないんだよな……確かにさ。でも、だからって木魚撥見て美味しそうはちょっと……危ない人なんじゃないか?

ろりぽっぷの名前の由来に悶々としていたところ、本堂の扉がガラリと開いて中からいろりちゃんが顔を出した。

「あ! コウタさんこんばんはぁ」

「いろりちゃん。準備お疲れさま」

いろりちゃんは千歳ちゃんと同じような格好をしている。……けど、さすがお寺の子だからなのかな……結構似合っている。

「何か、手伝うことある?」

「それじゃぁ、奥の部屋の机を一緒に運んでもらえますか?」

夕方まで降った雨のせいで、年末の参拝客を受け入れる準備がまだ出来ていないらしい。僕はいろりちゃんと一緒にパイプ椅子や長机を外へと運び出した。

「いろりちゃんメールありがとうな。もう少しで学園まで行ってしまうところだったよ」

「そうなんですか? よかったあ役に立てて」にっこりと笑っていろりちゃんが言った。

「アミノちゃんはさっきまでいたんですけど、まだご飯を食べていないと言って公園の出店を見に行きました」

「わかった。後で探しに行ってみるよ」

二人で机を運びながら考え事をしていると、いろりちゃんが「新しいろりぽっぷ楽しみですね」と言う。

「顧問なんてうまくできるか分からないけど、よろしくな」

「そ、そんなことないですよ! コウタさんにまた詩を教えてもらえるんですから……ホントに嬉しいです私」

そうか! 顧問というプレッシャーが凄くて忘れていたけど、またみんなで詩詠会ができるんだった。忘れていた……僕としたことが! 

ろりぽっぷは表向きにはポエム部だ。思い切り詩が詠めると思うと武者震いがする。

「そういや、ろりぽっぷってどうして詩部という事にしてあるんだ?」

「えっと、それは新宗教構築部だなんて言っても、学園が認めてもらえないというのもありますけど……」

「けど?」

「私が部室でお経を録音していた時に先生が来ちゃいまして……それで、アミノちゃんが咄嗟に「あれはお経ではなくて詩よ」と言ったからその……成り行きで」

アミノさんの言い訳か確かにちょっとぶっ飛んでいるからな。前に僕が高江田に見つかった時も通行人にパンをあげていたとか、意味不明だったし……。

「でも! 私ホントに詩が好きですよ! たまたまそうなっちゃいましたけど、そのおかげでコウタさんにも逢えましたから」

「ああ、もちろん知ってるよ。またみんなで詩詠会やろうな」僕の言葉を聞いて嬉しそうに頷くいろりちゃん。

僕の詩を暗記しているくらいだから……まぁ詩が好きなのは間違いないだろう。

――僕といろりちゃんが話をしていたその時、いろりちゃんを呼ぶ声がした。

「おーい、いろり……やぁ、コウタくんこんばんは」いろりちゃんのお父さんだ。

「店長、お疲れ様です」

「今日は無理にお店お願いして済まなかったね……大丈夫だったかい?」

「ええ……僕は特には。今は小川先輩が見ていますし、助かったって言ってましたよ。何かお金が必要とか言ってましたんで」

「そうか、それならよかった」

店長は安心したように笑って「このあとの事で打ち合わせをしたいんだけど……いろりを借りていってもいいかな」と聞いてくる。

「え、も、もちろんです!」

「お父さん! へ、変な言い方しないでよ」

すまんすまんという店長にいろりちゃんが恥ずかしそうに怒った。仲良し父娘っていう感じがして羨ましいなぁ。

「コウタさんごめんなさい。ちょっと行ってきますね」

「ああ、いってらっしゃい」

僕はいろりちゃんと別れたあと、アミノさんを探しに公園へ向かった。

石階段の上から公園の中を眺めてみると、もう既にかなりの人が集まっていた。

スーツ姿の屈強な男たちの横を通り抜けて公園の正面入口へと入る僕。そこに……。

「お兄ちゃんだー! こんばんはです!」

「あーしゃ、来てくれていたのかー」僕はあーしゃの頭を撫でると、嬉しそうに笑顔を見せるあーしゃ。相変わらず完全に妹だ。

「ねぇお兄ちゃん! 見て下さいこの人人人! 全ては計画通りですよ!」

「計画通り?」

「たくさんの参拝客が来てくれるようにと、出店をかき集めたのです!」

「この出店、あーしゃが全部呼んできたのか!?」僕の問いかけに親指をたてて満面の笑みを浮かべるあーしゃ。

「隠元町で話題沸騰中のパフェコだってあるのですよ! 後で一緒にいくのですお兄ちゃん!」

パフェコといえば、いつしか僕がアミノさんに買ってきたパフェ専門店だ。確かにあの日だって買うために列へと並んだぞ。凄いなそんなお店を誘致してくるなんて……。

「あーしゃ、お前って凄いんだな」という僕の言葉に「あーしゃに不可能はありませんです!」と自信たっぷりな答え。でもあーしゃなら本当になんでもやってしまいそうな気がしないでもないから恐ろしい……。生徒会長を務めているだけのことはあるよな。

「ところで、手に持っているのってさ」

「これ? これはトランシーバーです」

あーしゃの手にもスーツ姿の男たちと同じトランシーバーが握り締められている。ということは……。

「あのスーツ姿の男たちもしかして、生徒会?」

「そのとおり執行部です! 隠元町の平和のために、お兄ちゃんに変わってあーしゃが直接指揮を執るのです!」

そう言うとあーしゃは、行列の出来ている出店へ赴いて檄を飛ばす。

「そこのお兄ちゃん! たこ焼き早く作るのです! お客姉ちゃんたちにご迷惑おかけできないのですから!」

この出店だけ、すごい行列だぞ!? それに女の子が多い……とても有名なたこ焼き屋さんなのだろうか。

出店の中を覗くと見覚えのある顔が目に飛び込んできた。高江田だ。

「高江田! 来ていたのか!」

「やぁ兄さん……浅海に引っ張ってこられてね」

愚痴をこぼしながらも鮮やかな手さばきで次々にたこ焼きを仕上げていく高江田。見ると、他の生徒会連中と同じくスーツ姿だ。美形の高校生男子がスーツ姿でたこ焼きを作っているというので、どうやら行列が出来ているらしい。

「お兄ちゃん、たこ焼き早く作るのです! お兄ちゃんにあげたいのですから」もう、みんなお兄ちゃんで訳がわからないぞ。

「八個入りと六個入り、どっちがいいですか」あーしゃが僕に向かって聞いてきた。

「僕はご飯食べてきたから今はいいかな」

「えぇー! つまんない」肩の力が抜けてしゅんとなるあーしゃ。やべ……こいつをあまり刺激すると大変な騒ぎになるぞ。なんとか穏便に済まさなくては。

「後で小腹が空いたら貰いに来るよ、それまで置いといてくれないか。ちょっと散歩してくるから」

「わかったですお兄ちゃん!」そう言ってあーしゃは再び高江田に檄を飛ばし始めた。

時刻を確認すると、二十三時をもうすぐ回ろうとしている。早くアミノさんを探さないと、年が明けてしまいそうだぞ。

僕はあたりを見回し、アミノさんと、パフェコを探した。

さっき、あーしゃの話だとパフェコが来ていると言っていたよな。アミノさんがあそこにいるというのはだいたい見当がつく。前にお昼を買ってあげた時も、惣菜類には手を付けず、パフェだけしっかり食べていたし。

僕はパフェコを見つけ近づくと、周りに人だかりができているものの、意外にも買っていく人は少ない。みんな遠目に見ているだけ。まぁ寒いしな。年越しでパフェというのも気分じゃないだろう。

お店の前を見ると、一人の女の子が店先に掲げられたメニュー表を凝視している。後ろ姿は完全に小学生だけど……もしかして?

「アミノさん……?」人違いだったらかっこ悪いので、僕は恐る恐るその少女に声を掛けた。

「コウタ!」その少女が振り向き、少し驚いたように言った。

よかった、アミノさんだ!

「おかえりアミノさん」という僕に「ただいま」とだけ言って、アミノさんは再びメニュー表を向いてしまう。

一瞬しか見えなかったけど、相変わらずの無表情だった。感情のかけらもまるで感じられないその受け答えに、イブの日の出来事がまるで夢だったんじゃないかとさえ思ってしまう。

そんないつも通りのアミノさんだったけど、服装はいつもの司祭服ではなくナチュラル系というか、森ガール系というか……コットンで出来たふわふわとした洋服を着ていた。  

そういやこれまで学園でしか会ってなかったからアミノさんの私服なんて初めて見たぞ。

ベロア調の高そうな司祭服と違って、どちらかといえば庶民的な服装に、僕はちょっと親近感を覚えた。こうしてみると、どこにでもいる何の変哲もない普通の美少女である。

暫くアミノさんの様子を見ていた僕を振り返って、「これを見て」と言ってきた。

「なになに? 心までほっかほか、パフェコロッケ――!?」

いつも売っている看板メニューのチョコパフェの代わりに、温かいパフェコロッケという謎の商品のみの販売か。みんな買わずに眺めているだけというのはこういう理由だったんだな。

こんなの食べるチャレンジャーなんて果たしているのだろうか? しかもこの、新しい年を迎えるという日に。

これ食べる人いるのか? 僕がそう言おうとした時だった。

「このパフェコロッケ……気になって気になって仕方がないの」財布を握りしめたままアミノさんが言った。

「えっ!?」

僕の声に振り向いて「何?」と聞いてくるアミノさん。良かった、こんなの食べるチャレンジャーはいないとか口に出さなくて。

「アミノさん、もしかして食べたいの?」

「食べてみたいけど、あいにく日本のお金を持ってきていないから……買えないわ」

聞けばどうも今日の夕方に日本に着いたのだとか。慌ててタクシーに飛び乗ったため、途中で両替する暇がなかったらしい。

「タクシー代もさっき、いろりのおじさまに立て替えてもらったの」と言って、外国のお金しか入っていない財布を鞄へ入れた。

「残念だけど行きましょう、コウタ」

「アミノさんちょっと待って」

「?」

僕はパフェコロッケをひとつ買って、アミノさんへ渡した。

「コウタ、これは?」

「これはって……まだご飯食べて無かったんだろ?」

「それはそうだけど、でも」困惑した様子のアミノさん。また「奢ってもらう理由がない」とか言い出すんじゃないだろうか。

「困ったときはお互い様でいいじゃないか? 赤の他人という訳でも無いんだしさ」

僕の言葉にしばらく俯いて黙っていたけど、アミノさんは「それじゃ頂くわ。ありがとう」と言って、近くのベンチへと腰掛けた。

「やっぱり……コウタはそうやって私の願いを叶えてしまうのね」

「大げさだなぁ、こんなの大したことじゃないのに」僕が笑ってそう言うと、アミノさんの表情が、一瞬ほころんだような気がした。

まったくもって僕の想像力のなせる業だろう。だけど、イブの日に見たあの泣き顔は、情緒不安定だったとはいえやっぱりアミノさんにだってちゃんと感情があるんだ。……見てみたいよな、アミノさんの笑ったり、喜んだりしている顔……。

普段、感情を表に出さないアミノさんが僕たちに見せた唯一の顔、それが泣き顔だなんて、なんだか心が痛かった。

パフェコロッケの袋を開けるアミノさん。いったいどんな物なのか気になって僕もつい覗き込んでみたけど、すごいぞこれは。見た目は完全にコロッケなのに、漂ってくるのは揚げたての香ばしいものではなくバニラビーンズの甘ったるい匂い。……食べる前からしてキワモノ感が半端ない。

「どう? 美味しい?」

「美味しいわよ」そう言ってアミノさんは僕の目の前にコロッケを差し出し「食べてみる?」と聞いてくる。

この無防備さにはどうにも慣れない。というか慣れちゃいけない気がする。

アミノさんは泣くことだってあるんだ。感情がない訳ではない。なのにどうしてこうも異性に対して無防備なんだ!? もしかして恥じらいの感情だけ本当に欠如しているとでも言うのだろうか。

何も言わず固まってしまった僕を見てか、アミノさんの「どうしたの?」と言いたげな表情だ。出店のライトや提灯に照らされたヘーゼルアイに、間接キスになっちゃうどうしよう……なんて乙女の恥じらいは微塵も感じられなかった。

異性に対する恥らう気持ちの欠如――ありえる話だ。考えてみればそれは……思春期を迎える前の子供、そのまんまじゃないか!?

――僕は息を飲んだ。

確定じゃない……まだ確定じゃないけど、ミノさんの実年齢が見た目年齢説にまた一歩近づいてしまったぞ!?

「……忘れていたわ。食べかけは嫌だったわよね。ごめんなさい」物言わぬ僕の様子に、アミノさんが先に喋った。

「え……え?」

しまった、今のってきっと以前パフェを一口食べるか聞かれて僕が断った時の話だよな。

……食べかけは嫌だったわよね。アミノさんがそういう風に考えていたなんて思ってもみなかった。もしかして、傷つけてしまったかもしれない……本当は嫌なんかじゃない。ただ僕が恥ずかしいとか――そんなくだらない理由なのに。

かわいい女の子から「一口食べる?」と言って食べかけの物を差し出された場合、断るなんてありえないと思うだろうが、現実はそんな甘いもんじゃない。照れや背徳感から……なかなか素直に「ちょうだい」なんて言える男子はきっと少ないはずだ。男の子だって、結構大変なんだぞまったく。

「こんなパフェがあるなんて、やっぱり日本に来て正解だったわね」

「そんなに美味しかったのか」何事も無く話し始めるアミノさんにほっとした。よかった……断った事、あまり気にはしてないみたいだ。

「コウタはコロッケとパフェが、外国から伝わったというのをご存知かしら」

「いや……初めて聞いたな」学者の卵だからかもしれないけど、アミノさんって僕なんかよりよっぽど物知りだ……。

「パフェとコロッケを組み合わせてしまうという発想は恐らく、起源国では絶対に出てこないわ。それぞれが既に完成された物という既成概念はそうそう打ち破れるものじゃないの。どう? 似ていると思わない? ろりぽっぷに」

「似てる!? このパフェコロッケが?」

「そうよ。パフェとコロッケの概念を一度リセットして再構築した結果生み出されたもの、それがこのパフェコロッケ」

そんなに大それたものなのか、このパフェコロッケ。でもアミノさんの目は冗談を言っている雰囲気ではないし。それに日本に来て正解だったなんて、そんなにコロッケが美味しかったのだろうか。

「機関の言うとおり、新しい宗教の地盤を作るのに最適な場所ね、この国は」

「そうか? むしろ……宗教なんて興味ないってやつの方が多いと思うけどなぁ」と、僕は言った。

だってそうだろう? 結婚式は神道かキリスト教式が一般的なのに、お葬式はほとんどが仏式で、じゃそんな宗教の形式を採らない式も増えているらしいしな。

おまけに今日だってもうすぐ除夜の鐘が鳴る時間だけど、一週間前にはクリスマスを祝っていたんだ。しかも、日付が変わったら、今度は初詣に行くんだぞ? これを無宗教と言わずしてなんと言うのだろう。 

「だからこそ凄いのよ」アミノさんは珍しく語気を強める。

「いいコウタ。日本人は決して無宗教なんかじゃないわ。ただ宗教を宗教として認識していないの。生活の一部と融合してしまって自分たちの行なっている事が宗教だと言う事に気がついていないだけよ」

本当にそうなのだろうか。アミノさんが言うからには間違いないような気もするけど……宗教行事と認識してないって言うけど……それって単に祭りごとが好きでやっているだけに思えるけどな。

そんな僕の心を読み取ったように、アミノさんが続けた。

「聖書を読まなくても神には祈るでしょう。お経の意味は分からなくたって極楽浄土に行きたいと思っているでしょう……。いろんな宗教の一部分が渾然一体となっているから、既存の宗教に当てはめようすると矛盾が生じることになる。……日本人は何教かと聞かれてもうまく答えることができない原因の一つね」

「なるほどそう言われると、なんかそんな気もする」

「でも、その『何教か分からない』というのが大事なのよ……区分けされてしまったなら、それが原因で争いが起きてしまう。だから、日本のように何教か分からない渾然一体となった新しい宗教が必要なのよ、世界平和のために」

「世界平和って……もしかしてアミノさんがろりぽっぷでやりたい事って……それ?」

「そう。世界平和の礎となる新しい宗教を創りだす事がろりぽっぷの最終目標で……」

「……私の願いよ」

――僕は息を飲んだ。世界平和か……大きく出たな。

新しい宗教を創りだすって言い出した時にだって、そんなの本当にできるのかよって思ったけど。……世界平和だぞ!? 世界の平和なんだぞ!? 普通に考えて無理だって思うよな。世界の平和を守れって言われたって、魔法が使えるくらいの超人じゃないかぎり、どうしていいか分からないもんだ。

でも……アミノさんが言うのだから、できてしまいそうな気がした。本当に魔法を使ってしまうようなそんな気が。

「叶うといいな、その願い」

「ええ。きっとこの願いも……コウタが叶えてくれるわ」

「なんだって!? 僕が!?」パフェコロッケを買うのとは訳が違うんですけどー!?

「大丈夫……奇跡を起こすのは神様じゃないわ。人の心よ」

――その時、ゴーン……という梵鐘の音が鳴り響いた。

「始まったわね」

「ああ……そうだな」

「年が明けたら、いよいよろりぽっぷは本格的に稼働する事になるわ……。忙しくなるけど、顧問さんよろしくね」

「こちらこそ……アミノ部長さん」

 ――ゴーン……二回目の梵鐘の音が響く。

「……除夜の鐘……最後の一回は、ろりぽっぷのみんなで撞こうって、約束してあるの。だからあまり話している時間は無いのだけれど……」そう言ってアミノさんは黙って地面を見つめている。どうしたんだ? もじもじして……もしかして寒いのだろうか。

「寒いならもうお寺に行こうか。建物の中の方が暖かいだろうし。」

「待って、コウタ」移動しようとして立ち上がった僕を制止するように、アミノさんが言った。

「あの、返事の事だけれど……」

「あの返事?」

あの返事ってもしかして空港で言った『無事帰ってきて』への返事だろうか? 

「その……クリスマスイブの日に、言ってくれた」と言うアミノさん。どうやら僕の考えていることで間違いないようだ。

「向こうでも、ずっと考えていたのだけど……」と言ってうつ向き、首元に下げた十字架を触るアミノさん。体を小さくして、見るからに寒そうにしている。

「そんなことより早くお寺行かないか? 寒そうだし」

「でも……返事は?」

「返事って言ったって、そんなの「はい」以外に無いだろう?」

「えっ!? ……す、凄い自信家ね……」珍しくアミノさんが驚いたような声を出した。なんだ? 日本じゃそれが普通だけど、アミノさんの国では違うのか?

「それに、無事に帰ってきてくれた訳だしな。あれって、おまじないか何かなんだろ?」

「……おまじない?」

「ほら、その返事のやつだよ。空港で僕が言った『無事で帰ってきて』ってやつ。返事しなかったの、何かのおまじないだろ? 暗に旅の安全を祈願するか何かの」

「…………」

アミノさんの表情が、心なしかみるみる曇っていく。もちろん僕の妄想力がなせる業だと思うけど。あれ? おまじない違ったのか?

「アミノさん? ……もしかして『風邪引くなよ』への返事だった?」

「もういい……」

「え? そうか? ならまぁ、いいけど」

「…………」

暫く沈黙していたアミノさんは、突然立ち上がって僕の方を向くと「もう、浄化する」って言い出した――!

「浄化!? なんで!」

「だって、パパから強く言われたもの。あの少年を必ず浄化しなさいって」

パパが浄化しなさいって……? イブの日にやったゾンビの真似が原因か! あーしゃが訳してくれた二人の会話でも、確かにそんな事言っていたな……。

「パパはかなり拘っていたようだけど……貴方、一体何をやったの?」

「え、えーとそれは」スタンダード和尚を被ってゾンビの真似をしました……なんて言えなかった。……だって、スタンダード和尚の話はするなって、アミノさんから言われているわけだし……。

押し黙ってしまった僕を見て、アミノさんは容赦なく「ベンチの上に跪いて、目を閉じなさい」と言った。

――心臓の鼓動が一段と早くなる。

アミノさんの浄化……いつしか行われた……ゴミ箱へと叩きつけられるスタンダード和尚の姿が、僕の脳裏に蘇える。

もうすぐ新しい一年が始まるというのに、この最後の最後にゾンビ扱いだ。しかもアミノさんの浄化は……痛いのが想像に難くない。

僕が言うとおりにしてベンチの上で目を閉じていると、暫くして僕の頭に……アミノさんの手が触れる。――来たっ! 

僕はぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばって衝撃に備える! 

僕の頭はアミノさんの手が触れたままで、一瞬ネロリの匂いが僕の鼻をかすめて――。

「おぉーい! お兄ちゃん!」

走り寄ってきたあーしゃの声で我に返った僕。

「あ、あれ? えっと……あーしゃ……か」

「あーしゃか、じゃないですよ! もうお寺いかないと年越しちゃいます!」

時計を見ると、新しい年まで五分を切っていた。

「ああ……すまん、今行く」

僕の目には、先にお寺へと向かって小走りのアミノさんの後ろ姿が映っていた。……いつの間にか浄化は終わっていたらしい。

呆けたように一点を見つめる僕を見て、あーしゃが呟いた。

「それにしても、アミノお姉ちゃんも笑うのですね」

「ええ!? 笑ったの!? アミノさんが!」

「今さっきすれ違った時、すーっごい笑顔でした。何したんですかお兄ちゃん!?」

「いや何って……ええ!?」

「とにかくその話は後です。お寺まで走るのです!」

アミノさんを追いかけるように、僕とあーしゃは走ってお寺へと向うと、滑りこみセーフで最後の鐘をみんなで撞く。

百八回目の除夜の鐘は、今年一年が煩悩に惑わされないようにって意味が込められている。だから年が明けてから撞くのだといろりちゃんから教わったけど……。

僕は、自分の唇から漂うバニラビーンズの微かな匂いによって、煩悩まみれの新年を迎えることになってしまった。

「遅かったわね」とアミノさんが僕に向かって言った。

――その橙色の瞳は、これまで見たことがないほどに美しく輝いていた。

おわり


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