ジャパニーズモンスター
学園祭一日目、あーしゃ騒動からパンを失った僕たちは夕方までかかって新しいパンを作り直すハメになり、売上はたったの百円……しかも高江田が買った分だけだった。
売上を期待しているわけじゃないからまぁ、それはいい……問題なのは、その貴重な売れた1枚のパンの分すら宣誓書をもらえなかったという事だ。なんかもう色々あって、ありすぎて貰い損ねてしまった。
そして今は学園祭二日目の十二月二十四日……時刻はもう十六時を回ろうとしている。僕はというと、リアカーに山積みのパンを載せ、メルローズ礼拝堂のある一号校舎前で途方にくれていた。
売れない! 何でだ……何でだよ! 昨日は午前中に一枚は売れたのに、まる一日かけてもまったく売れないなんて!
パンの香ばしい匂いはするし、味だって悪くない。もっと売れたっていいはずなのに……昨日と違ってラジカセを積んでいないからだろうか? いや、あれは注目を集めるにはいいかもしれないけどきっと逆効果だ。だとすると、あとは……。
まさか、スタンダード和尚!?
僕はポケットからクシャクシャになった和尚を取り出し、じっと見つめた。夕日が照らす和尚……ボロボロになってしまったその顔は、なんだか哀愁が漂っている。まぁ、売れたのはこいつのおかげじゃないだろうな。
和尚をそっとズボンに戻して、リアカーにあるパンを一斤取り出し、高らかに持ち上げると、
「みなさーん! パンいかがですかー!」このセリフ、何度叫んだ事か。
半分ヤケだった。通りすぎる、冷たい目線の人々。遠巻きには見ているけど、決して近寄って来ない人だかり。
もうじき夕飯の時間にもなる、みんなお腹が空いているはずなのに……。
「コウタ君、どうしたのさ?」
「あ……千歳ちゃん」
見ると、目の前には巫女服を着た千歳ちゃんが立っている。
「どうして、巫女服を?」
「新しいコスプレ衣装だよ。部室で作っていて……そしたらコウタ君の叫び声が聞こえたの」
そっか……この校舎は防音がされていないとか言ってたっけ。
「どうどう? 可愛いでしょ!」
「ま、まぁ」
「まぁって! 可愛いなら可愛いって言ってくれないとわかんないでしょー?」
千歳ちゃんが可愛いのは間違いなかった。もちろんそれを口に出すと色々な誤解を招きかねないから言わないけどな。
「ところで、アミノさんたちは? 部室にはいないのか?」
「あたし一人だけだよ。サボりよサボり」
「ええ!? 本当かよ!」
「……ワンコだよ。何? ホントに信じちゃったわけー?」
「信じられないから聞き返したんだろー?」
ちょいちょい冗談を挟むクセ、直してくれないかなぁ。たぶん無理だろうけど。
「コウタ君……そんな事より、パンが全く売れていないように見えるけど?」
「そう。まったく売れなくて、どうしようかと思って……時間ももう無いというのに情けないよな」
すると千歳ちゃんは腕組をして「うーん……うーん」と頷いている。
「何か、いい案でもありそうなのか?」
「そーだね、もうすぐ学園祭も終わっちゃうし、こうなったら握手券でも付けてみるといいかもしれないね?」
誰のだよまったく。相変わらずの悪ノリっぷり。千歳ちゃんに期待した僕がバカだった。
「あのさぁ……今日が終わったら、アミノさん……国へ帰ってしまうかもしれないんだから、もうちょっと真面目に……」
「へ……コウタ君、今なんて言ったの」
「え、いや……」
そうか、千歳ちゃんも知らないんだ。って、アミノさん、まだ言ってなかったのかよ!? いろりちゃんにも言ってなかったみたいだし。僕から話しても、いいんだよな。どうせ今日分かってしまう事なんだから。
「僕も、詳しくは知らない……ただ、とにかくこの宣誓書をたくさん集めなきゃいけないらしい」
――アミノさんがクビになるという事、日本に残るには宣誓書がたくさん必要だという事を話した。
「だから学園祭で宣誓書を集めるって言い出したんだね。水くさいよアミノ……なんで言ってくれないかな」
「深い意味は無いんじゃないのか? アミノさんの事だしきっと余計な心配をさせたくなか……」と言う僕の言葉を遮り、
「それが水くさいって言ってるの!」と、千歳ちゃんが語気を強めて言った。
「一緒に泣いたり笑ったり悩んだり出来るの、友だちだからなのに」
いつも元気な千歳ちゃんが肩を落とし、ため息を付いた。
帰ってしまうかもしれないという事はもちろん、その事を教えてもらえてなかったという事に、千歳ちゃんはかなり落ち込んでいるように見えた。
アミノさんは一体何を考えているのだろう。クビになった事をみんなには言わず僕にだけ教えたり……かと思うとろりぽっぷのためこんなに頑張っているはずの僕は入部させないとか言ってみたり。ホントアミノさんは何を考えているのかが分からないよ。
「アミノさんも、千歳ちゃんみたいにわかりやすかったらいいのにな」つい、思ったことを呟いてしまった。
「それどういう意味?」
「ああ、いや千歳ちゃんが単純だとかそういう意味じゃなくて……」
まずい、変に誤解されてるぞ。
「ほら、アミノさんって感情がないというか、何考えているのかわからないだろ?」
「アミノに感情が無いって、本気で思っているの?」
「いや……本気っていうか」
「アミノは頭も良くて学者で司祭で日本語もペラペラで人形みたいに可愛くて……まるで、神様みたいに見えるかもしれないけどさ……」
「でも、それでもアミノは普通の女の子なんだよ」
「……だよな、ごめん」
僕は胸が痛かった。そりゃ感情が全く無いわけじゃないだろうけど、アミノさんが笑ったり泣いたり怒ったりしているところを、僕は見たことがない。表情だけじゃなくて喋るときにだって口調が変わらないし……見た目も相まって、まるで人形のように見えて……まったく感情が無いんじゃないかと思う事さえあったのは事実だ。
「アミノは感情がないどころかね……他の人よりもずっとずっと感情豊かで、優しくて、思いやりがあるんだよ、きっと」
「そうなのかな」そんな事、思いもしなかったけど……。
「だって、あたしの作った服を可愛い、自分の分も作って欲しいって言ってくれたの、アミノだし」
「服? 服って……コスプレの?」
「そうだよ。クラスの子たちに見せても反応悪くてさー」ふぅとため息をつきながら千歳ちゃんは言った。
「……中には『晴間さんってオタク趣味』なんて言い出す人たちがいて、そのうちみんな距離おくようになっちゃうし」
「神社の子だって事もあったかもしれないけど……それでちょっと居場所なくて落ち込んでいた時にアミノに会ったの」おかしいでしょこんな事で落ち込むなんて、と、あははと笑いながら言う千歳ちゃん。
千歳ちゃんも、同じだ……いろりちゃんや僕と同じ。大切なものをからかわれてバカにされて……。それでやっと見つけた大切な居場所なんだよな、ろりぽっぷって。
「おかしくなんかない。僕だって同じだ」
「コウタ君も?」
「僕だって、詩が好きだったけど、やめてしまったから……」
「ふーん、そうだったの」
「酷い話だよな……誰かに迷惑かけている訳でもないのに、バカにされてさ。こんな理不尽な事が許されていいのかって、いつも思ってたんだ。そして、もし神様が本当にいるなら、こんな理不尽な事を許すはずがない。神様助けてくれって、お願いしたんだ。けど……神様は何もしてくれなかった。だから僕はその……それ以来、神様を信じたりはしていないんだ」
「そっか。神様、信じて無いんだねコウタ君は。あたしは信じているよ」
「前に言っていたもんな……『みんなに出逢わせてくれて有難う、神様』って」
僕と千歳ちゃんは同じような状況だったはずなのに……僕は神様を信じられなくなって、千歳ちゃんは神様に感謝する……か。
「僕も、もっと早くみんなと出逢えていたら……神様を信じていたのだろうか……」
「ええー今からでも遅くないでしょー?」と言って笑う千歳ちゃん。夕日の照らすその笑顔を見ていると、胸のあたりがなんだか暖かくなってくる気がした。
「でもまぁ、短い間だったけど、みんなに逢えて楽しかったよ。詩友だちも出来たし」
「ちょ! なんでもう解散する前提で話するのさー!?」
……そういう訳じゃ、ないんだけどな。
「解散せずに済んでも、……僕はどうも、入れないみたいだし」
僕の言葉に、千歳ちゃんは一瞬……「あっ」と言葉を詰まらせる。
「そっか……知ってたんだ」
「最近聞いたよ。いろりちゃんから」
「……なんか、ごめんね」
「どうして千歳ちゃんが謝るんだよ」
「だってね。色々、手伝ってくれたしさ」きまりが悪そうに千歳ちゃんは続けた。
「あ……あたし、アミノにお願いしてみよっかな。コウタ君のこと」
「まぁ大学生でも入れるなんて知らなかったから、最初から入るつもりは無かったし、いいって」
強がってみるものの、規則上入れないということと、入れるはずなのに入れてもらえないというので、は心に響くダメージが違う。正直心が折れそうだった。
それに……いつもは僕に厳しいはずの千歳ちゃんが妙に優しいというのは、なんだかそれだけで泣きたくなってくる。
「アミノさんのことだから、何か考えがあるんだろうきっと」そう言って僕は千歳ちゃんから視線を逸らした。僕が入ればろりぽっぷが存続できないなんて……アミノさんは一体何を考えているのだろう。
「あーでもそれで、パン売りを手抜きしたりなんかしてないからな!」
「説得力無いよね、このパンの山はさー」
「うぐ……。だ、だから……何とか少しでも売りさばく方法を考えないと……、本当にアミノさん帰っちゃう前に!」
「でも、もう時間無いのにー? どうするの?」
確かにもう、学園祭終了まで迫っていた。パンはまだ三十斤はあるだろうし、用意した未署名の宣誓書だって、まるまる百枚残っている……。どうすればいい、どうすれば!
人の多いメインストリートを眺めながら、何かヒントは無いかと思い考えを巡らせた。
店長スキルを使って、
お願いします買ってくださいと一人ひとり頼み込むのはどうだろう……やはり、警戒されるだろうか。それに効率も悪いし、何より僕がかっこ悪いよな。
でも今はかっこ悪いとかそういうのは気にしている場合じゃないよな。一枚でも多く売りさばいて、宣誓書を書いてもらわないと……。
そう思って僕がコンビニ店員必須スキルを展開しようとした、その時……ふと、ある事に気がついた。
通りすぎる人はみんなこっちを見て行くぞ? どういう事だ、スタンダード和尚は付けていないのに。
その視線は不自然なまでにこちらを一度見て、進行方向へと戻っていく。中には振り返ってまで見ようとする者までいる……さっきまでとは明らかに違う視線。……そしてその視線の先を追うと……僕でもリアカー高く積まれたパンでもなく、千歳ちゃんだった。
千歳ちゃんが目立っているのか……。巫女なんて、初詣くらいしか見たことがないし……この学園の中に限ってはそうそう見ることは無さそうだしな。目立つのかもしれない。いや、でも……。
朱色の袴と白衣の衣装、その上から千早を纏った千歳ちゃんを、もうすぐ沈んでしまいそうな夕日が照らして、真っ白い肌が、温かみのある色に染まり、朱袴もより輝きを増している。その姿は神々しささえ漂っていた。
「……どうしたの? 可愛い娘でも見つけたような顔してさ?」けらけらとおちょくった笑いの千歳ちゃん。
「待てよ……そうだよ! ……可愛いんだよ千歳ちゃんは!」
「は、はぁ!? んな、ななな何言ってるのコウタ君!?」
「突然そそそんな事いわ言わないでよね」なんて逆切れしているけど、言いだしっぺは自分だろう。
でも、そんな事はどうでもよかった。……僕は……気づいてしまったんだ。ある事に。
――その時、突然後ろから声がした。
「コウタさーん!」いろりちゃんとアミノさんだ。
ワンコの帰りらしく、千歳ちゃんが作ったのだろう、レースやフリルの付いたガーリーな虚無僧姿である。そして、アミノさんはというと……アミノ姫だった。
「アミノさん、その格好で行ったの!?」
「……」
「アミノさん?」アミノさんは無言で、ただじっと僕の方を見ている。視線の先にはそう、売れ残ったパンの山だ。
もしかして、パンがまったく売れていない事に怒っているのだろうか……。ふいに、アミノさんは感情のある普通の女の子、という千歳ちゃんの言葉と、他の人よりも僕を入部させないように、といういろりちゃんの言葉が頭を過ぎった。
千歳ちゃんの言うとおり、アミノさんだって普通の女の子だもんな。だとしたらこの状況は怒りたくもなるだろうな。一枚も売れてないのだから……。もしかしたら、以前スカートの中を覗いたという事に……本当は怒っていて、僕を入部させたくないのかもしれない。コウタは変態なのねって、言われたし。……でも、だとしたらなんであの時、怒っていないフリをしたんだろう。何か意味があったのだろうか。なんかもう……色々と気になって仕方がない。でも……本人に面と向かって聞くのは辛いぞ。もし、思いも寄らない辛辣な言葉を浴びせかけられた時、僕はきっと……命の灯火が尽き果てる。
静止したアミノさんと僕の状況を見て、いろりちゃんが何かを言わなきゃと慌てているように見えた。
……って、ああ待て待て! 僕は何を考えているんだ。今はそんな事を考える前に、やるべきことがいっぱいあるというのに!
「ごめん! 僕なりに頑張って売り歩いたんだけどまったく売れなかったんだ」
「でも、今さっきだけど、もしかしたらいけるんじゃないかって方法を思いついたから……あまり時間もないから、みんなでちょっとやってみないか!?」
「……」相変わらず無言のアミノさん。
それを見て、いろりちゃんが慌てた様子でアミノさんの洋服をくいくいと引っ張った。
「ああ……ごめんなさい。耳栓をしていたままだったわ」
またかよ!? 前にもあったよなそういう事……。
アミノさんは耳栓を外すとポケットに仕舞った。
「アミノさん、もしかしてワンコの時にも耳栓つけているのか?」
「そうよ」
そうなのか……話している人は気の毒だな。まぁ心からの言葉は聞こえる奇跡の耳栓らしいけど……。
「奇跡の力が宿る耳栓なんだよな……」真実の耳栓なんて、一体どこでどうやって手に入れたんだアミノさんは。
考え込んでいる僕の顔をみてアミノさんが「欲しい?」と聞いてくる。
「え……いや、大事なものだろ? 欲しいわけじゃないけど、どこで手に入れたのか気になってさ」
僕たちのやり取りを見て、千歳ちゃんが短くため息をつく。
「コウタ君、まんまと騙されてるし」
「……え?」
「え、えーと……コウタさん、それはその……」いろりちゃんが困ったような顔をして僕から視線を逸らした。
「なんだ!? なんだよ騙されてるって……?」
「あのね、アミノが持っているのはただの耳栓だよ? 売店で百円出せば誰でも買えるやつ」
は? はぁ――――!?
「え……じゃあ真実の耳栓ってのは……嘘?」僕はアミノさんに向かって聞いた。
いつものとおり表情一つ変えずにアミノさんは「嘘なんてついていないわ」と言う。
「だって……真実の言葉だけが聞こえるって」
「それは本当よ」
何だよ……意味がわからなくなってきたぞ。
付ければ分かるというアミノさんの言葉に……ちょっと抵抗はあったけど、耳栓を借りて着けてみた。……外の音はほとんど聞こえなくなった。
アミノさんが口をパクパク動かしている。何かをしゃべっているのだろう……けど、真実の言葉じゃないのか、僕にはそれが聞こえない。
「きこ……ぇる?」千歳ちゃんの声だ。見るとお腹に力を入れて大きい声を出している様子だった。
千歳ちゃんの言葉は聞こえるだと!? しかも「きこえる?」って、真実でもなんでも関係無いような気がするけど。
耳栓を外すと「これで分かったでしょう?」とアミノさんが言った。
「分かったのは真実の言葉じゃなくても聞こえるということか?」
「少し違うけど、そういう事よ。大きな音は漏れて聞こえるのよ」
……聞こえたり聞こえなかったしてたのって……そういうオチかよ!?
「心がこもれば声も自然と大きくなるのよ」と言った。
確かにそれはあるかもしれないけど……ええ――!?
「大切なのは声だけじゃない、相手の態度だとか、視線の動きとか……耳から入る情報を制限することで見えてくる事もあるということよ」
まだ腑に落ちないという僕の顔を見て、アミノさんは憮然として「ところで……何かみんなでやるとか聞こえたけど、何をするの?」と聞いてきた。
「ああ、うん……えっと……なんだっけ」
なんかもう、どっと疲れが押し寄せてきた……。何の話をしていたのか忘れてしまったじゃないかまったく。
「ああそうだ、この残ったパンをどう売りさばくかなんだけど……ちょっと試したいことがあるんだ」
「何?」
「これから三人に、パンをそれぞれ配るから、それを各自で売ってみてくれないか」
「うえ! そ、それだけですか?」
「それだけだ。もちろん宣誓書は貰うけど……あまり無理強いはしないでくれ」
「……その山だと、今日はほとんど売れていないように見えるわね……今から方法を変えて、簡単に売れるかしら」
アミノさんの心配はもっともだ。しかし、僕の考えが正しければ飛ぶように売れるはず。ただ問題なのはその理論を本人たちに説明しにくいという事である。
さてどうやって言いくるめよう。
「いいか、よく聞いてくれ……今まで売れなかったのは、僕が虚無僧に見えなかったということが原因だ。看板に『虚無僧の手作り』と書いてあるだけでは訴求力に乏しい。でも今はみんな、あらゆる宗教を象徴する服装になっているだろ? 巫女が巫女の手作りパンを売っていたり、司祭が司祭の手作りパンを売っていれば、比べ物にならないくらいに注目されるはずだ!」
「そう……なんですかね……」
みんな、ふむ? という顔をしているな。もう一押し――!
「しかも、それだけじゃない。仏教・神道・キリスト教……この3つのエッセンスが、キリスト系学園のまっただ中において、どのように受けられるのか……パンの売れ行きを見れば、そこから分かることもあるんじゃないか? アミノさん」
「なるほど……面白そうね。もしかしたら論文にできるかもしれないわ」
「だろう!? それじゃあ時間もないし、早速このビニールに入れて売って来てくれ!」
「コウタはどうするの?」
「僕は虚無僧手作りの看板を外して売ってみる。そうすれば4つのデータが取れるだろ?」
――そうして三人はビニールに五斤分を用意して、各々離れた場所へと向かった。
千歳ちゃん……なぜかいつもより静かだったな。さっきの様子からすると「どうしてクビの事教えてくれなかったのさ?」なんて言ってアミノさんに突っかかるんじゃないかと思って心配したけど。とりあえずはこのつくり話を信じてくれて助かった。
実を言うと、さっき僕が言った訴求力がどうとか、エッセンスがどうとかという話は本心からではない。もちろん、服装によって訴求力が変わるという事は大いにあることかもしれないけど、それだけで飛ぶようには売れまい。
ずばり言うと、飛ぶように売れるのに必要な要素は『可愛さ』だと思ったんだ。さっき千歳ちゃんが注目を集めていたのも、巫女装束が珍しいという事だけではないだろう。それなら僕のスタンダード和尚だって珍しいという点では優っている。となれば理由はもう……可愛いからに尽きるのではないか!?
考えてみれば僕だってそうだ。どこの誰だか知らない野郎がパンを売り歩いていたって、よほどお腹がすいていない限り買おうなんて思わないはず。だがどうだろう、可愛い巫女や虚無僧が、自分たちの手作りパンを売って歩いていたとしたら……つい見ちゃうし……、つい買っちゃうかもしれない。いや、男としてそもそも買わないという選択が可能かどうかすら怪しいものである……。だから僕は、あの三人なら間違いなく可愛いし売れる、そう考えたのである。
時間を見ると半を過ぎている。そろそろ僕も出発しなければいけない――。
ポケットから例のブツを取り出す。スタンダード和尚……もう一度だけ、僕に力を貸してくれ。
今まで普通に売ったって売れなかったんだ。一応、昨日は一枚売れた実績のある、こいつを被ってみよう。
僕は和尚を装着して、暫く歩いてみた。このマスク越しに見る、みんなの『見てはいけないものを見てしまった』感が半端ない。やはり和尚は着けない方がよかったか? ……まぁいい、もしかしたら和尚に癒される人もいるかもしれない。もう少し様子を見てみよう。
「コニチワ」――突然、後ろから声がした。
振り向くとそこには一人の初老の男性……見た感じ日本人ではなさそうだぞ……それに、アミノさんと似たような司祭服らしきものを着ている。学園の関係者だろうか?
その初老の男性は英語と思しき言葉で何かを話しかけてくるものの、英語が分からない僕は殆ど聞き取れずにその場でどうする事もできなくて固まっていた。しかし、初老の男性が最後に発した言葉……「ジャパニーズモンスター?」そう、これだけはしっかりと聞こえたんだ!
……これは僕のマスクの事を言っているのだろうか? いや、それ以外にモンスターはいないだろうしなぁ。和尚はやっぱりモンスターにしか見えないんだな。
そこで僕は日頃のバイトでのサービス精神を発揮してしまい『外国人はノリが良い』という偏見もあったことから、なんとなくゾンビの真似をしてみせる。
「ウォ……ヲヲヲオオオ」はっきり言って小学生以下のレベルの演技力である。しかもホラー映画など見ないもんだからこれで合っているのかわからない……ま、細かい事は気にしてはいけない。
すると初老の男性は僕の突然の豹変ぶりに慌てたようで、首元から下げた十字架を急いで握り締めると僕の方へ差し向け「マリィィヤァァア!」と叫びだした! まずい! 目がマジだ! もしかして僕、浄化されている!?
「ノォー! アイアムア ヒューマン!」拙い英語で叫び和尚のマスクを脱ぎ捨てると、素顔の僕を見て「ワオ」と言って拍手をする初老の男性……なんか知らないけど……危なかったような気がした。
それにしても、生まれて初めて外国の人相手に喋った英語が「私は人間です」ってどうなんだろう。中学の時に「これはペンです」とか「あなたは女の子ですか?」といった、どういうシチュエーションで使われるのかよくわからない英語から習い始めたような記憶があるけど……僕が言ったのはそれよりも遙かに使い道の無いはずの「私は人間です」という自己紹介文……。中学英語、バカにしてたけど……僕の認識が甘かっただけのようだ。すまなかった、マイク、エミ!
僕の事を人間だと分かた初老の男性は、またも僕に英語で話かけてくる……。どうしたらいいの、こういう時って。
「お兄ちゃん!」――この声は、あーしゃ!?
人ごみの向こうからあーしゃが駆け寄ってくるのが見えた。
「暇になったから遊びに行こうと思ったのですけど、偶然ですね! ……パン、売れているのですか?」
「いや……それより今、外国の人から話しかけられてさ。でも、僕英語わからなくてどうしようかと思っていたところなんだ」
「英語?」あーしゃはそう言うと、初老の男性に向かって話し始めた。流暢な英語で!
二人のやり取りはまったく聞き取ることが出来なかったものの、初老の男性は「アリガト」と言いながら立ち去ってしまった。
「あーしゃお前って実は凄いんだな」
「何ですか? 英語なんて今時普通ですよ?」と言いながらもうれしそうに笑うあーしゃ。痛い性格が邪魔して気づけなかったけど、よく見るとあーしゃも可愛いんだよな。
「それで、あの人は何て言ってたんだ?」
「行きたい所があるって言うので、その場所を教えてあげたのです」
「そっか、ありがとうな。助かったよ」僕は無意識に、あーしゃの頭を掌でぽんぽんと叩いてしまっていた。
「あっ……ごめん!」
「いいですよ。リアカーで助けてくれたお礼ですから!」計算なのか天然なのか分からないけど、笑顔が眩しい。
まずいな、無意識に頭をぽんぽんするなんて、僕、本当にあーしゃの事を妹だと思い始めているんじゃなかろうか。なんてこった、こいつ本当にみんなの妹になれてしまう気がするぞ。
――待てよ? 可愛い妹――!? さっきの僕の理論が正しければ……きっとあーしゃでも!
「なぁ、あーしゃ。もし暇ならパン売るの手伝ってくれないか?」
「もちろんです! あーしゃは何をやればいいですか!?」ふんふんと鼻息を荒くしてやる気満々のあーしゃ。
僕はあーしゃの肩に手を置くと、人が集まっている通りを指さし、諭すように喋った。
「見てごらんあーしゃ。向こうにたくさんお兄ちゃんたちがいるだろ?」
「うんうん。いっぱいいるです!」
「そのお兄ちゃんたちに、このリアカーに積まれたパンを『妹の手作りパン』として売ってきてくれないか?」
「え! ……でも、あーしゃはパン作ってないですよ」
そこ気にするのか……案外真面目だな、あーしゃ。しかし、僕の作戦に抜かりはない。
「あーしゃ、よく聞くんだ。このパンはな……確かにあーしゃは作っていないかもしれない。だけどな、人類皆兄弟だろ?」
「うん、うん」
「だから、このパンを作った子たちだって、あのお兄ちゃんたちの妹で間違いないんだ」
「ふむむなるほど」
「だから、あーしゃは胸を張って売っても大丈夫。嘘じゃないんだからな。そして、買ってくれたお兄ちゃんたちにこの書類に名前を書いてもらって欲しいんだ」
「わかったですお兄ちゃん! あーしゃ頑張って売ってくるです!」そう言ってあーしゃはリアカーごと引っ張って、人の集まる方へと近づいていった。
しばらくあーしゃは「妹の手作りパン買ってくださいです」と言って声をかけていたが、なかなか売れそうにない。
……しまったな。
いきなり見ず知らずの妹がパンを売っていたらさすがに警戒するか。
――この作戦は失敗……そう思った矢先だった。
「う……ひっく。ふぇん……お兄ちゃんたちのために作ったのに……ぐすっ。誰も買って……くれ……ないっひく」
「あーしゃ!?」
ぽろぽろと涙を流すあーしゃの異変に気づいた周りのお兄ちゃんだちが、どうしたんだと寄ってくる。
あーしゃが泣き出したもんだから飛び出しそうになったけど、もう少し様子をみよう。
「お兄ちゃあん……パン……買って、くだしゃい」
――鼻とほっぺを赤くしたあーしゃが、魔法の言葉を唱えた瞬間――!
……リアカーに積まれたパン、およそ十五斤が、いつの間にかその姿を消していた。
一体何が起きたのだろうか……僕にはすぐ理解出来ないでいたものの、少し近づいてみて、その理由がようやく分かった。
あれは高江田と小川先輩じゃないか!? しかも……二人共5斤以上のたくさんの袋を抱えている買い占めだ。買い占めやがったあの二人! パンが売れるのはもちろん嬉しいけど、これじゃあ宣誓書がみんなに書いてもらえなくなってしまうぞ!
僕は二人に顔がバレないよう素早くモンスター和尚……じゃなくてスタンダード和尚を装着すると、人ごみに紛れながらできるだけ近づく。
「浅海! 何をしているんだ! て……手作りのパンなどを売って!」高江田の声だ。
「お兄ちゃんには関係ないでしょ!」抵抗するあーしゃ。僕の時と高江田とで感じが違うのは……やっぱり実の兄妹だからなのだろう。
でも、それにしても、お兄ちゃんたちのために作ったとさっき自分で言っていたくせに関係ないでしょはちょっと酷い。
「ハァ、ハァ……い、妹たん。一枚だけでも写真を……」膠着状態の高江田兄妹の隣で、小川先輩がカメラを構えて暴走しだした!?
マズイ――! 間に割って入ろうとしたその時。
「きゃあ! やめてお兄ちゃん!」顔を手で覆うあーしゃ。
「あーしゃ、カメラアレルギーなのです。カメラを向けられると、吐血して倒れてしまうですから……ごめんです」
「なにぃ! すまんかった! 許してくれ妹ちゃん! 俺の事を嫌わないでくれぇぇ」そう言って小川先輩は土下座し、額を地面にこすりつけて謝っている。
なんだ……なんだこの状況。あーしゃのアドリブ能力には驚かされるが……それよりも何よりも……まるで聖人か神様的な扱いだぞこいつ。
そんな土下座の小川先輩にも構うこと無くあーしゃは宣誓書を取り出すと、またもや魔法の言葉を唱えた。
「パン、買ってくれたお兄ちゃんも、買えなかったお兄ちゃんも……名前、教えてもらえると、あーしゃうれしいです」
集まった群衆が我先にと宣誓書に署名を始め、あっという間に用意した分が底をつく。
あまりの衝撃に、僕は目眩がした。自分で仕組んだ事とはいえまさか、あーしゃの破壊力がこれほどとは。たまたまうまくいったものの、迂闊にあーしゃをけしかけると大変な騒ぎになりそうだぞ。……あーしゃ恐るべし。僕はとんでもない化物を目覚めさせてしまったのかもしれない。
「お兄ちゃんたち、ありがとぉですー!」全ての宣誓書を回収したあーしゃは、お兄ちゃんたちに別れを告げてその場をあとにする。無事に離脱した事を確認してから、僕も何食わぬ顔をしてお兄ちゃんの集団から一人離れ、あーしゃと合流した。
「あーしゃ、ありがとうな。でも……大丈夫だったか?」
「大丈夫? お兄ちゃんたちはみんな優しかったですよ?」そう言って僕に署名済みの宣誓書を渡すあーしゃ。まだちょっと鼻が赤い。
改めて署名された宣誓書を見る。ちゃんと数えてはいないけど、五十枚以上はあるぞ。この枚数をこんな怪しげな宣誓書に難の疑いも持たせず署名させてしまうとは……妹教なんて宗教があったら、間違いなくあーしゃは教祖になれるな……。
時計を見ると、時刻はもう十七時を回っていた。学園祭の終了時刻だ。太陽は沈み、外灯に明かりが灯る。学園内の至るところに設置されたスピーカーから、学園祭終了のお知らせと後片付け開始のお知らせが、『ジングルベル』と共に流れてくる。
そうか……今日はクリスマスイブなんだよな……慌ただしくて、全くそんな感じじゃなかったけど。
校舍のところどころに飾られたイルミネーションやオーナメントが輝いていて……このあとの後夜祭に向けての準備が始まろうとしていた。もちろん僕たちは……後夜祭に参加する事など出来ない。むしろ、今日の本番はここからだった。
そんな事を考えながら歩いていると、露天の閉店セールで安くなっているロリポップキャンディが目に入った。三百円のものが百円になっている。
「お兄ちゃん、美味そうなキャンディがこっち見てる……」キャンディを凝視して、あーしゃが言った。なんだ? 欲しいのかもしかして。
僕はキャンディを一つ買って、あーしゃに渡した。
「え、いいの!?」
「ああ、パン売るの手伝ってくれたし、お礼だよ」
「わぁ! お兄ちゃんありがとうです!」満面の笑みを浮かべるあーしゃ。こんなに喜んでくれるなら買ってあげた甲斐があったというものだ。それに……あーしゃがいなかったらリアカーに積まれたパンなんて、まず売れなかっただろうし……宣誓書だって、売ったパンの倍以上はある。そのお礼が百円のキャンディだなんてこっちが申し訳ないくらいだ。
美味しそうにキャンディを舐めるあーしゃを見ていると、もうすっかり妹とし見ている自分がちょっと怖い。もしかしたら……実の妹よりも妹だぞこいつ。
僕の視線に気がついたあーしゃが、手に持っていたキャンディと僕の顔を交互に見てキャンディを僕の方へ差し出してきた。
「はい、お兄ちゃんも食べていいですよ」
――僕は、目ン玉が飛び出しそうになった。
「え!? ちょ! ばか! やりすぎだ!」思わず僕は叫んでしまった。
「やりすぎ……?」あーしゃは「何が?」という顔をして聞いてくる。
「だって食べかけのキャンディを兄ちゃんにあげるなんて本当の妹なら絶対にやらないぞ、そんなの」
「こっち側はまだ舐めてないですけど」と言って僕を見つめるあーしゃの目は……悔しいまでに澄んでいた。
「いやだからな、そういう問題じゃなくって……」僕は困惑して言った。こいつはもしかして本気なのか!? 本気でそういう事を気にしていないのだろうか!? もしかしてアミノさんと同じで……羞恥心的な感情が欠如しているとでもいうのだろうか。
わからない。わからないぞ、どうする僕!?
「と、とにかく僕は……遠慮しておくよ」逃げるが勝ちだよな。ていうかそれしか選択肢が無い気がするけど。
するとあーしゃはキャンディーを僕へと突き出した格好でそのまま固まってしまった。
「お兄ちゃんはあーしゃの事嫌いなんだ……」
「そう繋がっちゃうのかよ! 嫌いなんかじゃない! そうじゃないけど」
「うぅ……ふぇえ」僕のことを見つめていたあーしゃの澄んだ瞳が次第に潤んでくる。まずい! あーしゃは興奮すると何をしでかすか分からないぞ!
泣かしてはいけない! 絶対!
考えるかが早いか――僕は瞬時にコンビニ店員必須スキル「小さいお客さま向け対応マニュアル」を瞬時に展開させた!
「あーしゃぁあ!」高らかに叫ぶと、僕は両腕をクロスさせ、自分の顔の前へとゆっくり移動させた。そして渾身の力を込めると、蓄えたエネルギーを一気に解き放つ――!
「いないいなぁぁい! バァアア!」
会心の出来だった。コミカルな両足の動きとシンクロした両手。そして何人も笑わずにはいられない最高の、とびっきりの変顔! まさに、泣く子も笑うとはこの事を言うんじゃないだろうか。
「……コウタ君……何やってるの?」あーしゃの後ろから千歳ちゃんが言った。
おや? みんながあーしゃの後ろに見えるぞ? ああ、そっか!……もうみんな売れたんだな。そっか。そっか……。
――死にたい! 今すぐに!
「うおおおあああ」と言って手で頭を抑え、僕はその場でもんどり打った。
「こ、コウタさん!? どうしたんですか!? 頭が痛いのですか!?」
「頭がイタイ子なのよコウタは」
ちくしょう! 反論の余地も無い!
「違う! 僕はただ妹をあやしていただけだ!」
「…………妹? その子が?」千歳ちゃんが怪訝そうな顔であーしゃを見る。
「あ、あーしゃちゃんこんばんは」いろりちゃんがあーしゃに気づいた。
「いろりお姉ちゃん! こんばんは!」
「コウタ君といろりちゃんの妹!?」千歳ちゃんが驚いた様子で聞いてきた。
「えと、えと……ホントの妹じゃなくてね……人類皆兄弟? っていうのかなあはは」
千歳ちゃんは納得できないという顔をしていたけど、今はそんな事を話している場合じゃない。
「そんなことより、みんなはパンは売れたのか!?」
「すぐ売れたわ……ほぼ同時だったみたいだから、あまり意味のあるデータは取れなかったけれど」アミノさんはそう言って宣誓書の束を取り出す。
「みんなほぼ同時で……すぐ売れた……だと!?」
凄い……凄すぎる。予想以上だぞ……。あーしゃといい……みんな、教祖様にでもなれるんじゃないだろうか。
「コウタのおかげね……コウタが提案してくれたおかげで、パンは売れたし宣誓書も手に入ったわ。ありがとう」
「いやまぁ上手くいってよかったよ。僕の持っていたパンも、このあーしゃが全部売ってくれたしさ。ほら、宣誓書」
「そうだったの。凄いわね……あーしゃと言うのかしら?」
「うん! あーしゃって呼んでくださいです!」
「そう、あーしゃ。私はクリスティン・アミノ・メルローズよ。パンを売ってくれてどうもありがとう」
「ああ! お姉ちゃんがメルローズですか?」驚いたようにあーしゃが喋った。
「どうか、したのか?」
「さっきの外国のお兄ちゃんは、メルローズさんを探していたですよ」
「さっき僕が浄化されかけた……って、アミノさんの知り合いだったのかよ」
「お兄ちゃん……?」
アミノさんは怪訝そうな顔をして「どんな風貌の方かしら」と聞く。
「ちょうどお姉ちゃんみたいな格好をした、恰幅のいい初老のお兄ちゃんです」
それを聞いたアミノさんは一瞬固まり……「部室へ戻りましょう」と言って一号校舎の中へと入っていく。
――僕たちは急いでアミノさんの後を追った。