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奇跡

 「オー! クリスゥ!」

 僕たちが急いで階段を駆け登ると、礼拝堂前にさっきの初老の男性が立っていた。僕たちの方を見てクリスって言ったけど、アミノさんの愛称のようだ。

 「パパ……」アミノさんが言った。パパって、アミノさんのパパ!?

 パパさんはアミノさんに近づくと、抱っこをしたり高い高いをしたり……体格差もあるせいでアミノさんが完全に四歳か五歳くらいの園児に見える。そしてアミノさんは僕たちのことをパパさんに紹介してくれたあと、二人で何やら話をしだした。もちろん僕は英語が分からず、少し離れた場所で他の三人と一緒に、二人のやり取りを見ているしかなかった。

 「千歳ちゃんといろりちゃんは……英語、聞いてわかる?」

 「ぜーんぜん!」

 「まったくわかりません……」

 「そっか、そうだよな。普通分からないよな」

 これで二人も英語分かるよなんて言われちゃったら、僕の大学生としての立場が危うかった……。まぁ、大学生が何でも出来るってわけじゃないけど、中高生は出来るのに大学生の僕一人だけできないというのも……なんだか恥ずかしいだろ?

 二人が出来ないとなると、あーしゃの英語はこの学園で身についたわけではなさそうだぞ。案外根は真面目そうだし、兄貴が執行部長という事を考えると、もしかして良いところのお嬢様なのかもしれない。

 「翻訳するですか」あーしゃが言った。

 「翻訳? あーしゃはそんな事も出来るんだったな」でも、親子の会話を盗み聞きしているようで、なんだか悪い気もする。いや、しかし今はなんでパパさんが来たのかが気になるぞ。アミノさんがクビになって、部室も追い出されるこのタイミングだ……もしかして、アミノさんを連れ戻しに来た……なんて事も考えられる。アミノさんはいつもどおりの無表情だけど……なんだか、だんだんと声が大きくなってきているような気もするし……。いったい何を言い争っているんだろう。

 『違うにゃ。彼は人間にゃ』黙っている僕の姿を見て、あーしゃが突然喋りだす。

 「あーしゃ!? 突然どうした!」

 「どうせあーしゃには聞こえちゃうのですから翻訳するです」そう言ってあーしゃは続けた。

 「あ……ねこさんがお姉ちゃんで、うさぎさんがパパさんです」

 『でもさっき本当に見たぴょん! あの男の子はゾンビだぴょん!』

 「あーしゃちゃんすごい……英語わかるんだね」

 「確かにすごいけどさー……ゾンビって何?」

 ゾンビ、たぶん間違いない。スタンダード和尚を被った僕の事だ。初めての英会話はうまく通じていなかったのか。

 『わかったにゃ、後でネコさんが浄化しておくから、それでいいにゃあ?』

 まじかよ……後で僕はアミノさんに浄化されてしまうらしい。

 アミノさんの浄化方法って、確かゴミ箱に思い切り叩きつける――だよな。

 『ところで、クマさんは元気かにゃ?』

 「クマさん? 誰だそれ!?」僕は思わず声を上げた。ネコさんとウサギさんだけじゃなかったの?

 「お母さんの事です!」あーしゃはそう言って、翻訳を続けた。そこ……そのままお母さんでいいじゃないか……。

 『クマさんは元気ぴょん。ネコさんの事心配していたぴょんよ、泣き虫で恥ずかしがり屋のネコさんが日本でちゃんとやっていけてるクマー? って』

 「泣き虫で恥ずかしがり屋!? あ、あーしゃ! ホントにその訳、合っているのか?」思わず僕はあーしゃに聞き返した。

 「こんな簡単な英語、間違えるはずないです」

 そうか……じゃあやっぱり、千歳ちゃんの言うとおりアミノさんって本当は……。

 アミノさんは振り向いて横目で僕たちの事を見ると、またパパさんと話を続けた。

……やば、もしかして僕の声……聞こえたかな。

 『その話はいいにゃ……そんなことより、今日は何しに来たのにゃ?』

 ――来た! 重要なのはこっからだぞ。

 『何って……ネコさん分かっているくせにぃだぴょん』

 『……そう、なんとなく察しは付いているにゃ……ヤギさんは、ウサギさんにも話をしたのにゃ』

 ヤギ? とあーしゃに聞くと「理事長です」と返ってきた。なにもそこまで動物たちの会話を再現しなくていいんだけど。

 『ヤギさん? ……そういえばまだヤギさんにこんにちわしていなかったぴょん。ネコさんも一緒にこんにちわしに行くぴょん?』

 『いかないにゃ……それにネコさんはまだやりたいことがあるから森にも帰らないにゃ』

 『森にも!? だって……森でクマさんが待っているぴょんよ』

 『クマさんには会いたいけど……あとで、ネコさんからテレパシー送っておくにゃ……』

 『どうしてもやりたい事があるにゃ。愉快な仲間たちもいるにゃ……森へ帰ることがカメさまのお導きだとしても……ネコさんは……ネコさんは……従えないにゃ……』

 『ネコさん! そんな事言っちゃ駄目ぴょん! カメさまに仕える身だぴょんよ!』

 なんかもう、あーしゃの翻訳が超訳すぎて半分意味がわからないけど……どうやらクビの事を話しているようだぞ。

 『……ネコさんはもうカメさまにお仕えする身分じゃないにゃ。……ヤギさんからお手紙もらったにゃ』

 『ネコさん……』

 『クマさんとの約束は……守れないかもしれないにゃ……』

 そして二人は黙ってしまった。アミノさんは背を向けているから表情は分からなかったけど、小さい身体が、いつもより小さく見える。

 「アミノちゃんかわいそう」

 「アミノ……」

 いろりちゃんと千歳ちゃんが心配そうに言った。……二人にとっては、僕が思っているよりずっと……大切な友だちだもんな。

 『ネコさん……ごめんだぴょん。実はウサギさんは乗る鳥さんを間違えて……遅れただぴょん。本当は昨日着く予定だったぴょん』そう言ってパパさんはアミノさんを抱きしめた。もしかしたら感動的なシーンなのかもしれないけど、あーしゃの翻訳のおかげでコントを見ているようにしか見えない。

 「なぁ、あーしゃ」

 「なんだクマー!」

 ……まずい、言っていることがおかしくなってきている。

 「あのさ、動物で例えてくれるのはすごくわかりやすくて嬉しいんだけど、直訳もできるか?」

 「ク……う、うん、わかったです」

 危なかった。もう少しでクマになりきってしまうところだ。

 『そう……知らなかったわ。この服にそんな意味があったなんて』

 『ごめんよクリス、驚かせようと思って、みんなには黙ってもらっていたんだよ』

 え!? なんの話!? あーしゃのクマ化中に話が飛んでしまったぞ! 

 見ると、アミノさんは何かの書類に目を落としている。

 『でも……やっぱり帰れないわ。だって……これから戦わなければいけないの』

 『戦うって、誰とだい?』

 『それは……』アミノさんはそう言うと黙ってしまった。

 ――その時、階段を上がる足音が聞こえてくる。……高江田だ。高江田が嫌なタイミングで来やがった。

 「やぁ兄さん、今日も素敵だね」

 ――背筋がゾクッとした。

 「な、なんだよそれは。そういう褒め方は気持ちが悪いからやめてくれよな」

 女の子に言われるならいいとしても、男に言われたって嬉しくないどころか気持ち悪い。

 「あ、浅海! お前さっきどうしてパンなんかを!」

 「だからお兄ちゃんには関係ないって言っているでしょ!」

 また兄妹げんかが始まったぞ!? まずい! 今大事な所なのにあーしゃが翻訳してくれないとアミノさんたちの話がわからなくなってしまう! 

 「待ってくれ! 高江田。悪いけどちょっとだけ静かにしてくれ!」

 「……失礼、兄さん。お取り込み中だったようだね」

 大人しく話を聞いてくれて良かった……けど、あれ? アミノさんがこっちへ近づいて来たぞ。それにパパさんがいなくなっている。

 「執行部長、あなたの事誤解していたようね」

 「こちらこそ、フライングしてしまって済まなかったねメルローズ女史」

 「な、なぁ……なんの話だ?」

 「どうも、私は解職にはなっていないみたいなの」

 「へ……ええ!?」

 「本当!? アミノちゃん!」

 「いえ、この学園の司祭を解職というのは間違いないのだけど……違う形で……日本語ではなんと言えばいいのかしら……」考えこむアミノさん。

 「枢機卿、ですよ」と、高江田が口を挟む。

 「メルローズ女史は学園の一司祭から、機関直轄の司祭枢機卿になった。……平たく言えば、出世したということです」高江田はメガネを直しながら「前にうっかり口走ってしまってね……お父様にご迷惑おかけしてないか心配だよ」と言った。

 「それって、あの『おめでとう』の事なのか?」

 「パパが私をびっくりさせようとして、学園からは伝えないように言ってあったみたいなの」

 なんだよそういう事かよ! まったく……人騒がせなお父さんだな。

 でも、良かった。アミノさんクビじゃないんだ。本当に良かった!

 「それじゃここ、出ていかなくてもいいんだよねー!?」そう言って、思わず千歳ちゃんが飛び出して来る。

 「駄目ですよ。兄さんにも前話したでしょう。それとこれとは別だって」

 どうして!? なんで!? 千歳ちゃんは次々に質問をするも、高江田は頭を抱えて溜息を付くだけだった。

 「どうも、その件についてはパパも知らないみたいなの」

 アミノさんのクビは免れた! これはこれで嬉しいのは間違いないけど……やはり部室は出ていかないといけないというのか。

 「あ、そういえばアミノさんのお父さんは?」

 「……理事長に挨拶をしてから帰ると言っていたわ。飛行機を間違えたせいで今日帰らないといけないらしいの。本当なら枢機卿になるための儀式があるからって、私を連れて帰りたかったみたいだけど……」いつもの眠たそうな目を、いっそう細めてアミノさんが言った。

 「いいのか? 帰らなくて。……儀式って大切なんだろ?」

 「だってまだ、部室の件が片付いていないもの」

 たしかにそうだけど……せっかくお父さんが迎えに来てくれたのに……それに、お母さんに会いたそうだったのに……。本当にいいのか。

 「まったく、片付けておいてくれと言ったのに……さぁみなさん、私も手伝いますから部室の物を外に出しましょう。仏具も忘れずにお願いしますよ」高江田はそう言って準備室の中へと入り、軽めの物から移動させ始めた。

 「ちょっと待ってくれ! 高江田!」

 「……兄さん、さっきも言ったでしょう。待てないんですよ」

 「そうじゃなくて……これ!」僕たちが集めた宣誓書の束を高江田へと突きつけと、高江田の顔が歪んだ――。

 「なぁ高江田、見てくれ! こんなにもろりぽっぷの事を必要としてくれている人がいるんだぞ! それでも出ていけって言うのかよ?」

 高江田はじっと黙ったまま固まっていた。

 「ろりぽっぷは複数の異なる宗教的エッセンスが一宗教のもたらす心の安らぎを凌駕すると考えているわ。その宣誓書が証拠よ」

 「アンタが仏教嫌いなのは分かるけどさー? 必要としてる人もいるんだからねー!?」

 「高江田さんお願いします。ろりぽっぷの居場所、無くさないで下さい」

 みんなが高江田に訴えかける――。

しばらくじっと宣誓書を見つめていた高江田がゆっくりと呟いた。

 「私の、名前だ……」

 「は、はぁ?」

 「この署名、そうか……浅海が売っていたのはキミたちのパンだったのか」そう言って高江田は宣誓書を僕たちへと突き返す。

 しまった! さっきあーしゃに売ってもらった時、高江田もその場にいたんだ――!

 「浅海、お前もしかしてろりぽっぷに入ったのか?」

 「へ? えっと……」あーしゃは僕たちを見回してから少し考え、「うん」と答えた。

 「ええ! あ、あーしゃ!?」こいつ、本気か!? ろりぽっぷの事何も分からないのに、そんな適当な!

 「あ! あーしゃちゃんが入ったら、部員定数合格だよねぇ!」いろりちゃんが嬉しそうに言った。そうか……そうだな。あーしゃでちょうど四人だ。でも、僕でも入れてもらえなかったろりぽっぷだぞ……アミノさんはあーしゃを入れるのだろうか。

 いろりちゃんや千歳ちゃんも、僕と同じ方向……アミノさんを見た。複雑な気持ちだった。僕が入れてもらえなかったろりぽっぷに、僕よりもろりぽっぷの事を何も知らないあーしゃを入れるのかと。

 「あーしゃ、さっきは本当に助かったわ、おかげでパンも無駄にする事がなくて本当に良かった」アミノさんは、あーしゃに近づくと、はっきりと言ったんだ。

 「ようこそろりぽっぷへ。これからも宜しく、あーしゃ。」

 「うん! お姉ちゃん宜しくです!」あーしゃは屈託の無い笑顔で笑っている。それを見つめる僕の頭の中は……真っ白だった。言いたいことや聞きたいことは山ほどあったけど、アミノさんが決めた事だしな。どうして僕は入れないんだ、なんて食い下がるのはガラじゃないしみっともない。それにあーしゃは人の心を掴むのが上手い。新しい宗教を作るというろりぽっぷの目的を果たすにはぴったりの人材だろう。何もできない僕とは違って。

 「あーしゃちゃん、よろしくね。私はいろり……って、知ってるよね。あはは」いろりちゃんが笑って言った。部活昇格がよほど嬉しいんだろうな。そう、悔しいけど仕方がない。これでよかったんだ。

 「いろりお姉ちゃんもよろしくです! ……えと、そっちのお姉ちゃんも……」と、あーしゃが言いかけた時だった。

 「待ってよ」

 「ち、千歳ちゃん?」

 「ねえ、コウタ君は!? コウタ君は、どうして入れてあげないの!?」突然の千歳ちゃんの言葉に、空気が重くなるのを感じた。

 俯いてばつが悪そうな顔をしているいろりちゃん。へぇ? という顔をしているあーしゃ。どうでも良さそうな顔をしている高江田に……そしていつもと変わらない、眠たそうな顔をしているアミノさんが、一斉に僕の方に視線を向ける。この空気……凄く嫌な空気だ。なんだか僕が悪いことをしたような気分にさせる。

 「だって、おかしいでしょー? いっぱいろりぽっぷの事を手伝ってくれて解散しないようにって考えてくれてさぁ!? なのにコウタ君は入れなくて、その子を入れちゃうわけ!?」

 礼拝堂前の廊下に、千歳ちゃんの声が響き渡る。しかし、相変わらず、アミノさんは無言だった。

 千歳ちゃんの気遣ってくれる気持ちは嬉しかったけど、みんなの前でこうも同情されると恥ずかしいやら虚しいやら情けないやらで、泣きたくなってくる。

 「千歳ちゃん、いいって……」

 「だって、コウタ君詩が好きだって、詩友だちが出来て嬉しかったって言ってたじゃないのさ!」

 肩で息をする千歳ちゃん。いつもは悪ノリがひどくて冗談ばっかり言っている。そんな千歳ちゃんがここまで僕のために言ってくれている、もうそれで充分だろ。

 「お兄ちゃん、入ってなかったですか。あーしゃはてっきり入っていると思ってたです。お兄ちゃんいないとあーしゃも寂しいです……」あーしゃはちょっと寂しそうな顔をして僕の顔を見ながらそう言った。

 「私もコウタさんに詩を教えて欲しいです……できれば、ずっと」いろりちゃんが伏し目がちに言った。

 「ねぇアミノ! 聞いたでしょ!? みんな、コウタ君にも居て欲しいって思っているの! だから、コウタ君も入部させていいでしょ!?」

 「コウタ君も、何か言ってよ。言ってくれなきゃ、気持ちは伝わらないよ」

 僕の気持ちか。確かにろりぽっぷに入れたらいいなって思ってはいたし、ろりぽっぷに入れないって知ったときはショックだった。信頼されていると思っていたというのもあった。だって存続のため、それなりに頑張ってきたつもりだったしな。それに大好きな詩を心置きなく詠める大切な場所を見つけた気がして嬉しかった。でも、それでもアミノさんは僕を入部させないと言ったら……それはそれでもう、いいかなって思うんだ。強がりと言われればそうかもしれない。けれど僕の事でろりぽっぷが内部分裂してしまっては、今まで僕たちが頑張ってきたことが、全部無駄になってしまう。

どうしてもそれだけはして欲しくはない。

ただ元に戻るだけなんだ。冬休み前の生活に戻るだけ、それだけのことだ。

 「僕の事はもう、いいから。気にしないでいいからさ……」

 しんと静まり返った廊下に、外のスピーカーから流れる『もろびとこぞりて』が聞こえてくる。今が何時なのかは分からなかったけど、外はもう暗い。後夜祭のパーティーも始まっているかもしれない。

 アミノさんは相変わらず無言のままで、僕を見つめるヘーゼルアイがいつもより輝いているように見えた。

 『橙色の念仏少女 その瞳に映るは金色の世界』か。アミノさんの見ている世界はきっと、僕たちとは違うんだろうな。


 「――さい」沈黙を打ち破るかのように、アミノさんがポツリと呟いた。


 「え?」

 「ごめん……なさい」アミノさんは、再び僕に向かって謝る。

 やっぱり、駄目なものは駄目……予想通りの答えだった。

 「もう、いいんだって。アミノさんが決めた事なんだから、僕はもう……」

 「ごめんなさい……」

 「でもコウタ君!」千歳ちゃんが言いかけた。

 けど、やめた。というより、それ以上はもう喋れなかったんだと思う。

 それはいつもと明らかに違ったアミノさんの表情。僕だけじゃなく、きっといろりちゃんや千歳ちゃんも見たことがないであろうその顔。

 美しいヘーゼルアイから、一粒の涙が、紅潮した頬を伝って地面に落ちて――アミノさんは、その場に泣き崩れてしまった。

 「あふっ……くひ、んっ……ごめん……なさい」両手で顔を覆い声を殺して嗚咽するアミノさんを前に、僕たちはどうする事も出来なかった。

 決して感情を表に出すことのなかった少女が、目の前で泣き崩れている……こんな時、一体どうしたらいいのだろうか。にわかに信じがたい状況に、夢じゃないかと疑いたくなるけど……現実、これは夢じゃないんだ。僕たちはアミノさんを泣かせてしまった。

 アミノさんは泣きながらぽつりぽつりとつぶやいているけど英語だろうか、僕には聞き取れない。

 『お父さん一緒に帰れない。お母さん泣かない約束守れない。ごめんなさい』

 「あーしゃ?」

僕の声にびくっとしたあーしゃが、「アミノお姉ちゃんの声……」と、小さく呟く。

 お父さんお母さんか。寂しかったんだなきっと。考えてみればまだ高校生くらいの歳なのに、一人で異国の地に来て、司祭もやりながら宗教の研究もろりぽっぷも頑張って……そしたら突然クビだと驚かされたり、部室を出ていけと言われたり。挙句の果てに、友だちからも非難されたら、そりゃ泣きたくもなる。そんな頼る人のいない状況で、さっきお父さんに会えて嬉しくて、本当は一緒に帰りたかったはずだ。なのに部室の件が片付いていないからと無理に残ったんだ。

 僕は自分の事ばかり気にしてしまっていた。ろりぽっぷに入るとか入らないとか、アミノさんの悩みに比べたら大したことないことだろうに。

 「アミノ……ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど」千歳ちゃんが喋りかける。

 「い、いいの、わ、わた……ひっ」泣いているのとしゃっくりで、まともに喋れないアミノさん。僕はもう、その姿を見ていていたたまれなくて。ついアミノさんに「帰ろう」って言ってしまっていた。

 「コウタさん、どこに帰るんですか」心配そうにいろりちゃんが聞いた。

 「お父さんと一緒に帰るんだよ」

 「だ、だめ! ん、ま、んまだぶ、しつ」

 「そんな事気にしなくていいんだよ。大丈夫、アミノさんがクビになっていなければ、形は変わってもろりぽっぷは続けられるさ」

 「そうだよ、アミノちゃん……もし部室が駄目だったとしても、おじいちゃんのお寺、使わせてもらうように私聞いてみる」

 「あ、あたしだって! 神社、使えるようにお願いしてみるから」

 いろりちゃんと千歳ちゃんから、アミノさんを安心させようって温かい心が伝わってくる。アミノさんが言っていた真実の耳栓をすると聞こえてくるものって、こういうのを言うんだなきっと。

 「お兄ちゃん! 任せろ! 絶対絶対ぜーったい! 部室はあーしゃが守ってみせるです!」仁王立ちしてあーしゃがそう宣言する。

 「だから、お兄ちゃんはアミノお姉ちゃんをお父さんのところへ連れて行ってあげてくださいです!」

 なんだよ、あーしゃまで。普段アホの子のふりしているくせに。

みんなの言葉に、僕は自分の胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

 「お取り込み中、申し訳ないけど部室の話を……」そこに、高江田が話し始めた。

 「ああコラ!? こんな時にまだ部室を明け渡せとか言うのですかー!?」あーしゃが凄む。なんか今ちょっとだけ本性が現れなかったかこいつ。

 「だからな浅海、話を聞けって……」

 「誰に向かって口聞いてるですか! 話を聞いて下さいお願いします生徒会長様と言えやクマー!」

 「生徒会長って、あーしゃが生徒会長!?」

 ふんふんと鼻息荒く興奮冷めやらぬあーしゃに向かって高江田は頭を下げて「話を聞いて下さいお願いします生徒会長様」と言っているぞ、マジなのか。生徒会長って言えば生徒会のトップだよな。つまり、執行部長である高江田よりも、力があるわけだ。

 「それって、あーしゃの、生徒会長の権限で、部室は明け渡さなくてもいいのか?」

 「いや、だから話を……」

 「凄い、凄いよあーしゃちゃん!」

 「きみはいらない子じゃない。うちに必要な子! いいね!」さっき僕をかばってくれた千歳ちゃんはどこへ言ったんだ。調子いいなまったく。

 その時、廊下の角から人影がこちらに向かってくるのが見えた。

 「あぁ、みなさんお揃いで」

 「理事長!?」

 「おぉ、生徒会の二人も来ていたのですか。どうですかな? 荷物の運び出しは」

 理事長? このおじさんが理事長なのか。付属大学では見たことなかったけど、普通にどこにでもいそうな60代くらいの痩せたおじさんだった。

 「理事長のお兄ちゃん! この部室は生徒会長権限であーしゃたちポエム部が使うです! 明け渡しは無しです! いいですね!?」高らかに宣言するあーしゃ。それに対して理事長は「困ったですね」と言い、高江田の方を向いた。

 「高江田君、何も説明していなかったのですかな?」

 「……すみません理事長。今からするところです」

 「はっはっは。そうですかそうですか」

 「書面では以前に通知したはずなんですけど」と言って高江田は僕たちの方を見た。

 「もう一度だけ説明するからよく聞いておいてくれよ」高江田は深呼吸をした。

「ここの建物は老朽化が進んでいて危険なんだ。明日から大規模改修工事に入るので、キミたちには一度出て行って欲しい。年明けて三月中に工事は終わるから……そしたらまた、ここを使えばいい」高江田は次にあーしゃへと向かい「だから話を聞けと言ったじゃないか」と小言を始めた。この兄妹ややこしすぎる。

 「じゃ、じゃああたしたちって、全部勘違いしていたという事よね」

 「ああぁ、そうだな。考えてみれば」

 アミノさんのクビも勘違いだったし、部室の明け渡しも勘違いだった……たまたまこの二つがタイミング悪く重なってしまって……高江田の陰謀論まで発展してしまったけど、ちゃんと確認しておけば誰も悲しまずに済んだんじゃないのか!?

 「さっきの話ですけど……あの、書面ってなんだったのでしょう?」いろりちゃんが高江田に向かって話しかける。

 「改修工事のお知らせだよ。理事長名で、学園の朱印入で間違いなくキミたちの部室に届けたのだけど、本当に見ていないのかい?」

 「う、うん……私は見ていないです」

 「あたしも、そんな大事なの見た覚え無いけどー?」

 「わ、わたし、み、て、なんひ」

 「理事長名の朱印入りって……僕、見たような気がする」

 みんなの視線が一気に僕へと集まった。

なんか、また僕が悪者みたいになってないかこれ?

 「前に、アミノさんが僕の部屋にばら撒いていったろりぽっぷのチラシの裏に……そんな書類があった気がするんだ」

 「え、裏紙ですか?」

 「だから言ったじゃないか……重要そうな書類が紛れてるけどいいのかって」

 お財布に優しくしようとするからこういう事になるんだ。裏紙再利用はあまり褒められたもんじゃないからな。

 「だってねー? あの時はコウタ君が作ったアミノの詩がねー?」千歳ちゃんが、また話を脱線させようとする。

 「ああああ! 待て! その話はいい!」

 「わ……あた、しの……?」アミノさんが僕に聞いてくる。

 意地悪そうに笑う千歳ちゃんとは対照的に、いろりちゃんは大真面目な顔をして「あの詩はいい詩ですよ!」と言って譲らない。

 「コウタさん、あの詩、今詠んでみてください」ムチャぶりが来た。

 「いやいや……無理だって! 第一……覚えていないし」

 「私、覚えてますから。詠んでもいいですか?」

 「は!? えええ!! なんで覚えてるの!?」

 「私は、コウタさんの詩……全部覚えてます……ぽえっとさんの時から」

 僕自身だって、自分で作った詩のほとんどは覚えていないというのに。いろりちゃん、ちょっと怖いよそれ。

 「ほう、詩ですか……いいですな。わたしにも聞かせてもらえますかな」理事長が……理事長がそんな事言っちゃうのか。アミノさんが見ている前で、あの詩を詠むって公開処刑に近いんじゃないか。

 断ろう、と思ってふとアミノさんを見ると「私も聞きたい」と涙でぐちゃぐちゃの顔で言われてしまった。反則的すぎる……それは断れないってもう。

 「じゃあ、もう知らないからな。寒くても各自で暖を取ってくれよ」そう言うと、僕はいろりちゃんがメモ用紙に書き写したその詩を詠み上げ、辺りが静寂に包まれた――。

 「お兄ちゃんの詩はやっぱり凄いです」

 「ああ……兄さんの詩は素敵だ。ときめいたよ」

 ……さっきから高江田が気持ち悪い。こいつそっちの気があるんじゃないか? 

 「お見事。確かに綺麗な心で作られた、心のこもった詩でしたな」そう言って理事長はアミノさんへ向かい「メルローズ卿の言うとおり、彼ならポエム部の顧問になるのに、何の問題もありませんね」と言った。

 「え? 今、なんて」

 「おやおや、どうしたんですかメルローズ卿」泣いているアミノさんに気づいた理事長が心配そうに声をかける。

 「あああ! 理事長、それはその……」

 「さっき、あなたのお父様が挨拶に来てくれましてな。娘を泣かせる奴がいたらこの世から消し去って欲しいと言われてしまったのですが……」僕たちの方をちらりと振り返り見る理事長。怖ぇ!

 てかアミノさんのお父さんって聖職者だろ!? この世から消し去って欲しいとか……言っちゃっていいのかよ!

 「たま、ね、ねぎ切った、んの」アミノさんは、もうだいぶ落ち着いて来ていたけど、しゃっくりが止まらない様子で無茶な言い訳をしてくれた。

 「そういえば理事長! アミノさんのお父さんは……今、どこにいるんですか!?」

 「もう、先程帰られましたよ。……確か、二十二時の飛行機と言ってましたかな」

 「ありがとうございます!」時計を確認すると、時刻は十九時を回っていた。

 「アミノさん、行こう! 急げばまだ間に合う!」

 「で、でも」

 「クビじゃなくなったし、部室だって出ていくのはちょっとの間だけだ。もう心配する事は何もないだろ!?」

 「まだ、……ない」

 「ええ? 何が無いの?」

 「まだ、コウ、タに……ちゃん、と謝って、ない」

 「僕に?」

 アミノさんは、止まらないしゃっくりを落ち着けようと深呼吸をして「……顧問、おね、お願いし……うって、黙っていて。ごめっなさい」と、地面に座り込んだまま僕を見つめて言った。

 「……も、もう……いやに、なった?」まるで祈るかのように、膝の上で両手のひらを握り閉めている。

 「え、いや……なんていうか」

 「よくわかんないんだけど。顧問って?」

 「……」アミノさんに聞いたつもりだったけど、無言だった。

  いきなりの事で混乱していた僕。よく事情が飲み込めていない。顧問? 顧問って先生がなるんじゃないのか。

 「ああ! そういうことなんですね」突然いろりちゃんが喋った。

 「忘れてました。部活に昇格するには、顧問もつかなければなりません」

 「あ、ああそう。それはわかるけど……それって先生とかがなるんじゃないのか?」

 「普通はそうなんですけど18歳以上で、その分野に詳しい人ならなることが出来るんです」

 ろりぽっぷの表の顔は詩部だ。つまり僕を顧問にしたくて、アミノさんは僕を入部させまいとしていたという事なのか?

 「アミノさん……そうならそうと言ってくれたらよかったのに」僕はアミノさんに近づいてしゃがみ込む。

 「だっ、断らえ、ら。どうしようっ、て思った、ら……ふぅ……うぇ……コウタあ」また、泣き出しそうになるアミノさん。

 駄目だ、お父さんと会ったせいか……情緒不安定になっているぞ。今は何を言っても泣いてしまいそうだ。

 ――その時、僕の脳裏に理事長の言葉が蘇った。

 『娘を泣かせた奴はこの世から消し去って欲しい』悪魔が呟いたかのようなセリフだな。まずいぞ……これ以上アミノさんを泣かせてしまっては……今度こそアミノさんのお父さんに浄化されてしまうじゃないか!

 「ちょ、ちょっと待って! 大丈夫! 断らないから大丈夫だから!」

 「…………うっく」

 「そもそも、断るんなら初めから手伝いなんかしてないって」

 「それ、じゃ?」

 「顧問なんて務まるのかよくわからないけどさ、これからもよろしく、アミノさん」

 アミノさんは少しだけ表情が明るくなって、僕に向かって言ったんだ。「こちら、そん。よろしくっふ」

 部活顧問か。予想だにしていなかった事になったけど、これでもう全部丸く収まったんだ。よかった。本当によかった……。神様に感謝しないとな。

 でも、今はまだ安心している暇などなかった。僕は「立てるか?」と言ってアミノさんの手を引っ張って起こし、みんなの方を向いて、

 「アミノさんを送ってくる。済まないけどあと片付け頼む!」と言った。

 「お兄ちゃん、頑張るです!」

 「二人とも、気をつけてください」

 「アミノ、また戻ってくるでしょー?」

 みんなの言葉にアミノさんは「うん」と言って、僕と一緒に階段をかけ降りた。

 ――とりあえず、パスポートが必要だよな。まずは寮に寄ってから空港か。急がないと、飛行機が間に合わない!

 「ま、まって! コウタ」息を切らして倒れそうになるアミノさん。外はしんしんと冷え込んで、吐く息が白い。

 「大丈夫か? 走るのは無理そう?」僕が聞き返すとアミノさんは苦しそうに呼吸を整えながら首を振る。

 ちゃんとご飯食べないからだぞまったく――! 僕はアミノさんを抱きかかえて寮まで走った。

 いくらアミノさんが軽いとはいえ、さすがに抱っこしたまま走るのは正直辛い。特に何かスポーツをしているという訳でもないから体力がある方でもないし。

僕は、アミノさんが寮の中へと急ぐ姿を見送りながら、あがった息を整える。

 空港までは電車で向かおうと思ったけど……駅まで抱っこして走るのはとても無理そうだぞ。かと言って歩いて行ったんじゃ間に合いそうにない! ……ここからタクシーに乗ると恐ろしくお金がかかる上、今日はクリスマスイブだからすぐ来てくれるとも限らないし……どうする僕! どうしたらいいんだ一体!?

 「コウタ……大丈夫?」か細い声でアミノさんが呟いた。

 「パスポート、あった?」僕の問いかけに、手に持ったパスポートを見せるアミノさん。

 「だけど、もう間に合わないかもしれないわ。私は走れないし、コウタにずっと抱っこしてもらうのも悪いもの」

 「大丈夫! 考えがあるんだ」そう言って僕はズボンのポケットに手を突っ込む。

 正直、この手だけは使いたくなかった。言ってみれば諸刃の剣、命を削る行為……。だけど、もうこれしか思い浮かばない。もうこれ以上、アミノさんの悲しい顔は見たくない。

 ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、メール作成画面を開いて素早くキーを打ち、送信ボタンを押した。


 《宛  先 小川先輩》

 《タイトル 緊急事態》

 《本  文 お人形さんが困っています。女子寮付近です至急車で来てください》

 

 「何、送ったの?」アミノさんがそう言って携帯電話の画面を覗こうとする!

 「いやこれは! 応援を呼んだんだ」笑ってごまかす僕を見て「そう」とアミノさんは呟いた。小川先輩を呼ぶ口実とはいえ、あんな文書をアミノさんに見せる訳にはいかない。絶対。

 「アミノさん、お願いがあるんだけど……僕がいいと言うまで、じっと黙って動かないでいてくれないか」

 「いいけど……」アミノさんは「どうして?」という顔をしていたけど、それは言葉に出さず、コクリと頷いてくれた。

 「それじゃ、いいと言うまでは黙っていたらいいのね」だいぶ元の口調に戻りつつあるアミノさんは「いいと言えばやめていいのよね」と念を押して聞いてくる。

 「ああ……えと、いい、だと言葉の端々に出てきてしまうから……そうだ、『奇跡』にしよう。僕が『奇跡』と言うまでは静かに黙って、動かないでいてくれ」

 スピーカーから流れてくる『聖しこの夜』が、今日が二十四日だということを嫌でも思い出させる。年に一度のキリスト教のお祭りだから……奇跡が起きたって不思議じゃない。

 携帯電話ををポケットに閉まった時……突然後ろから真っ白な光が――。

 「すーずーきーくーん」

 「は……はあ!? 小川先輩いくらなんでも、早すぎませんか? 来るの」

 僕は慌ててアミノさんを片手で抱き抱えると、耳元で「黙っていて」と言った。

 「何を言うんだね! キミが緊急事態だと言うから……ぬぅっ!?」小川先輩は無言で佇むアミノさんを見て、言葉をつまらせる。

 「鈴木くん、キミというやつは……まさか私より先にそっちのタイプを手に入れるとはな。たとえ欲しいと思っていても、普通の人間なら良心が痛んで手が出せない代物だぞ。腕を上げたな!」一人興奮し、あらぬ誤解を口走る小川先輩。うまく人形だと思い込んでくれたけど、なんか早速、今後の大学生活に暗雲が立ち込めたぞ。でもしょうがない! これくらいは予想の範囲内だ。

 「それにしても良くできている。噂には聞いていたがこれほどまでとは……」アミノさんを凝視しながらブツブツと呟く小川先輩。まずい、あまり凝視されると、人間だという事がバレてしまう!

 「鈴木くん、ぜひ一枚だけでも写真を……」

 「ああー! 先輩! それより早く車に乗ってください!」僕は小川先輩の言葉を遮り、アミノさんを膝枕するようにして後部座席に乗り込んだ。

 「な、どうしたんだ鈴木くん!?」

 ――さぁ、ここからが勝負だぞ、僕……。

 「先輩……今日はクリスマスイブですよね」

 「そうだが、それが何か関係あるのかね?」

 「実は……この子が、サンタさんに会いたいと言って泣いているんです」

 「…………」無言の小川先輩。僕は構わず話を続ける。

 「この子は見ての通り喋ることも動くことも出来ません。だからせめて、空の上からでもサンタさんに会わせてあげたい!」

 「お願いです先輩! 空港に向かってください! この子の涙を拭えるのは、もう小川先輩だけなんです!」

 滅茶苦茶な話だ。普通の人なら空港じゃなくて病院へ直行されるところだろう。でも……違うんだ、この人は。……人形を愛してやまないこの人だけは。

 「鈴木くん……その子の名前を、教えてくれるか」あくまでゆっくりと、まるで上質のワインをテイスティングするかのように、小川先輩は後部座席の僕に聞いた。

 「え……と、アミちゃん……」

 名前を聞かれるなんて思っていなかったから、動揺してしまった。アミノさんの本名を教えるのもなんとなく嫌だった僕は思いつきで名前を答える。

 「アミちゃんか……」

 小川先輩は車の天井を見つめ「アミちゃんを泣かせるのは、漢のする事じゃないよな」と言って……「打ち克てよ! 運命に!」と、熱いけど意味のよくわからないエールを送ってくれた。

 「それで、勝利条件は何だ!」

 「え……えっと、二十ニ時の飛行機に乗ることです!」

 「よおし、任せろっ!」そう言って小川先輩はアクセルを勢い良く踏み込むと、空港へと車を走らせた。

 なんだかよく分からないけど、ノッてくれて良かった。ずっと苦手だと思っていたけど……小川先輩と知り合えたこと、神様に感謝しなくてはいけないかもな。

 空港に向かう途中―― 窓から外を見ていると街には沢山の人たち。カップルや家族連れ、手に大きなプレゼント袋を持っている人……街路樹や店頭に着飾れた電飾が、街を歩く人たちの幸せそうな顔を照らしていた。

 運転に集中しているのか小川先輩は静かだった。色々と詮索されるんじゃないかと思ってあれこれと言い訳を考えていたのだが、どうやら取り越し苦労だったらしい。そしてアミノさんはというと、僕の上で目を閉じて、大人しくじっとしている。

 アミノさんが生身の女の子だという事がバレると厄介なのは、コンビニでいろりちゃんを見つめていたあの先輩の眼差を見れば分かる。人形のように可愛い少女……アミノさんなんて、まさにどストライクだろ。そしてそのアミノさんは無防備っぷりが激しいし……その上、今は情緒不安定だから余計に心配だ。

 「ところで鈴木くん」突然、小川先輩が沈黙を破った。

 「さっきの話だが……一枚だけでいいから写真を撮らせてくれ」

 「だ、駄目ですよ!」

 「どうしてだ! いいではないか写真くらい! 減るもんでもなかろう?」

 「駄目です! 愛する人の写真を、他の男に撮られるなんて絶対駄目です!」

 「……その子の事を、愛しているというのか」

 「当たり前じゃないですか! 僕たちは前世から結ばれる運命にあったんだ……誰にも邪魔はさせないっ!」

 自分でも滑稽に思う。これくらい言っておけば諦めてくれるんじゃないか――そう思ったんだ。

 「…………では、キミが飽きた時に」

 「先輩! なんて事言うんですか!」

 まったく諦めが悪いというか……そんなに気になるなら自分で買えよと思う。……まぁ、アミノさんは売ってないけど。

 僕はやっとのことで小川先輩の要求を断ち切ると、ふと膝の上にいるアミノさんと目が合った。目をまん丸にしてこっちを見ている。

 (あ……アミノさん! 目は閉じてて!)小声で言った。

 (うん……)と小さく呟いて、また元通り、僕の膝の上に顔を載せて目を閉じるアミノさん。なんだか顔が熱いけど……まさか風邪か!? 司祭服のままで来ちゃったから、コート持ってきてないんだよなぁ。

 僕は自分の羽織っていた上着を脱いで、アミノさんに掛けた。

 ――暫く順調に車は進み、空港まであと少しというところで、急に速度を落とした。……渋滞だ。みんな冬休みでどこかへ行くのか、空港入り口は四方から合流する車で恐ろしく混雑している。

 時刻はもう二十一時を過ぎている――! アミノさんのお父さんが先に飛行機に乗ってしまっては、アミノさんのチケットが取れない。もう少しだというのに……くそ!?

 「小川先輩! 下ろしてください! あとは走って行きます!」

 「まだニキロほどあるぞ……大丈夫か」

 「でも、この渋滞じゃ間に合わないですから!」

 ドアを開けてアミノさんを抱きかかえると、窓越しに小川先輩へ言った。

 「小川先輩……有難うございました。これでこの子の願いが叶えられます」

 「早く行くんだ鈴木くん。アミちゃんの願いを叶えてやるんだぞ」

 そして小川先輩は星空を見上げると「今夜はイブだ……その子にも、奇跡が起こるといいな」って言ったんだ。

 ――すると。

 「もう……喋ってもいいのかしら」

 僕は、一瞬ハゲそうになった。いや、実際ちょっとハゲたかもしれない。だって、アミノさんが……僕が抱っこしていたアミノさんが、突然普通に喋りだしたのだから!

 「な……ん……だ……と!?」小川先輩が、喋るアミノさんを見て驚愕の表情を浮かべている。

 「あ、アミノさん! まだ……!」

 僕の驚いた顔見てか、アミノさんもちょっと驚いた顔をして「でも……」と何かを言いかける。

 いや、今は言い争っている場合ではない! 一刻も早くパパさんと合流しなくては!

 「小川先輩、すみません!」僕はアミノさんを抱っこしたまま、混乱した小川先輩を置き去りにして走りだした!

 「奇跡と聞こえたから……」抱っこされたままアミノさんが言った。

 「ハァッ! ハァッ! ……それはもういいから!」走りながら僕は、白い息を吐きながら答える。

 ある程度走ったところ、僕は腕が痛くて止まってしまった。そんな僕を見てアミノさんが心配そうに声をかける。

 「大丈夫?」

 「ああ。走りやすいように、次はおんぶにしよう」僕はアミノさんをおんぶして再び走った。

 飛行機って確か、搭乗時間って決まっているよな。だとすると二十ニ時直前だと、パパさんはもう搭乗している可能性が高い。そうなってしまっては意味がないんだ!

 動かない車の列を追い抜いてかなりの距離を進むと、次第に空港の入り口らしき所が見えてきた。

 「ア、アミノさん……ハァッ、ハァ! お父さんを、呼び出して! ハァハァ」さすがに、誰かを背負ってニキロを全力疾走はきつい。僕は入り口付近の長椅子に腰掛けて、上がった息を整える。

 「コウタ、大丈夫?」

 「僕より、あそこのカウンターで早く!」

 「わかったわ」と言ってアミノさんは案内カウンターへ向かった。

 ――時刻を確認すると、既に二十一時半を過ぎていた。次々に飛びゆく飛行機を見ていると不安になってくる。……パパさんはもう既に搭乗してしまっただろうか。

 辺りを見渡すと、この時間だというのに凄い人の数だ。もうすぐ今年も終わるから、年末は海外旅行とか、田舎に帰省するという人も多いのだろう。

 しばらくして、アミノさんが帰ってきた。

 「パパと連絡がついたわ」

 「それで! 今何処にいるって?」

 「もう飛行機の中よ」

 「え……ええ! じゃあ、チケットは」

 「大丈夫、『パパが私のチケットを持ったまま入ってしまった』と言ったから、搭乗口でチケットを渡してくれるそうよ」

 「そっか……それじゃあ、間に合ったんだな!」僕はほっと胸を撫で下ろした。

 この二日間の疲れがどっと押し寄せてきたようで、座っている事さえ面倒になってくる。

 でもよかった。本当によかった……これでアミノさんは、お父さんと一緒に帰れるし、お母さんにも会える……。寂しい思いをしないで済むんだよな。

 「ありがとう、コウタ」

 「え? いいって……大したことしてないし」

 「いいえ……コウタはいつも、私の願いを叶えてしまうわ」そう言ったアミノさんの表情は、完全にいつもの眠たそうな顔に戻っていた。

 願いか……僕、何かしたっけな。

 「なぁ、アミノさん……また、戻って来るよな」

 「そうね。大晦日の日までには戻ってくるつもりよ」

 「そんな早く!? いいのかよせっかく帰るのに」

 「いいのよ。千歳たちとの約束もあるから」

 千歳ちゃんたちとの約束? なんだろうと思って話を聞こうとした時、空港スタッフが駆け寄ってきてアミノさんに搭乗を促した。

 「ごめんなさいコウタ、もう行かないと」

 「ああ。風邪引かないように気をつけて。無事帰って来てくれよな」

 アミノさんは僕から視線を逸らして首元にある十字架のペンダントを見つめている。

 「あの……返事、帰ってきてからでも……いいかしら」

 「え? いや、まぁいいけど?」

 「それじゃ」と言ってアミノさんは僕の頭の上で十字架をかざし「神様の御加護がありますように」と言い残すと、空港スタッフと共に急ぎ足でゲートの中へと消えていった。

 神様の御加護か……。あるといいな……アミノさんや……ろりぽっぷのみんなにも。

 というか、返事って何のことだ? 無事帰って来いの返事に「嫌だ」なんて言う人いるのかよ。……もしかしたら外国式のおまじないなのだろうか。

ありえるぞ……それは暗に、無事に帰ってくるという事を言っているんじゃないか? だから、帰ってきてから返事するって。

 そんな事を考えながら、僕はアミノさんたちが乗っている飛行機が無事出発したのを確認した後、電車を乗り継ぎ家路についた。

 家に付いた頃にはもう既に午前零時を回っていて……この二日間いろんな事がありすぎてクタクタだった僕は、いろりちゃんと千歳ちゃんに『アミノさんは無事帰れた』とだけメールを送って寝た。

 ……次の日の早朝、ドアを叩く音で目が覚めた僕は、小川先輩による執拗な取り調べで根掘り葉掘り問いただされてしまい……結局ろりぽっぷの関係者だと言う事がバレてしまったんだ。

 顧問一日目にして早速の不安材料が出てきてしまったぞ……僕なんかが顧問で本当に大丈夫か心配だな。


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