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スタンダードさん

 次の日曜日、珍しくバイトのシフトが入っていなかった僕は、アミノさんがやっているという日曜礼拝がどんなものかひと目見てみようと、朝早くから学園へと足を運んだ。

……が、着いてみると礼拝堂前は閉まっている。隣接する準備室兼部室にもアミノさんの姿はないし……おかしいな、曜日を間違えたか?

 「コウタ?」

 鍵のかかっている礼拝堂前で帰ろうか迷っていると、僕の後ろで声がした。

 「あ、ああ。アミノさんおはよう」

 「おはよう。早いわね……今日は何か用事でもあったかしら」

 振り返ると、まるでゲームの世界から飛び出して来たような服装を身に纏ったアミノさん。ベロア調の緋色で織られた司祭服に十字架の紋様が入ったケープを羽織り、頭には王冠のような帽子をかぶっている。

 こうしてみると、司祭と言われても違和感が無い。実に神々しい姿だった。

 「……アミノさん、お姫様みたいだな」

 僕は普段、褒め言葉は殆ど口にしない方だ。相手がどう解釈するか分からないし……それに、変に勘違いされると厄介な事になりかねないからな。

 でもアミノさんは普通の人と違っていて……彼女は事実は事実としてしか認識していないし、変な個人的な感情で勘ぐったりしない。だから僕も誤解される心配なんかしないで率直に思ったことが言えたんだ。……でもそれが、本当に良いことなのかどうかは別の問題だけど。

 「お姫様? この宝冠のせいね。今朝届いたばかりの新しい祭服なの」

 「コウタも被ってみる?」

 「ああーいや! いいよ。僕は似合わないしさ。それより……」

 神を信じていない僕でも、つい跪いて祈ってしまいそうになる格好をしていても、思ったとおり、中身はいつもの警戒心の無いアミノさんである。

 「今日って、礼拝の日でいいんだよな……?」

 「……そう、忘れていたわ。まさかこんなに早く来るとは思っていなかったから」

 「今日はこれから特別な叙階式があって、礼拝はお休みなの」

 「そっか、そうなんだ……行く前に確認しとけばよかったなぁ」

 「無駄足を運ばせてしまったわね」

 「いいって、どうせ今日は何も用事が無いし……散歩でもしないと、ずっと家の中で過ごしてしまうからな」

 礼拝の時のアミノさんがどんな感じなのかは見てみたかったけど、アミノ姫に会えたからまぁいいか。

 「もし用事が無いのなら、あとで付き合ってくれないかしら」

 「いいけど……何?」

 「ちょっと、行きたいところがあるの」

 アミノさんは「それじゃ、十一時にまたここで会いましょう」と言うと、大講堂の方へ歩いて行ってしまった。

 付き合うって、何の用事だろう……とりあえず時間まではニ時間以上あるし、どうやって暇潰そうかな。

ああ、そうだ、そういえばこの間、いろりちゃんと千歳ちゃんのお家は向かいあって建つお寺と神社とかって言ってたっけ。心当たりがあるぞ……そこまで散歩してみよう。

行き場所が決まった僕は一号校舎を後にした。

メルローズ礼拝堂から一番近い東正門付近には昔ながらの商店街が立ち並んでいて、その先を抜けた所に僕の住んでいるアパートがある。

 商店街の脇には、季節になると花見客が訪れるほどの綺麗な、それでいて小ぢんまりとした公園があり、その公園を間に挟むようにしてお寺と神社が並んで建っていた。

 ミッチェル卿学園の力が強いこの街にもいくつかの神社仏閣はあるけど、隣り合って建っているのは確かこの上真寺と式名神社だけだったはず。

 「上真寺……と、ここか。いろりちゃんいるだろうか」

 いろりちゃんの家を選んだ事に深い意味は無いけど、千歳ちゃんだと『コウタ君! やっぱりストーカーでしょ!』とか言いかねないし。

 白い息を吐きながら石の階段を登ると、静まり返る境内に参拝客の姿もなく……我が物顔で境内を走りまわる鳩たちの声だけが聞こえていた。……誰もいないのか? 

 お寺にもお休みの日があるのかなと考えながら辺りを見回していると、目に止まったのは境内の隅に設けられたお墓コーナー……。

 ……帰ろう。

 そう思って、たった今登ってきた階段を潔く引き返そうと考えた瞬間、

 「あっ! コウタ君!」

 「えええ! 千歳ちゃん?」

 「やっぱり前世、ストーカーでしょ!」 

 本堂の中から、巫女服を着た千歳ちゃんが出てきた。

 「え、ちょ……なんで?」

 「なんでって何が!?」

 「だって、お寺から巫女さんが出てきたらフツー驚くだろ!?」

 「は!? フツーは『好きです付き合ってください』でしょ!?」

 「無い! 仮に好きだったとしても、そのシチュエーションで告白とか無いから!」

 なんだこのやり取り……。どっかで聞いた気がするぞ?

 「なんでお寺にいるんだよ」

 「いいじゃない。別に」

 「駄目じゃないけど……ここ、いろりちゃん家じゃないのか?」

 「どっか行っちゃったよ。あたしはお留守番頼まれただけだし」

 最初からそう言えよなぁまったく……。

 「コウタ君はいろりに用事?」

 「用事っていうか、まぁ……」

 ――このあとアミノさんと待ち合わせしている事は……言わない方がいいよな。変に勘ぐりそうだし。

 「来る前に携帯で確認しなかったのー? いろりのアドレス知っているくせにさぁ?」

 そう言われればそうだな。僕はいろりちゃんのアドレスを教えてもらったけど、結局何を書いていいのか分からずにまだ送っていないんだっけ。

 「ねぇ、コウタ君の携帯アドレス、私にも教えてよ」

 「……どうせ着拒するんだろ?」

 「あれは冗談だって言ったじゃないのっ!」

 「じゃあ、どうして?」

 「どうしてって」

 千歳ちゃんは呆れたような、困ったような顔をして僕に言った――

 「友だちに携帯のアドレス聞くのって、特別な理由がいるのー?」

 ――友だち? 僕は千歳ちゃんの言葉にはっとした。

 友だちか……なんとなく心の中では「ひょっとしてもう友だちかな」なんて思っていたけど、言葉に出すのは照れくさかった。それに、友だちだと思っているのがもし、僕の方だけだったりしたら……なんて心配してしまい、口にするタイミングが掴めなかったんだ。

 そっか……友だちなんだ……。友だち!

 「そうだな……友だちだもんな!」

 この街に来て半年――。大学でも……これといった友だちは出来なかった僕に、ようやく友だちが出来たのだ。

 やばい、ニヤける。

 「なんなの? いつも変な顔して。」

 いつもってどういう事だよ。

 「友だちっていいもんだな、と思って」

 「コウタ君って本当……バカだし」

 相変わらず分けのわからないまま罵倒されたぞ。でもまぁいい。今の僕は溢れんばかりの幸福感で心が満ち満ちているからな。

 携帯のアドレスを交換しながら、先日あの後、どうだったかを聞いてみた。 

 「……この間のワンコ、どうだったんだ?」

 「コウタ君が来ていたときの? 部費は入ったよ」

 「部費? 部費ってもしかして……ワンコの収入って部費に充ててるのか?」

 「そう、悪い? あと、お布施でもらった物も部費行きだよ。何せウチは部費が出ないのだから!」偉そうに千歳ちゃんが言った。

 そう言われてみるとそうだ。部費が出ないわけだし……それに、部費以外の使い道も考えつかないし。

 「部費が入ったら、これでまた新しいコスチュームが揃うわ……ししし」

 「個人情報を犠牲にしてまで裏紙にチラシを刷っているのに、コスチューム買っちゃうのかよ!?」

 「コスプレはワンコに必要なのー!」

 ワンコにコスプレが必要かどうかは、いつか真剣に話し合わないと駄目な気がするぞ。

 「……ただ、リピートさんだったから宣誓書はもらえなかったけどね……」

 「宣誓書って、僕が部室で見たあの紙こと?」

 「そうだよ」

 僕は書かずに済んだけど……あの、何を誓うのかいまいちはっきりしない宣誓書。よくみんな書いてくれたな。

 「アレってさ、もしかして入部届とかになってたりするのか?」

 「……それで済むなら……もうとっくに部員定数満たしてるし」

 突然、千歳ちゃんの動きが止まった。

 「え、どうした?」

 束の間の沈黙で、鳩たちの声がまた存在感を増してくる。

 「ね……コウタ君はさ……神様って、いると思う?」

 いつも騒がしくて元気が取り柄の千歳ちゃんが急に暗い顔をして弱々しく喋るものだから、僕は少し動揺してしまっていた。

 「急に何で!?」

 「あたしね、この学校入って、みんなに逢えて……ずっと感謝してたんだよ……神様に」

 「神様に感謝?」

 「みんなに出逢わせてくれて有難う神様! って」

 意外だった……僕の中では神様というのは『お願いする対象』なのだと思っていたけど、千歳ちゃんにとってはそうじゃなくて『感謝の対象』だったんだ。

 「神様ありがとうか。考えたこともなかったな」

 「い、いちおー……コウタ君に逢った時にだって感謝したんだからね……感謝しなさいよね!」

 感謝した事に感謝するって何語なの!?

 いや……でも、日本語はちょっとおかしいけど……それってつまりは、僕と会えて嬉しかったって事なのだろうか。

 千歳ちゃんは僕の返事を待っているかのように、こちらをじっと見ている。

 「あ、ありがとう……いちおー」僕が言った。

 「いちおー!?」

 「逆切れかよ!? そっちが言いだしっぺなのに!」

 返せ! 今のトキメキ返せよ!

 今まで心の中で突っ込むだけに留めておいていた僕の心は、そろそろ限界を迎えつつあった。

 そんな僕の様子などお構いなしに、話し続ける千歳ちゃん。

 「でもね……もしこのまま……もしも、だよ?」

 「……ろりぽっぷが無くなっちゃう事になったら、あたし……神様のばかやろー! って、言っちゃいそうだよ……」

 言うが早いか、千歳ちゃんは身を翻して階段を下りる――。

 「神社戻らなきゃ。ごめん行くね」

 僕の方を振り向くことなく、小走りで式名神社へと帰ってしまった。

 『もしも、ろりぽっぷが無くなってしまったら』……

 やっぱり、気になっちゃうよな……。知り合ってまだ一週間の僕でさえ、ろりぽっぷが無くなったらと思うと寂しいし……。

 それにしても神様のばかやろーか。巫女の言う言葉じゃないけど……悪くないなって思った。千歳ちゃんっぽくて、僕は好きだ。

 ――時間を確認すると十時を過ぎている。そろそろ戻るか……。

 お寺の階段を駆け下り、僕は学園へと向かって歩いた。

 「おーい! 鈴木くぅーん!」

 学園へ戻る道すがら、商店街の一角にある僕のバイト先『ファミリーストア国神』の前で、誰かが僕を呼ぶ声がする。

 あれは……小川先輩。

 外でゴミ箱の片付け最中らしく、周りをキョロキョロしながら、いいからこっちへ来い! と言わんばかりのジェスチャーで手招きしている。

 小川先輩はバイトの先輩というだけでなく、同じ大学の2つ上……しかも、アパートまで一緒という全然嬉しくないラブラブ仕様だ。はっきり言ってあまり関わり合いたくない人だけど……ここで無視を決め込んでしまうと、あと3年以上残っている僕の学生生活に支障を来す事になりそうだし……まいったなぁ。

 「お疲れ様です先輩」

 僕はこの場を早めに切り上げるため、小川先輩に近づきながらもコンビニ店員必須スキル『苦手な先輩から仕事を教えてもらう時に必要な距離のとり方』を光速展開する。ちなみにこのスキルを編み出す切っ掛けとなった人物こそ、何を隠そうこの小川先輩その人なのだ。

 「ちょちょちょっと鈴木君! ちょっと! こっちこっち!」

 僕の腕を引っ張り、柱の影へと連れ込むと、目を見開いて顎をクイクイと動かし中を見るよう促してくる。なんなんだよもうこのテンション。しかも筋肉隆々のでかい図体で密着してくるもんだから、冬だというのに暑苦しい。

 「なんですか先輩……僕ちょっと急いで……」

 「店長の……娘さんが来ている!」

 「……はぁ?」 

 店長は僕のお父さんと同じくらいの歳だから、娘がいたって別に普通だろう。

 「それがどうかしたんですか?」

 「同化してしまいたい! 凄く可愛いんだぞ!? まるで人形みたいに!」

 「――人形!?」

 先輩の言っている事は支離滅裂だったけど、『人形みたい』という言葉に思わず反応してしまった。

 外からレジの方を覗くと、店長と誰か話している。柱が邪魔して……よく見えないな。

 僕のすぐ隣では小川先輩の「ハァ、ハァ……もう少しローアングル……ハァ、ハァ」という不気味な呟きと息遣い……。傍から見ればその姿、完全に犯罪者予備軍である。

 そうだ、そういえば先輩は僕に『大きな男の子たちが遊ぶ特別なお人形』の存在を教えてくれた張本人だったんだ。

 聞けば中学高校とボディビルに青春を捧げてきたピュアボーイだったものの、大学2年の時にたまたまテレビでやっていた女児向けアニメの美少女戦士に一目惚れしてしまい、現し世から解脱してフィギュア界という名の涅槃の境地へ到達してしまったとか……。

 本当だとしたら悲劇だよなぁ。顔はほりが深くて男前だし……ボディビルをやっていただけあって体格も男らしい。これで黙っていたらモテるだろうに。

 それがどうだ、今は美少女フィギュアの収集と写真撮影が趣味……いや、その趣味が良くないってわけじゃないけど……女の子から見て、引いてしまう趣味なのは間違いないだろう?

 「あ、出てきたぞ!」

 店長との話が終わったのか、自動ドアが開き、その女の子のシルエットが鮮明になる。

 ん? なんか、見たことあるような?

 「あれ? コウタ、さん?」

 「い……いろりちゃん!?」

 「あ、こ、こんにちは……えへへ」

 「えっと……え?」

 ん……? もしかして……?

 「あの、ここ……私のお父さんの、お店なの」

 「え……えええええ!? だって、家はお寺って」

 「お寺はおじいちゃんがやってて……お父さんは、普通に働いてて……」

 「あ、ああ……そうだったんだ」

 世間って狭いんだな……まさか、いろりちゃん家のお店でバイトしていたなんて。

 その時、僕たちの姿を見つけたのか、店長も外に出てくる。

 「店長、お疲れ様です」

 「やぁコウタくん、こんにちは。今日はシフト入ってなかったのに、遊びに来たのかい?」

 「お父さん!? ……コウタさんの事、知ってるの?」

 「なに? いろり、お前もコウタくんの事、知っているのかい?」

 お互いに目を合わせ、同時に僕に視線を向ける二人。

 ……こんな時、なんて説明すればいいの!?

 「いろりちゃんとは、学園内で知り合った友だちでして」

 「で、僕はここでバイトしてて」

 「ええ!」

 「そうだったのか、世間は狭いなぁ。なぁいろり?」

 はははと笑う店長。

 「コウタくん、学園でのいろりの様子はどうかね? 周りとちゃんと馴染めているかな」

 「ええ、はい」

 「この子はちょっと、引っ込み思案なところがあってなぁ」

 「お、お父さん! いいよそんな事言わなくて!」

 「大丈夫です。いろりちゃん、みんなに好かれてますから」

 なんか、ホント優しそうなお父さんだな、店長って。

 「あぁ、いらっしゃいませ~。……お客さんが来たから、私は戻るよ」

 「それじゃあコウタくん。いろりのこと、よろしくね」

 そうして店長はお店の中へと戻っていった。

 「も、も~!」

 顔を真っ赤にしているいろりちゃん。恥ずかしがっている姿も可愛かった。

 「ごめんね、コウタさん。お父さんが変なこと言って」

 「うんん、大丈夫。というか……優しそうなお父さんで羨ましいよ」

 「そ、そんな事……あ! 私、千歳ちゃんにお留守番お願いしていたんだ。ごめんなさい。私、行きますね」

 「ああ、また」

 「メール、待ってますねー!」

 袋に入った沢山のロリポップキャンディを持って、いろりちゃんは行ってしまった。

 ……言われてしまった。メールの事。……用事が無いとメール送りにくいんだよなぁ。特に女の子相手だと。

 そんな事を考えていた僕の背後から、

 「すーずーきーくーん」

 柱と同化していた小川先輩の声。そうだ、忘れていた……先輩の存在を。

 「店長の娘さん……いろりちゃんと言うんだな」

 「そう、ですね」

 「随分親しげだったな」

 「いや~どうでしょう? ただの友だちですし」

 「メール、送るんだよな!!」

 うわぁ~~もうホント、面倒くさい人に見られたぞ。

 「鈴木くん……きみに折り入ってお願いが」

 「嫌です!」

 「なぜ最後まで話を聞かないんだキミ!」

 「だってどうせ、いろりちゃんの写真撮らせて欲しいとか、そういう類の話ですよね?」

 「……ポッ」小川先輩は両手を頬に当てて……恥じらいのポージングで僕に言った。

 …………ほう。

 僕はこれまで『人に対して使っちゃいけない形容詞』として封印してきた言葉がいくつかあった。これを使ってしまっては……その人の人としての品格を貶めることとなってしまうかもしれない……そう思ったんだ。

 だがしかし……今日あえてその中の一つを使わせてもらおう。最早、先輩とかどうとか……関係ないっ!

 「小川先輩、キモいです」

 「何を言うか鈴木くん!」僕のデスワードを受けた小川先輩は、目を見開いて僕の方を掴み、続けて言った。

 「本当のキモいとはこんなもんじゃないぞぉ! 本当のキモいというのはだな……」

 「いや! いいですから! 見たくないですから!」

 くっ、この人はヤバイぞ……まったく動じていないなんて! 

 迂闊に飛び込むと、逆にこっちがやられてしまう。やはり、変に関わらずさっさと立ち去るのが得策か。

 「そんな事より先輩、いいんですか? バイト中……店長に見られてますよ」

 「私はもう上がる時間だ。それに……今はこっちの話の方が大切なのだよ鈴木君!」

 何!? もう上がるの先輩……。これじゃ、ヘタに後をついて来られたら面倒くさい事になってしまうぞ。 

 「じゃあほんと、聞くだけですよ?」仕方なく僕は先輩の話を聞くだけ聞くことにした。

 「あと、この話は店長には内緒にしてほしいのだがな……」

 「何ですか?」

 「……エッチなサービスかもしれないんだぞっ!」耳元で囁く小川先輩。

 はぁー? 何の話だよ……もうなんでもいいから早く話を進めてくれ!

 小川先輩はズボンのポケット中から折りたたまれた紙を取り出し……広げた。

『心が疲れた時は、ワンコイン出張 ろりぽっぷ』

 ――背筋が凍った。

 ろりぽっぷのチラシ……どうして、小川先輩が!?

 「このチラシ、見覚えは無いか!?」

 「いえ……知りません」

 僕は平静を装い小川先輩の問いに答えた。そう答えるだけで精一杯だった。

 じっと僕の目を見つめる小川先輩。顔が近すぎて怖い。

 「これは……大学が冬休みに入る前、店長の娘さん――いろりちゃんがお店に来た時に落として行ったものなんだがな」

 「鈴木君! ずばり言って……いろりちゃんと何か関係があると思うかね!?」

 「さ、さぁ」

 いろりちゃんのバカ――!! よりによってこの人に見つかってしまうなんて……!

 チラシを配ったり、ワンコを続けていたらそりゃあいつかは知り合いに会ってしまう事だってあるかもしれない。それはある意味仕方がない事かもしれないけど。でも……それでも……この、変態(小川先輩)にだけは見つかってはいけなかったのに――ッ!

 「見たまえ……いろりちゃんの名前の『ろり』に……いつも大量に買っていくロリポップキャンディ……」

 「私にはとても、無関係とは思えないのだよ鈴木君!」

 言われてみれば、ろりぽっぷの名前は、もしかしていろりちゃんの名前が元になっているのだろうか。普段は変態でしかないのに、こういう時だけは頭が回るんだよなこの先輩。

 「……実を言うとな、一度このチラシのアドレスから申し込みしてみたんだが……結局来なかったのだよ」

 「えええー! 申し込みしたんですか!?」

 「ど、どうした鈴木君! 声がでかいぞぉ!」

 やばッ! あまりにもびっくりして声が……。

 「いや……ほら、怪しいチラシなので……個人情報抜いて、変な請求とか来たりしないかと思いまして」

 僕は、天井知らずに上がり続ける心拍数を抑えるだけで必死だった。結局来なかったって言ってたけど、いつ申し込んだんだ!? もしかしてこれから先のワンコ予定に入っていたりしないよな!?

 「先輩、いつ申し込みしたんですか?」

 「冬休みの初日だ。私はいろりちゃんが来た時のために、日中の予定を全てキャンセルしたからな。忘れるハズがない」

 冬休みが始まって、もう一週間になる。これから先のスケジュールに入っている可能性なんて無いと思うけど。

 「いろりちゃんと親し気な鈴木君なら、もしかして知っているんじゃないかと思ったんだが……知らないならいいんだ」

 そして小川先輩は「またな」と言ってお店の中へと消えていった。

 ――僕は暫くその場から動けないでいた。

 先日、アミノさんはパソコンを見て、申し込みが入っているわって、言っていたよな。

 つまりその日に来た申し込みはその日のうちに片付けていそうだけど……念のために、後でアミノさんに確認してみるか。今考えても仕方がないし。そう、時間だって……。

 時計を見ると、既に十一時半を回っている。

 やばいっ!! 完全に遅刻だ! 小川先輩に捕まってしまったせいで、余計な時間食ってしまったぞ……急いで戻らないと!

 僕は走った。兎に角走った。ファミリーストアー国神から学園の東正門までおよそ三○〇メートル。そして東正門から礼拝堂までのおよそ一千メートル――!

 「ハァ……ハァ……っ! アミノさんも、携帯……ハァ、ハァ、持ってくれたら……いいのにっ」

 息を切らして一号校舎の階段を駆け登り、メルローズ礼拝堂の前に出る。

 「……い、いない!? まだ、来ていないのか?」

 呼吸を落ち着かせて、準備室の中を覗いてみると、カーテンを閉めきった、電気のついていない暗い部屋の一角にぼんやりとした光りに照らされているアミノさん。ノートパソコンを見ているようだった。

 「ごめん! アミノさん……遅くなって。……というか電気くらい点けよ……」

 「……コウタ?」

 こちらに気がついて、顔を上げるアミノさん。その目に――。

 え!? 今……。

 「遅かったわね、用事があるなら無理に付き合わなくてもいいのよ」

 「違うんだ! ちょっと知人と話し込んじゃってさ」

 それだけ言うと、アミノさんはまたノートパソコンの画面に視線を落とす。

 さっき、一瞬……アミノさんが泣いていたように見えたけど、僕気のせいだろうか?

 相変わらず眠たそうな目付きのヘーゼルアイは、朝方会った時のお姫様みたいな格好をしていることもあって普段の五割増しくらい輝いて見える。……でも、やはり泣いている様子は無い。

 僕は自分の妄想力がちょっと怖くなっていた。誰も踏み込んだことのない、未知の領域へと踏み込んでいるのではないか……と。……だって、アミノさんが泣くなんて……常識的に考えてあり得ないだろ?

 「コウタ、今日の予定は変更になったわ。せっかく来てもらったところけど……もう帰ってもいいわよ」

 「え!? どうして? どこか行きたいところがあるって」

 「今さっきワンコの申し込みがあったの。だから……今から向かうわ」

 僕は『ワンコ』というアミノさんの言葉に、小川先輩の事を思い出した。

 ワンコ……やっぱり、申し込みのあったその日のうちに行くのか。……だとしたら小川先輩の申し込みはどこへ消えてしまったんだろう。もしかして先輩の申し込み、うまく送信されていなかったのか?

 「もう、時間が無いのよ」アミノさんが続けて言う。

 「時間がないって? 何の?」

 「前に高江田さんが言っていたでしょう」

 「高江田ってあぁ、執行部長の」学園祭までに部活に昇格しなかったら、部室を出ていけという話だっけ。

 「もしかして部員、集まりそうに無いのか?」

 「残念だけど、そういう次元の話ではなくなってしまったわ」

 いつもの眠たそうな瞳をさらに細めるアミノさん。

 「朝コウタと別れたあと、大講堂へ向かう途中で理事長室に呼ばれたの」

 「聞かされた話は一言だけだった。『必ず学園祭までに荷物を片付けておきなさい』って」

 「必ずって……それはつまり……部室明け渡し確定ということ!?」

 「そうね」

 なんという事だ……せっかく見つけた桃源郷、せっかく見つけた友だち。どうすればいい、どうすればいいんだ! このままみんなと会えなくなってしまうなんて寂しすぎる。

 「なぁ、もしだけど……解散してしまっても、課外活動で続ければいいんじゃないか!? ほら、いろりちゃんの家のお寺とか借りてさ――」

 僕の言葉にアミノさんは暫く黙ってしまい……暫くしてから、ゆっくりと口を開いた。

 「出ていかないと行けないのは、この準備室だけじゃなくて、隣の礼拝堂もなのよ」

 礼拝堂を、出ていく?

 「だって、礼拝堂はろりぽっぷは何も使っていないはずなのに?」

 「……あの二人には、まだ黙っていて欲しいのだけど」そう前置きしたアミノさんは、丸められた書類を机の上に広げる。

 英語と日本語で併記されたその書類には、こう書かれていた。

 『十二月二十四日零時を持って、貴殿をミッチェル卿学園の司祭職から解任する――』

 「これってまさか、クビってこと!?」

 浅く頷き、アミノさんは話を続けた。

 「理事長の話が気になっていて……叙階式での話はあまり覚えてはいないけど、今後の処遇については、機関からの指示を待てと言われたわ」

 司祭職をクビって……つまり、それって……まさか。

 アミノさんは一呼吸おくと、静かに、ゆっくりと喋った。

 「私はもう日本にいられないかもしれない――」

 「そうなのか」

 僕は……一体どうしたらいいのか分からなかった。

 ただ、アミノさんが何か喋ってくれる事を待つことしか出来なかった。

 「突然こんな話になるなんてきっと、ろりぽっぷのやろうとしている事が、バレてしまったとしか思えないわね」

 「急に、なんで」

 バレてしまった――。そうだとしても、普通は注意とか……話し合いとかもなく、いきなりクビにするなんていくらなんでも横暴じゃないのだろうか。

 「――高江田さんかもしれない」アミノさんが言った。

 「昨日、すれ違った時に彼、「おめでとう」と言ったわ……その時は何の事なのか分からなかったけど」

 「あれは、きっと今日の事を知っていたのじゃないかしら」

 もし高江田が上層部にチクったとすれば合点が行く。なりふり構わず、ろりぽっぷを潰しに来たというわけだ。

 でも、それにしたって「おめでとう」なんて、そのタイミングで言うような言葉じゃない……それが本当だとしたら、とんでもなく最低の人間だ。 

 「ちょっと、高江田のところに行ってくる!」

 「待ってコウタ。彼と話をしても、何も変わらないわ」

 「でも……!」

 「機関が知ってしまっているの……行くだけ無駄というものよ」

 短い沈黙のあと、アミノさんが僕の目を見た。

 「コウタはどう思っているの?」

 「どうって……アミノさんの話を聞いたらやっぱり高江田が――」

 「そのことじゃなくて、私のことが好きか嫌いか、という事よ」

 ――は!? 突然何を言うのアミノさん!?

 「え、ど、どうって……ええ!?」

 掌にどっと汗が滲み出ていた。いつもながら突然すぎる! いきなりそんな事聞かれてなんて答えればいいんだ、なんて答えれば!

 たじろいでいる僕の事などお構いなしに、アミノさんはじっと僕の事から目を離さないでいる。

 「迷惑なら迷惑と、はっきり言って欲しいのだけど」

 「い、いやそんな事は……」

 迷惑なんて事は……それは最初はちょっと思ってたけどさ。

 そうだ、そうだよ。好きか嫌いか選べだなんて言われたら、それは好きに決まっているじゃないか! 

それに……アミノさんは今日、いきなり部室を追い出されるのが決まって……司祭をクビにまでなって。その上「君のこと好きでも嫌いでもないよ」なんて曖昧な事を言われちゃったら、そんなのって悲しすぎる!

 ここは紳士として、堂々と誤解を恐れずに言うしかない。絶対。

 決意を固めた僕はアミノさんの側へと移動し、膝とついて同じ目線のに高さになると、肩を両手で掴んだ。

 「アミノさん……」

 「コ……コウタ?」

 ――心臓がやばい。呼吸が苦しい。でも大丈夫、アミノさんなら分かってくれる。大胆になれ僕! もし今言わなかったら、アミノさんは自分の国へ帰ってしまうかもしれないんだぞ!

 恥ずかしくて死にそうだった僕は、コンビニ店員必須スキル『温めてはいけない商品を温めますかと訪ねてしまった時の心の持ち方』を超光速展開する――。

 さっきアミノさんの声は、珍しく動揺しているように聞こえた。まさか緊張しているのだろうか? 触れた肩も、心なしか強ばっているように感じる。

 だが、周りが暗い上、アミノさんの後ろにあるノートパソコンからの光が逆光となってしまっていて、肝心の表情が見えない。くそ! 一番、肝心なところなのに!

 その時、画面の明かりが気になってしまい、一瞬、パソコンの画面が目に入った。

 ……直後、僕はこれまでの人生の中でこの時ほど、覗きみを後悔したことはないというくらいに後悔する。

 生まれて初めて好きな女の子に想いを告げようとしていた、そんな大事なときに。

 ――僕は、小川先輩と目が合ってしまった。

 それも、今まで見たことがないほど優しそうな眼差しをした小川先輩と――!

 「わ……ぅわぁ! 小川先輩!?」

 僕は思わず大声をあげて尻餅をついてしまう。

 アミノさんは僕が驚いたため、振り返ってパソコンの画面を見ている。

 「コウタ、この人を知っているの?」

 「あ、えっと……知っている、ような……」

 「そう……コウタの知り合いなの」

 アミノさんはいつもの調子に戻っていた。

 し、しまった! せっかくいい雰囲気だったのに! もう二度と来ないかもしれない想いを告げるタイミングを逃してしまったじゃないか……。小川先輩……本当に関わりたくない人だ……まったく。

 僕は額に滲んだ汗を拭いとって、もう一度パソコンの画面を覗き込んだ。

 ……なんで小川先輩のキメ顔写真がアミノさんのパソコンにあるのだろう。

 「アミノさん、それ、その写真……どっから……」

 「さっき送られて来たの、ワンコの申し込みと一緒に」

 「――え? じゃあもうしかして、今日あったワンコの申し込みって……」

 「この人よ。小川信夫さんと言うのね」

 アミノさんは「本当は部員ではない貴方に、申込者の個人情報は見せられないのだけど、知り合いならいいわよね」というような事を行っていたけど、正直僕は半分頭に入って来ていなかった。

 小川先輩……また、申し込みしたのか!?

 画面を見ると、申し込み日時が今日の十一時半過ぎになっている……。僕と別れてお店に戻った後、こっそり申し込みしてやがったんだ! ……なんてしぶといんだ先輩……まだ諦めていなかったなんて……。

 「――でも、おかしいの」アミノさんが言った。

 「何が?」確かにこの人は頭がおかしいけど。

 「履歴を見ると、以前にも一度申し込みがされているの。なのに宣誓書が見当たらない。この日は今日と同じ日曜日だから、いろりと千歳は学校に来ていないはずよ。行っているとしたら私だけど、何も覚えていないの」

 アミノさんは机の上に積まれたリングファイルから『お』の見出しの所を開いて僕に見せた。確かに、リングファイルには先輩の宣誓書は無い。だがパソコンの画面を見ると、申し込み履歴には過去に一件入っている……。日付は十二月一日になっているな……その日は確か、大学の冬休み初日だ。

 そういえば小川先輩、冬休みの初日にワンコの申し込みをしたと言っていたな……ちゃんと、届いてはいたのか。

 ――ふと、背中の辺りがゾクっとした。

 「……冬休み、初日?」

 待て、待て待て待て待て……待てよ待てよ……その日は……いたんだよ。そう、目を開けたら、僕の前に虚無僧がっ!

 十二月一日は――、アミノさんとの衝撃的なファーストコンタクトの日じゃないかっ!

 鮮明な記憶となってあの日の出来事が蘇る。虚無僧にお経に人形のような少女に……橙色の瞳に……『おかあさん』!

 そうだ、帰り際に確かアミノさんは僕の事を「おかあさん」と言った……僕はずっと「お母さん」だと思っていたけど。

 僕は全身の血が逆流し、髪の毛は逆立ち、体中の毛穴が開いたような感覚に襲われる。

 ……もしかして本当は……。

 ――『小川さん』!?

 「うっ……くっ……」

 「コウタ?」

 僕は泣いた。とにかく泣いた。

 涙が出るのを禁じ得なかった。アミノさんが僕の事を見ていたけど……いや、むしろアミノさんが今ここに無事で、僕の事を見てくれているという事が嬉しくて泣いた。

 そして、今まで頑なに信じてこなかった神様に向かって、感謝の言葉を心の底から大絶叫した。有難う神様! アミノさんが僕の部屋を小川先輩の部屋と間違えてくれて本当に有難うッ!! ああ……さっき千歳ちゃんが言っていたのはこういう事なんだな……。神様への感謝ってのは。

 「コウタ、どうしたの?」と言うは僕の事を心配してくれているのか、それとも本当に『どうした』のかを知りたいだけなのかわからない、眠たそうでも美しいヘーゼルアイの女の子。

 お人形遊びが大好きな変態と、感情の欠けたお人形みたいな美少女のニアミス……二人とも知っている僕にとって、小惑星が地球の側をギリギリかすめていったくらいの衝撃だった。もしあの時、アミノさんが部屋を間違えずに小川先輩のところへ行っていたらと思うと、恐ろしくて今夜は一人で風呂に入れないかもしれない。

 「アミノさん……本当に、ここにいてくれて、ありがとうな……」

 僕は涙を拭いながらアミノさんに言った。泣き顔を見られるのはちょっと恥ずかしかったが、ま……この間も一度見られているし。

 「……それが、コウタの答えなのかしら」

 「うん……うん!?」

 不意打ちである。一体何の話に飛んだんだ今。

 「さっきの質問の事よ」

 「アミノさんの事、どう思っているかという質問?」

 「そうよ。私がまだ暫く日本にいたとしても、迷惑じゃないという事でいいのよね」

 「は、はぁ……」

 「そう、良かった」

 さっきの質問って……好きか嫌いか、というやつじゃなかったっけ?

 いや……落ち着いて考えてみると、好きか嫌いかというのって、単純に友だちとして……というか、人間として好きか嫌いかって事か?

 突然の事で頭がパニックになってしまって、変に解釈してしまった僕は、男女仲での好き嫌いだと思ってしまった訳で……穴があったらそのまま棺と一緒に入りたいくらいの勢いで顔が熱くなるのを感じた。

 なんて恥ずかしくていやらしいんだ僕の心め! アミノさんが……アミノさんがそんな意味で聞いてくるはずなんて無いのに! 

 そのアミノさんはというと、ノートパソコンを閉じて、何やら出かける準備を始めているではないか。……嫌な予感しかしない。

 「アミノさんどこか行くの?」

 「決まっているでしょう、小川さんの家よ」

 ちょっと――――――――――!?

 「駄目だ! 駄目駄目! 絶対に駄目だ!」

 「……どうして?」

 「どうしてって……とにかく、この人だけはどうしたって行っちゃ駄目なんだ!」

 「……」

 「コウタ、私がもし日本に残れる可能性があるとするなら、あとはこれしかないの」

 アミノさんはリングファイルから宣誓書を出して僕へと見せる。

 「宣誓書? これを、どうするんだ?」

 「見せるのよ、理事長や機関へ」

 宣誓書を何度見ても、僕は意味が分からなかった。これを見せて何がどう解決するというのだろうか。

 「ろりぽっぷの本当の目的が知られてしまった以上、その目的を武器に戦うしかない」

 「……本当は最後の仕上げで使うつもりで取っておいたものだけど……よかった。早めに準備を始めていて」

 「なぁ、アミノさん……ろりぽっぷの本当の目的って、仏教――、というか、ワンコの事じゃないの?」

 まだ出かけるつもりなのか、リングファイルを片付けながらアミノさんは言った。

 「ワンコは下準備でしかない。ろりぽっぷの本当の目的は……」

 「新宗教再構築部よ」

 「新……宗教?」

 「そうよ。既知の宗教概念をバラバラに壊して新しく再構築する、新宗教部」

 詩詠会の時にアミノさんが言っていた裏のろりぽっぷ……僕はてっきり『仏教』の事だと思っていた。出会いからして虚無僧だったし、その後にも山伏とか……お経とか。キリスト教の学園で堂々とお経を流すなんて、仏教にゾッコンじゃないとできないことだろう!? しかも、流している張本人がキリスト教の司祭というのだから、驚きを通り越して意味不明すぎる。

 だから執行部長の高江田が来た時も、お経が原因のクレームだと考えていた訳だが……。

 ……そうか、新しい宗教ときたか。

 「仏教のテイストが目立つのは、今月が仏教強化月間だから。月が変われば……キリスト教やイスラム教、ヒンズー、神道、秋葉原……その時によって趣も変わるわ」

 ……その時々で衣装やら小道具を増やしていくということなのだろうか。そういえば千歳ちゃんは「ろりぽっぷにはコスプレが必要」って言ってたな。

 まさかこういう事だったとは。って、今一個だけ宗教じゃないのが入っていなかったか?

 「そしてこの宣誓書は、『一つの宗教が支配力を持った町においても、他教のエッセンスが人々の心の拠り所になる』という事を裏付ける重要な証跡になる」

 よく意味がわからず、僕が「?」という顔をしていると、アミノさんは「……人の心は、そう簡単なものじゃないという事ね」返した。まずい……ますます分からない。また禅問答になってる。秋葉原のところから段々と頭がついていかなくなってきたぞ。

 リアクションが薄い僕の反応を見てか、アミノさんは「とにかく、今はこの宣誓書を出来るだけ多く集めることよ。そうすれば学園も、ろりぽっぷの存続を認めざるを得なくなるはず」と言う。

 宣誓書をできるだけ沢山集める事って言ったって、どれだけ集めたらいいのか分からないし……それに、たとえ千枚、一万枚と集めた所で、学園がろりぽっぷの存続を許すかどうかの保証はないわけで……。

 頭のよくない僕にだって、アミノさんを日本に留まらせる事が既に実現不可能なレベルなんじゃないかという事くらい、容易に分かった。でも、もうこの方法しか残されていないんだよな、悲しいことだけど。

 でも待てよ。もし上手くいって学園がロリポップの存続を許したとしたら……アミノさんのクビも回避できるのだろうか?

 首を傾げる僕をよそに、アミノさんはリングファイルを戻し終わり、冷蔵庫から取り出したロリポップキャンディを明暗箱へと入れている。

 「アミノさん、もしかして……まだ行く気なの?」

 「……貴方、私に日本にいて欲しいのか、いて欲しくないのか、どっちなの?」

 「もちろんいて欲しいけど、でも……あの人は……、そう、あの人は変態なんだ!」

 「ヘンタイ?」

 「そうだとも……行ったらきっと、タダじゃすまない!」

 「タダじゃすまないというのはどういう意味」

 アミノさんは変態という意味がいまいちよくわかっていないらしく、いつもの調子で僕に質問を投げかけてくる。

 「いや……どうってその、つまりだな……いろんな写真とか、撮られるっていうか」

 「写真? 写真くらい撮られても構わないわ」

 「絶対に撮らせちゃ駄目だ!」

 「……どうして?」

 「その……アミノさんの知っている写真とは違くて……」

 くっ……なんて説明すればいいんだ! 

 アミノさんは僕の言葉を待っているかのように、動きを止めてじっとこちらを向いたまま立っている。

 十六歳とはいえ、見た目が小学生の子に向かって直接的な表現は慎みたい! だけど、なんて言えばいいんだ、なんて言えば! このままだと、小川先輩のところに行ってしまう……そうなってしまっては取り返しが付かないぞ。

 それに、一歩間言葉を間違えば地雷を踏んでしまいそうなこの状況。果たして、乗り越える事ができるのだろうか。

 「例えばだな……スカートとか」

 表現が直接的にならないよう慎重に言葉を選んで、変態とはどのようなものかを説明するしかない。

 「スカート?」

 「そう、スカート……の、中とかを……見たがる、というかだな」

 「…………」

 「あと、お人形が好きなんだ、あの人……だから、その……お人形ごっこ的な事をされるというか……」

 「…………」

 無言だ……。アミノさん、分かってくれたのだろうか!?

 「……そう、それじゃあ……」

 「コウタも、変態ということなの」

――僕は、血を吐きそうになった。

 いつもの調子で、残酷な言葉を僕へ言い放つアミノさん。悪気は無いかもしれない……けど、いつもの眠たそうな目が、僕を蔑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 「僕じゃなくて小川先輩……」そう言いかけたその時だった。僕の脳裏につい最近起きてしまった黒歴史が突然その姿を現す。

 いやまてよ……そうだ、スカートの中を覗いたり、お人形と間違えたりしたのって……よく考えてみれば……。

 ――僕!

 墓穴じゃないか! 完全に自分のことを説明していたなんて……これは……悲しい事に何も言い逃れできない!

 何が悲しいかって、小川先輩と同じ、変態という一括りにされたのが何よりも悲しいに決まっている。

 残酷な言葉を吐いたアミノさんは、まだ諦めていないようで「もう行ってもいいかしら」なんて言っているし。頑張れよ僕! ここで打ち拉がれている訳にはいかない。何としてでも止めないと。

 だがもはや説得は無理だ。こうなったら……話を逸らして、小川先輩の事をうやむやのまま忘れてもらうしか無い!

 「アミノさん」

 「何?」

 「もし、学園がろりぽっぷの存続を認めてくれたら……アミノさんは司祭のままいられるんだよな?」

 「さぁ?」

 「ええ!? さぁって!」

 準備を進めながら淡々と答えるアミノさんに僕は驚いて声を上げた。

 「裏のろりぽっぷが学園公認の部活動となれば、各界から注目を浴びるでしょう。そうなれば研究の名目で、堂々と居座る事ができる。司祭に拘る必要は無いわ」

 「研究!?」

 「言ってなかったかしら。私は日本の宗教を研究するために司祭としてここに来たの」

 「宗教を研究……って、もしかして学者とか、そういうの!?」

 いつしか、研究がどうとかっていう話は耳にしたことあるけど、学者!? え――?

 一体何者なんだよ! 十六歳で司祭で学者で美少女って……いくらなんでもやって良いことと悪いことがあるんだぞ! だって、そんな人間がいたらまるで……神様みたいなじゃないかよ。

 「とは言っても、まだ学会に発表できるような論文は書けていないから、学者の卵ね」

 「それでもすごいって……アミノさんて、ホントに十六歳とは思えないよ」

 見た目は十六歳にはとても見えない。でも中身は逆の意味で十六歳とは思えない。僕は軽い気持ちで、感嘆の意味を込めて聞いたつもりだった。

 「……………………」

 え。何その間……。

 「アミノさん?」

 「……何?」

 まさか……いや、まさか……。

 ――僕は息を飲んだ。

 逸る気持ちを抑えながら、うっかり変な事を言ってしまわないよう念には念を入れて、コンビニ店員最終奥義『新しく入ったバイトの子が凄くタイプだった時に声をかけても犯罪にならないかどうかを判断するための行動指針』の封印を解いた――。

 「アミノさんって……もしかして本当は十六歳じゃないの? かなーなんて」

 「……ご想像にお任せするわ」

 想像出来ないから聞いているのに――!?

 僕は愕然とした。だって、だって……千歳ちゃんが自信満々で言うもんだから、ずっと信じていたのに……もしかして違うのか!?

 アミノさんも、嘘でも十六よーなんて言ってくれたら、僕だって悩まずに済んだのに。

 いや……待てよ、もしかして、嘘がつけないのか!? いや、あり得るぞ……だって彼女は感情の一部が……それに一応、神に仕える司祭だし……だから、言葉を濁すしか無いという事じゃないのだろうか。

 もしそうだとしたら、そこから分かる確かなことは『十六歳ではない』という事だ。

……十六歳より上なのか、下なのか、それが問題だというのに。

 「アミノさん、ヒントは!?」

 「……」

 「せめて、上か下か、だけでも……」

 「……コウタ」アミノさんは僕の言葉を遮って、「女性の年齢をしつこく詮索するのは感心しないわね」と言った。

 うぐッ――正論だ! まさに……悲しくなるくらいの正論……。何やってんだ僕は……。

 だが、これでは迂闊に好きとかなんとか……感情を抱くことなど許されないぞ。

 もし万が一にも十六歳よりもかなり下……つまり、見た目通りの年齢だった場合……僕は一生を暗く冷たい牢獄で過ごすことになってしまう。

 ……さっき、勢い余って「好きだ」なんて言わなくて良かったのかもしれない。話を逸らそうと発動したスキルが、まさか自分に牙を剥くなんてな。

 「……って、アミノさん!?」

 「それじゃ、出るときには戸締りよろしくね」

 「まぁぁーってアミノさーん!」

 しかもスキル効いて無いし! 今すぐ小川先輩のところに行っちゃう勢いだし!

 「コウタ、そろそろ行かないと時間が……」

 「僕が行く!」

 「え? ワンコよ……コウタが行くの?」アミノさんの喋る言葉が、心なしか驚いているように感じた。

「どうしても小川先輩の宣誓書が欲しいというのなら、僕が代わりに行ってくる!」

僕は勢いに任せて言い放った。

 アミノさんは絶対に宣誓書を諦めない、でも、僕だって絶対に小川先輩の元へ行かせたくない。もう、僕が行くしかないじゃないか。

 「……そう。それじゃ一緒に行きましょうか」

 「私は外で待っている、コウタが小川さんの話を聞いて宣誓書にサインを貰う。どう?」

 「わかった……それで行こう」

 本音を言うと、アミノさんにはここで待っていて欲しかった。小川先輩が外に出てしまう可能性もあった訳だから、用心に越したことはないからな。

 でも、僕だって怖い! 部員でも無いのにいきなりワンコ。しかも相手は……超一流の変態。だから、アミノさんの「一緒に行きましょう」という言葉を聞いた時、僕は嬉しくて……つい、否定しきれなかったんだ。

 「それで……衣装が無いけどそのままでもいいかしら」アミノさんから衝撃の一言。

 「ええ!? 何で!?」

 「いろりが全部持って帰ったわ。先週は天気が悪くて洗濯出来なかったから」

 「マジですか!」

 「コウタが持ってきてくれた私の深編笠ならあるけど、これを使う?」

 ……アミノさんの笠か。

 「衣装はなくても顔が隠せればいいんじゃないかしら」顔出しOKならいらないでしょうけどと言うアミノさん。

 もちろん、先輩には僕の顔を見られる訳にはいかない。これは絶対だ。でも……アミノさんの笠はネロリの匂いが……色々とヤバイんだよなぁ。

 「アミノさんは、どうするの?」

 「私はそのままよ」

 「そのまま!?」

 「他の笠も全て日干しすると言っていろりが持って帰っているもの」

 「じゃ、じゃあこの深編笠はアミノさん被って! 絶対脱いだら駄目だからな!」

 その時「そうだ」と言ってアミノさんが何かを思い出し、となりの礼拝堂へと入っていった。

 ……暫くして戻ってきたアミノさんは「コウタ、これがあったわ」と言って肌色のハンカチのように折り畳まれた物体Xを僕に渡す。

 「……何、コレ?」

 「スタンダード和尚のデスマスクよ」

 「な……な……何だって!?」

 ――僕は息を飲んだ。

 スタンダード和尚のデスマスク……どっかで聞いた事あるぞ、この名前。というか、デスマスクって死んだ人の顔から作るっていうやつだよな? 本物なのだろうか……コレ?

 なかなか顔を広げる勇気が出ず、折り畳まれたままのデスマスクを持った僕に「着けないの?」とアミノさんが聞いてくる。

 これを着けなければ、小川先輩に顔がバレる。絶対にあってはいけない事態だ。とすると……どうあっても着けないわけにはいかないという事になるのだが。

 「これって本物なの?」僕はアミノさんに聞いた。偽物だと言ってくれることを期待して。

 「本物って、どういう意味?」

 「え、どういうって……。本当にスタンダードさんの顔から作られたのかなって」

 「スタンダード……さん?」

 「そう、スタンダードさんっていう名前の和尚さんがモデルなんだろ?」

 アミノさんは話している途中で突然、僕に背中を向け、小さく「ふ」って言ったんだ。

 「ふ……? アミノさん?」

 「…………」

返事がない。どうしたんだろう、急にあっちなんか向いて……肩も震えているようにも見えるけど……まさか……呪い!?

 「どうした!? 気分でも悪いのか!?」

 見るとアミノさんは背中を少し丸めて「んん……」とだけ呟き首を横に振るものの、その場から動こうとしない。

 「やはり、スタンダード和尚の呪いなのか!? アミノさん! 大丈夫か!?」

 返事がない。くそっ! どうすればいい! このデスマスク! 早いとこ、浄化しないと。

 まてよ、今、僕の眼の前にいるアミノさんは司祭じゃないか! アミノ自らの手で葬ってもらえばきっと!

 「アミノさん、聞いてくれ! こいつを、浄化してくれ! 今すぐに!」

 僕はスタンダード和尚のデスマスクを広げてアミノさんの前に差し出す。

 「苦しいかもしれないけど……僕が持っているから! さぁ早く!」

 「……コウタ」暫くして、アミノさんが喋った。

 「貴方、わざとやっているでしょう……」

 そう言うやいなや、アミノさんは僕の手にあったデスマスクを取り上げ、クシャクシャに丸めて燃えるゴミ箱へ叩きつけるようにして投げ捨てた。

 「な……そうやるのか。やっぱり本物の司祭の浄化は迫力が違うな。まさかゴミ箱を使って浄化するなんて、驚いたよ」

 こちらを振り向くアミノさん。なんだか一瞬睨まれたような気がしたけど、きっと僕の勘違いだよな。

 「もういい」

 「え、何が?」

 「ワンコ。今日はもうやめにしましょう。なんとなく不吉な予感がするわ」

 「それがいいって! あまり無理はしない方がいい。呪いも解けたばっかりなんだし」

 「コウタ」僕の話を遮るように、アミノさんが喋った。

 「もう、私の前で、スタンダード和尚の話はしないで頂戴。いいわね?」

 「ああ、ゴメン。気が付かなくて」

 余程辛かったんだな。スタンダード和尚め。和尚のくせになんて恐ろしい呪いをかけやがるんだ。

 アミノさんは呪いが解けたばかりだからか、浄化で疲れたのか、椅子に座ると机の上に突っ伏してしまった。

 ……もうこうなったら、僕が元気付けてあげなきゃいけないだろ。

 「そういえば今日、まだお昼食べていないんじゃないか? 帰りがけ、何か食べに行かないか?」

 「遠慮しておくわ。外に食べに出たい気分じゃないし、それに私は学園の寮に住んでいるから帰りがけでもない」アミノさんは俯いたまま喋った。

 ああそうか。寮住まいなんだっけ。

 「じゃ、僕が何か買ってくるから、ここで一緒に食べよう」

 「え、あ――」

 僕はわざと聞こえないフリをして、足早に部室を出た。

 ――およそ一時間後、適当にお惣菜屋さんで選んだおかずにサラダ、スープ、パン、おにぎり、スイーツを買い、部室へと戻る。

 「ただいま」

 「……おかえりなさい」

 いつもの抑揚のない声だ。うん、大丈夫。怒ってはいないなきっと。

 目の前に並べられたお惣菜たちを目の当たりにして「貴方、こんなに買って、食べられるの?」とアミノさんが聞いた。

 「何が好きかわからなかったから、ひと通り買ってきたんだけど」

 「…………」

 「食べきれなかったら、持って帰って夜にでも食べてくれたらいいからさ」

 アミノさんは小さいからなぁ。十六歳より下だったとしても、上だったとしても、もっと食べなきゃいけないハズだ。

 「そうだ、溶ける前に先これ食べるか?」僕はパフェコと書かれた紙袋に入っているパフェを取り出してアミノさんの目の前に置く。

 「貴方、どうしてこれを」

 「どうしてって、たまたま見つけて……この前千歳ちゃんが話していたし、アミノさんも食べたいんじゃないかと思ってさ」

 甘いの大丈夫かなって一瞬考えたけど、女の子ならチョコパフェが嫌いなんてことはまずないだろうと思ったんだけど。

 「そう……ありがとう」

 そう言って食べてくれているところを見ると、買って正解だったようだな。

 「コウタも食べてみる?」アミノさんがスプーンにパフェをすくって僕の目の前に差し出してくる。

 「いやいいよ僕は! アミノさんのだし!」

 「そう……」と言ってアミノさんは何事もなかったように食べ続けた。

 さすがにアミノさんが使っているスプーンで貰うわけにはいかないだろ!? ちょっともったいないではあるけど……恥ずかしいし。

 「考えてみれば、せっかくワンコ無くなったんなら、アミノさんが言っていた、行きたいところ行けばよかったなぁ」

 「いいのよ、もう」

 「ええ!? 良くないって。なんなら、昼飯食い終わったら行くか?」

 これは、かなり元気をなくしているぞ。スタンダード和尚の呪いは本当にしつこいな!

 「用は済んでしまったから、もういいの」

 「……本当に?」

 「本当よ」

 アミノさんはパフェを食べ終わると、残りの惣菜には手をつけようともせずに僕の方を向いて言った。

 「貴方がいない間に、少し考えていたのだけど……、宣誓書は、もうワンコだけでは大した数が集められないわ」

 「毎日依頼があったとしても、一日二枚か三枚が限度だもんな」

 「もう、人の集まる学園祭に賭けるしか無いわね」

 「学園祭!?」

 僕は突拍子も無い声を上げた。だって、学園祭って……明け渡し当日じゃないの!?

 「学園祭は二十三日からの二日間。明け渡すのは学園祭が終了する、二十四日の夕方よ。だからまだ間に合う」

 ……なんか、失敗したら取り返しがつかなくなっちゃいそうだけど……アミノさんがそう言うのならそれでやるしかないのだろう。

 「で、学園祭はどうやって宣誓書を集めたらいいんだ?」

 「それにはいくつか案があるのだけど……詳しくは明日、いろりと千歳が来た時に話し合いましょう」

 「そっか。そうだな」

 アミノさんはロッカーにある扉を開いて鞄から財布を取り出す。

 「昼食のお金、忘れないうちに払っておきたいの。お幾ら?」

 「あぁー、いいって、これくらい」

 「でも、コウタにご馳走になる理由が無い」

 う……なんか面と面向かって言われると、ちょっと寂しいぞ。でもアミノさんらしいといえばらしいけど。

 ご馳走する理由か……理由さえあれば、いいという事だろうか。

 「じゃあさ、アレだ。詩詠会の時に淹れてくれた、紅茶のお礼」

 アミノさんは暫く固まったまま、何やら考えていたみたいだけど「……そう、それじゃあご馳走になるわ。ありがとう」と言って財布を鞄の中へ戻した。

 結局パフェしか食べなかったけど、元気になったみたいだからいいかな。

 それから僕は、暫くの間アミノさんと他愛もない話をしたり、ポエムの話をしたりしていたのだが、気が付けば夕日が沈む時間になっている。

 帰り際、アミノさんが「これを持って行って」と言って、スタンダード和尚の入ったゴミ袋を僕に渡した。

 「だってこれ……僕が持っても大丈夫なのか!?」

 「大丈夫よ。浄化してあるから、貴方は何も心配しないで、とにかく千歳に返して頂戴」

 「浄化してあるなら……どっかに捨ててもいい?」

 「駄目よ。それは千歳のだから、ちゃんと本人に返しておいて」

 ――アミノさんにそう言われ、僕はデスマスクを持って部室を後にした。

 正直な話、浄化してあるとは言ってもあまり持って歩きたくは無かった。でも、アミノさんのお願いを断る訳にもいかないしなぁ。

 途中、神社まで返しに行こうかと思って千歳ちゃんに電話してみたけど……出ない。

 仕方がないのでとりあえず家に持って帰った僕は、高校の頃、誕生日プレゼントにと妹から貰った十字架のペンダントをベッドの下にあるダンボール箱から取り出し、それでぐるぐる巻にして冷凍庫に仕舞った。

 アミノさんが浄化してあるとはいえ、念には念を入れておかないと。

 とりあえず、デスマスクを処理した僕は千歳ちゃんに『和尚預かってる、どうしたらいい? コウタ』とだけ打ってメールを送信しておいた。

 そしてさっき引っ張り出したダンボールを元に戻そうと順番よく奥に押し込んでいたその時――。

 「あれ? なんだこれ……」

 足元に見覚えのない僕の親指くらいの平たい円盤状の物が落ちている。

 拾い上げると銀色をしたその物の周りにラベルが貼ってあって、何やら英語が書いてあるのだが……そう、僕は自慢じゃないけど英語が読めないのだ。

 その時ふと嗅いだことのある匂いが鼻をかすめた。

 「アミノさんの匂い!?」

 これか……これか! ネロリとか言う、アミノさんが無くした練り香水は! ベッドの下に転がっていたなんて……どうりで病的な夢を見る訳だよ。

 でも、見つかってよかった。明日学園に行った時に返そう。 

 ネロリを机の上に置くと僕のあまり鳴ることが無い携帯電話が鳴った。千歳ちゃんからのメールだ。そこには、『最初のメールがそれ!?』とだけ書かれている。……和尚の事にまったく何も触れられちゃいない。

 僕はすぐに返信ボタンを押して『いいから和尚さんどうしたらいい』と書いて送る。

 メール送信から十分後、またも千歳ちゃんからのメールである。

 『コウタ君にあ・げ・る❤』

 ――僕は息を飲んだ。

 千歳ちゃん、そんなキャラじゃないだろう!? なんて酷い嫌がらせなんだ! ていうかあれか! メール文だとキャラが変わってしまうっていうアレなのか!?

 生まれてほぼ初めての女の子とのメール、そしてハートマークに……なんか小っ恥ずかしくって……ややテンションが上がってしまっていた。

 『い・ら・な・い♪』送信と――。

 今度は十分も待たずして千歳ちゃんからの返信メール『き・も・い♪』。

 くそっ! 僕にとっての『人に対して使っちゃいけない形容詞』をこんな簡単に使ってくれて! それにいつもの事だけど、まったく話が進まないじゃないか! よーし……こうなったらっ!

 と、こんな感じでくだらないメールを送り合う僕と千歳ちゃん。結局、スタンダード和尚が実在の人物ではなく、一般的な和尚のお面という意味のパーティーグッズだったという事を知り、こんな事なら電話で喋った方が早かったかもしれないと後悔した頃には、もう既に空が白み始めていた。


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