表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

人類皆兄弟

 十二月二十四日――。学園祭一日目の早朝、バイトの深夜シフト明けで眠たくて仕方がない僕の目の前に焼きたての食パンがリヤカーいっぱいに積まれている。

 今日は一日かけてこれを全部売り歩かねばならない。しかも……なんの因果か、スタンダード和尚のデスマスクを被って、である。

 何故そうなってしまったかと言うと二週間前に遡る――。


 「それじゃ今から、学園祭の出し物について考えましょう」

 「ああ、絶対に成功させような!」

 「……う、うん」

 「ふぁーい……」

 「……どうして二人共元気無いのかしら?」

 「さ、さぁ……?」

 「早速だけど、カフェというのはどうかしら?」

 「カフェ……ですか?」

 「カフェーねぇ……ぐぅ」

 「千歳ちゃん! 寝ちゃぁ駄目だよ~」

 「どうだろう、カフェってきっと他の奴らも嫌というほど出してくるだろうし……何か、差別化できないと厳しいと思うぞ」

 「そう言われてみればそうね……じゃあ、どんな差別化が良いかしら」

 「あー……あたしメイドカフェがいい」

 「じゃ、じゃあ私はえーと……ぼ、坊主カフェ……」

 「それなら僕は……って、坊主カフェ!?」

 「お坊さんがお経とか、唱えてくれたらいいなって、だ……駄目ですよね……」

 「いろりちゃん……本当にお経が好きなんだな……」

 「坊主……読経……悪くないわね」

 「……他との差別化にもるし、仏教の良さを知ってもらういい機会にもなるわ」

 「えー……あたしのメイドカフェは? ……ぐぅ」

 「千歳ちゃん起きてよ~」

 「メイドカフェはきっと他でも出店すると思うけど……確かに坊主カフェなんて誰もやらないよなぁ」

 「ぼ、坊主の衣装なら、家から持って来れますしね」

 「ん~……坊主でいくのー? ……坊主でいくなら、せめてオムライスにさぁ……ぐぅ」

 「って、また寝てるし!」

 「千歳は寝不足なの?」

 「うん~、昨日……コウタ君がなかなか寝かせてくれなくて」

 「お、おま……! そんな言い方したら変に誤解されるだろう!?」

 「だぁって本当の事でしょー」

 「メールしていただけだから!」

 「……千歳ちゃんとメールするんですね……」

 「えぇ? あぁ、ちょっと用事があったから」

 「何の用事だったんですか?」

 「え、何って、スタン……いや、何でもない……ははは」

 「……」

 「それより! 今は坊主カフェの話だろう? 読経以外にどうやって仏教の良いところを伝えるんだ?」

 「だからー、オムライスにさぁ……ケチャップで写経なんてどうかなぁー?」

 「正気かよ!? 写経されたオムライスなんて、フツー怖くて食えないだろ!?」

 「えー……フツーは一口食べて悟りを開き、二口食べて解脱して、三口食べたら涅槃の境地でしょー?」

 「駄目だよ千歳ちゃん。一番短い般若心経でも、全部入らないよきっと……」

 「いろりちゃん……そういう問題じゃなくてさ」

 「それなら、梵字で『ろり 』と描くのはどうかしら」

 「いいんだけど……うん、梵字、すごくかっこよくていいんだけどさ……なんていうか、みんな読めないだろ!?」

 「コウタは心配性ね」

 「すみません……駄目です……やっぱり……」

 「いろりちゃん?」

 「実は仏教は不殺生の決まりで……卵とか、お肉とか食べれないから……」

 「精進料理ってやつか。坊主カフェを看板にする以上は、使わないほうがいいよなぁ」

 「それならメニューに『オムライス(卵・肉抜き)千円から』と標記すれば問題ないわ」

 「ただのケチャップライスで千円は高いんじゃないか!? それに、なんで時価みたいな値段設定になってるの!?」

 「コウタ君はメイドカフェの事、何も分かっちゃいないね」

 「メイドカフェの話になると元気になってきたな……千歳ちゃん」

 「あの高いオムライスを何故、みんな食べに行くのか! ……それはね」

 「それは……?」

 「可愛いメイドさんが、オムライスに美味しくなる魔法をかけてくれるからだー!」

 「…………で」

 「でって言う!? フツーそこは『さすが千歳ちゃん博識で美少女だなんてありえない』でしょー?」

 「はいはい。だからそれで、坊主カフェだと、どういう魔法をかけるんだよ?」

 「それはもちろん手印を結んで『美味しくな~れ、ノウマクサマンダバザラダンカンッ!』って……」

 「美味しくならない! 断言しよう! 僕ならきっと走って逃げる!」

 「えぇー? じゃあどうすんのさーもう」

 「待って……さっきの話だけど、何とかなるかもしれないわ」

 「さっきの話?」

 「卵が使えるかもしれないという話よ。確か、とある国で卵の成分が一切入っていない、擬似卵があると聞いたわ。マアゾンで売ってないかしら」

 「アミノさん、その話はもうやめよう……たとえ売っていたとしても、それは食べちゃいけない危険な卵だ」

「というか、みんなさっきから遊んでないか!? 特に千歳ちゃん!」

 「……サッ」

 「今、視線逸らしたろ!?」

 「コウタ、幸せというものは、こういう何気ない日常に隠れているものよ」

 「そーだよーコウタ君! 可愛い女の子に囲まれて幸せでしょー?」


 ――とまぁ、こんな感じでなかなか決まらなかったんだ。

 結局、坊主カフェは二週間の準備期間では間に合わないという事で代わりにパンを売ることになったんだけど、その理由が『作りやすいから』というなんとも消極的なもの。

 仏教テイストを盛り込むためにあの三人が虚無僧の格好をして作った『虚無僧パン』は、一枚売るたびに『虚無僧の保護活動の一貫』という名目で、宣誓書に署名を貰う手はずになっている。

 いろいろと突っ込みたい部分も多いのだが、まぁこの際細かい事は気にし出したらきりがない。とにかく今日と明日で沢山売って、なるべく沢山の宣誓書を書いてもらわなければならないからな。

 「そろそろ出発するか……」

 僕の手の中には、我が家の冷凍庫から久しぶりに封印の解かれたスタンダード和尚が眠っている。……凍傷にかかったようにあちらこちらひび割れて、しかも十字架のチェーンが顔中に食い込み、くっきりと跡が残っている。

 和尚というより、もはやゾンビと言ったほうがいいなこれ。でも、これ被らないと知り合いに出くわすと面倒だしなぁ。

 仕方なくマスクを装着した僕は、アミノさんたちが前もって作ってくれたという、呼び込み用のテープが入ったラジカセの電源を入れる。単一電池で長時間駆動するのは……今の携帯型音楽プレイヤーには無い特徴だ。

 しかしこのラジカセ、壊れかけだったよな……それに、一応、拡声器をガムテープで巻きつけてあるのだが、こんなので上手く聞こえるのだろうか。

 僕はラジカセの再生ボタンを押した――。

 《パン。パンよ。虚無僧手作りのパン。買うといいわ》

 これは……アミノさんの声だ。

 感情が感じられないのは仕方ないか……まぁとりあえずこれで売り歩いてみよう。

 《え? もっと上から?》

 な、なんだ?

 《このパンを買わないなんて一生後悔するわ。身の程を知りなさい愚物ども》

 高圧的な売り文句に変わっただと!? これじゃあパンじゃなくて喧嘩売っているようなもんだ! アミノさんの後ろで指示飛ばしてる監督がいるだろこれ! まぁだいたい誰か分かるけど。

 時間が経つにつれ、段々と人が集まりだした。

 おいおい、なんだか周りがざわざわしてきたぞ。目立つには目立つけど、なんか間違っている気がする。

 早送りしたいけど、再生以外のボタンはうまく動作しないんだったなこのラジカセ。

 《一人百枚は当然よね、それとも貴方たちはただ見ているだけの臆病者なのかしら》

 うおおおおお早く終われ! ていうか純真無垢なアミノさんにあんなセリフ言わせやがってー! 千歳ちゃんめ、朝までメールでお説教だぞこれは。

 僕の目立つマスクと、高圧的な売り文句のためか人は集まってきていたもののパンはまったく売れず……。

 《疲れたわ、ちょっと代わってくれないかしら》

 ふぅ、やっとアミノさんの番が終わったぞ。楽しみながらテープ吹きこむのはいいけど、せめてパンが売れるような内容にしてくれよなまったく。

 《ぱーん! お・い・し・いっぱーんだよ~!》

 《ぱんぱかぱんぱんぱーん!》

 今度は千歳ちゃんの声だ。元気いっぱいで注目度抜群だけど、なんだか売り歩いている僕が馬鹿っぽい。

 《…………》

 あ、あれ? ラジカセ壊れたか?

 《……チ――――ン……摩訶般若波羅蜜多心経――――!》

 うおおお! やめろぉ!

 いくらなんでも、この学園の中心で般若心経を叫んじゃいけない! 宗教戦争勃発させる気かよまったく。

 撲は慌てて早送りを押し、お経を飛ばした。

 ……ちゃんと動いてくれるだろうか……。恐る恐る、再び再生ボタンを押すと……。

 《あ、あのパン、です……いかがー、ですか》

 いろりちゃんだ。よかった、ちゃんと再生できて。

 《心を込めて、こ、虚無僧が作ったパンですよぉ》

 ああ、すごくまともだ! これだよこれ! 宣伝文句っていうのは!

 「一つ、貰えないかな」

 ほら来た! 初めてのお客さん?

 この女みたいな顔……どこかで見たことあると思ったら執行部長の高江田!?

 奴がなんで虚無僧パンなんかを……お経に怒っていたんじゃなかったの!?

 「今日は朝御飯を食べそこねてね……もしかして、まだ販売はしていないのかい?」

 「ああ、いえ、大丈夫です!」

 「おや? キミ、どこかで会ったことあるかな? 学年は?」

 「ええ!? えーと」

 「聞き覚えのある声だ……撲は一度聞いた声は忘れないからね」

 あれ、なんだか背中がぞくっとしたぞ。

 《パンいかがですかぁー。パンですよぉー》

 「それにこのテープの声も……どこかで聞いたような」

 や、やばい! ろりぽっぷだとバレたら退場させられるかもしれない!?

 「うっ! っとこれはその……」

 「まぁいい、それよりまず、キミの事を教えてくれないか?」

 どうする……どうするこのピンチ!

 僕がコンビニ店員必須スキルを発動すべく、数あるスキルの中から最適なものを選択しようとしたその時――。

 《パン……パひ! 駄目っ! ち! 千歳ちゃあっんっ! くすぐっ、ひあああん!》

 ――バシンッ!

 僕は思わずラジカセを思い切り叩いた。

 これは――! あんまりだ!!

 いくらなんでも悪ふざけすぎるだろ! 見ろ! この周りの惨状を……さっきにも増して人だかりが増えて、あちらこちらからヒソヒソ話をする声が聞こえてくるじゃないか!

 もはや、完全に罰ゲームだぞこれは。ゲームなんてしていないのに。

 学園祭が終わったら、大反省会をしなければなるまい。

 「キミ……大丈夫か?」

 「大丈夫! お気になさらずに……はは」

 高江田の目は、まさに変質者を見るそれだ。……視線が痛い。

僕は平静を装いながら高江田に虚無僧パンを一枚渡し、お金を受け取った。

 「釣りはいらない。とっておいてくれ」

 「え! 待ってくれ! さすがに千円は多すぎるって」

 「では、残りは寄付とさせてもらおうかな。虚無僧保護活動のために」

 虚無僧保護? こいつ、仏教が嫌いなわけじゃなかったのかよ?

 「それじゃあさ! この宣誓書にも」

 僕が宣誓書を渡そうとしたその時、一度は止まったはずのラジカセが……牙を向いた。

 《春の公園……新緑の大地に純白の髪飾り》

 なんか始まったぞ!? なんで……止まったと思ったのに。

 《たんぽぽたちが綿毛を舞うわせ ふわふわふわり、ふわふわり》

 それにこの詩、どっかで聞いたことある気が……って、もしかして、いつかの詩読会で僕が作った詩じゃないか!

 詠んでいるのは、いろりちゃんかよ! なんでこんなのが入ってるんだ!?

 慌ててラジカセを見て……驚愕した。

 デッキ2のテープが動いている! なんというトラップ! 関係の無い物は抜いておいてくれ!

 さっき叩いたのがいけなかったのか!? とりあえず止まれ――!

 そんな僕をあざ笑うかのように続く僕の詩。

 駄目だ! こっちも壊れている……停止ボタンを押しても止まらない! しかも拡声器がガムテープでガッチリ固定されているおかげで、強制的にカセットを排出することもできやしない!

 《かわいい笑顔の蕾が咲いた》

 よりによってこの詩は、すこぶる不評だったやつだぞ。

 辺りを見ると、さっきまで冷たい視線を送り続けていた人だかりから、クスクスと言った失笑に似た声が漏れ始める。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 何という拷問なんだ! ここは地獄か!? ……友だちのピンチを助けるために頑張っている僕に何の恨みがあるんだ!

 やっぱり……やっぱり、神はいないのかよっ!

 「いい詩だな……」

 「……へ!?」

 「詠み手もさることながら、内容がいい。まるで作者の心が伝わってくるようだ」

 僕は、自分の耳を疑った。今まで、僕の詩を褒めてくれる人なんて、ろりぽっぷの三人しかいなかった。それに、この詩はその三人でさえも微妙な空気にさせたと言うのに。

 高江田……こいつ本当はいい奴なんじゃないか?

 いや、それでも、アミノさんを陥れ、侮辱したのは許しがたい。けど……詩が好きな奴で、悪い人はいない、僕はそう思いたかった。

 「キミ、この詩の名を知っているかね。きっと有名な詩人の詩なのだろう?」

 「これは……実は僕が……」と、僕が言いかけた時。

 「きゃああああああ!!」

 ――突然、二号校舎付近から悲鳴が――っ!

 「な、なんだ!?」

 周りの人だかりが一斉にそちらを向いた。

 見ると校舎の二階部分で、女の子がバルコニーの手すりに足をかけ、今にも落ちそうになっている!

 遠くてよく聞こえなかったけど「裏切られた」とか「もう嫌! 死にたい」という感じのセリフが聞こえた。

 「おいおい……学園祭で飛び降りなんてマジかよ!」

 「……いかん!」と言って走りだす高江田。

 僕もリアカーを引っ張って、二号校舎下の人だかりに近づく。

 「あ! こ、コウタさん……ですか?」

 「いろりちゃん!」

 人だかりに混じって、いろりちゃんがいた。

 「よかったぁいつもとちょっと顔が違うから人違いかと思っちゃいました」

 そうか、マスク被ってたな……というか、いつもとちょっとしか違わないのか、僕。

 目からこぼれ落ちた汗がバレないように、僕はそっとマスクを脱いだ。

 「休憩していいと言われたのでお外に出たら、なんだか騒がしくて」

 「上だよ上! 人が落ちそうになってる!」

 「え、ええ!! どうしちゃったんですか!」

 「分からないけど、飛び降りる気らしいんだ!」

 「うええ!」

 相変わらず、女生徒は「もう男なんて信じない」だとか「死ぬ」などと叫んでいる。なんだろう、痴話げんかの縺れか?

 本当に落っこちてきそうだぞ!? 警察とか呼んだ方がいいかもしれない。

 僕が携帯を取り出して、一一○番通報しようかどうか迷っていた時だった。

 「おぉーい! おーいおーい! こっちですよぉー!」

 「いろりちゃん!?」

 いろりちゃんが……いろりちゃんが、女生徒に手を降っていた。しかも、笑顔で!

 こっちですよなんて、こっちに落ちてこいと言わんばかりじゃないか!? ちょっとちょっといろりちゃん! 千歳ちゃんの影響で頭がおかしくなっちゃったのか!?

 「コウタさんもやってください。おぉーいいっ!」

 「えええ! なんで!?」

 「何をしてるんですか。早くやってください! こうやっていれば落ちて来ませんから!」

 なにっ?

 今まで見たこと無いな、こんないろりちゃんの顔。必至になって大声出して本気だというのは分かる。でも……。

 「むしろ、落ちてくるんじゃないのか、こっちに」

 「あの子は今、裏切られて心が傷ついて心を閉ざしてますけど……ちょっと混乱しているだけです。そんな時、笑顔で手を振ってくれている人たちに向かって、身投げしようなんて思うでしょうか」

 ――僕は息を飲んだ。

 確かに、一時の気の迷いなら、笑顔で手を振られたら飛び降りる決心がつかないはず!

 「おーい! 僕、鈴木コウタ! キミはー!?」

 「…………」

 女生徒の動きが止まったぞ!

 見ると、いろりちゃんも必死に笑顔で手を振り続けてくれて、女生徒の様子も段々と落ち着きを取り戻しているように見えた。

 「あと一息……何か声をかけてやらなければ!」

 その時、止まらないラジカセから無常にも僕の詩が流れだす。

 《死ぬ気》

 死ぬ気!? ああ! この詩はいろりちゃんの『死期』を手直ししたやつ!

 今の状況でこの詩が流れたら最悪だろ! ……何としてでも止めねば。

 「待ってください! コウタさん……このまま聞かせましょう」

 リアカーに積んであるラジカセを手に取ろうとしたところ、僕の殺気を感じたのか、いろりちゃんが慌てて僕を止めた。

 「だって、死ぬ気ってタイトルの詩だぞ!?」

 「大丈夫です。コウタさんの詩、きっと届くはずです」

 

 私のために死ぬ気で頑張るの?

 私のためなら死んでもいいの?

 ごめん、

 私は、それ、真似できない。

 キミのために死ぬなんて無理。

 だけど私

 キミのために頑張って生きるよ。

 キミのためなら辛くても生きるよ。

 死んでもいいと思うくらいなら

 キミも生きてよ。

 私のために。


 詩が終わって、一瞬、辺りが静寂に包まれた。

 息を飲んで事の成り行きを見守る人だかり。

 手すりの上に立っていた女生徒は、しばらくこっちを黙って見ていたものの、やがてバルコニーの内側へと身体を向けてしゃがみ込んだ。

 よし!! そのまま降りてくれよ――。

 「アサミィィ!」

 二階のバルコニーへ誰か突撃したぞ!? あれは……高江田じゃないか!

 「何をやっているんだお前は! こっちへ来い!」

 「お兄ちゃんには関係無いでしょ!」

 なんだかもめているけど……お兄ちゃんとか言ったぞ今。じゃあ飛び降りようとしていたのは高江田の妹かよ!?

 せっかく降りそうな雰囲気だったのに、高江田が無理に足を引っ張るもんだから、女生徒は抵抗を始めた。

 「ちょっと触らないで!」

 女生徒が高江田の手を払おうと足を動かした瞬間――。

 「あ……」

 「危ない!!」

 僕は咄嗟に落下地点に合わせてリアカーを思い切り押した。

 ――ボフゥゥンッ!!

 間一髪、パンの山の上に落ちる女生徒。辺りを焼きたて食パンの優しい香りが包み込む。

 「おい、大丈夫か!」

 「あ……う、うん」

 落ちたショックでかなり動揺している様子の女生徒。腰が抜けたのか、リアカーの上から動けないようだ。

 いろりちゃんに確認してもらったけど、とりあえず見た目に怪我は無さそうだ。

 「パンがクッションになったおかげで助かったんだな。よかった」

 「一応保健室に、行きましょうか」いろりちゃんが心配そうに駆け寄って来た。

 「う……ん」

 動揺しているのか、俯き加減で小さくぼそぼそとしゃべる女生徒。受け答えはできているから恐らく大丈夫だとは思うけど、確かに頭でも打っていたら大変だ。いろりちゃんの言うとおり保健室に向かったほうがいいよな。

 「うぉぉぉ!! アサミィィ!」

 野獣の咆哮にも似た雄叫びを上げながら、烈火のごとく階段を駆け下りてくる高江田。

 「アサミ! 怪我は!」

 「大丈夫……」

 「お前という奴は!」

 「ま、待ってくれ! 今は保健室が先だ!」興奮する高江田を制止して、僕が言った。

 「……そうだな、すまない。私としたことが取乱してしまった。……キミたち悪いけどこのまま妹を連れて行ってくれないだろうか」

 「え、いいのか? 一緒に付いていてやらなくて」

 「私はここの火消しが終わったら向かうよ……せっかくの学園祭、妹のせいで中止になってしまっては困るからね」

 高江田が手を挙げると、どこからともなく黒服に身を包んだ屈強な男たちが現れ、人だかりを解散させ始める。

 「あれって執行部の連中か。初めて見たな」

 「コウタさん それより保健室へ……」

 「そうだな!」

 「こ……このまま行くのです?」女生徒が不安げな表情で僕に聞いてくる。

 「ああ! 見た目、怪我は無さそうだけど、頭打ってたら危ないだろ!?」

 「……うん」

 リアカーに女生徒を載せたまま、僕たちは保健室へと急いだ。

 ――保健室前で診察が終わるのを待つ僕といろりちゃん。

 幸いにも怪我は無かったし、もうすぐ兄貴も来るだろうから僕たちは帰ろうとしたんだけど、女生徒からちょっと待ってて欲しいと言われ、廊下の長椅子に腰を下ろした。

 「いろりちゃんごめんな。せっかく作ってもらったパン、駄目になっちゃって」

 「いえ! いい、いいです。パンはまた作ればいいので」

 「それに、そのパンで人助けが出来ましたから、きっとパンも喜んでます。コウタさんのおかげです」

 もしあのまま地面に落ちていたら……二階とはいえ、無事では済まなかっただろう。それを考えると、パンは一人の女の子を助けてくれた訳だ。ありがとうパン……お前たちの事は一生忘れないよ。

 ……。

 そして、いろりちゃんは黙ってしまった。

 横目で様子を伺うと、いろりちゃんは床に落ちたゴミをじっと見つめている。どうかしたのだろうか。そういえば2週間前に学園祭の出し物を打ち合わせした日から、ずっと元気が無い気がするぞ。

 「いろりちゃんもしかして、元気無い?」

 「うえ! えと……大丈夫です」

 「……」

 「……」

 参ったな、こういう空気は苦手だ。相手は年下の女の子だし、お経大好きっ子だし。

 詩詠会の時にはいろりちゃんの笑顔に癒されていただけに、暗い顔をされるとなんだかこっちまで辛くなってくる。

 時間を確認しようと携帯電話を手にした時、僕は重大な事実に気が付いた。

 そういえば、いろりちゃんからメールアドレス教えてもらって……まだ送っていなかったぞ。も……もしかしてこの事で元気が無いのか?

 思い返してみれば、コンビニで鉢合わせした時にも一度言われている……メール待ってますって。

 女心はよくわからないけど、男の人にメールアドレスを教えたのに送ってくれなかったら、やっぱり悲しいんだよなきっと。

 僕は携帯電話のメール新規作成画面を開くと、おもむろに文章を打ち込んだ。

 『問一、いろりんの好きな食べ物を答えなさい――』送信っと。

 何書いていいか分からなかったのと、メール見てちょっとでも笑ってくれたらって思って……少しバカっぽい文章で送ったんだけど……滑るなよ頼むから!

 数秒後……僕の隣に座るいろりちゃんの携帯が鳴った。

 ――ゴーン……ゴーン……。

 着信音が梵鐘って……いろりちゃんブレないな。

 画面を開き、少し驚いた様子のいろりちゃんだったけど、僕の方をちらりと見て、携帯電話の画面に視線を戻した。

 心なしか、さっきよりも表情が明るい。やっぱり、この件で気を落としていたのかもしれない。

 暫くして、僕の携帯が鳴った――。

 『をかし』

 ぶっ。『を』って、いつの時代の人だよ。

 僕はすかさず返信ボタンを押した。

 『問ニ、いろりんの好きな人を答えなさい――』

 僕からのメール第二弾を見て、暫く困ったように考えていたいろりちゃん。

 返ってきたメールはというと……。

 『いっぱいすぎて答えられぬ』

 ――ブフッ! 思わず僕は吹き出してしまった。

 だって……だって、さっきから言葉遣いがおかしいよ!? 何処ぞの武者だっての!

 千歳ちゃんといい女子というのはあれか? メールでは別人格になるものなのか?

 まったく世の中、まだまだ僕の知らない事だらけだな。

 よーし、それじゃあ……。

 『問三、いろりんの好きなタイプを答えなさい――』

 ちょっと刺激が強いかなとも思いつつもちょっとだけ答えに期待して送ってみる。

 チラっといろりちゃんの方を横目で見てみると、驚く様子もなく文字を入力していた。きっと、動揺するんじゃないかと思ったのに……意外だ。

 そして返ってきたメールがこれ。

 『ぽえっとちゃん。女子ですが』

 ぽえっとちゃん? だれだろうそれは。

 よく見るとメールには続きがある。なになに? 『ぽえっとちゃんのブログ→……』

 思い出したぞ、前に話していた、尊敬する詩人さんのことだ! ポエットって、詩人の事だもんな、きっとそうだ。

 送られてきたブログのアドレスを開こうとした時いろりちゃんからまたメールが入った。

 『ありがとコウタん。これからもたまに、いろりんとメールしてくれますか』

 こ……コウタん。

まんまと仕返しされて赤面する僕。いろりんが一枚上手だった。

 そして、いろりちゃんは恥ずかしそうにしながらも少しはにかんだような笑顔になっている。良かった! やっぱりメール送らないのが原因だったようだぞ。今度からは気を付けないとな……。

 『もちろん。コウタんうれしい』送信っと――。

 わかっている。自分でも気持ち悪いのはわかっている……が、いろりちゃんはどうもこういうのがツボみたいなんだ。いろりちゃんが笑顔になるのなら……僕はきもいと言われても胸を張ってコウタんでありたい――!

 メールを見てえへへと笑ういろりちゃん。やばい。いつも暗い顔してるから、このギャップが余計にやばいぞ。

 「送ったアドレスは、前に話した私の尊敬する詩人さんのブログです」と、いろりちゃんが言った。

 「お家、お寺だから……最初はここの学校行きたくなかったんですが……ほかの学校は凄く遠かったですし。だけど、頑張ってこの学校通ってよかったです。アミノちゃんや千歳ちゃん、コウタさんにも逢えましたから」

 「だから、みんなに逢えたの、ぽえっとちゃんのおかげです……最後に書かれた詩、辛くなった時に何度も読みました」

 まぁでもブログを途中でやめちゃう人は多いんじゃないかな? 僕だってそうだし。

 「最後の詩か……」僕は教えてもらったサイトにアクセスした。

 そこには真っ黒い背景に白抜きの文字でこう書かれている。

 『中二ぽえっと』

 なんか、どっかで見たことのあるデザインだぞ。ろりぽっぷのサイトだっけ?

 最後に更新された詩は……ん? 最終更新日がニニニニ年十二月三十一日? よく見ると、他に更新されている日付も全部おかしい。全て未来の大晦日だ。どういう事だ? 何かの暗号にでもなっているのだろうか。

 それにしてもこの既視感――。ろりぽっぷのサイトとかっていう事じゃなく。

なんかどっかで……。

 画面をスクロールさせて、最後に更新された詩を見つけた僕は、詩を声に出して詠んだ。

 

 自分を信じて今を生きて

 自分を信じて今を笑って

 他人も神様も仏様も

 今は何も信じられなくても

 自分の心は信じていて

 キミのために泣いて笑って側にいてくれる

 大切な人たちと

 これから沢山出会うのだから


 ――僕は息を飲んだ。携帯電話を持つ左手が、かすかに震え、文字が揺れる。

 これ、僕が作った詩だ。

 思い出したぞ。確かコメントで詩を散々バカにされて、荒らされて、もう詩が嫌になって、コメント欄を閉じて、それでもう更新はしないって決めたんだ。

 でも、それでも最後に残した自分宛の詩。

 頭を撞木で殴られたような衝撃だった。『中二ぽえっと』は僕が中学生の頃に作ったブログの名前――。そう、間違いない。

 中学二年生ということと、中二――痛いという二重の意味で付けた名前!

 そうだよ……確か、更新の日付も、中二病発症して未来に生きてる僕かっけーって思って未来の日付に。サイトのアドレスさえ忘れていたけどまさかいろりちゃんが見ていただなんて。

 「私、うちがお寺だったから……いじめにあってて……それで誰も信じられなくて。でも、あの詩の言葉を信じていたらみんなに逢えたの」

 ――同じだ。僕と同じ。大好きなものを理不尽な理由でけなされたり、それを理由にバカにされたり……。キリスト教系の学園だから仏教は異質なものなのかもしれないけど……だからっていじめていいなんて事、あるはずがない。

 「それで、アミノちゃんがろりぽっぷをやろうって言った時、今度は私の番だって思ったんです」

 「私の……番?」僕はいろりちゃんに聞き返した。

 「神様を信じられなくても自分の心を信じて――と。きっと良い事は起きるはずだから」

 「そしてもし自分の心もちょびっと信じられなくなった時、ろりぽっぷを呼んで欲しい。私たちが話を聞くからって。……私が、みんなにしてもらったように」

 ろりぽっぷって、ただの悪ノリした部活ではなかったんだ。十字架を付けた虚無僧とか、お寺から巫女さんが出てきたりとか……質の悪い冗談のようにも思ったこともあったけど……いろりちゃんにとっては心の拠り所なんだ。

 新宗教再構築部……他教のエッセンス……僕はアミノさんの言っていた事を、今になって少し分かったような気がした。

 ――その時、ガチャッという音を立てて保健室の扉が開く。

 「あ……えと」と言う落下した女生徒。診察が終わったようだぞ。

 「頭とか大丈夫だったか?」

 コクンと頷く女生徒。

 「よかったなー。あ、お兄さんはまだ来ていないんだ。もうすぐ来ると思うけど……」

 「うん。えと、助けてくれて、どうもありがとうでした」ペコリと頭を下げ、女生徒が言った。

 「高等部二年のあーしゃです」

 「あーしゃ?」ってなんだ? 名前? この子も外国の子なのだろうか?

 「浅海だから、あーしゃなの」

 高校二年生にもなって自分の事をあーしゃって言うのはちょっと痛いけどまぁいい、高江田の妹だし。

 「そ、そか。分かった。僕は――」

 「鈴木コウタ」

 「どうして僕の名前を?」

 「さっき、手を振ってくれた時に聞こえたので」

 「そういやそうだったな……僕は付属大の一年生だ。よろしく」

 「で、こっちはいろりちゃん」

 「国神いろりです。ちゅ、中等部のニ年生です」

 「そう、中等部……のへええええ!?」僕は思わず変な声を出してしまった。

 びくっとするいろりちゃんとあーしゃ。

 「え……いや……だって」

 いろりちゃん、中学生!? 聞いていないよ! ていうかいつも千歳ちゃんやアミノちゃんと一緒にいるから、てっきり同じ高校生かと思っていたのに。

 ……考えてみれば、ここは小学生から通える巨大ミッションスクール。中学生が混じっていてもおかしくはない。

 それにアミノさんの見た目が特殊すぎて気づかなかったけど、いろりちゃんもよく見ればまだ子供のあどけなさが抜けきっていない顔のようにも見える。

 だがこうなるとますますアミノさんの年齢が分からなくなってきたぞ。初等部(小学校)があるんだぞここは!

 「しょとうぶ? 初等部がなんです?」

 「何でもない! ちょっと勘違いしていただけだ」

 「そっか。ところでさっき詠んでいた詩。二人が作ったのですか!?」

 「さっきの?」

 「ほら、落ちそうだったあーしゃに手を振ってくれてた時のです」

 「あれはなんていうか、いろりちゃんと僕との合作というか。原作はいろりちゃんかな」

 「すごーい! あーしゃ感動です! 心にほわぁんってきてキュンキュンしたです!」

 褒められるのは悪い気はしないけど……確かあれ『死ぬ気』ってタイトルの詩だよな……そんなんでキュンキュンしちゃっていいのかよ。

 「ぅえ!? わ、私は何も……」いろりちゃんが恥ずかしそうに答えた。

 「お二人は一体何者なのですかー!?」

 「別に何者っていうほどのものじゃないけど」

 ――ろりぽっぷというポエム同好会があって、そこで作った詩だということ、僕やいろりちゃんは詩が好きで詩友だちだと言う事なんかを説明した。

 「今度、部室に遊びに行ってもいいです?」

 「それは……どうだろう」

 悪い子じゃなさそうだけど、僕はろりぽっぷの部員ではないし……勝手に「いいよ」なんて言えないぞ。

 僕はいろりちゃんに「どうしよう?」という意味を込めてアイコンタクトをしたが、いろりちゃんは「ん?」という顔をしている。いまいちアイコンタクトが通じていない様子。どうしたものかな、アミノさんと、高江田との確執もあるしなぁ。

 僕が返事に困っていると、階段の向こうから高江田が走ってくるのが見えた。

 「遅くなって済まなかった。先生たちが騒ぎに気付いてしまってね」

 「大丈夫だったのか?」

 「ああ、私の厚い人望と信頼で説得してきたよ」

 すごい自信家だなこいつは……でもまぁ、執行部長を任されているのだから、実際に先生たちからの信頼もあるのだろうけど。

 「浅海、怪我は無かったかい」

 「え……うん」

 「そうか」

 高江田は、今度は僕たちの方を向き、いきなり土下座した――。

 「え、ちょ、ちょっと!?」

 「妹がとんだ迷惑を。パンが台無しになってしまった。このとおりだ」

 「いや、いいから顔を上げてくれ!」

 なんという華麗な土下座なんだこいつ、まさかコンビニ店員じゃないだろうなっ!? いや、でも土下座を伴うのはどれも高度な店長スキルだ。……まさかな。

 しかし、澄ました優男かと思っていたけど、やっぱりこいつ、実はいいやつなんじゃないだろうか。

 「お前もちゃんと謝るんだ」と言って高江田はあーしゃの手を引っ張り、土下座させる。

 「い、痛いよ! 触らないで! ほんとに飛び降りるつもりはなかったもん。それなのに、お兄ちゃんが来るから」

 「あのな浅海、兄ちゃんは謝れと言っているのだぞ」

 「さっき謝ったもん!」

 「もういいからさ、とりあえず二人とも土下座をやめよう」

 僕は二人の土下座をやめさせて、付近のソファーへと腰を掛けた。

 「自己紹介が遅れたね。私は高江田貴利。生徒会執行部長をしている、高校3年生だ」

 「僕はコウタ、こっちはいろりちゃん」

 「ど……どうも」

 「……キミはポエム同好会の。さっきパンを売りながら流していた詩はキミたちが作った詩だったのか」

 「そうだよ。いつだったか、あんたが乱入してきた時にちょうど作っていたんだ」

 「乱入……ああ、あのお経の音が煩かった時の」

 ――お経の音が煩い。はっきり言った。やっぱり……ろりぽっぷを解散させようとしたのはそれが原因だろう。

 「するとキミは、本当はただの通行人じゃないという事だね」

 僕の事を見て話す高江田。正直、何を言われるのかちょっと怖かったけど、今更隠したところで仕方がない。明日には解散の危機。しかも売り物のパンは全て無くなってしまったのだから。

 「僕は付属大の一年だ。この子たちとは知り合いで詩を教えていただけだ」

 もうこうなっては後に引けない……アミノさんは、言っても何も変わらないって言ってたけど、このままじゃクビにさせらてたんじゃ僕が納得できない!

 「なぁ、高江田。確かにこの学園でお経を流すのは褒められたことじゃないかもしれない。でも、それで解散させる事はないんじゃないのか!? そのうえ、アミノさんをクビにするよう仕向けるなんて、やりすぎだろ!?」

 いろりちゃんは以前のようにお地蔵さんみたいにして固まっている。そうか、いろりちゃんはアミノさんがクビになったの、知らなかったんだっけ。

 そして高江田はというと……暫く考え事をするかのように黙って……宙を見つめていた。

 「……一体何のことを言っているのか分からないな」

 なんだと? とぼけた事を!

 「お経の音が煩いというのは本当だが……お経を流すなとは言っていない。音を小さくして欲しいと言っているんだ」高江田はメガネの位置を直しながら続けた。

 「一号校舎は建物も古く老朽化が激しい。そのせいで音が響いて外まで聞こえてくるんだよ」

 「は、はぁ?」

 「それに、解散させようともしたことはない。メルローズ女史はまるで私の声など聞こえてないようでね。音量が大きいから少しさげてくれと言っているのに、何度言っても聞く耳を持ってはくれないんだ」

 ……凄く嫌な予感しかしない。きっと真実の耳栓しているアミノさんだよなそれ。

 「まったく……困った妹だよ」

 「い、妹!? アミノさんが!?」高江田が衝撃の発言。僕はもう、咄嗟に叫んでいた。

 「何をそんなに驚いているんだい。人類みな、兄弟だろう?」

 ……驚かせやがって! そういう意味で突然妹とか言うなよなフツー。

 「キミは大学生か。それでは私からすると兄さんになるね」と言って、高江田は僕の事を兄さんと呼ぶ。人類皆兄弟……わかるけど、すごくわかるけどまぁ、いいや。相手はあの高江田だ。これ以上、いざこざを増やすとろりぽっぷのためにもよくないだろう。

 「そうだ、兄さんに一つお願いがあるんだ。2週間ほど前にあった叙階式の時……私はメルローズ女史に言ってはいけない事を言ってしまってね」

 2週間前の叙階式ってあれか! アミノさんが、クビになっておめでとうって言われたという!

 「あの言葉は聞かなかった事にして欲しい……そう伝えてもらえないか」

 「そんな虫の良い話……悪かったと思うなら自分で直接謝りにいけばいいだろう?」

 「わかっている。だがあの時はまだ言ってはいけない事だと知らなかったんだ」

 「それに、私が話をしてもメルローズ女史はとりあってくれないからね」

 言われてみれば……アミノさんはきっと、高江田の話なんて聞きたくないだろうから真実の耳栓しそうだよな。

 でも待てよ、なんか変だ。今までの話をまとめると、高江田はろりぽっぷ解体を目論んでいたわけではなさそうだぞ? ちゃんと話をしあえば、もしかしたら分かり合えるんじゃないか?

 「わかった、僕から話してみるさ」

 「ありがとう、兄さん。恩に着るよ」

 「確認だけどあんたはろりぽっぷ、ポエム同好会を解散させたい訳じゃないんだよな」

 「……さっきから言っているじゃないか」

 「それなら、明日出ていかなくてもいいんだよな!?」

 「明日…………?」高江田は腕を組み、一瞬考えてから続けた。

 「いや、それとこれとは別の話だ。明日の夕方までには必ず出て行ってもらう」

 「なんでだ! さっきと言っていることが違うだろう?」

 「……これはもう決まったことだよ。それに、私の手に負える問題でもない」

 そして高江田は、そろそろ執行部の仕事に戻ると言って去っていってしまった。

 結局、明日の解散は免れないのか? くそ!

 でも、高江田が仕組んだわけじゃないとすれば、一体誰が何の目的で。

 「お兄ちゃん、眉間にシワが寄っているですよ?」

 ブッ……お、お兄ちゃん!? 今、僕に言ったんだよな?

 「あーしゃ、今僕の事、なんと?」

 「だって、お兄ちゃんですよ?」

 あーしゃが言うには『お兄ちゃんのお兄ちゃんだから、あーしゃのお兄ちゃん』という理屈らしい。いや、わからんでもないけど……何故だろう、頭が痛い。

 「いろりお姉ちゃんも元気ないですね」

 戸惑いを隠せない僕に、容赦なく追い打ちをかけるあーしゃ。お前、いろりちゃんより年上のくせにかっ!

 「ふぇ! あ、あの……私、お姉ちゃん?」意表を突かれたいろりちゃんに、あーしゃのキラーパスが炸裂する。

 「うん! だってあーしゃはみんなの妹なのです!」

 ――衝撃だった。

 僕だって、自分のことは割りと痛い奴だと思ってはいたが……あーしゃほど熟成された奴はなかなかいない。あまりの突き抜けっぷりにむしろ清々しさすら感じるなんて……恐るべしあーしゃ! 恐るべし高江田の妹。

 「あ、あーしゃちゃんあのね」いろりちゃんが話しだした。

 「部室に、遊びに来てもいいから……だから、もう男の子にふ……ふられたからって、飛び降りとかしちゃ駄目だよ?」

 「そうだよ、男なんて腐るほどいるんだしさ」

 「はーい!」というあーしゃ。よかった。すごく元気になってきたぞ。さっきバルコニーで大暴れして落っこちた張本人とは思えないな。 

 「でも、あーしゃはふられてませんですよ」

 「え? そ、そうなのか?」

 男なんて信用出来ないみたいな事を叫んでいたから、僕はてっきり振られた事へのショックが原因だと思っていたのだが、違うのか。

 「じゃあ、どうしてあんなことしたの?」いろりちゃんが続けた。 

 「あれはー……えーとぉー……お、お友だちがー」

 「お友だちが?」

 「付き合ってた男の子にふられちゃいまして」

 「で?」

 「友だちの代わりに、理由を聞きに行ったのです……そしたら」

 「そしたら?」

 「そーしたら、その男がどえりゃあ悪いやつでなぁーっ!」

 ふんふんと息巻いて、身振り手振りで説明してくるあーしゃ。また飛び降りるとか言い出すんじゃないかと思うほどの熱の入れようである。

 「わかったから落ち着けって! 言葉遣いまでおかしくなっているじゃないか!」

 ハッと我に返るあーしゃ。ばつが悪そうに下を向いてぼそぼそとしゃべっている。

 「さっきも、今みたいについ昂っちゃったのです……それで気がついたらリアカーに」

 「はぁ? つまりそれじゃ、自分の事でもないのに飛び降りようとしたのかよ?」

 「えへっ」と言うと舌をちろりと出して目をきゅっと瞑り、肩を窄めるあーしゃ。

 このあざとさ……反省しているのかバカにしているのか分からないこの態度……。まるで自分の妹を見ているようだ。こういう態度をされると、もうバカバカしくてこれ以上追求したくなくなるんだよな……。可愛さ余って憎さ百倍とは妹のために作られた言葉じゃないだろうか……こいつ、人心掌握術を心得てやがる。本当に妹みたいに思えてきたぞ。

 でも、悪い子じゃないと思った。友だちのために自分の事のように本気になれるなんて、そうそう出来る事じゃない。それに詩も好きみたいだし。

 「とりあえず僕たちはもう行くから、気をつけて帰るんだぞ」

 「え、どこ行くのですお兄ちゃん!?」

 「パンだよ、パン作らなきゃいけないから……。もし退屈だったら手伝いに来るか?」

 「行きたい行きたい! ……けど、あーしゃもやることあるのでした……」

 「そうか、まぁ暇になったら来いよ。メルローズ礼拝堂準備室にいるから」

 ――あーしゃと別れた後、部室へと向かう道中。 

 「いろりちゃん、中等部だったんだ」

 「あ! うん、ごめんなさい黙っていて」

 「いや……違うんだ。そういう意味じゃなくてさ、中等部でも高等部の部活に入れるんだと思ったから」

 「はい、学園内でしたら初等部からでも入れますよ」

 「凄いなそれ。もしかして、付属大学の僕でも入れるのか?」

 「はい。本来でしたら……」

 「本来?」

 本来ってなんだ。今は入れないという事なのだろうか。

 「あ、あの! それよりコウタさん……さっき言っていた話」

 さっき? なんだっけ……。

 「アミノちゃんがクビって、本当なんですか?」

 「そうみたいだ。どうして突然そうなったのかは……アミノさんもよく分からないみたい。最初、高江田が仕組んだんじゃないかと思っていたんだけど、それもどうやら違うようだし」

 「……」

 いろりちゃんが黙ってしまった。いきなりこんな話されたらショックだよなやっぱ。

 無言で歩くいろりちゃん。保健室を出ると綺麗な青空の元で活気のある出店やイベントに群がる人だかり。楽しそうに笑ったり、ふざけあったりしている。

 「じゃ……アミノちゃん、帰っちゃいますかね」

 周りの風景とは正反対のいろりちゃんに、僕は胸が痛くなった。本当であればいろりちゃんたちだって、他の生徒のように学園祭を楽しみたかったはずだろうに。

 ずっと……僕が昔作った詩を信じてくれていて、やっと得られた心の拠り所。なのにそれが、もうじきなくなるかもしれないなんて。しかも友だちまでバラバラになるかもしれない訳だから、楽しいはずがない。

 「大丈夫、絶対にアミノさんを帰らせたりはしない。ぼくも協力するから」

 「……ありがとう、コウタさん」

 「僕だって、詩友だちを失いたくないし――、頑張って存続して、部活に昇格してさ。またやろうよ、詩詠会!」

 「そうですよねっ」

 詩の話が出て、いろりちゃんの表情が若干緩んだ。

 部活昇格って確かあと一人部員がいればいいんだよな? 僕じゃ駄目なんだろうか。

 「学園祭が終わったら、僕もろりぽっぷに入れてもらおうかなぁ。ほら、あと一人で部活昇格するだろうし」

 さっき、大学生が部活に入れるかという話を振った時のいろりちゃんの答えはどこかおかしかった。気になった僕は、恐る恐るもう一度確認の意味を込めて訪ねてみた。

 「……コウタさんは」

 「うん?」

 「難しいかも……しれないです」

 「な……どうして?」

 「わかりません。ただアミノちゃんから、コウタさんだけは絶対に入部させないようにって言われましたので……」

 ――衝撃だった。自分ではもう……みんな友だちだと、思っていたのに……なんで。

 「……ろりぽっぷの存続に、必要なことと言われてしまいましたから」

 その時はもう、「そうなのか」と言って、歩き続けるだけがが精一杯だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ